Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

大阪の教育への心配―教育委員会の行方

僕は大阪が大好きだ。かつては毎月のように大阪に行ってたし、梅田周辺は何度もうろついたし、いろんな遊びをした。谷町線とか京阪本線は僕が大好きな路線だった。千林商店街が懐かしい。日本橋のあの独特な世界観も好き。京橋、鶴橋もよく歩いた場所だった。でも一番好きだったのは天神橋の商店街。あれは本当に楽しかった。

そんな大阪の教育に関わるビックリするような記事がありました。

 義務教育の教員人事に関する大阪府教委の権限市町に移譲することで、橋下徹知事と府北部5市町長との間で大筋合意したことが分かった。全国初の試みで、来年度から始める。知事や各首長は「教育には首長が責任を持つべきだ」との考えで一致しており、将来的に市町の教育委員会廃止も視野に入れる。橋下教育改革の「目玉」とも言えるが、教育現場では「説明がなく先が見えない」と、不安の声が上がっている。

 移譲対象となるのは、府北部の豊中市▽池田市▽箕面市▽能勢町▽豊能町の3市2町。現在、市町村立小中学校の教員は、府教委が市町村教委の内申を受けて任免し、給与は国が3分の1、府3分の2の割合で負担している。計画では、人事権と財源をいずれも市町村が握り、地域の特色を生かした人員配置ができるようにする。



 橋下知事は7日、「(義務教育は)住民に近い役所がコントロールすべきだ。事務組合などでマネジメントをすればいい」と述べた。知事は教員の給与に関する権限移譲も進める方針。必要な制度面の整備については「法令改正か特区か、何かで突破していきたい」と、国にも協力を働きかける意欲を見せている。【田中博子】

引用元


ビックリした。教育委員会が廃止の方向へ?!って。廃止はまだ決まったわけじゃないけど、教員人事の権限は、教育委員会から、首長(知事)に移ることは決まったみたいだ。これはとても恐ろしいことだ。震えるほどに。

橋下さんのねらいはすごく分かりやすくて、例の如くに「公務員の給与カット」がねらいであろうし、大阪の財政危機の中での当選を考えると、当然の成り行きかもしれない。彼は、弁護士からタレント活動を経て大阪府知事になった、類まれなキャリアの持ち主で、国民の支持も厚い。府知事着任後、まずは公務員の給与カットを断行して、ますます多くの府民の支持を得た。しかも、彼は幼少期に大阪に住んでおり、大阪への愛情もありそうだ。ゆえに、彼を論破することは極めて難しいと思う。

橋下さんの経歴はこちらを参照

上の教員人事の権限の譲渡は、「自分たちの給与に対して、公務員の給与が高すぎる!」、という府民の不満をさらに解消してくれるだろう。(もちろん好景気だった頃、一般の人がものすごいボーナスを得ていた時に、教員のボーナスがスズメの涙だったというのはほとんど知られていない)

府民としても、府のとんでもない財政危機の中で、教員の給与が下がることは、感情的にはすごく嬉しいことかもしれない。「教師のくせに、このご時世に、高額の給与をもらって、、、ずるい」、という感情だ―教師よりもはるかに所得の高い人たちへの不満を逸らすために教師や公務員の減給が利用されているとも考えられる!―。こういう府民感情があるからこそ、「教員人事の権限譲渡」もすんなりいったのだろう。このニュースはある種、人々のカタルシスを引き起こす。

これで、大阪府は事実上の教育委員会の敗北を決定づけたことになりそうだ。

***

けれど、本当にこれでよいのだろうか。

今の複雑でねじれた教育問題に対しては、何かを変えなければダメだというのは、みんなの共通認識になっている。けれど、「教員人事の権限譲渡」が、はたして大阪府の危機的状況によい影響をもたらすのだろうか。短期間的に見れば、教員の給与がカットされることで、財政にかかる出費が減り、よい影響が出てくるだろう。だが、それに伴い、教員のモチベーションの低下、教員のプロ意識の低下、教員の府への不信、教育機会の不平等、「自己責任」の名での事実上の格差の助長など、多くの悪い影響が出てきそうな気がするのだ。

教育委員会は本当に悪いものなのだろうか。

文部科学省による教育委員会の詳しい説明はこちら
(+教育委員会の今日的課題の記事はこちら!)

