ガーベラ・ダイアリー

日々の発見&読書記録を気ままにつづっていきます!
本の内容は基本的にネタバレです。気をつけてお読みください。

うんどーかい②

2007-10-17 | 日々のあれこれ
(2007年10月14日のダイアリーのつづきです)

「ライバルのチームと1点差!がんばろー!」という迫力に満ちた声が聞こえてきた。

……ええっ。そんなにせってるの?

私の数少ない知り合いのかたと話をしていると、わが自治体は去年総合優勝を果たしていること。いやその前年も優勝しているかもしれない。とにかく、この運動会に命かけてる(?)人がいることなどが遅まきながらわかってきた。

……この大会。負けられない。絶対優勝!!。

こんな見えない重圧が私の肩にずしんとのしかかってきた。

リレー(成人女子)と言えば、最後から2つ目の競技。ここでこけたらあとがない。あとは成人男子のリレーにかけるのみ。

<バトンを受けとる。全速力で走る。コーナーをまわる。……と、そのとき足がもつれて、前のめりになり地面に倒れこむ。ころがったバトンを見つけて、どうにか走り出す。みんなに謝りながら、私の運動会は幕を閉じる>という最悪のシナリオが私の頭をぐるぐるまわった。

「このまま、選手としてエントリーされてていいのか?」

こんな疑念の声が、頭の中にわんわんと響いてきた。

しかも身軽そうに見えたって、実際のところ自分は全速力で走ることを最近していない(汗)。

百歩譲って自分が身軽だったとしても、果たして「身軽=足が速い」と言えるのか?
前傾姿勢で走っていたよ…と言われたが、上半身の姿勢に下半身の動きがついていけるのか?
いきなり走って、肉ばなれをおこしたらどうするのか?
そもそも、なんで自分はリレー選手を引き受けたのか?練習もしていないのに。。。

……次々と浮かんでは消える疑問。

……こうなるともうだめだ。完全に運動会を楽しめなくなっている。自分の安易な返事と大いなるプレッシャーに押しつぶされそうだ。

……しかし。。。いったん引き受けてしまったからにはやらずばなるまい……。

そんなとっちらかった頭の状態で、午後の部2番目の「むかで競走」に参加。背の順で区切ったら、なぜか私が5人組チームの先頭になってしまった。

「いっちに、いっちに」のかけ声とともに待っている短い時間に、にわか練習をしてみる。

すると、運動会に命かけてる(?)男性が、私たちにアドバイスをし、げきをとばしてきた。
「先頭の人は、みんなを引っ張る!それが役目だから!その場で足踏みしていても進まない!足を外側に出して少しずつ進んで!今から足踏みしといて!バトンは両手で受け取って!」

……んげげげげー(汗)。

甘い気持ちで競技にのぞんでいた私も、さすがに真剣になってきた。

自分たちのチームはまあ大きな失敗もなく次のチームに無事バトンを渡し役目を果たしほっとした。

あー走り終わったー!とバトンを渡したその途端。。。私の足が急に前に出なくなった。

……へっっ?

と思った刹那、前にすってーん!と両手をついて転倒。掌にすり傷ができそこから出血。

……血だー(汗)いったーい!(泣)

