ガーベラ・ダイアリー

日々の発見&読書記録を気ままにつづっていきます!
本の内容は基本的にネタバレです。気をつけてお読みください。

いざ、Spaへ!

2006-02-28 | 日々のあれこれ
こちらに「はだか」で入れるSpaができたという情報を得た。さっそく知人らとツアーを組んで行って来た。ハイウエイを北上すること30分(ダイソーの近くである)。こちらにもSpaがあるにはあるが、ほとんどが水着着用である。

それはさびれたモールの中の一角にあり、入口は見過ごしてしまうほど小さい。しかし一歩中に足を踏み入れると、存外広くとてもきれいだ。入口手前の壁にはスタッフの名前一覧が掲示され、右手には健康グッズ、化粧品類が整然とディスプレイされている。

受付で紙を渡される。内容を見ると十数項目の細かい約束ごとが明記されている。13歳以下お断り、熱いサウナに10分以上入らない、水着着用不可などなど。それに同意、署名し、入館料($30)を支払う。日本の健康ランドのように、ロッカーキー、タオル、ヘアキャップ、ガウンを渡され、案内係の人によって中へと誘われた。

ひと通り施設の説明をしてもらった。館内表示は全て英語とハングル。聞くところによるとオーナーが韓国の人らしい。しかし客層はといえば、白人がほとんどだとか。Spaにはだかで入るのに抵抗ない白人もいるんだ・・・と少し意外な気がした。実際白人のご婦人方が十数名いたように思う。

ピンクのストライプ(布製)のヘアキャップをかぶり(洗髪以外は着用必須)、いざSpaへ!熱い、ぬるい、水の3種類のコーナーがあった。交互に入ってからサウナルームへ。これもハーブサウナとミストサウナの2種類。しきりの奥にはあかすりコーナーがあり、スケート選手のようなウエアを着た筋肉質の女性が、うろうろ待機していた。Spaで充分身体を温めてから、薄手のさらりとしたガウンをはおり、ウォーターボトルと文庫本を持ってリラクゼーションルームへ。

まず「Salt room」に入った。床一面に塩が敷き詰められ、その上に布が敷いてある。そこにまくらが10個ほど並んでいて、しばし横になる。室内は温かく、照明も暗いのでとてもリラックスできる。だんだん身体がほてり清められたような気がしたところで「Elvan Stone Reading room」へ。ここはベンチがあり、おしゃべりしたり本を読んだりする部屋だ。雑誌も何冊か置いてあった。

続いて「Sand room」(砂が床に敷いてある)、「Cabin room」(ログハウス風で涼しい)、「Charcoal room」(壁一面が炭)と次々とめぐった。各部屋の入口には、その部屋の効能と室温が明記されている。自分の好きな所に好きな順番に入れる。今回は時間がなくて入れなかったが「Silence room」、「Mud&Jade room」という部屋もあった。

もうすでに身体はほかほか。汗もにじんできた。丁度いい具合にお腹もへってきたので、そのままの格好で館内にあるこじんまりとした韓国レストランで昼食をとる。ビビンバ、チャムチェ、スンブツ(という名前だったかな?)を注文した。待っている間、とうもろこし茶とおかわり自由の小皿料理をいただく。どれもおいしく、値段も手ごろだった。

となりには、韓国ティーをいただけるお茶所があり、チャングムのようなきれいなお姉さんが声をかけてくれた。チマチョゴリを着て、韓国ティーの作法を学ぶという簡単な講座もあるという。そこにはお茶の道具やお茶碗なども展示され見ていて楽しかった。その両隣には、ネイルケアルーム、マッサージルームがあり至れり尽くせりである(細かい料金設定あり)。

最後にもういちどSpaに戻り、身体や髪の毛を洗う。日本の温泉のように洗面器やこしかけがありビックリした。白人の方はしゃがんで洗うということになれないのか、立ってシャワーをしていた(もしくはシャワーコーナーへ行く)。

最後に。ここへは是非とも女ともだちもしくはひとりで行くことをおすすめする。なぜなら、ここは女性専用のSpaなのだ!(アメリカでそういうのって問題にならないのかな?)。たまには「はだかで大きなお風呂につかりたーい!」という私の日本人的欲求を満たしてくれ、リラックス効果大の花まるSpaでした!