多くの教育関係者や研究者たちは、教育委員会の問題点を指摘しながらも、教育委員会そのものの役割を認めている。基本的には、「政治的中立性」がこの委員会の最大のポイントだ。とかく橋下さんを含め、行政トップは政治的にどこかに軸を置いている。政治は、本来は中立であるべきだろうが、現実には特定の利益団体や組織とつながっているし、時代によってその立つ軸が変わってくる。公的な教育活動は、特定の団体や組織のために行うものではなく、すべての国民の権利として保障されなければならない活動だ。特定の財界や特定の政治団体の利益のために行うものではない。

問題は、どこで、どうやってその中立性や公益性や権利を保障するか、ということに尽きるだろう。

今回のこの「教員人事の権限譲渡」の問題は、つきつめれば、その中立性の揺らぎということになる。これまで以上に市町のそのつどのトップの意向が反映されることになるだろう。市町のトップ、上で言えば橋下さんの意向がダイレクトに教育活動に伝わってくるのだ。

橋下さんが悪い人だとは思わない。僕的にもかつては結構好きだったし。けれど、橋下さんは中立ではない。橋下さんが大阪府の教育の人事権をもつ、ということは、府民が選んだトップが人事権をもつということだ。府民の民意が教育に反映されることは決して悪いことではないし、ある種民主主義的だ。が、民意そのものが今や、「弱肉強食」、「負け組は自己責任」、「勝ち組になりさえすればよい」というエゴイズムにあふれている。民意が「競争原理」に強く縛り付けられているとしたら、、、

それゆえに、教育委員会なのだ。ゆえに、その委員会の意義が、「個人の精神的な価値の形成を目指して行われる教育においては、その内容は、中立公正であることは極めて重要」(引用元)となっているのである。

教育学者たちが皆厳しく批判する「新自由主義思想」は、この中立性の問題と大きく関係している。教育学者の考えに、「教育委員会の廃止ではなく、教育委員会の公選制」導入(復活)をせよ」というのがあるが、これも、民主主義、中立性を保障する健全なシステムとしての教育委員会を想定している。

***

世界的にみれば、日本の教員を取り巻く環境はとても恵まれている。がゆえに、これほどの教育水準を保ってきたし、よい人材を確保し続けることができた。給与カットという事態に陥れば、教育水準が低下することは紛れもない事実だ。

医師であれ、看護師であれ、弁護士であれ、彼らが優秀なのは、給与が保障されているからだ。月に15万円しかもらえず、地位も低ければ、当然医師、看護師、弁護士の質は低下する。当然の話だ。医師の給与がものすごく高額であるのは、その仕事の価値をだれもが認めるからだ。では、教育はどうなのか。給与カットでよいのだろうか。医師と違い、教育はすぐにその成果が見えない。がゆえに、ボディーブローのようにじわりと効いてくる。今回のことがきっかけに日本全土の教員給与カットが実現したら、それは日本型の公教育の終焉を意味することになるかもしれない。

給与の問題は、深刻だ。保育士や社会福祉士や介護福祉士を見れば分かるように、公的に大切な仕事なのに、「超低賃金の重労働」になっている。その結果、人材不足、質の確保の困難、離職者の増加といった問題が生じている。医師や看護師と同じく公的に大切な仕事なのに、給与の差は歴然とし過ぎている。同じ人間をケアする仕事なのに、なぜ医師の給与が高く、保育士や介護福祉士や教師の給与は低いのか。これに答えられたら、きっと教育学者たちが「反新自由主義」を唱える意味が分かってくるだろう。(+優秀な教育系企業の「講師」たちの給与は恐ろしく高い!)

奇しくも、橋下さんは弁護士だった。なぜ弁護士の給与や地位が高いのか。そことも関連すると思う。地位と給与が高ければ、優秀な人材がその職を目指して集まってくる。優秀な人材が集まれば、おのずとその中でより優れた人間が選出されることになり、水準の維持、発展が可能になる。弁護士や医師がまさにその典型例だ。

 難しい問題です。

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