もう、立ち上がる気力もなく地面であえいでいると、近くにいた同じ自治体の人が私の体を上に引っぱり上げてくれた。

やっと立ち上がり、歩き出すと。。。

や、や、これは。。。まずい。。。もも。ももが痛い。。。

筋肉痛なのか?ももを上げると痛くてどうしようもない。。。

ふだん使わない筋肉をつかったからだろうか。知らず知らずのうちに、筋肉にへんな力が加わっていたのかもしれない。

……少ししたら治るだろうか?一時的なものなのか。。。

不安をかかえながら、両脚のももが筋肉痛のむねを元締めの人に伝える。。。

みんな心配はしてくれているが、もう少し様子を見てみようということになった。

私の頭の中では、これで「リレーの選手という重圧から逃れられる」という安心感と、「ここで逃げる気か?」という自責の念の両方の声がこだましていた。

……結果。筋肉痛がひくどころか、ますますひどくなり、ももが上がらなくなったため、あえなく違う人にリレーの選手を交代してもらった。

ああ。なんか情けない幕切れだなあ。。。

まあ、リレー選手♪という夢を見させてもらった…ということでこの運動会に参加した意義があったかも。。。とひとりで納得していた。いや強引にさせていた。

……ん。いやまてよ。。。

それ以上に収穫があったのは。。。地域に友人ができたこと!かもしれない。

運動会の翌日仕事から帰ってきてポストをのぞいたら、小さな茶色の紙袋が入っていた。

元締めの人からのメッセージと大量の湿布。

……なんだかとってもうれしかった。

……でも成年男子リレー選手のように、来年に向けて今から走りこむほどの意欲はさすがにないなあ。。。期待してくれてるようだけど(Aさんごめん!)。


エーリッヒ・ケストナー作 「飛ぶ教室」 偕成社文庫

2007-10-16 | こんな本読みました

本書は、若松宣子 訳/フジモト マサル 絵 である。

はじめにお断りしておくが、自分が読んだ翻訳本はその時に図書館(もしくは書店)にあったものを手にとって読んだにすぎない。ので、ここに記した本をおすすめするというわけではないのでご了承を。。。

さて、本書は<ドイツの国民的作家ケストナーの代表作>といわれる。日本でも題名だけは知っている人は多いだろう。本の内容は知らずとも。。。

かくいう私もその一人であり、本書は初めて読む。子どものころに『点子ちゃんとアントン』は既読であったが。それとても内容は忘れている(汗)。

さて、この本とってもよかった。ぐんぐん作品にひきつけられ一気に読めた。さわやかな読後感あり、ほろりと涙させられる場面あり、少年たちの行動にはらはらさせられる場面あり。児童文学の王道(?)をいっているような作品だった。

本書はドイツのギムナジウム(高等学校)の寄宿舎で、五人の少年たちと先生たちのかかわりあいが書かれている。

ケストナーという人は確たる哲学を持っているように思う。子どもというものについてー。例えばこんな文章があった。

<成長してしまうと、子ども時代をきれいさっぱりわすれてしまうのだろうか。子どもにもかなしいときがあるのを、わからなくなってしまうんだろうか。(ちょうどいいので、心からおねがいしたい。子ども時代をけっしてわすれないで!約束してくれるかい?ぜったいだよ。)
 人形がこわれて泣いたとか、もっと大きくなって、友だちをなくしてかなしんだとか、理由はどっちだってかまわない。なぜかなしんだかということでなく、どれだけかんしんだかが人生ではたいせつだ。子どもの涙がおとなの涙より小さいなんてことはけっしてないし、ずっと重いことだってある。だけど誤解しないで!めそめそしようといっているのではない。ただ、つらくても、ちゃんとものごとをみつめてほしい。ほんとうに心の底からしっかりと。>

本作品に登場する先生や大人がいるのだが、自分の若い頃の記憶や友だちを大切にする人として描かれている。逆に人間関係をうまく結べなかった人もほんの少しだが出てくるが。

<ボクサーがいうように、うたれづよくなりなさい。なぐられても、たえてこなしていくこことを学んでほしい。でないと人生に最初のパンチをくらわされたくらいで、もうよれよれになってしまう。>

<だから、しょげてはだめだ、強くなるんだ!いいかい?それさえできれば、もう勝ったも同然。パンチをうけてもゆとりがあるから、ふたつのたいせつなことを発揮できるんだ。それは勇気と知恵。いまからいうことをきちんと心にとめておいてほしい。知恵のない勇気は、ただの暴力。勇気のない知恵は、役たたず。世界の歴史には、勇気しかないばか者や、知恵があるだけのおくびょう者がたくさんいた。それは正しい状態ではない。>

ドイツのドレスデンで生まれたケストナーが生きた時代は世界恐慌が起き(1929年)、みなが失業や貧困に苦しんでいるときであった。『飛ぶ教室』が出版された1933年には、ヒトラーが政権を獲得し反ナチス勢力を弾力しはじめ、反ナチスをうたっていた文化人やユダヤ人はドイツを脱出したという。

しかし新聞社につとめるジャーナリストだったケストナーはドイツにのこり、反ナチスとみなされたケストナーの本は焚書された。彼は、名前を変えて別の国の出版社から作品を出版したという。このような時代背景を知ることにより、作品にこめられた作者の思いがより強いメッセージとして伝わってくる気がする。

