先日、Twitterで、素敵なことを言っているツイートを見つけました。
それがこれです。
宮台真司って、下品な言葉使うから、若い女子からは入口で嫌われる。私も若い女子時代は、「知ろうともしないで」嫌ってた。
— しづりん (@sea_zz_ca) January 24, 2022
それすら彼の戦略だったことを最近知り、マジ唸った。
私の理解はしゃけの産卵と同じ。
「川を超えてくるやつにだけ見える世界があるんだぜ」って話。
たぶんw
宮台先生のことを書いたツイートですが、ここにとても印象的な言葉がありまして。
それが…
「川を超えてくるやつにだけ見える世界があるんだぜ」
という言葉でした。
この言葉を見た時、「これこそが、本当の教育だよ」って思いました。
なお、この言葉は他のどこかで使われている言葉かどうかをチェックしたら、ありませんでした。これをツイートしたしずりんさんのお言葉だと思います。
が、この言葉、すごくストレートで、しかも宮台先生節が伝わる言葉だなぁって思ったんです。
…
これは、僕自身の教育スタイルにも直結する話かなって思いました。
宮台先生のマネをしていたわけじゃないけど、僕も下品な言葉を使い、態度もよろしくなく、若い女子から入口で嫌われ続けてきました。
いったい何度、「あの先生、嫌い」「あの先生、生理的に無理」「あの先生、頭おかしい」「人間としても、先生としても失格」って言われてきたことでしょう。昔も、そして今も、同じように嫌われ続けています。
でも、その中で、ごくごく一部の学生だけは、その全てが僕の演出・パフォーマンスであることに気づき、近づいてきます。僕からすれば、「あらら、見破られちゃったわ💓」って感じ?!
だいたい、僕は心理と福祉から出発して、哲学、教育を勉強してきた身であり、「どうしたら嫌われないか」くらい分かっているつもりです。「いい人」を演じることなんて、むっちゃ簡単ですからね。
だから、逆に「いい人じゃない人」=「いい先生じゃない先生」を演じるんです。厳密に言えば、「若い学生が求める使い勝手のいい先生ではない先生」を演じるんです。
なので、「あの先生、無理~」っていうのは、僕にとっては最大の「褒め言葉」なんです。こっちから言えば、「よかった。あなたみたいな人間に関わるだけの時間も暇も余裕もないのでね、失敬」っていう話で。
…
でも、なんで、そんな面倒くさいことをしているんでしょうね…💦
自分でもよく分かっていませんでした。
今回、この上のツイートを見て、「あ、これだ!」って思ったんです。
「川を超えてくるやつにだけ見える世界がある」、そう、そんな「川を超えてくるやつ」を見いだすために、わざわざ、学生たちが望まない先生、望まない言い方、望まない口調、望まない関わり方をするんです。
もし僕が義務教育の先生だったら、こんな面倒くさいことはしません。こっちから歩み寄るし、言葉かけ一つにも気を遣うし、押しつけがましいことは言わないし、オラオラな態度も取りません(苦笑)。それが小さな子どもであれば、とてつもなく優しい大人になりますし、なれます。
でも、僕が関わる学生たちは、義務教育ではないし、一応「高等教育」を受けている人たちです。しかも、「教師」や「保育士」を目指している人たちです。模範的、規範的、自律的な生き方ができなければ、お話にならないんです。
じゃ、その模範的、規範的、自律的な生き方とは何か。
それは、人間の表面ではないところが見える人、うわべでモノ(人)を見ない人、上っ面の言葉や表現に騙されない人、あるいは、惡の中に「正義」を見、正義の中に「惡」を見れる人の生き方です。喩えるなら、ピエロを見て笑う人間じゃなくて、そのピエロの涙がちゃんと見える人。
僕は、自ら「惡」を演出しているんだと思います。今の時代、「上っ面の正義」が氾濫しているので、なかなか惡をキープするのは難しいですが、可能な限り「ヒール役」を演じていたいんですね。
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数年前に、ある学生に言われたことがあるんです。
「先生、いつも『学生たちを研究会(第四土曜日の会)に誘っても誰も来てくれない』って嘆いていますけど、あんな誘い方じゃ、そりゃみんな来ませんよ!」って。
どんな誘い方をしているかというと、、、
「うちの卒業生たちと研究会をやってるから、来たい人は来ていいよ。でも、無理して来なくていいからね。やる気のやるやつだけ、来ればいいから。別に強制じゃないし、頼んでないし、嫌々来られても迷惑だし…💣」
みたいな(苦笑)
もちろん毎年、この誘いを聴いて、やってくる学生はほぼいません。でも、その「ある学生」だけは、研究会に来るようになりました。川を乗り越えてきたんですね。
…
それは、2020年3月でファイナルを迎えたドイツ語クラブの【ドイツ修養の旅】も同じ感じでした。
同じような感じで、「川を越えてくるやつ」だけを集めて、その学生たちに素晴らしい世界を見せてきました。それは、このブログでもレポしてますね👆
この旅は、僕にとっての「最高の実践」でした。準備だって、半端ないです。20万ちょっとで、ドイツ語圏10泊12日くらいの旅ですからね。それに、幼稚園やら保育園やら施設やら赤ちゃんポストやらを見て、更に(ツアーではいけない)行くべき場所にも行きますし。それこそ、「川を超えてくるやつ」しか、絶対に見せたくない(苦笑)。慈善事業じゃないんだから。
ドイツ語の学生たちは、言ってみれば、僕の下品な対応?(&無謀なむちゃぶり)に耐えてきた人たちでした。皆が僕を嫌う中で、それを克服?してきた人たちでした。
…
楽して、欲しいモノを簡単に手に入れよう、と思う人は、要らない。
上っ面の美辞麗句や表面的な愛想笑顔に喜ぶようなkindisch(幼稚な)人も、要らない。
自分はロクに努力も勉強もしないで、それでいて最大の恩恵を受けようとする人も、要らない。
(そんな人に付き合ったり、寄り添ったりすることなど、高等教育の教員がすべきことではない。それをするなとは言わないし、「仕事」としてそれをしなきゃいけない悲惨な状況にあることも分かるけど、その優先順位は高くなくていい)
表面上見えているものを疑い、その「裏側」が見える人が、育ってほしい。
目に見えるものを疑い、目に見えないものを見ようとする人が、増えてほしい。
常識の中にある非常識を見、そして非常識の中に常識を見る人が、出てきてほしい。
そういう人だけが、子どもたちの「よい先生」「よい保育士」になれる、と確信しているから。
「川を超えてくるやつにだけ見える世界がある」
この言葉を、これからも忘れないで生きていきたいなって思いました。