男の子って・・・

2006-02-27 | 子育て
男の子は育てたことがないので、目がテンになった話をひとつ。

たまたま、ある所で2歳半~5歳児の面倒を見る機会を得た。

ある男の子(3歳くらい)が、トイレに行きたいというので連れて行った。
ドアを開けたままにして、個室トイレの方に入った。
ズボンをひとりでおろすのもままならない。オムツもしかり。
パンツ型のオムツの前後をまちがえ、またはき直し・・・。

しかし、あえて手伝うのを控え、できる限りひとりでやらせてみた。
時間は少々かかったが、両方ともどうにかぬげた。
やったー!と喜ぶ私。
しかし、あまり反応がない。

ここではたと気づいた。
もしかしたら、日本語が通じない?
英語で話しかけてみるが、いまいち反応がない。
(まあ、3歳児だとこんなものかも。。。)

・・・と思っていたら手を洗う段になって、何を思ったか彼は、男子用の便器内に置いてあるサンポールのような丸い固形物を洗面台の横に置いたのだ。あたかも石鹸のように。
しかも素手でつかんで!

おいおい!
その行為は、決してきれいとは言えないゾ。
というか、むしろキタナイ。。。

しかもそれを誰かが、石鹸とまちがえて手にこすりつけたらどーするのだ!(ってそんな人いないか?)

わが子だと頭に血がのぼってしまうのだろうけど、人さまの子だと思うとなんだかおかしみが先に立つ。(ゴメンナサイ、世の男の子をもつお母さん方。。。)

女の子を育てる苦労、男の子を育てる苦労。
さまざまだが、面白いのはぜったい男の子だなー(特に小さい頃)。
(なんて、ないものねだり?)



ハムちゃんずにご執心

2006-02-22 | 子育て
今から数年前のこと。たしかミミコが5歳(いや4歳か?)の時だった。
「とっとこハム太郎」というアニメにどっぷりはまった。ハムスターをモデルにして、「ハム太郎」「リボンちゃん」「ちびまるちゃん」「たいしょー君」などなどたくさんのキャラクターのハムスターと飼い主ロコちゃん家族との交流を描いたアニメだ。


テレビアニメから始まり、マンガ(子ども向け学習雑誌)、ビデオ、映画、おもちゃ。はては、お弁当箱、水筒、箸、マスコット、鉛筆、ハンカチ、ティッシュなど日用品のありとあらゆるものが、ハム太郎関連グッズによって埋めつくされた。(親以外のスポンサーあってのことだが)

お絵かきが大好きなミミコは、さらに「ハムちゃんず」の絵を描き、主題歌をキーボードで弾き、さらには映画版でミニモニが歌った歌を毎日口ずさむ。(しかも歌詞がビミョーにまちがってる!「ホントは レンアイきんしなの」を「ホントは ハレアイきんしなの」となってるしー!)

きわめつけは「とっとこハム太郎 公式ファンブック」をスポンサーに何冊か買ってもらい読み込む。なにが書いてあるかというと、主に「ハムちゃんずグッズ」しかも432アイテムも!しかもその本に、自分が欲しいものにしっかり○をつけている。寝る前に好きな本を読んであげているのだが、それを読めという。

<36 くるくるシールメーカーセット かわいいハウスがたのシールメーカー。ハムちゃんずのシールはもちろん、オリジナルのシールも作ることができるよ。 販売価格 2780円。限定数 10 お届け 通常 サイズ・・・・>

と毎晩読まされるのである。いつまでこんな状態が続くんかいな・・・と思っていたのだが・・・。

はた!?と気づくと「ハム太郎」のビデオにほこりがかぶり、お絵かきも違うものに変わっている!すっかりハムちゃんずたちは、ミミコの頭の中から追い出されているのである。その代わり身の早さ・・・。

ああ、このグッズたちを一体どうしたらいいのだー!
でも、ららが使えるからいいか・・・と思っていたがあまい。ミミコほどはまらない。ちがうものに興味をもっている・・・。たまーに思い出したように本をながめてはいるが、まさか「もったいないからビデオ見たら?」とも言えないし・・・。

まあ、「なにかに「夢中になった経験」をしたからよし」として、ハムちゃんずたちには退散していただくこととあいなったのである。


別件ですが・・・読者の皆さまへ。いつも(たまたま?)読んでくださりどうもありがとうございます。次の更新日は27日(月)となります。また会いましょう!(ああ、早くも年頭の目標が…泣)

目標

2006-02-21 | ちょこっと童話?
先日、6歳の誕生日を迎えたらら。
こんな紙を私に持ってきて見せた。

6さいのもくひょう

1.じぶんからやる
2.じぶんからきく
3.たんでもやる

おおー!すごい、すごい。りっぱ、りっぱ。(パチパチー)
しかし、3のたんでもやるってなんだ?
なんでもやるのまちがいか?

