いよいよ、2024年度が始まりました。
僕も遂に、教員人生21年目に突入しました。
20年間、教師として生き続けて、ようやく「オトナ」の先生になりました。
これまでは、今振り返れば、「がむしゃら」にやってきた気がします。
…
がむしゃらは、「我武者羅」とも書きますね。
「我武者羅」は「がむしゃら」と読み、「後先を考えずに強引にぶつかっていくこと」という意味。また、「程度がはなはだしい様子」を表すこともあります。意味については、我武者羅に含まれる「我武者」が由来であると考えられています。
「我武者」とは、向こう見ずで乱暴に物事を行うことや、そのような性質を持つ人のことを指します。「我武者」の由来については諸説ありますが、我貪(がむさぼり)という言葉が音変化して「がむしゃ」となり、音に合わせて「我武者」という漢字を当てたのではないかと一説にはいわれています。
また、接尾語としてつけられた「我武者羅」の「羅」という漢字も、当て字であると考えられています。強引に突き進むという意味を持つ「我武者羅」ですが、地域によっては、何でも食べること・勇敢であること・無理をすること・髪が乱れている様子などの意味として使われることもあるようです。
うん、まさに、そんな我武者羅な20年間だったかなって思います。
「後先を考えずに強引にぶつかっていく」
「程度がはなはだしい」
「向こう見ず」
「乱暴に物事を行う」
なんか、すごく僕っぽい感じがする(苦笑)。
…
そんながむしゃらな教師も、そろそろ「🌸卒業🌸」です。
時代的に、教師にはもうがむしゃらさは不要だ、というのもありますが、それだけじゃないんです。
がむしゃらな教師を生きるのって、すっごく疲れるんです(苦笑)。
若い時は、それも余裕で出来ましたが、もうちょっとそれが難しくなってきました。
せっかくの節目の時期なので、この辺で、、、
オトナな先生👨
になることを目指します!
「オトナな」というのは、「大人の先生」とは違います。
大人な、とか、大人のっていうと、なんか「つまんない先生」って感じがします。
あるいは、「常識に縛られた先生」、「社会適応型の圧力先生」、「ルールやマナーに厳しい先生」、「同調圧力を強いる先生」みたいな感じ?
それは、嫌ですね(苦笑)。
そうではなくて、「子ども心を持ちつつも、余裕とゆとりのあるどっしりとした先生」っていう感じですかね?!
そろそろ、「オトナの余裕」を醸し出したいなって思うんです。
何があっても、平常心で、何があっても、笑顔で対応できて、何があっても、動揺せず、狼狽せず…。
寛容で、おおらかで、寛大な気持ちで、余裕をもって、、、
そういう先生になりたい!って、ようやく思えるようになりました(苦笑)
まぁ、いろいろいろいろ、ありましたからね💦
…
特に、意識しないといけないのが「授業」ですね。
僕って、「授業」に、なんていうか、特別なこだわりというか、強い思い入れをもっている(いた)んです。もともと「授業研究」が好きで、教育学研究にのめり込んだ部分もありました。(自分の師匠も「授業研究」の専門家でした)。
他人の授業をみて、あーだこーだ言うのではなく、「自分の授業がいかほどか」という点にこだわってきました。授業は、僕にとっては、いつだって「僕の授業はいかに?!」なんです。
ラーメン屋さんが「最高の一杯」を作りたいように、僕も、「最高の授業」「最高の講義」を実践したいんですね。
でも、それは本当に難しいんですね。
たま~~に、「いい授業をした」と思うことはあっても、それを再度「再現」することができないんです。
で、だいたい、「いい授業をした!」と思ったその次の授業では、「ああ、またダメだった…」ってなるんです。
その「授業へのこだわり」も、21年目に入った今、見直そうかなって思います。
ここもまた、オトナな先生の余裕とゆとりのある授業に変えていきたいなって。
必死感があると、なんか「オトナな感じ」がしないじゃないですか?!
だから、必死にならないで、ゆったりとどしっとした授業態度で挑みたいなぁって。
あんまり、無理に、色んなことにこだわらずに…
…
先生としてだけじゃないかな?!
人間として、もっともっと「オトナな人間」になっていきたいなぁって思います。
余裕とゆとりのある「ナイスミドル」?!?!
ブロガーとしても、もう少し、穏やかでダンディーな感じにしてきたいですね。
まぁ、できるかどうかは別にして、、、💦
そう考えると、なんか、ワクワクしてきました😊
この半年くらい、「これからどういう先生になっていこうか?」って悩み考えていて…。
で、たどり着いた答えが、「オトナな先生」でした。
今の自分に欠けているものかな、とも思い、「これだ!」って思ったんですね。
…
最近の学生…、と言っても、実に様々ですが、、、
すごく繊細というか、極端に傷つきやすい学生が一定数いて、また、そういう学生が「声」を上げやすくなったんですよね。怒られたことがない、というより、「常に怒られることを恐れている」「常に何かに怯えている」「人の言動に過剰に反応する」という感じかな。
そういう学生って、昔からいたと思いますが、昔は、そういう学生って、ただただ耐えるしかなかったんですよね。でも、時代は変わり、耐えなくてもよくなってきました。
それ自体は、いいことだと思います。
ただ、そういう学生からすれば、僕なんて、「横暴で乱暴で過激で口の悪い悪魔みたいな存在」に見えるんだろうなぁ…とも思います。表面的に見れば、ですよ💦
でも、そういう「(少し過激な)演出」を「ただの演出」として見ることができず、また、それを許容することができない学生がいる以上、その「演出」を続けることはできません。
だからこそ、演出としても、「オトナな先生」を演じられるようにならなきゃいけないんですね。
それができるかどうかは別にして、そういう方向を目指す価値はあるかなって思います。
もちろん「大人ぶった(オトナブルーな)先生」ではありません。「子ども心をもった、優しくて楽しくて明るくて余裕があって、何をも包み込めるような先生」です。
これまでもそうしてきたつもりですが、もっともっとおおらかで、寛容で、懐が深く、器の大きな先生に、人間に、存在になっていきたいなぁって思います。
これが、教員人生21年目の4月の僕の心境です。
ま、でも、実際はどうなるかなんて、誰にも分かりません。
いつだって、まずは「最善を尽くす」しかないですからね\(^o^)/
Keep on Rolling like a Rolling Stone!!
もちろん、やる気のある学生たちとはこれまで以上に動いていきますよ。
今年こそ、また、あの空の向こうの素晴らしい世界へと飛び立ちたい!!
Fliegen wir nach …