毎日が時差ぼけ

大阪発、いろいろな交通機関の搭乗記録

1992年1月22日-25日 函館往復の記録

2024-03-28 17:55:49 | 旅行記

寝台特急 北斗星5号 上野19:03発 札幌行きで函館6:34着

上野駅は複雑でよくわからない。ほとんど来ないので慣れていないせいもあるが。

14番線はどこか、迷わないように気合を入れて改札内に入ったが、不忍口から入ると14番線はすぐのところだった。

寝台特急北斗星5号のB寝台はガラガラだった。やはり客車2段式は広い。電車3段式は狭すぎて不快であった。

上野駅を出発した。

最近の寝台列車にはロビーカーがついている。しばらくロビーカーのソファーに座ってミスタードーナツを食べながら本を読む。ロビーカーではすでに2組のおっさんのグループがテーブルの上に缶ビールとおつまみ類を展開していた。おっさんの習性であろうか、三島から東京までの新幹線の中でもあちこちでおっさんのグループが缶ビールで宴を開いていた。

そしておっさんの癖であるが、歯をチッチッチと鳴らす。この北斗星でも新幹線こだまでもそうだった。中年になると歯茎が痩せて歯の隙間が広がるため、物を食べると挟まりやすく、歯を鳴らしてしまう。理屈ではそうだが、そのような不快な音を出して平気なのがおっさんなのだ。

北斗星では、停車駅と到着時刻のアナウンスの時に、「参考までに」として青函トンネルに入る時刻と出る時刻も案内された。やはり北斗星の売りは青函トンネルなのか。


1992年1月23日未明 寝台特急 北斗星5号の中

青函トンネルに入る時刻に起き出して、ロビーカーに行く。外はまだ暗い。津軽半島は雪が降っている。

トンネルに入るころに、ロビーカーのビデオが作動した。青函トンネルの説明ビデオだ。トンネル作成の動機や計画、工法などかなり詳しく説明される。

ビデオを見ている間にいつの間にかトンネルに入っていた。暗いところから暗いところに入るのでわからない。出る時も同様にわからなかった。次に通るときは昼間にしよう。

寝台に戻ってしばらく寝る。あと1時間ちょっとで函館である。函館で降りるので寝過ごしたら大変だ。と思っていたら、函館に着く20分ぐらい前に車掌さんが起こしに来てくれた。上野を出てしばらくしたところで乗車券の検札があったが、その時に下車駅をチェックしていたのだろう。

函館駅の構内に入ると、「北斗星」のヘッドマークを付けたディーゼル機関車が待機していた。函館からは電化されていないので、札幌までディーゼル機関車で牽引するのだ。

降りた。早朝なので寒い。ホームも雪をかぶっている。

函館駅の改札を出た。駅前も凍った上に雪が載っている。冬用のブーツを履いていてもすべる。

とりあえず朝市に行く。このような早い時間に営業しているのは朝市だけである。

函館の朝市はやはりカニが多い。店の人が声をかけてくるが、観光に来て生のカニを買ってもしようがない。朝市の中には洋服店や靴店もあった。何のためにこんな朝早くから服や靴を売っているのだろうか。

朝市の食堂で朝食をとる。狭い店ばかりなので混んでいるかと思ったら、空いていた。7時前は朝市ではもう遅い時間なのだろう。店に入るとメガネが曇った。メガネをはずすと壁にかけてあるメニューが見えない。曇りがとれて視界が回復するまで待って、注文した。目についた「カジカ汁定食」というものを頼んだ。

しばらく待つと、鉄鍋に魚がまるごと入っているものが来た。とりあえず汁を飲んだ。美味い。どうせ魚の旨味は汁の中に出ているのだから汁だけ飲むか、と思ったが、魚の身にも挑戦してみた。店主さんが「上手に食べられるかな」とプレッシャーをかけてきた。魚の身を何とか食べた。寒かったのに食べていたら暑くなってきた。

カジカ汁定食を食べ終わった。「上手に食べられました。人によっては汁だけ飲んで魚はそのままってこともあるのに」と店主さんに褒められた。やはり、最初に考えたように汁だけ飲んで魚は食べない人がいるのだ。

店を出た。駅前はまだ凍っていた。それでも地元の高校生は、雪が降らない地域の高校生のような普通の服と普通の靴で平気で歩いている。小学生はスキー場のように防寒着上下にブーツを履いて通学している。小さい頃からこの環境で育つと、中高生ぐらいになると慣れて普通の装備で普通に歩けるようになるのだろう。


