Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

恋愛交差点13-「片思い」の哲学的考察?

不定期連載「恋愛交差点」も13話まで来ました♪

前回「恋愛交差点12」はこちら

***

先日、お若い19歳と20歳の学生と「恋愛」について語り合いました💛

テーマは「片思い」でした。

この二人は、イマドキ珍しく「片思い」の恋を大事にしている学生で、話を聴いていて、僕もとっても幸せな気持ちになりました。

だいたい「恋愛」の話となると、彼氏がどーとか、彼氏とうまくいかないとか、彼氏と別れたいとか、そういう話になっちゃうんですよね…。

出会ってから付き合うまでの期間がとても短すぎて、「片思い」の切なくて甘い苦しみ?みたいなのをあんまり経験していないというか…。一番大事な「時間」をすっ飛ばしているというか、、、

もったいない…。

恋愛の醍醐味というのは、まさに「片思い」にあるのであって、付き合ってしまえば、そこでロマンティックな恋心ってやつは終わってしまうんですよね。

あの胸が締め付けられるような感覚。自分が自分じゃなくなってしまうような感覚。いてもたってもいられないあの焦燥感。あの人はどうしているんだろう? 今何をしているんだろうという純粋な気持ち。(僕らの時代は「家の電話」だったけど)ケータイ・スマホを眺めつつ、どうしようか悩むあの感覚…。

そういう恋心も、付き合ってしまえば、もうわずか数日~数か月で消えてなくなります。

恋愛上、最も盛り上がるのは、結ばれるか結ばれないかの瀬戸際あたりではないでしょうか。それはいつの時代でも変わらないことのように思います。

否、片思いこそが、後の人生において最も大きな影響を与えるものではないか?

そう思い、今回はあえて「恋愛における片思いの意味」について考えたいと思います♪


片思いとは何か。

goo辞典によれば、「自分のことを思ってもいない人を、一方的に恋い慕うこと。片恋。「磯の鮑 (あわび) の片思い」」と出ています(引用元はこちら)。

広辞苑では、「一方からだけ思い慕うこと。片恋。万葉集(18)「-を馬にふつまに負せ持て」」とあります。

ポイントは、自分に好意をもっていない人を一方的に恋慕う、ということでしょうか。

僕もはるか昔、自分のことなどちっとも好きでもなんでもない人に恋を多くしました。

一番最初に失恋したのは、中学2年生の時のこと。ラブレターを一生懸命書いて、好きだった子に渡した日のことは今でもはっきりと覚えています。ラブレターの内容は覚えていませんが…(;´・ω・)。

数日後に、そのお返事をもらい、「kei君のことは好きじゃない。ごめんなさい」と書かれていたその文字を見て、大泣きしたことも朧気に覚えています。ちなみに、そのラブレターの返事は今も実家に残っています(捨てられない…)。

この経験は、自分がどれだけ好意を寄せていても、叶わぬこともあるんだ…ってことを学んだ経験でもありました。

次にした片思いは、高校一年生の時。当時の僕は、調理師学校と通信制の高校に通う15歳(~16歳)でした。

実家のある鎌取駅から電車で調理師学校に通っていましたが、その時、電車の中でいつも見かける子がいて「かわいいなぁ」って思っていましたが、その時はまだ「好き」っていう感じではなく、ただただ眺めているだけという感じでした。声をかけて仲良くなるってわけでもなく…。その子はYちゃん。

月~金までは調理師学校に通い、日曜日に通信制の高校(某東高校)のスクーリングに通うというのが当時の僕の日課でした。本当は高校なんて行かないで、都内に出てバンドがしたかったのですが、色々あって押し込まれた感じで、嫌々ながら通信制の高校にも月2~3回ほど通いました。

ただの偶然なのですが、そのYちゃんもまた通信制高校の生徒でした。同じ学年の別クラス。某東高の廊下で見かけた時は、もう「運命」しか感じませんでした(苦笑)。「あの子もここの生徒なんだ…」って。しかも、X JAPANのHIDEのファンということで、これまた「運命」しか感じませんでした(大汗)。僕の恋心は、もう宇宙レベルに広がっていきました。

そのYちゃんの通う専門学校の友達(女子)が、僕のクラスにいて、僕とも友達になっていました。僕が「あの子、好きなんだよなぁ」って言うと、その友達の子が「あの子、私の友達だよ。彼氏いないよ。紹介しようか?」って言ってくれたんですが、その当時の(うぶな)僕はもじもじ…(;´・ω・)