個人的に印象に残ったのは、成績優秀で正義感のマルティンだ。家庭の経済的事情によりクリスマスに家に帰れなくなった。そのことを友だちにもどうしてもいえなくてウソをつく。母からの手紙には心配かけまいと気丈にも心強い返事を書くが、その実「涙は絶対禁止!涙は絶対禁止!」と自ら暗示をかけ、どうにか自分のくずれそうなこころを保っている。そんなけなげな様子が描かれている。

そんなマルティンに手を差し伸べるのが、みなから信頼されている舎監のべック先生。マルティンのかかえている事情を知るや、なんと往復の旅費をマルティンに差し出すのだ。

……もう、ここの部分は涙なしには読めない。思わず、野口英世の恩師を思い出した。彼も学費を経済的に苦しい彼のために出してあげたと記憶している。生徒(人)のために自分の損得勘定抜きに、なにかをせずにはいられないという人の行動には心うたれるものがある。

そして、その好意を素直に受け入れ家族とクリスマスを過ごすことができたマルティンの喜びよう。マルティンの両親も大喜びし先生に感謝の念を抱く。おそらく、マルティンは大きくなってもこの喜びを忘れないばかりか、先生だけでなく他の人へ還元するのではないかと思った。そういうことができる子だ。

主に五人の子どもが登場するが、どの子も生き生きと描jかれそれぞれの子のよさを認めている先生。そこには信頼関係がある。その様子が描かれていてとてもいい。特に先生が権威で子どもに対峙するのではなく、一人の人間として彼らに自分の思いを語ることができるというのはすばらしいと思った。なかなかできることではないと思う。

また、べック先生とは違った角度から子どもたちを支える禁煙さん。彼は頭がきれるすてきな人。しかしひどく不幸なめにあったに違いない人。子どもたちは正義先生とあだ名されるべック先生にきけないこと、知恵を借りたい時は禁煙さんを訪れる。

民間人から公立の中学校(東京都杉並区)の校長になった藤原和博氏が述べられる(『公立学校の逆襲 いい学校をつくる!』朝日新聞社)ところの「ななめの関係」である大人の存在。成長期にある子どもにとって身近に先生でもなく親でもない信頼できる大人がいることは理想でもあるだろう。

また、同著者の『小さい男の子の旅』(小峰書店)を併せて読んだのだが、これもよかった。「小さい男の子の旅」「ふたりのおかあさん」の二編が収められている短編集なのだが、車内で読むことはおすすめしない。他人に涙を見られるのに抵抗のない人なら別かもしれないが。

どちらも子どもとお母さんの関係を描いたもの。後者はあたらしいお母さんができるときの八歳の少女の心の動きが描かれている。人形に自分の心のうちを話しかけたりお話をつくって語りかけたり、どうにか自分を支えている様子が目に見えるようだ。この作品のよいところは、新しいお母さんになる人が少女に語りかける部分だ。(実はここに引用紹介したくて、コピーしておいたのだがどういうわけか紛失してしまった。あしからず)

どうもここらへんは、ケストナー自身の生い立ちや母親との関係性が作品に反映されているようである。ケストナーの他の作品も読んでみたくなった。

 


秋の公園

2007-10-15 | 日々のあれこれ
コナラ、ミズナラ、マテバシイ。
アカガシ、クヌギ、マツボックリ。

ブナ科の木の実を「ドングリ」と言うそうですが、ビニール袋いっぱいに拾ってきました!。

ドングリたちをパッと見つけるのはむずかしいのだけれど、落ち葉の下を枝などでさぐると「あるわ、あるわ」。おもしろいくらい見つかります!

ドングリがかぶっているお椀のようなものを「殻斗」(かくと)と呼ぶそうですが、それがとってもかわいい。そのままにしておきたいけれど、ひょんなことで残念ながら取れてしまいます。とれた殻斗を見てみるとまるでベレー帽。なので、私は勝手に「帽子」と呼んでいます(笑)。

また、他にも秋らしいものが。。。

ひとつは、銀杏!
オレンジ色のやわらかなものに包まれています。これを素手でさわるとかぶれるので、手袋をして中身をとりだすと良いとのことです。

そして、もうひとつが、セミの抜け殻!
ひょっこりそれを見つけると驚く反面、まあきれいに脱いだなーと感心します。
袋に入れて持って帰りはしませんけれども(笑)

公園の桜の木の先っぽが少しだけ色づいていました。

秋晴れ!という日があまりなく、いきなり「寒い日」が訪れたという感がありますが、もう少し暖かい日があるといいですね!


