Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

テレージエンシュタット強制収容所(2)◆大要塞◆ゲットーミュージアム◆子どもの絵

テレージエンシュタット強制収容所、その2です。

その道すがら、こんな「廃墟ホテル」を見つけました。

なんか、すごい「廃墟感」が漂っているんですけど、、、汗

この上の小さな小屋はいったい何のために、作ったんでしょうね…

かつては、ホテルとしてにぎわっていたのでしょうか?

それとも、共産主義時代のなごり?!

ノヴァ―・オフジェ川を越えて、向こう側が、「大要塞跡地」。

そして、巨大な「ゲットー」があった場所です。

大小の要塞に、実に16万人のユダヤ人が輸送されてきたんだとか。

そのうちの3万6000人がアウシュヴィッツに連行されたんだとか。

ただ、基本的に、こちらの大要塞ゲットーは、比較的待遇のよい収容所だったそうです。

(親族にドイツ人のいるユダヤ人とか、ドイツに大量のお金を寄付したユダヤ人など)

とはいえ、終戦間際になると、暴挙、暴動に出て、あらゆる人が抹殺の対象になったそうです。

(それは、他の収容所でも同じでした。「負け」が分かると、人間、恐ろしい道を歩むんですね。

その、大要塞の入口に立つと、、、

やっぱり、要塞。

町中がこんな感じになっています。

こんなの、他じゃ見られない!

大要塞の全体図です。

緻密に計算された「町設計」になっていて、町全体が幾何学的にできています。

中央広場を中心に、きちんと町が整えられています。

このゲットーは、1941年にナチスによって作られたものだそうです。

意義的には、「リレーステーション」、すなわち、絶滅強制収容所の中継の町。

あるいは、「アウシュヴィッツに向かう最後のステーション」。

町を上から見ると、こんな感じになっているそうです。

さすがに、このアングルからテレジーンの町を見るのは、、、

でも、「あー、こうなってたよなぁ」って思います(後から振り返ると…)

こちらは、中央広場の手前にある公園です。

かつての「重々しい雰囲気」はありません。

いたるところから、ドイツ語の話し声が聞こえてきます。

若いドイツの男女が、色々と話をしたり、昼食を取ったりしていました。

こちらが、「ゲットーミュージアム」。

Museum Ghetta

基本的に、中の撮影はできないので、、、

ゲットーだけあって、ユダヤ人の家屋、という感じです。

チェコ語、英語、ドイツ語での説明があります。

きっと、ドイツからの見学者がすごい多いんだろうな、と。

さて。

ミュージアムの中に入る前に、こんな子どもの絵がたくさん掲げられています。

これが見たくて、ここに来たといっても過言じゃないんです。

こんな本も出ています(日本語)

テレジーンの子どもたちについては、日本語の本も出ています。

劣悪な環境下で、しかも「芸術活動」が禁止されている中で、

子どもたちが、これだけ豊かな芸術活動をしていた、ということに驚きを隠せません。

とっても、綺麗です。

そして、なんとも、「素直な子どもの絵」という感じがします。

彼らにも、色んな未来があったのでしょう。

そして、喜びも悲しみも痛みも、いろいろとあったんだと思います。

でも、これらの絵から、「悲壮感」は感じられません。

少しの悲しさだけ、、、

なんか、この絵に、胸が締め付けられました。

表情が見えないのが、なんとも想像力を掻き立てられます。

どこに向かおうとしているんだろう?

標識には、「TEREZIN」と書いてあります。。。

このテレージエンシュタット強制収容所からアウシュヴィッツに移送された子どもたち。

ヨーゼフとレンカという名前だそうです。

この二人の作品も残されていました。

あと、このゲットーミュージアムでは、貴重な当時の動画を見ることができます。

地下の綺麗なシアターで、見られます。

ちなみに、「ドイツ語」で、シアターには僕を入れて4人しかいませんでした。

(200人くらい入りそうなシアターですけど、、、)

いきなりサッカーをしているシーンから始まります。

このテレージエンシュタット強制収容所のサッカーについての証言もあります

1944年に、国際赤十字の調査団が、このテレージエンシュタット収容所を視察に訪れた時の映像みたいです。

映像字体は、ナチスが「プロパガンダ映画」として、制作したものだそうです。

つまりは、「偽りの平和を演じるサッカーの試合」。

なんとも言えない気分になりました。

ゲットーミュージアムと書いてあります。

でも、ナチによって作られたこの町を歩くと、70年前に恐ろしい悪夢が繰り返されていたとは思えないほどに、のどかで、静かで、のんびりとした町でした。

自分が、かつてのゲットーにいるんだということを忘れてしまうくらいに。

ミュージアムの横が、中央広場。

美しいです。

中欧三カ国、全部回ったんですけど、どこも同じ感じがします。

元共産国という共通点もありますしね。

広場中央に立つと、こんな大きな教会?が見えてきます。

地図を見ても、この建物がなんなのか、書いてありませんでした。

この建物に、僕は一気に引き込まれました。

この教会?の隣の茶色い建物は、「地球の歩き方」によれば、『元女子寮』だったそうです。

中にも入れましたが、チェコ語ばかりで、よく分かりませんでした、、、

(いやー、チェコ語はホント分からない、、、汗)

でも、googleで調べると、この場所は、どうも「薬局」っぽくって。

昔は、『元女子寮』で、今はそこに「薬局」が入っているってことかなぁ…。

しかし、凄い建物です。

扉も、これ、10mくらいはあるんじゃないかな?!

