今、ドイツは、「難民の受け入れ」の話題、一色です。
プラハからライプツィヒに向かう電車の中で、新聞をいくつか読みました。
データとしては、こんな感じになっています。
2011年以降のデータです。
ドイツが圧倒的に一番多く、移民や難民を受け入れていますが、フランスやスウェーデンも頑張っています。
フランスは、アフリカ方面からの移民希望者が多く、その対応に四苦八苦しているそうです。
中東、東欧からの移民・難民は、やはりドイツを目指すんですね。
新聞記事(南ドイツ新聞)では、難民の声がたくさん紹介されていました。
「ドイツに行きたい。ドイツのことを尊敬している。仕事もきっとあるはず」
「私の希望は、ドイツに行くこと。ドイツで、安全で平和な生活を得たい」
…
それに対して、ドイツ人たちは、、、
一部に、難民を批難する人たちももちろんいます。
が、59%のドイツ人たちは、難民受け入れに「不安はない」と答えています。
きっと日本でも、難民受け入れをしたら、これくらいの人は「同意」すると思います。
(一部に、過激な人たちも出てくるとは思いますが、、、)
さらに、22%の人たちが、「もっと難民を受け入れるべき」、と思っているそうです。
教育学を専門にしている僕として、面白い記事がありました。
南ドイツ新聞の「子ども版」です。
この9月から、「新学期」が始まっています。
この今の難民受け入れの問題は、教育の問題とも直結します。
ドイツに来た難民の子どもたちは、ドイツの学校に通うことになります。
そこで、「よいスタート」、というテーマでの記事が出されていました。
この9月は、いわゆる「転校生」がいっぱい出てきます。
その多くが、難民の子どもたちの転入です。
そこで、この難民の子どもたちとどう付き合っていくか、どうクラスになじんでいけばいいか、ということが書いてありました。
「難民」の子どもと思わずに、気を遣いながらも、普通にやっていきましょう、と。
子どもたちは、言葉の壁など、3か月もあれば、すぐにクリアできます。ジェスチャーとボディーランゲージでまずコンタクトを取って、徐々に、単語を教えていってあげましょう。一緒に遊ぶのが一番大事。でも、水泳は、難民の子どもたちには少し難しいから、避けましょう。プレゼントはあげてもいいけど、「かわいそうな子ども」と思われたくないので、ほどほどに。…
みたいなことが書いてありました。
もっとドイツに滞在できたら、小学校とか中学校とかに、見学に行きたかったなぁ。。。(知り合いの先生はいっぱいいるので…)
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ドイツは、日本と同様に、先の大戦で敗北し、また、「ナチス」という凶悪な国家を築いてしまい、そして、その後、経済的な発展を遂げてきました。
今、ドイツは、経済的に、EUの中でも圧倒的に強いです。
でも、ドイツは、それだけじゃない。
世界の「手本」となるべく、「経済」の分野のみならず、あらゆる分野で、色々なことに貢献しています。
今回の「難民受け入れ」によって、さらに、ドイツへの「尊敬」は、高まっています。
この数日、プラハに行き、色んな観光客を見てきました。
いわゆる「英語圏」の人たちが多くいました。中には、ものすごく横柄な旅行客もいっぱいいました。
英語圏、中でも「英米」は、世界の覇者となりました。誰も、もう文句はいいません。いえません。
ISILの人たちは、この「英米中心世界」に、「異議」を唱えています。
でも、事実、英米は強いです。軍事的にも、経済的にも。
世界は、どこも「英語」だらけ。
英語ができれば、世界どこへでもいける。
英語が世界を制覇したんです。
でも…
ドイツは、その英米に服従することなく、また、その英米を中心にする世界秩序に逆らうこともなく、独自の地位を得ようとしています。(当然、フランスとの深い、親密な関係があってのことですが…)
ドイツに来たら、「英語」ではなく、「ドイツ語」を話す人が圧倒的です。チェコでは、(もちろん母国語の「チェコ語」はありますが)英語がとても目立ちます。ドイツ語があまりにも通じなくて、びっくりしました。
今回の経験で、学びました。
「英語以外の言語の国が、きちんと、英米とは異なる立場で、異なる見解をもち、英米よりも「人間的」「文化的」に優れていることに、大きな意味はある、と。
ドイツと同様、日本も、とても優秀で、賢い国民性をもっていると思います(本当に)。礼儀正しいですし、真面目ですし、高い倫理性を(ことさら騒がなくても)すでにもっています。どこかのA首相が「愛国心」を叫ばなくても、日本人は、高い愛国心をもっています(一部を除いて)。
だから、日本ももっともっと、英米覇権(戦後の世界秩序の中心)とは異なる立場から、異なる見解を、堂々と出していっていいんだ、と思ったんです。
日本は、考えれば、かなり特殊な歴史を歩んできました。白人がアジアに乗り込んできて、根こそぎ、植民地支配を行ってきました。日本人は、その本来の頭の良さから、また地理的な優位性から、白人による植民地支配を防ぎ、そして、自分たちの文化や伝統を保持してきました。もちろん、欧米化されたものもいっぱいありますが、白人による支配は、戦後の間もない頃を除いて、一度もありませんでした。
