世界は全体開放されている。しかし、自分はこの道を行くだろう、むしろ(ねばならない)と言うべきかもしれない。双璧は世界を遮断している、逃げ道も用意されておらず前方も定かではない。
この道を進むとき、この道を進む景を水平線(絶対的な条理)を望む位置から監視する他者の眼差しがある。それは自身の眼差しかも知れないが、空間は重層している。地下でさえも変革を見せ幾重にも時代を経過している。しかし、ここは終点(目的)ではなくあくまで時間の途中、切れ目(SLIT)である。
平面と見えたものが坂(傾斜地)になるような視覚の振動である。この未来予測の不能な空間を所有している、確かにわたしたちはここに存在している故にこの不可思議な振動に錯視を覚えるのである。
現実と幻視の二重機関、その間を風が吹いている。未来圏からの風かもしれない。
写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館
大津は無名の文学者で、秋山は無名の画家で不思議にも同種類の青年がこの田舎の旅宿で落合ったのであった。
☆他意を審(つまびらかにする)。
夢(空想)の冥(死後の世界)である。
問(責任や罪を聞きだし)楽(心が和むように)赦(罪や過ちを許す)。
衆(人々)の懺(罪の赦しを乞う)夢(架空)の冥(死後の世界)を書く。
化(教え導くこと)は普く死を義(人として行うべき道)に導く趣(ねらい)の類(たぐい)である。
照(あまねく光が当たる=平等)の念(思い)を伝え赦(罪や過ちを許すこと)を慮(考える)。
宿(前世)からを絡(結びつける)の業(前世の悪行の報い)がある。
そのあいだに従僕は、仕事を終えていた。ただ、書類が一枚だけ(と言っても、じつは小さな紙片、メモ用紙一枚にすぎなかった)、助手の手落ちで車のなかに残っていて、だれのところへ配達してよいのかわからなかった。〈あれは、どうやらおれの書類かもしれんぞ〉という考えが、Kの頭にひらめいた。
☆したがって従僕(死人)自身の現場不在は打ち切られた。ただ一つの記録、まったく一枚の紙切れ、先祖のメモ用紙だけだった。助手の落ち度で引き起こされた小さな秤(平等)が残っていたが誰に分配すべきか分からなかった。あれはわたしの書類(記録)かも知れない、と頭のなかに浮かんだ。