しかし、Yちゃんは、HIDEちゃんに夢中で、僕なんて「OUT OF眼中」(眼中なし)。あっけなく僕のセカンドラブは木っ端みじんに砕け散りました…。本当に僕なんぞ、興味も関心もないって感じで、、、。

これもまた、「片思い」の定義に当てはまりますね。相手はまったく自分に興味も関心も好意もなく、ただ一方的に好意を寄せること。

相手が自分に好意を全くもってもらえないという経験は、それ自体、とても切なくて悲しいことではあるのですが、それゆえに、「クソ! 畜生! もっと魅力的な人間にならなくっちゃ!」って思えるようになるんですよね。

当時の僕は、「いつか見返してやる! いい男になって、後で後悔させてやる!」って思ったものです。

こうなると、次は「いい男」になるために、「いい男とは何か」ということを考えるわけです。もちろん本も読みましたし、「もてる人」を観察しては、「どうやったらもてる男になるのか」を研究しました(苦笑)。

顔がいい男はやっぱりもてるものです。でも、整形するという発想は(まだ)ないので、とりあえず見た目をよくしようと努力しました。(中学時代に不登校で太ってしまっていたので)痩せる努力をして、髪の毛もしっかり整えて(染めて)、アクセサリーもつけるようにして、服装もかっこよくして、色々と工夫しました。

あと、当時通信制高校にいた僕をかわいがってくれるM先輩(僕より10歳くらい上の元ヤンキーのリーゼント&青いシャコタンの兄貴)がとても話のうまい人で、やっぱりもてていまして、そのM先輩のように話のうまい男を目指して努力しました。女の子を楽しませなきゃ、楽しい話をしなきゃって。

苦い片思いの経験から、「自分に好意をもってもらえるように、頑張って自分を磨かなきゃ」って発想になったのはよかったと思います。

その結果、努力の甲斐もあって、徐々にもてるようになっていきました(苦笑)。

突然、街中で声をかけられたり、ちょっと話した女の子に追っかけられたり、デートに誘われたり、告白されたり…、と。好意を寄せてくれる人はちょっとずつ増えていきました。バンドもやっていたので、(しかも今考えれば、まだ「ヴィジュアル系」という言葉がなかった時代にヴィジュアル系的バンドをやっていたので)そういう意味でも、やっぱりもてました。

しかし!!!

自分が好きになった人が自分を好きになってくれる、という話にはそうそうなりませんでした。

自分のことを好きになってくれる人がいくら多くても、自分が好きになった人が自分に好意をもってくれるわけではない、という絶望的な真実に気づくのは、ちょうどその頃でした。

これは、まさに「他者の他者性」ってことなんだと思いますが、「相手」は、コントロール不能な理解し得ない不気味な他者なのだ、と。人の心を自分の力でどうこうすることはできないものなんだ、と。

努力して、頑張って、自分をどれだけ磨いたところで、相手の心を変えることはできないし、相手の心をコントロールすることもできないし、相手の心を奪うことなんて、人間にはできないんだ、と悟ったわけです。

片思いというのは、そういう「自己と他者の根源的な隔たり」を学ぶ行為なんだと思います。

「相手をコントロールすることはできない」ということを知ることは、後に「DV加害者」にならないためには、かなり大事なことだと思われます。DV加害者は、「相手を完全に自分の支配下における」と素朴に信じている人が多いように思います。だからこそ、暴力で相手を支配しようとするんだろうと思います。

でも、数々の失恋をしてきた僕は、「相手の心は変えることができない」ということを学ぶことが出来、その後もその「一線」を超えることなく、「相手の自由」を奪うようなことをせずにこれまで生きてこれたと思っています。

先生になって17年目ですが、当時の恋愛の経験からも、「学生を支配することも、コントロールすることも、変えることもそもそもできない」という思想だけは保持し続けています。「最後に決めるのは、あなたですよ」、と。「なんで先生の言うことを聞かない?!」って怒ることはせず、言うことは言いつつ、あとはその学生の判断を待つ、みたいな。


片思いの結果、それが両思いにならなかったという経験こそが、実は人間形成においてはとても大事な気がするのです

その昔、17歳くらいの時に、ある同い年の男の子に出会いました。H君。

H君は、涼しげで綺麗な顔をしていて口も上手で、でもどこか冷血さを感じる男の子でした。H君は、とにかく女の子を口説くのが上手で、17歳にして100人と付き合ったって言っていました。嘘だろ?と思ったけど、本当に次から次に彼女をとっかえひっかえしては、「新しい彼女!」っていって僕に紹介してくれるので、強ち嘘ではないんだろうなと今でも思っています。