MDCCCVってなんだろう?!

調べると、ローマ数字で、意味は「1805」。

1805年に出来た建物ってこと?!?!

うーん、分からない…。

しかし、どこを撮っても、絵になります。

美しい…。

さらに、行くと、こんな感じで。

昔、エストニアに行ったときの「風景」と重なり合いました。

なんか、こんな感じだったよなぁって。

ちょっと怖い感じもするんですが、ここはなんかちっとも怖くなくて。

こちらが、地元の「商店」?「雑貨屋さん」?

日本でいう、古い古い『ヤマザキパン』みたいな。

ほとんど宣伝が出ていないので、近くに行くまで、ここがスーパーだって分からなかった…。

(それくらい、商売っ気がない雰囲気のお店でした。ちなみに、店員さんはアジア系の女性でした!)

で、こちらが、パン屋さん。

おばあちゃんが一人で経営していました。

なんか、いい感じでのパン屋さんでした。

なんかいい風景だなぁ、と思って見つめていたら、

「あ、そうか。電線がないんだ…」、と気づきました。

電線がないから、建物だけがどーんと目に入ってくるんですね。

なかなか味のある建物ですよね。

ここ、人、住んでいるのかなぁ。。。

さすがに、ノックする勇気はありませんでした(苦笑)。

さらに奥に行くと、またまたなんだかよく分からないところに…

ここが凄かった。。。

階段を上ると、、、

あれれ、、、

有刺鉄線が取れて、柵だけになったものが、、、

ここも、「ゲットー」だったのかな?

あ、いや、ここから出られないようにしていたのかな?

さらに、奥に、こんな不思議な景色が広がっていました。

ここは、なんだったんだろう?!

ナチが拡大しようとして、途中でやめたところかな?

何の案内も掲示もないので、分かりませんが、、、

大要塞の外も、また要塞になっていることに驚きました。

誰もいません。

僕一人だけ。

しばし、タバコをふかしながら、物思いにふけりました。

「人間って、すごいなぁ」って。

色んな意味で。

こんなものを作ってしまうんだから、、、

最後に、ヤン・フス氏の銅像と向き合いました。

ヤン・フスは、知っている人は知っていますよね。

僕は、コンスタンツに留学していたので、ヤン・フス氏には愛着があります。

彼、チェコ人だったんですよね。チェコの誇りとなっている一人です。

よく顔を見ると、BUCK-TICKの今井さんになんとなく似ていて、、、

ますます愛着がわいてきました。

これから、今井さんを見ると、ヤン・フス氏を思い浮かべることになりそう、、、苦笑

この銅像の近くが、バス停。

ここから、再びプラハに戻りました。

5時間くらいの滞在でしたが、一生記憶に残る経験になりました。

ホント、来てよかった。

それと同時に、

「自分は、本当に、何も、何も分かっていないんだな」、と改めて痛感しました。

40年生きてきて、何も分かっていない。

そのことに、なんか、打ちのめされた5時間でした。

手前のバスが、僕のバス♪

1時間ほどで、プラハに到着します。

ドイツからだと、ドレスデンからエルベ川に沿って、電車が走っています。

ちなみに、2週間ほど前に行った「バスタイ橋」もまたまた電車で見られました。

ホレショヴィツェ・バスターミナルから、ホレショヴィツェ駅に向かいます。

チェコのエスカレーター、怖いです。

めっちゃ、ストレート。

200mくらい続くんじゃないかな。

これ、転んで転落したら、マジで命を落とすよ、、、

ハンガリーもスロバキアもそうだったけど、エレベーターのスピードも速い。

プラハの地下鉄のエスカレーターは本当に早くて怖いです。

(何度か乗ったら、慣れましたけど、、、)

ホレショヴィツェ駅です。

なんか、アートな感じですよね。

綺麗です。

乗り換えもこんな感じで楽々です。

すごいカラフルなんです。

日本も、地下鉄は、色でシンプルに分かるようになっていますよね。

それに、日本の地下鉄のあの複雑さを考えれば、プラハの地下鉄なんて、余裕です。

で。

ヘトヘトなのに、ここから、「ラーメンマニアkei」の登場です。

行くぜ、プラハのラーメン!!!!

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