もくひょうを紙にかくというのは、姉の影響だろう。
忘れないよう、紙をキッチンの壁にはっておく。

「ぬいだくつしたをそこらへんにおかない」とか
「ピアノのレッスンバッグを元にもどす」とか
「読んだ本を本棚に入れる」とか・・・

りっぱなもくひょうより「とにかくかたづけよーよ!」
と言いたくなるのを、ぐっとこらえて笑顔をつくった母であった。

がんばれ、らら!



叱ってくれる人

2006-02-20 | こんな本読みました
大人になると叱ってくれる人になかなかめぐり合わない。
叱るというのは、一種「愛情」の裏返しともいえる。本気でその人を思う気持ちがなければ、人に憎まれる役を買って出ることはあえてしたくないのが、誰しもの本音ではないか。

「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」と自分で自分を叱っていた人。

「椅りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ」と自分に厳しかった人。

「お母さんだけとはかぎらない 人間は誰でも心の底に しいんと静かな湖をもつべきなのだ」と自己を深く掘り下げた人。

「さくらふぶきの下を ふららと歩けば 一瞬 名僧のごとくわかるのです 死こそ常態 生はいとしき蜃気楼」と生きとしいけるものへの愛情をもった人。

「早くわたしの心に橋を架けて 別の誰かにかけられないうちに わたし ためらわずに渡る あなたのところへ」という乙女心を『あほらしい唄』というタイトルをつけてしまうシャイな人

私の中で彼女は生き続けている。本を開けば、詩集を読めば出会える。私を叱り励ましてくれる。悲しくないといえばうそになるが、なにかそれ以上のものを自分に課していかねばならない。そんな気にさせてくれる人。(実像は全く知りませんが。。。)

ー茨木のり子さんのご冥福を心よりお祈りいたしますー


注:上記の「 」内の言葉は氏の以下の詩からの引用です。
 
1つめ…「自分の感受性くらい」
2つめ…「椅りかからず」
3つめ…「みずうみ」
4つめ…「さくら」
5つめ…「あほらしい唄」

*1,3,4,5…「おんなのことば」童話屋(氏の初の詞華集)より
*2…「椅りかからず」筑摩書房より

*上記の本の他に「おーい ぽぽんた」福音館書店も今、手元にあります。茨木のり子、大岡信、川崎洋、岸田衿子、谷川俊太郎の5人の詩人の方が選んだ日本の詩・短歌・俳句166篇が収められています。「小学生に暗唱してほしい」という文が帯がついています。別冊として、本書に採り上げた短歌と俳句の解説本がついているのもうれしいです。



ある写真家の死

2006-02-19 | ショートストーリー
海外在住の、大自然を撮ることそして名文家としても有名な写真家M氏が亡くなった。山、氷河、動物、植物…そして人間。どの写真もこころをとらえて離さない。一瞬の美しい表情をとらえるために、時間の経過による自然の移り変わりを身をひそめてじっと待つ。その姿勢は全ての被写体においても通じる姿勢である。それらの写真はまるで被写体とM氏との対話であるかのようだ。

さて、死亡の原因だが。
彼の住むA市から隣のB市へ行くのに車で湖を突っ切る。その湖上に一本の長い橋が架かっているのだが、その橋の左横のコンクリートの壁に激突したというのだ。時速にして100キロメートル以上は軽く出ていたという。

その橋は「浮き橋」としても有名で、長いトンネルを抜けた途端視界が開け、両脇にはキラキラ光る湖面が広がる。右に目をやると4000メートル級の形の美しい山。正面に目を転じると、てっぺんに雪をかぶった山脈が連なる。晴れた日には、頭の上いっぱいに広がる空の青さと、山にかかる雪の白さが鮮やかなコントラストをなしとても美しい。その自然の中でひょろりとのびるオフィスのビル郡が妙にちぐはぐで滑稽だが。さらに山全体が真っ白な雪に覆われた、いびつな形の山が山脈とは距離をおいた左のすみにひっそりとたっている。

彼の死亡後、自殺か他殺かを巡って調査が始まる。あらゆる彼の遺品が他人の手によって荒らされ、暴かれていく。

そんな様子を天国から見ているM氏。
「あーあー、そんなにオレの物を手荒に扱わんでくれ。しかし、オレはだんだん謎めいた男に仕立てあげられていくなあ。。。」

ファイルの中の紙の束に目を通す刑事たちをながめるM氏。
「おー、あれは書きかけのオレの小説だ。実話じゃないゾ。…でも、さすがオレの愛した妻。オレのこと全然疑ってないョ。ほっ。」