うんどーかい!①

2007-10-14 | 日々のあれこれ
秋の大運動会!に参加してきました。
地域の催しのひとつで、小学校の校庭で行われ8つの自治体が参加しました。

はじめてのことだったので、なにもかもが新鮮。
とりあえず、知人が出場するという競技に私も名を連ねることにしました。

それは、障害物競走!
男女各4名のリレー形式。

参加者を募るさいに、筒状の袋に体を入れその袋を頭からぬぐので<なるべく体がひっかからない人>という条件が出されました。

……だいじょぶだろうか?という不安を口にすると、
……だいじょぶ、だいじょぶ!とまわりに言われ、んじゃーと思い思い切って出てしまいました(こわいもの知らずですね!)。

1人が、トラック半周分(100m)走ります。その間の障害物が3つ。先ほどの袋ぬぎ、次にハードル越え、そして網くぐり。

第7走者としてトラックで待っていると、たすき(バトンがわり)を渡してくれる人(男性)が、「前に走れー!」と必死の形相でさけぶので、バトンゾーン(らしきもの)を少し助走してたすきを受け取りました。

トップでたすきをもらったので、ちょっと精神的ゆとりができたためか、はじめの袋かぶりはすんなりオッケー。走りながら袋をぬいでしまいました!。

お次は、ハードル。4台並んでいるハードルの一番インコースにあるのを軽くポーン!と飛んだ。。。のはよかったのですが、着地でバランスをくずしトラックの中をいまにもこけそうになりながら走る走る(なんてみっともない格好!汗)。

そして、さいごは網くぐり!これは、腰を低くして思いのほかサーッと前へ進めました。

……というわけで、他のチームの人に抜かされることなくすんなりたすきを次の走者に渡すことができました。

……結果。わがチーム第一位!
第二位のチームとのタイム差がたったの2秒でしたが(笑)

やったー!。思わず選手全員とハイタッチをしてしまいました!

そして、知らなかったのですが、なんと入賞すると(3位まで)商品をゲットできるのです。ちなみに今回の商品は、だしの素とインスタントラーメン(5個入り)でした。自分の自治体のテントに戻ると、笑顔と拍手で迎えられそこでも商品をもらいました(らっきー)

さてさて。。。競走も終わり疲れてぼーっとしていると、なにやら名前を呼ばれ、なんだろ?と思って行ってみると、「400メートル女子のリレーに出場しないか?」とのこと。

「はああーーー?なんで私が?」

選手決めの元締めの人が、どうも私に白羽の矢を立てたらしい。先ほどの障害物競走の走りを見てー。

私が久しぶりに走った旨を伝えると、
「いつも、子どもを追い回してるような走りだったよー。」と言われる始末(汗)。

……あちゃっ。どうも身軽に見えたらしい(汗)。

その人のラブコールをうけ(笑)、あまり考えずにOKしてしまった。半分「あこがれのリレー選手ー♪」などと能天気に思いながらー。

が、しかし。。。

これは大変なことを引き受けてしまった……ということにのちほど気づくことになろうとは、そのときは思いもよらなかった。。。


(つづく)

レフ・トルストイ 著 北御門二郎 訳 「イワンの馬鹿」 あすなろ書房

2007-10-13 | こんな本読みました

えー。。。こんなお話だったっけー?

小学生の頃に読んで以来読んでいなかったのだが、本書の表紙(和田誠 画)・装丁がすてきでつい手にとり再読。内容もすっかり忘れていたので(汗)。

<馬鹿のイワンと、その二人の兄弟、軍人のセミヨンにほてい腹のタラスと、唖の妹マラーニャと、それに老悪魔と三人の小悪魔についてのお話。>とある。(本書より)

イワンにとって、兵隊とは「歌をうたうもの」であり、金貨は「子どもたちと遊ぶおもちゃ」。二人の兄たちは、これらを手に入れるためにあくせくするのだが、これらを手に入れてしまったがために、老悪魔により最終的に没落させられる。

しかし、イワンといえば……。これらを手に入れても必要以上に欲しがらない。執着しない。国王になっても額に汗して働く。そうすることがすきだから。国民も同様。老悪魔は国王になったイワンを失墜させることがなかなかできない。

