今日は、久々の「捨て曜日」☆ なあんにもしない一日。なにもない一日。無為な一日。それこそが一番の幸せ。
まぁ、それはさておき、今日は久々に僕の「ビデオ・コレクション」をダラダラみました。今じゃ、ブルーレイ・ディスクなんてもんもあるみたいですけど、僕は今もまだTVの録画はVHS。アナログですよー。DVDにちょっと不信があって、映像に関してはアナログ主義なところがあるんです。
今日は、久々に1997年~1998年のVHSビデオを再生してみた。もう12~13年前なのねー。今の学生たちなんか、まだ5歳とか6歳よ。。。
当時、僕自身は22~23歳くらい。世間的には一浪一留(一年浪人、一年留年)なんで、だいたい大学3年生くらい。ドイツに留学する前の頃だった。勉強とボランティアと恋に夢中でしたねー。まだ、中学校の先生になるか、大学院進学を目指すか、悩んでいた頃だったと思います。
この頃は、X JAPANが解散、T.M RevolutionやSHAZNAのブレイク、GLAYの「HOWEVER」の大ヒット、SHAM SHADEの「3分の1の純情な感情」のブレイクなど、色んなことがありました。ソフィアも第一線で頑張ってました。HIDEちゃんのインタビューなんかもビデオに録音されてました。97年は、HIDEちゃん、頭蓋骨骨折してたんですね。「厄年」と言ってました。また、D-SHADEやMissing Tearなんてバンドもいましたね。マリスミゼルもこの頃が絶頂期でした。河村隆一のソロのブレイクもこの頃でした。それにしても、SHAZNAのテレビ露出はすごいものがあった。。。BUCK-TICKは、「囁き」の頃ですね。すごいアンダーグランドな世界をさまよっていたようにも思います。
ちょっと異色だけど、この曲、好きでした。
モーニング娘がブレイクしたのも、ちょうどこの頃。初期のメンバーで「モーニングコーヒー飲もーよ♪」と、歌ってました。今は、どこもかしこも「AKB48」だけど、今から13年ほど前は、どこもかしこもモー娘だったんですねー。さらにその10年くらい前は、Cocoとかリボンとかいましたね。で、さらにその前はおニャン子。歴史は繰り返されるんですね。
この頃、好きだったのが、高橋克典の「EITHER SIDE」という曲でした。当時、活動休止直前の黒夢・清春が楽曲提供したということで、少し話題になりましたが、あんまりヒットはしませんでした。でも、本当にカッコいい曲でした。(黒夢のアルバムのラストのボーナストラックで少し入ってたような)
ラルクは、この頃からどんどん際限なく売れていくんですよね。ドラムが、まさかまさかのYUKIHIROになったのは軽く大事件でした。なんてったって、ZI:KILL、DIE IN CRIESのあのYUKIHIROですからね。嬉しかったのと同時に、売れていくYUKIHIROを見るのは少し悲しかったり。だって、1989年頃にYUKIHIROの生ドラムを聴いて以来、ドラマーでもないのに、YUKIHIROのドラムに勝手に憧れてたから。彼のドラムは本当に好きでした。軽いタムの音がすごい好きでした。1997年のドームのライブはすごい盛り上がりました。I wishがよかったなぁー。
EVERY LITTLE THINGの全盛期もこの頃でした。
この曲は好きだったなぁ。TIME GOES BYと同じ時期に流行りましたね。
1998年の3月で、僕の日本の音楽の記憶はなくなります。人生初の海外生活のため、日本の音楽が聴けなくなりました。今みたいにインターネットで毎日情報をキャッチしたりすることがまだ珍しい時代だったので、メールくらいはできても、日本の音楽をタイムリーにキャッチするのは難しかったです。YouTubeもニコニコ動画もありませんでしたからね。
そうそう、この頃まで読んでた週刊少年マガジンとお別れしたのもこの時期でした。まさか自分がマガジンと離れるとは思ってませんでした。一度離れると、もう入れないんですよね。よかったのか、悪かったのか、小学生の頃から読みつづけていたマガジンを卒業することができました。
みなさんは1997年~1998年、どんなふうに暮らしていましたか?
何にもしない捨て曜日だからこそ、過去の思い出を引っ張してみるのもいいかもしれない。もしこの頃、ドイツに行かず、日本にいたら、どんな人生を送っていたんだろう? 絶対に今みたいな生活はしていない。人生の全部が違っていたと思います。人生って、ホント、偶然、偶然の積み重ねでできているんですね。。。