「しかしこんな大ごとになっちまって…。死んでも『あのいびつな白い山に見とれててハンドルがぶれた』なんて言えねえなー。・・・ってオレもう死んじまってるんだったっけ」

スーザン・クーパー/角野栄子他著 「鏡ーゴースト・ストーリーズー」 偕成社 

2006-02-18 | こんな本読みました

対象年齢12歳、ホラー短編集という企画で書かれた物語。表紙・裏表紙の絵もおそろしくかつ美しい。以下6編が収められている。

幽霊の話      スーザン・クーパー
鏡         角野栄子
首すじにおかれた指 マーガレット・マーヒー
山         チャールズ・ムンゴシ
クジラの歌     ウリ・オルレブ
眼         キット・ピアスン

こころに残った話は「幽霊の話」「鏡」「眼」である。

「幽霊の話」は、「ぼく」と「父親」の親子関係をえがいている。「自分がすべてのことを知っていて、いつも正しいと思っている父」に対抗心を抱いているぼく。しかしぼくがテニスの試合で父に勝つことで見えてくる父の本当の姿。パソコンの画面に文字が勝手に写し出されるというホラー的状況設定で、父親への反抗心を抱く「ある人」の思いを「ぼく」にだぶらせて話をきわだたせている。子どもが親を乗り越えた時に見せる親の姿勢に好感を抱いた。

「鏡」は、女の子が「鏡」の中にひっぱられてしまい、「どう見ても私」である女の子が外の世界へ飛び出す。自分は鏡の中に閉じ込められてしまう。飛び出した女の子は、鏡の中の子にこんな言葉を投げつける。

<「あんたは鈍感だから、わかんないだろうけど、鏡を見るたびに、あんたはあたしを置きざりにしてたじゃないの。自分の見たいものしか見ないでさ、かわい子ちゃんポーズばっかりして。ほんとは自分勝手でずーずーしいくせに。そういうの、おりこうな子ってよばれるのかもしれないけど…、気持ちわるいったら。そのたびにぞっとしていたわ。いつかいじめてやろうと思ってたのよ。」>

外の世界に出た女の子は勝手気ままにふるまう。閉じ込められた女の子は、鏡の中から出ようと必死である。鏡の中に入るという経験をしたことによって女の子は自分の中にある一面をきちんとみつめることができ、それによって両親への見方も変わる。そのことがきっちり描かれていてとてもよかった。

「眼」は、「眼がこわくて苦手な人形」の「眼」の中をしっかり見つめることによって、変わっていく少女の話である。その人形(グリセルという名前)の「眼」に映っているものを<想像力があって、繊細な>少女は感じとる。

<この眼があんな恐怖をうつしだすのは、この人形のせいではない。それは、人形が見てしまったこと、炎につつまれた部屋の棚の上にすわらされて目撃してしまったことのせいだと思った。そのとき、グリセルは、人間のように、目をつぶることができなかったのだ。人形は、見つづけなければならなかったのだ。>

少女は、人形を「グリセル姫」となづけ、おはなしをつくりひとつの世界を作り上げる。そのうちとじこめられていたボール箱から、人形を解放してやり、いっしょのベッドに入る。すると、人形の「眼」に変化が起き、少女もいっしょに人形の体験したことを追体験する。

人形を受け入れることによって、少女は自分の新たな面に気づき、一歩前進する。「児童」向けのお話の内容だが、この本のエキスは大人にも十分通じる。こころに深く残るお話だった。

 


読み聞かせに行った

2006-02-17 | 日々のあれこれ
先日、日本語を学んでいる現地の公立小学校に読み聞かせに行った。もう1年半ぐらいのつきあいになる。

自分で本を選んでいるのだが、今日はここで言うのも恥ずかしいが本選びを失敗したf(^_^; (ああ子どもたちよ、本当にごめんなさい。。。)

4年生になりだいぶ落ち着いてきたし、日本語の力もかなりついてきたと思った(担任の先生の努力のたまもの!)。なのでちょっと難しいものに挑戦!と思い「花さき山」(斉藤隆介著/岩崎書店)を選んだ。滝平二郎氏のさし絵(独自のきり絵)もとても美しい。