イワンは自分は馬鹿だから……というが、無欲な人を懐柔することは存外むずかしいことなのではないか。目に見えるもので人を操作できることほど簡単なものはない。そんなことを思った。

「馬鹿」とはいったいなんなのか?ほんとにイワンは馬鹿なのか?なぜか宮沢賢治著の「虔十公園林」のお話を思い出してしまった。

イワンの国の習慣がただ一つあるという。

それは<手にたこのある者は食卓についていいが、たこのない者は、人の食べ残しを食べねばならない>

このお話(民話)は、トルストイが生きた時代を抜きには語ることができないだろう。本書の後ろに「トルストイ略年譜」が付されている。彼の人生とその頃のロシアという国を理解する手引きとなると思う。

また、自国のほかに他国の作家にも絶賛されているトルストイの著作。このシリーズで他の作品があるので読んでみたい。

 


秋ですね。。。

2007-10-12 | 日々のあれこれ
おとといくらいから、きんもくせいのいい香りが漂ってくるようになった。

小学生の頃、学校から帰宅する途中によくかいだっけ。
実家の近所にもこの木があった。ちょっと苦手な人の家にこの木があったのだが、今ではその女性は自宅でクリーニングを営んでいる。

また。。。
おとといくらいから「石焼芋」のミニバンが近所をまわるようになった。今年こそ買ってみたい!などと思う(笑)。

さらに。。。
耳をすましていると、「ぷーかー」というちょっと音程のあやしいラッパの音が。こちらは、お豆腐屋さん(だと思う。実物はまだ見ていない)。やっぱりボールを持って、買いに走るのかな(笑)。

もっと秋が深まり、初冬になると。。。

「ララシ(♭)ド ドシ(♭)ラソ ファファソラ ラーソソ♪」という音楽とともに灯油売りのトラックが回ってくる。わが家はこの音楽には縁がないなあ…。


におい、そして音。

どれも自分の意志とは関係なく知覚を刺激してくる。

いやがおうでも季節のうつりかわりを意識させられるなあ。。。


カラダのナカミ。。。

2007-10-12 | 日々のあれこれ
現在通っているサーキット型のフィットネスクラブでは、毎月1回計測を推奨している。計測すると、1ドル札(ニセモノ。笑)をゲットできるのだ!20ドルでくじ引きができる(笑)。

なので、まじめな私は。。。いやいや1ドルほしさに毎月一回計測している。

んで。今日計測してもらったのだが。。。

……なんと!

体重・おなか周りは全く同じ。
しかし。。。バスト、ウエスト、ヒップがサイズダウン!
バスト以外はうれしいのだが(笑)、ウエストにおいては9ヶ月前に比べると-3.5cm、おなか周りも-7cmといううれしい結果が出た。

……しかーし。以前に比べると体年齢が上がってしまったのである(実年齢よりかいくらか低いのだが)。

……そして、さらに。。。

体脂肪率の数値が上がり、骨格筋率が下がってしまった!(ガーーーン)。

なぜなんだろう?理由を考えてみた。。。

……そーいえば、ここのところ体調がよくなったとたん、よく食べていたっけなあ。。。

バースディのお祝いと言っては外食(中華料理)をし、川越に行ったと言っては芋料理を堪能し、あげく栗だ、芋和菓子だ、せんべいだ。。。とお土産を買い。

銀座に行ったと言っては柿のパフェを食べ、秋の味覚を味わうと言ってはフルーツを山盛り食し。。。

……外から見ると大きくは変わらないのだが、体の中身が変わってしまっていたようである(汗)。

……あああー。これから中身をシェイプアップしないといけないなー。。。


トマス・ブルフィンチ作/箕浦 万里子訳 「ギリシア神話」 集英社

2007-10-12 | こんな本読みました

これまた児童書。先日読んだ同名の書(2007年9月25日のダイアリー参照のこと)が小学校高学年向きだとすると、こちらは中学年向きか(てきとーです。笑)。

挿絵(深沢 真由美氏)が、少女マンガのよう。色づかいもきれいでお話のイメージがふくらむ。

本書は、「伝説の時代」(トマス・ブルフィンチ著)の中から、訳者がいくつか選び、子ども向けに読みやすいように説明などを補足して書かれたもの。

…なので、大人が読むと訳者の解説がときにうっとうしく感じられなくもない(汗)。

以下がお話の内容。

天の火をぬすんだプロメテウス
つぼをあけてしまったパンドラ
カエルにされた村人たち
クモにされたアラクネ
スイセンになったナルキッソス
ゲッケイジュになったダフネ
金になってしまったごちそう
ロバの耳になった王さま
太陽の馬車を乗りまわしたパエトン
死者の国へつれさられたペルセフォネ
オルフェウスのたてごと
クマにかえられたカリスト