だからこそ、日本も、ドイツと同様、英米中心のパラダイムとは別のところで、独自に「進化」することもできるんです。できるはずなんです。改めて、チェコ~ドイツを眺めて、そう思いました。
経済的に憧れられるのではなく、文化的に、あるいは人間的に尊敬されたり、信頼されたりする国になってもらいたい。そういう国にしたい、そう思いました。
これまでも、途上国の「経済支援」は行ってきました。でも、経済支援は、やっぱり「金」です。
これからは、「お金」ではなく、たとえば今のドイツの「難民受け入れ」のように、人道的、あるいは、倫理的な分野で、もっともっと世界で活躍していってほしい、そう願うんです。
その一つが、やはり「命の尊厳」、「生命の尊重」、「人権の擁護」と、それに関わる具体的な「実践」だと思うんです。ドイツ人たちにとって、今回の難民受け入れは、経済的には、それほど「利」を生み出しません。むしろ、不利益を被る可能性は高まる、と思います。
それでも、彼らは、緊急下の難民の受け入れを、メルケル首相の判断で、実施しています。実際に、家も、住処も、母国も失った幾千の難民たちにとって、どれだけ救いとなっていることでしょう。
もちろん、これから先、彼らがドイツでどういう生活を、いったいいつまで続けるのか、先の見えない問題ばかりです。実際、ISILが今後どうなるのかも分かりません。祖国に帰ったところで、自分たちの家も破壊されて、なくなっているでしょう。その保障はいったい誰がするのか。そもそも、「国家」がぶち壊されつつある今、帰国したところで、その土地の所有権やらは、おそらく失効しているでしょう。
そんな「先の見えない難民」のために、尽力するドイツ。
単純に、「すごい」としか言いようがない。もちろん、この10年のドイツの経済的躍進はすごいものがあった。だからこそ、できることなのかもしれない。でも、経済的に豊かだから、という理由だけではないはず。
一番思うのは、難民の人たちが皆、「ドイツがいい」、と言っているところです。そこに、「尊敬」があります。
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日本も、今後、経済的利潤追求だけの国から、高い倫理性をもった国へと、そして、英米とは異なる価値や思想をもった国へと、成長していけたらいいなぁ、と思いました。
僕は、たまたま「ドイツ語」と出会い、英語以上に話せるようになりました。正直、「もう、今の時代、ドイツ語を勉強したって、何の意味もないよ…」、と思う自分もいます。チェコで、散々辛い思いをしました。「ドイツ語なんて、どこでも使えないんだから、意味がない」って。
でも、違う。
「ドイツ」には、他の国にはない「価値」がある。その一つの象徴が、「赤ちゃんポスト」だとも改めて思います。匿名出産は、そもそもフランスでずっと行われてきたもので、ドイツ固有のものではありません。が、赤ちゃんポストは、ドイツで生まれたものです。
「たった一つの小さな命」のために、徹底して、社会システムを考え直していく。そんな力が赤ちゃんポストにはありました。今回の難民受け入れの問題も、同じ根をもっているものと思いました。
「英語」は、たしかに大事な言語ツールです。でも、「英語」しかできなくなった日本は、どこに向かうことになるでしょう。そうでなくても、今、日本の政治は、完全アメリカ傘下に陥ろうとしています。「100%アメリカ属国」になる可能性さえ出てきています。
もしそうなったら、それはそれで「日本の選択」だったんだと思います。
けれど、そうでない「選択」もあるんです。ドイツが歩んでいる道を、そのまま真似なくてもいい。けれど、「別の道」もあるんだ、ということは、やはり誰かが伝えていかなければいけない。
「ドイツ語」を武器にしている僕としては、今後、この問題が一番のテーマになるのかな、と思いました。
アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリスなど、「英語圏」もいい。だけど、「それ以外の国」もあるんだ、と。英語だけが「世界の言語ではない」、と。
それほど多くはないですが、チェコでも、英語は苦手だけど、ドイツ語ならできる、という人と何人か、お話しました。
「居るんです」。
英語以外の言語を話せる人も。
ちょっと、今回の滞在で、英語に傾きかけていましたが、やめました(苦笑)。もちろん、英語も今後しっかりやっていきたいけど、まずはドイツ語なんだ、と。僕は、ドイツ語を話す日本人なんだ、と。そこに、アイデンティティを置くことにしました。
そして、これまでたくさんの学生をドイツに連れていきましたが、それも、「無駄」ではなかった、と改めて思いました。英語圏以外の国を、若者たちに見せる、教える、伝えることって、本当に大事なことなんだ、と。(もちろん、英語圏に行くことも大きな意味のあることですけど!)
そんなことを考えました。