Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

就職予備校!?ちょっと待った!

就職予備校 未曾有の不況…新大学4年生殺到 「大学より頼れる」人事のプロ指南(産経新聞) - goo ニュース

なんか頭が変になりそう。

不況なのは分かるけど、就活+就職予備校+大学、、、

もう大学の意味が完全になくなりつつあるような。。。。
狂っている。。。

教育産業にお金が流れるだけなのに。。。

けど、大学生が狂っているというわけではない!
大学生に勉強させない/させようとしない産業社会が狂っている。

でも、産業社会が狂っているのは、産業社会のせいでもない。
産業社会も、利益を守るために必死にもがいている。
何をやっても売れない時代に、雇用拡大などとうてい無理な話。
産業社会だって、仕事があれば人をたくさん雇うだろう。

少ないポストを必死に奪い合う構図ができあがっている。。。

一部の景気のよい企業に求人が殺到する。
当然、採用されるのは一部の<新卒>学生だけなので、
あとの学生や元学生は、椅子取り合戦から脱落する。

当然、景気のよい企業の求人はあっという間になくなってしまう。
そして、厳しい現実に突き当たってしまう。
きつい仕事(不景気な職)に就くか、それが嫌で非正規雇用の道を選ぶか。

そんな状況であるからこそ、上のような就職予備校が繁栄するのだろう。
新たな教育ビジネスのチャンスが生まれ、そこにお金が流れていく。

もちろん学生たちは必死だから、熱心に予備校で勉強するのだろう。
当然アルバイトもあるだろうし、遊びや恋愛もするだろう。

そうすると、大学の講義やゼミはどうなってしまうのか。
気持ちよいさえずりを聴きながらの睡眠時間となってしまいそうだ。
大学で必死に勉強するよりも、ずっと予備校の方が将来のためになるから。

これって、中高と同じ構造じゃないか?!?!

「進学・就職活動」(つまりは勝ち組獲得レース)が「学び」を蝕む構造。。。

子どもたちも、尾崎時代みたいに、学校が悪いとはもう言えなくなる。
だって、学校は何の力も権力もないのだから。。。
学校なら抵抗できた若者も、社会という化け物の前では無力である。

かつての夢のある選抜とは全く意味が違う。
競争に負ければ、未来がすべて狂ってくるのだ。
生きるか死ぬかの選抜がかつてよりもますます強まっているのだ。

そうした時代に、学校で真面目に勉強することに何の価値があるのか。

学校でちんたらちんたらやっているよりも、
塾、予備校といった学校の外部で勉強した方がよっぽどよい、
と考える若者が増えても当然じゃないか。。。

だからこそ、

「選抜の仕方」を変えなければならない、と僕は思う。

①悪しき入試制度の大改革

今後、社会全体の景気がよくならないと仮定して考えると、
まずは、現存する子どもの親の所得格差による不平等を減らすべきだ。
つまりは、学校で配布される教科書や授業の内容で、
入試というハードルをクリアできるように整えること。
塾や予備校に行かなくても、入試をクリアできる可能性を残し、
それをきちんと公に示すこと。

塾や進学予備校に行かなくても、合格できるということや、
どの中学、どの高校に行っても、頑張ればあらゆる可能性は残る、ということ。
たとえ中卒であっても、極端な話、東大に入れる可能性を示すこと。
定時制高校や通信制高校の教育内容の充実化など。

特に僕自身の考えだと、
通信制高校やフリースクールの充実化が、最も重要だと考える。
全日制の底辺高や定時制高校は、シンプルに言えば、恐い場所だ。
暴力や争いが生じる可能性もかなり高い。
落ち着いて勉強できる環境を作り出すことも極めて困難だ。

だから、安心して学べる通信制高校やフリースクールを充実させて、
経済的に厳しい家庭の子どもでも、安心して勉学に励む場所を、
公的に保障することがどうしても必要だ。
(それと、高校の退学システムをもっと明確に記述すること)