でも、彼は女の子と付き合っても、数日~数週間ですぐに分かれちゃうんです。ただ、付き合って別れて…を繰り返すだけなのです。少し何か嫌なことがあると、すぐに「別れよう」ってなっちゃうみたいでした。彼は、付き合うまでが大事で、その恋愛ゲームの攻略のプロみたいな感じで、次々に女の子を攻略しては、捨てていました。

そういう奴だったので、まぁ、僕もすぐに離れたわけですが、数年後に再会した時、H君はやっぱり変わらずに、そういうことを繰り返していました。ちょっとしゃべったんですが、内容があまりにもくだらなく、幼稚さも抜けず、「ああ、こいつは心底こういう奴なんだなぁ」と思いました。と同時に、「こいつに必要なのは、彼女じゃなくて、深い愛をもつ「母親」なんだろうな」って思いました。H君は愛のない家庭で育った悲しい男の子でもありました。

片思いができないというのも、辛いなぁと思うのです。

女の子目線でも、述べてみましょう。

かつて「『美人』という弱者」という記事を書いたことがあります

片思いという視点でも、「美人(かわいい)」というのは、人間の成長を阻むものとなります。

自分の「見た目」や「ヴィジュアル」(顔や体型)は、男性よりも女性の方が重視される、という研究やデータはたくさん出ています。(たとえばこちら!)

簡単に言えば、美人さんやかわいい女の子は、それだけで圧倒的にもててしまう、ということです。見た目やヴィジュアルだけではそう簡単にもてない男の子とは違い、見た目がよければ、それだけで「ふられることはほぼほぼない」ということです。(だから、「イケメン」や「美人(日本だとかわいい子)」というのは、わがままな人が多く、自分の思い通りにならないとすぐにふくれたり、イライラしたり、相手を切り捨てたりするんですよね、きっと)

片思いという観点で言えば、美人さんや容姿端麗の女の子は、片思いができない、ということになるのです。「あの人のこと好きかも」と思う前に、その人から告白されてしまう、という悲しい悲劇。片思いだと思って、好きな男性に告白すると、あっけなく「OK」がもらえたり…。美人であるがゆえに、片思いができないという悲劇もあるんです。それを自覚できる賢い女性は、恋愛経験ではないところで、きっと「叶わぬこともある」ということを学ぶのでしょうけど、自覚のない美人さんやかわいい女の子は、無意識的に、「すべては思い通りになる」という間違った観念をもっている可能性があります(それは、上のH君もしかり)。

どの片思いもみんな「両思い」になってしまうが故に、失恋経験ができない、というのは、大局的に見れば「悲劇」です。「人は自分の思い通りにならない」という経験ができないわけですからね。わがままで自分勝手になるのも、当然と言えば当然です。

まぁ、とはいえ、それは「恋愛の入り口」での話であって、中身が空っぽな人間であれば、男女問わず、すぐにその恋愛は崩れて壊れるだけなんですけども…。(でも、それで学ばない人間がどれほど多いことか…)


叶う恋よりも、叶わぬ恋を。

簡単に手に入れられる恋ではなく、どう頑張っても手に入れられない恋を。

彼氏・彼女ができた喜びよりも、彼氏・彼女ができなかった悲しみを。

結果として、最終的には、後者の人の方が、幸せなその後(未来)を生きているというケースを数えきれないくらいに僕は知っています。

自分自身の限界に気づくこと、自分自身の努力ではどうにもならないことを知ること、自分の意志とは全く別の意志をもつ人がいること、そういうことを知るきっかけとなるのが、片思いの哲学的な意義だと僕は思います。「無知の知」ではなく「無力の知」と言いましょうか。

僕自身、切なくて甘い片思いをたくさん経験してきた結果、利己主義的ではない利他的な愛の意味を知ることができたし、両思いになった後でも、その人は自分の所有物ではなく、自分とは異なる他者なんだって思って、付き合うことができるようになりました。

何年一緒にいても、何十年一緒に暮らしても、この事実が揺らぐことはありません。共に生きるあなたのパートナーは、自分の思い通りにはならない「他者」なのです。全く違う世界を生きている別の存在なのです。その人の心を支配することもコントロールすることもできないのです。僕らはただただ、その事実を受け入れ、その私とあなたの相違を楽しむしかないのです。

