Xanten(クサンテン)の果物畑に出現する立体看板。
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ここからほぼ北方向に40分近く車でで行くとWeselという街に着く。
Weselは、ローマの遺跡が残るXantenの隣町だ。
Weselで話しを振っておいたが、Xantenでのエピソードを書いてしまおう。
ちなみにXantenは遺跡と聖堂以外にはあまりパッとしない。聖人ノーベルトが守護する街という。
ある日友人とその町に立ち寄った時の事、お菓子博物館―チョコレートの泉―の看板に吸い寄せられて、さびしげな玄関をくぐったことがあった。かつて個人宅であったらしい部屋を改装している。入場は無料である。
入ればいきなりそれはただのお菓子屋であり、部屋の隅に確かにチョコレート菓子製造機が疲れたおじいさんのようにドデンと座っていて、確かにその脇に謳い文句のチョコレートの泉はあった。
首をかしげながらも、収穫物を手に提げて帰ろうと決めてしまう心理は、其処に引き寄せられてしまった全員に働きかけているらしい。珍しくもない駄菓子も沢山並んでいて、皆それらを指差しては、それでも何か買うきっかけをつかもうと、あせっているかのようにも見える。
端から端まで、まるで珍しい標本採集を眺めるかの様に鑑賞してゆくと、箱の中に一つずつ透明な袋に入れられたクッキーが積まれていた。袋を良く眺めれば其処には”ローマ人のサンダル”と名づけられていた。子供の足ほどの大きさの、靴底形のクッキーだった。その一つを手に持ってレジに向かった。
ローマの遺跡は入場料が高すぎて、疲れた足がさらに重くなったので、Xantenの看板であるにもかかわらずそのまま、クッキーを握り締めて帰った。クッキーは思いのほか美味しかった。
話はWeselに戻る。
Weselには何の観光要素もないただの小さい街である。
町の歴史は良く知らないが、少なくとも現在では取り立てて話題になる場所ではない。
今日、Weselの美術館で顔見知りの美術家の個展のオープニングが開かれていたので、うす曇のなか出かけた。
展示はとても良く、少々暗い妙な空間にもかかわらず、存在感のある彫刻や、大きなドローイングが、その空間をその作家の色で塗りつぶしてしまうパワーがあった。
空間を選ばない作品というのはすごい事だ。作品があたりを取り込んで消化≪昇華?≫してしまうのだから。
オープニングの話の中で、ある人物が ”以前ボイスの展覧会を企画した時に、”Rheinischpost”新聞は ”ライン川を越えて見に行く人間はめったにないだろう”などとコメントしたそうだ。ライン川のあっち側、こっち側論争。人はボーダーラインを引く事が好きだ。
当然大きな都市で展示はおこなわれるに越した事はない。動員可能数は必然的に増えるであろうから。しかしいろいろなイヴェントにあふれる都市の真ん中で展示する事の他に、地方での地道ながらも良いものを見せてゆこうというパワーはとても大事だ。
それが都市のイヴェントの2番煎じであるばあいは具合悪いものになることもあるけれど。
皆さん頑張ってください。
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ここからほぼ北方向に40分近く車でで行くとWeselという街に着く。
Weselは、ローマの遺跡が残るXantenの隣町だ。
Weselで話しを振っておいたが、Xantenでのエピソードを書いてしまおう。
ちなみにXantenは遺跡と聖堂以外にはあまりパッとしない。聖人ノーベルトが守護する街という。
ある日友人とその町に立ち寄った時の事、お菓子博物館―チョコレートの泉―の看板に吸い寄せられて、さびしげな玄関をくぐったことがあった。かつて個人宅であったらしい部屋を改装している。入場は無料である。
入ればいきなりそれはただのお菓子屋であり、部屋の隅に確かにチョコレート菓子製造機が疲れたおじいさんのようにドデンと座っていて、確かにその脇に謳い文句のチョコレートの泉はあった。
首をかしげながらも、収穫物を手に提げて帰ろうと決めてしまう心理は、其処に引き寄せられてしまった全員に働きかけているらしい。珍しくもない駄菓子も沢山並んでいて、皆それらを指差しては、それでも何か買うきっかけをつかもうと、あせっているかのようにも見える。
端から端まで、まるで珍しい標本採集を眺めるかの様に鑑賞してゆくと、箱の中に一つずつ透明な袋に入れられたクッキーが積まれていた。袋を良く眺めれば其処には”ローマ人のサンダル”と名づけられていた。子供の足ほどの大きさの、靴底形のクッキーだった。その一つを手に持ってレジに向かった。
ローマの遺跡は入場料が高すぎて、疲れた足がさらに重くなったので、Xantenの看板であるにもかかわらずそのまま、クッキーを握り締めて帰った。クッキーは思いのほか美味しかった。
話はWeselに戻る。
Weselには何の観光要素もないただの小さい街である。
町の歴史は良く知らないが、少なくとも現在では取り立てて話題になる場所ではない。
今日、Weselの美術館で顔見知りの美術家の個展のオープニングが開かれていたので、うす曇のなか出かけた。
展示はとても良く、少々暗い妙な空間にもかかわらず、存在感のある彫刻や、大きなドローイングが、その空間をその作家の色で塗りつぶしてしまうパワーがあった。
空間を選ばない作品というのはすごい事だ。作品があたりを取り込んで消化≪昇華?≫してしまうのだから。
オープニングの話の中で、ある人物が ”以前ボイスの展覧会を企画した時に、”Rheinischpost”新聞は ”ライン川を越えて見に行く人間はめったにないだろう”などとコメントしたそうだ。ライン川のあっち側、こっち側論争。人はボーダーラインを引く事が好きだ。
当然大きな都市で展示はおこなわれるに越した事はない。動員可能数は必然的に増えるであろうから。しかしいろいろなイヴェントにあふれる都市の真ん中で展示する事の他に、地方での地道ながらも良いものを見せてゆこうというパワーはとても大事だ。
それが都市のイヴェントの2番煎じであるばあいは具合悪いものになることもあるけれど。
皆さん頑張ってください。