僕自身、通信制の高校を出ていて、
そこでの学びや週に一度の勉強会はとても勉強になった。
いろんな世代の人がいたし、自主的に学ぼうとする意欲が高かった。
もちろん日々学校があるわけではないので、変なしがらみもない。
僕一人で、自由に、勉強したいと思う仲間と勉強することができた。

なので、公的な教育システムを充実させて、
経済格差にかかわらず、自由な学びができる機会をたくさん作ってほしい。
通信制高校からエリートが輩出されれば、
全日制高校の存在意義が揺れるし、高校改革にもつながる。

要するに、勉強、学び、受験、選抜を公的にもっと保障することだ。
たとえ貧しい家庭の子どもであっても、公的な学校できちんと学べば、
大丈夫だということをもっと政治的に広めることが大切だ。

そのためにも、学習指導要領やカリキュラムの徹底化はすべきだし、
不透明なマニアックな知識を問う入試はやめるべきだ。
通信制やフリースクールを含むあらゆる学校が、
入試・選抜ときちんとリンクできる教育内容を補完する、と。

ゆえに、入試制度の抜本的改革は必要不可欠だ。
当然、入試試験の内容に極端な偏りがないことが前提となる。

②新卒採用からキャリア・人間性重視の採用へ

産業社会が行き詰まり、低迷し、低成長している今だからこそ、
「新たな発想」、「発想の転換」、「別の視点」が必要になる。

新たな発想は、ホイジンガ的に言えば、遊びの中で生まれる。
余暇、余剰の中でしか、新たなアイデアや発想は生まれない。
つまりは、「ゆとりある柔軟で新鮮な思考」が求められているのだ。
従来の枠組みでは克服できない時代の只中にいるのだから。

とするならば、もっと学生に学ぶ時間を与えるべきだ。
今の時代ほど、「一般教養」や「リベラルアーツ」が必要な時代はない。
学生たちには、実学以上に、もっともっと幅の広い知識が必要なのだ。

僕が知る諸外国で、大学=4年という固定観念をもつ国はない。
何年で卒業するかは、学生自身が決めるようになっている。
6年かかる人もいれば、9年かける人もいる。
最低4年くらいは必要だと思うが、10年かけてもいいのではないか。

諸外国では、学生の学費の負担は極めて少ない。
日本でも、もし学費が20万以下に納まるなら、
きっと学生たちはもっと長く学生を続けるだろうし、
仕送りに苦しむ親も減るはずである。

まずは、大学在籍期間をもっと柔軟に、弾力的にすべきではないか?!

それから、人事の採用の際に、
非正規雇用を含め、あらゆるキャリアを尊重する視点が人事にあるかどうか。
たとえニートであっても、ひきこもりであっても、
そのニート時代、ひきこもり時代に何をしていたかを重視するならば、
ニート時代もキャリアとして尊重されるはずである。

大卒後、自宅に引きこもって、日本文学に浸ってました、とか、
ニートをしながら、日本各地を旅してまわり、日本全土を知りました、とか、
フリーターをしながら、ミュージシャンを死ぬ気で目指していました、とか、
そういう経験も、採用時のキャリアとして尊重してもらえることが、
不平等社会の打破につながると僕は思う。
そういう人の方が、柔軟で新鮮な発想を生み出せると思う。

***

志の高い若者、社会全体の幸福を考える若者、やる気のある若者が、
きちんと社会で健全に評価されてほしいと僕は願う。

僕自身、中学で挫折してしまい、学校に行けず、
本当に将来、どうなるのか分からなくて、途方に暮れた。

けれど、世界を見つめる目、平和や真実を求める目、
嘘を嫌い、優しさや愛情を求める気持ちはあった。
というか、僕の場合は音楽によってそれらが培われた。

志の高い若者が、格差社会の中で押しつぶされないことを祈るばかりだ。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「教育と保育と福祉」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事