というわけで、、、

片思いをしている全国のみなさん(苦笑)、どうぞ、その片思いの瞬間を十分に(苦しみながら)味わってください。片思いをしながら、それをエネルギーにして、今すべきことをしっかりやってください。その恋が実るかどうかを考える前に、少しでも自分が魅力的な人間になる努力をしてください。見た目を磨くのではなく、内面(人間性)を磨いてください。少しでも深い愛をもてるよう、愛する能力を高めてください。愛する能力を高めるために、しっかりとそのことを考え、勉強してください。

え? 彼氏・彼女がいないと、青春の思い出が作れない?って?? 

大丈夫です。片思いさえしていれば、20年後、30年後に、その片思いを思い出して、甘くて切ない感情になり、幸せな気分に十分になれますから! 思い出すのは、だいたい付き合う前くらいのことばかりで、付き合った後のことなんて、ほぼほぼ覚えていませんから~、残念っ!(片思いで一方的に好意を寄せた人のことは、ホントよく覚えているんだよなぁ…)

***

恋愛を学びたい人のために…

新書で分かりやすい本もあります。

これも入門書としていいかも…

コメント一覧

kei
若葉子さん

コメントありがとうございます。ラーメンご目当てで、この記事にコメントして頂けて、僕も嬉しいです。このシリーズで、何かリクエストなどがございましたら、是非仰ってください! テーマを頂けると、僕も頑張れますので!!!
若葉子
人の恋愛話は、共感出来る事があまり無かったとしても、聞くのはとても楽しいです。
様々な人の経験や恋愛に関する考察等々、この歳になってもとても興味深く、面白い。
ですので、ラーメン情報目当てで拝読しているこのブログですが、個人的にこのシリーズは続けて欲しいです。
kei
コメントありがとうございます。

一つ前のコメントにも書きましたが、具体的にどこがどう絵空事で、どこが間違っているのか仰って頂かなければ、何も答えようがありません。どこがどうダメなのか、それを指摘して頂かないと、話は前に進みません。

実体験の話も、具体的に話して頂けると、こちらもそれにコメントできるかと思います。恋愛体験談を聞くことは、僕の勉強にもなりますので。
名乗る程人間ではありません
暴力には実際に力によって行使する事とやたら意味の無い長文による文字数の多さに依る暴力が有ると思われます。
意味もなく長文に依る主張は一見理知的に思われると思われますが実は中身無しの駄文と思う事多しが殆どです。
子供を持った事がない人に何が分かる?
恋愛は誰でも出来る、だが実際に所帯を持ったことがない人に何が分かると言うのでしょう?
実体験で初めて分かる事が多い事は
紛れもない事実ではないでしょうか?
貴殿が言われているように(いやなら見なければいいでしょ?僕のブログは)
確かにその通りです。
だからもう見ません。
空想だけの世界には興味ありませんから。
夢の中で生きていけば良いのですから。
kei
コメントありがとうございます!

そうです! 机上の空論です。絵空事です。だから「哲学的考察」なのです。反論も可能です。具体的にどこがどう絵空事で、どこが間違っているのか仰っていただければ、またこちらも反論させていただきます。

簡単な体験談を話すだけなら、「哲学的」とは言いません。哲学的である以上、抽象的であり、一般的であり、普遍的でなければなりません。今の世の中、体験談で満ち溢れています。分かりやすい話で満ち溢れています。

僕はそういう主観的な体験談こそ、空虚であり、絵空事にしか感じません。SNSの無数のつぶやきは、まさに空虚な現実の体験談にしか(僕には感じません)。

もし体験談が聞きたいなら、他のSNSの素晴らしい恋愛コラムをお読みください。こういう哲学的な恋愛論を楽しんでくれる人も(多くはないですが)一定数いるので、その人向けに書いているものでもあります。

哲学的考察は、必要ない人には必要ありません。読んでも面白くないと思います。なので、あなたを否定するつもりはありません。が、こういう机上の空論を楽しむ人もいるということは否定しないでいただきたいです。コメントありがとうございました!
名乗る程人間ではありません
恋愛(結実が結婚なら)も子供についても経験(自身で持つ)の無い人の机上の論理は空虚なだけ。
絵空事しか感じないのは私だけでしょうか❓
何文字の論理より真実や体験の方が信じられるのでは?
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