個人的には、オルフェウスのたてごとのお話がとてもよかった。

思わず、池田理代子著の「オルフェウスの窓」を読みたくなってしまった(笑)。
むかしはまったのだが、内容をとんと忘れている……(汗)。

 


辻井南青紀 著 「小説 蟲師」 講談社(KCノベルス) 

2007-10-11 | こんな本読みました

本書は、劇場公開映画「蟲師」(原作/漆原友紀、監督・脚本/大友克洋、脚本/村井さだゆき)を基にノベルス化したものである。

漫画「蟲師」をもとに映画が製作されたのだと思うが、その大元の漫画を読んでいない(汗)。
……ので、それとの比較は全くできないし、映画も残念ながら観ていない。

この本だけで、「蟲師」を語るにはあまりにも片手落ちだと思う。
ので、ひとこと感想を。。。

まず、「蟲師」という発想がおもしろかった。

「虫を寄せる体質」をもち、それはたいてい「よくないことが起こる」。だからひとところにい続けられず、とにかく歩かねばならない。行かねばならない。
「蟲師」とは、蟲を退治・殺生するためにいるのではない。逃れる知恵のあるほうが逃れる術を探し求めてきたものたちをいう。

「トコヤミ」というものの存在。焦げたように黒い沼。たくさんの命を吸い込んで、それそのものが生きているという闇。常闇。そして、そのトコヤミに寄生する別の蟲がいるという。それを銀蠱(ぎんこ)という。

また、淡幽(たんゆう)の存在。彼女は、自分の身に禁種の蟲を封じた狩房家第四代筆記者。右足に棲む禁種の蟲を鎮めておく薬が、蟲師たちの語る蟲の話だという。それを彼女は書き写す。

淡幽が激痛に耐え、痙攣している様が印象に残った。

<ー淡幽さまの文字が……!
書棚から落ちて紐がゆるんだ隙間から、筆づかいも鮮やかな淡幽の筆致が、無数の足をカリカリと動かして床に這い出た。文字のはねやはらいの部分が触覚のようにうごめく。床から壁へ流れ出し、壁一面に鎖状の文様が広がった。>

おそらくここの部分を映像化したものだと思うのだが、口絵の写真がイメージを広げてくれた。古文書などの文字が這う……想像しただけでぞっとするが、この部分のアイディアがよかった。

また、本の題字を書家の石川九揚氏が書かれているのだが、蟲がのったくったような字でとても面白かった。

本書は、漫画もしくは映画などの視覚にうったえるものがあってこそ真に楽しめるものかもしれない。。。と思った。

 


占い

2007-10-11 | 日々のあれこれ
今朝、某TV番組の占いを見た。

やった!。今日は24番中、堂々の1位!

どんないいことがあるのかな~♪

……と期待していたのだが。。。

……まったくなかった。いいことが……。

あえて言うなら、無事に一日すごせたこと!

…これって、大切なことだし日々生かされていることに感謝しなければいけないと思うし、当たり前のことだと思ってはいけない、とは思う。十分わかってはいる。

でも。だからといって。1位の結果がこれとは。。。

……ちょっと地味すぎやしないか?

と思っていた。本日の午後10時ごろまでは。。。

……しかし。事態は急転直下。じゃなくて、急浮上!

友人のメールでとてもうれしいお言葉をいただいたのだ!

一気に自分のこころが浮き浮きしてきてしまった!

うん、うん。これだ。これが1位の証だっ!

「今日」という日は午後12時まで。家にいるからってラッキーなことから遠ざかってしまうわけではない。

やっぱり、占いのいいことは信じるに限る!(笑)


…しかし。言葉ってすごいな。。。とも思ってしまった。

信頼する人の言葉って何にも増して重みがあるし、それだけにその言葉で一喜一憂してしまう自分がいる。

ここでひとこと。。。

いつもガーベラにメッセージやメールやお言葉をかけてくださる方々。

どうもありがとうございます♪(ぺこり)