特急はつかり10号 函館7:42発 盛岡行きで木古内8:20まで行く

松前に行くために、函館から木古内まで盛岡行き特急はつかりに乗る。ここでも青函トンネルを通る時刻を放送していた。

木古内のホームにも雪が積もっていた。函館よりも多い。自由席の禁煙車に乗っていたら降りたホームは端の方で屋根がなかった。サクサクと雪を踏んで改札口に向かった。

木古内駅の改札口ではどこかのお兄さんが駅員と揉めていた。函館で駅員に言われたこととここ木古内の駅員が行くことが食い違っているらしい。


木古内から松前までバスで行く

駅舎を出て、駅前から松前行きのバスに乗る。以前は松前線があったが、今は廃線になっており松前まではバスで行かなければならない。

木古内駅を出る時は乗客は3人だった。木古内の街中で3人乗ってきた。この人数では松前線が廃止になるわけだ。

しかし、途中の街と街の間では、地元の人が何人も乗ったり降りたりして行った。地元の足としては結構利用されているようだ。松前線の廃止当時は第三セクターという考えはなかった。あったら松前線はなくならなかったかもしれない。

それにしても松前は遠い。雪が降っているのでバスが遅れているのかと思ったが、時計を見たら定刻で走っている。普通に走っても時間がかかるほど松前は遠いのだ。

松前に着いた。松前は雪で真っ白だった。函館や木古内よりもさらに雪が深い。

松前城に向かって、真っ白な道を歩いた。どこが道かわかりにくかったが、標識に従って城に上る坂道を歩いて、城門に着いた。

城門付近に雪かきをしている人がいた。城の建物の中は冬は閉鎖しているので入れないが、庭には入って良いと言われたので、松前城の構内に入った。松前城は日本最北の城らしい。松前の街を見下ろすことができた。海がすぐ近くである。スーパーマーケットの巨大な看板が景観を損なっているが、それ以外はきれいな景色である。冬なので雪で真っ白で美しく見えるのだろう。雪がなければそんなに特別感はないだろう。

城門を出る時に、さっき雪かきをしていた人が、今の時期は何もやっていないけど、と言いながら城と街の観光案内パンフレットをくれた。礼を言って立ち去った。

観光シーズンであれば多くの人が歩くであろう散策路を、雪を踏みながら歩いた。

観光コースをひと通り歩いたが、誰にも会わなかった。植物園があったが、何も生えていないし何の花も咲いていない。寺社がいくつかあったが、境内にはほとんど足跡がない。粉雪が吹雪になって寒い。全く誰ともすれ違わない。冬に松前に観光に来てもしょうがないのだった。

昼食のために街に降りる。街中から見上げる城は、雪をかぶって白く美しい。この景色を見ると、冬に来るのも良いと思う。


松前から木古内までバスで戻る

木古内行きのバスに乗る人は多い。狭い待合所がいっぱいになった。待合所にいる地元の人どうしの会話は方言がきつくて、横で聞いていてもまったくわからない。

バスに乗った。バスの窓から松前線の跡らしいホームが見えた。

往路と同様、地元の人は入れ替わりが激しい。特に福島町では、多くの乗客が降りて多くの乗客が乗ってきた。

帰りも木古内までは長かった。木古内から函館までは普通列車である。函館はさらに遠い。


函館山に登る

再び函館駅に着いた。ここから市電で函館山ロープウェイの最寄り駅に行った。市電通りからロープウェイの乗り場までは上り坂である。

こんな真冬の時期にロープウェイは営業しているのだろうかと思いながら行ったが、10分毎に出ており、最終は20時30分だった。函館の人が夜に遊びに来るのだろうか。

観光の季節には混みそうなロープウェイ乗り場は、今はやはり閑散としていた。ロープウェイが来た。乗客は自分ともう1人だけ。乗務員は2人である。乗務員は2人だけの客のためにちゃんと函館山の説明をしてくれる。

ロープウェイを降りて展望台に出る。夕方になっていて非常に寒い。山の上なので風が強い。景色は良い。

建物の中に入る。あたたかい。ロープウェイの切符にレストランの割引券がついていた。しかし、そのレストランは冬期は休業だった。

山頂の観光センターの中には他の観光客も多くいた。土産品を見たり夜景を見たりしていた。中の小さい劇場で函館の紹介のスライド上映があった。入場料100円なので入った。ひとりだけだった。函館の歴史や現在の産業などの紹介があった。わりとおもしろかった。

函館市街地の夜景が見える展望室には、真冬なのにかなり多くの人がいた。中年女性のグループが、カメラのフラッシュをたいて夜景を撮ろうとしていた。夜景にフラッシュを使っても無駄であるにもかかわらず。ある中年男性は、台の上にカメラを置いて動かないようにし、フラッシュを使わずに夜景を撮っていた。これは正しいやり方である。

ロープウェイで函館山を降りた。寒い。旅行に来たら夜も街中を歩いてみたいものだが、こう寒いとぶらつく気になれない。夕食を食べてすぐにホテルに戻った。


1992年1月24日朝 五稜郭

朝も寒い。ハンバーガー屋で朝食をとってから五稜郭に行こうと思ったが、ファストフード店が開いていない。冬だからか?しかたがないので函館駅の中の喫茶店でモーニングを食べる。

それから市電で五稜郭公園に行く。かなりの人が市電に乗っている。

五稜郭公園前の駅に着いた。にぎやかな通りだった。ここにはミスタードーナツがあって営業していた。

昨日と同じような雪がかかった凍結路を歩いて五稜郭タワーに来た。ここでも人が少ない。エレベーターのチケットを買って、展望台に上がる。エレベーターの中の客は自分1人だった。それでもエレベーターの係員さんはちゃんとタワーの説明をしてくれた。

タワーの展望台から見ると五稜郭が本当に星形をしていることが良くわかる。

タワーを降りて公園内を歩く。おじさんがそりを曳いて小さい犬を2匹つれて散歩していた。1匹はそりに乗り1匹は歩いていた。おじさんが歩いている犬におまえも乗れ、と言ったら歩いていた犬もそりに乗った。

一方で、若いお母さんが小さい子供を2人そりに乗せて歩いていた。ベビーカーならぬベビーそり。雪をかぶった歩道ではベビーカーの車輪がとられて進みにくく、そりの方が楽に動くのだろう。

五稜郭タワーの1階の土産物屋でお土産を見てから、市電で函館駅に戻った。


特急北斗9号 函館12:50発で大沼公園に行く

函館駅前でイカそうめんを食べてから、特急北斗で大沼公園駅に行く。外を歩いていてしりが冷たくなっていたが、列車の温かいシートに座るとしりが温まった。

12:50発13:10着で大沼公園駅に着いた。帰りの函館行き特急北斗で次に大沼公園駅に止まるのは16:17の北斗10号である。それまで約3時間ここで過ごさなければならない。

雪まつりがあるらしく、雪像をいくつも作っていた。作業する人ばかりで観光客は当然いない。

散策路に入った。雪が深い。大沼は完全に凍り付いていた。橋がいくつもあって美しい景色である。ただし島も雪で真っ白で沼の上も凍った上に雪が積もって真っ白でなんだかよくわからない。

小沼の白鳥や鴨などがいるところだけが沼の氷が溶けている。地下水でも出ているのだろうか。

ひと通り歩いて回った。風が吹いて寒い。雪深いところばかり歩いていたので疲れた。体も冷えた。

公園の前に営業している店があった。入ると店の人がみな驚いた顔をした。他に客はいなかった。雪まつりの作業をする人のために営業しているのだろうか、作業員でない者が来るとは思っていなかったのだろう。店でホットミルクとピザまんとカレーまんを買って食べた。

大沼公園駅の列車の時間まで、駅前の喫茶店に入った。ここでも他に客はおらず、店員が驚いた顔をした。

駅でしばらく待つ。列車の時刻までもう少しだというのに、改札口が開かない。駅員は雪原の向こうに列車が見えてから改札を始めた。駅の待合室はホームに比べて寒くなくて良いのだが、特急北斗の自由席禁煙席は最後尾なので、急いでホームの端まで行かなければならない。

特急北斗10号 函館16:40着で函館に戻った。4回目の函館駅である。次は青森行きの快速海峡14号に乗る。それまでの時間に駅の外に出て、海峡ラーメン(みそ)を食べた。


快速海峡14号 函館17:20発 青森19:55着で青森に行く

函館駅に戻って快速海峡14号に乗った。函館と青森の間を2時間半ほどかけて走る。海峡が特急や急行でなく快速なのは、北海道の渡島や青森の津軽の沿線の地元の人たちの足としても使えるようにらしい。通しで乗る乗客よりも区間で乗る客の方が多いのか。そうすると、指定席がガラガラなのに自由席は混んでいることが理解できる。

中年女性の中には、列車が混んできても自分の席の隣の席に自分の荷物を置き続ける人がいる。

中年男性の中には、列車が混んできても自分の席の前の席に足を伸ばして乗せ続ける人がいる。

函館を出る時にはかなり混んでいたのに、上磯、木古内、尻内と過ぎて行くと、車内の乗客が3割ぐらいに減った。それでも青函トンネルに入るときにはトンネルの説明がアナウンスされる。


1992年1月24日 急行八甲田 青森20:12発 上野6:58着で東京に戻る

青森駅のホームで駅弁売りのおじさんから帆立釜めしとみかんと缶ビールを買って、列車内に入る。

急行八甲田の自由席は空いていた。金曜日の夜なので週末移動する人で混むかと思ったが、そうではなかった。

缶ビールを開けた。プシュッという音が列車旅行の音である。一口飲んで一息ついた。缶ビールは、冷蔵庫ではないただのワゴンの棚に置いていただけだったが、寒いのでほどよく冷えている。ただし、帆立釜めしも同様に冷えていた。

 


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