しかし、これには難点があった。

まず、山ンばの語りの内容を理解すること。これが難しかったようだ。「けなげなこと、やさしいことをすると、うつくしい花がさく」というたとえが理解できなかったようだ。

もうひとつは、主人公の少女が見た「花さき山」はなんだったのかということへの疑問。うそなのか本当なのか。本文では、少女が後日、山に行ってももう「山ンバも花も花さき山もなかった」とある。ここらへんもかなり難しかったようだ。(日本語が十分にわかる子でも内容を理解できるのは、3~4年生ぐらいかな。。。)

なかには理解してくれて、こちらの問いかけに一生懸命に答えてくれる子も何名かいた。他の子は、静かにしてはいたが多分よくわからなかったのではないか。わかっている子たちの答えをもう少しかみくだいて話を具体的にすればよかった・・・と後から気づいたがもう遅い・・・。

斉藤隆介&滝平二郎コンビの絵本だったら、「モチモチの木」や「八郎」などのほうがよっぽどわかりやすかったかもしれない。日本語を母国語としない子どもたちにとっては難解な絵本になってしまった…。ああ、反省。

ある男の子が「このお話は、とてもいいと思うけれど、ぼくは日本語がまだ苦手なので、ちょっとこんがらがってしまった」と率直に感想をいってくれる子もいた。

ある男の子は「絵をみたいから本を見せて」と言う。本を渡すと「お母さんが赤ん坊におっぱいをあげている絵」に反応して、周りの子とくすくす笑っている。

ある男の子は、読み聞かせが終わったとたん席をはなれた。おそらく集中して話を聞き、もう限界だったのだろう。この子は事情があり、祖母と二人で暮らしているという。席に戻ってきた時に、彼にこっそり聞いてみた。

「○○君、なにをするのがすきなの?」
「I don't know」

背中に手を回してもう一度尋ねる。
「ねえ、おしえてよ」
またもや、
「I don't know」

背中をとんとんたたいて、しつこく聞く。
「どんなことがすきなの?」
「Baseball」
とぶっきらぼうにひとこと言って、去ってしまった。

そうか、次回の読み聞かせの本は決まった。
こちらで活躍している「I選手のお話にしようっと!」


グッドニュース

2006-02-16 | ショートストーリー
「経産婦の皆さん、朗報です!」

何気なくTVをつけると、見慣れない男性アナウンサーがこちらに向かって呼びかけている。画面には作家であり翻訳家としても有名なKK氏が、背筋を伸ばし両足をきちんとそろえて、ソファにこしかけほほえんでいる。最近出版された翻訳本がじわりじわり販売部数を伸ばしているということで、どうもそれに関するインタビューを受けているようである。

朗報というのは「産後6年目にして、産前の体重に戻った」ということらしい。晩婚かつ高齢出産でも有名な彼女である。

見ると、ネイビーブルーに小さなドットの入ったパンツスーツ姿がきれいに決まっている。そういえば、少し前の雑誌の対談ではもうすこしふくよかな感じがした。


「それで、どのようにしてやせられたのですか?」
「別にやせたくてやせたわけではありませんよ」

「どのくらいやせられたのですか?」
「ベルトの穴が2つぶんくらいかしら」

著作には全く関係ないことを矢継ぎ早に質問しいくアナウンサー。にこやかに答えていくKK氏。

そして最後にこう言われた。

「やせる秘訣は?」
「やっぱり、恋をすることかしらね」
「へー、恋ですか」
口をすぼめ、うなずきながらKK氏の足元から首へかけて視線を動かすアナウンサー。
「そうよ」

ちょっとはにかみながらも挑むような目つきで言い放ったKK氏。次の言葉をさがしているアナウンサーを横目で見ながら、目の前にあるアイスティーをごくりと飲み干した。

(ふんっ、恋っていうのはトシとかキコンとかカンケイないわよ!)とグラスのかげで彼女が毒づいているようにみえたのは、私だけだろうか。

倉橋由美子著 「あたりまえのこと」 朝日文庫 他

2006-02-15 | こんな本読みました

倉橋由美子の著作は初めて読む。最近亡くなられたことを新聞の記事で知り、氏への追悼の文面を読んで興味を抱いたからだ。(まっ、他にも理由はあるんだけど)

まず『あたりまえのこと』(朝日文庫)を読んだ。これは「小説」についての氏の考えが述べられている。「小説論ノート」と「小説を楽しむための小説読本」の2部に分かれている。

<小説の本質はと問われれば、宣長流に答えるのが一番よい。すなわち「もののあわれ」である>つまり<小説の本質は人を感動させることにある>

<しかしここでいる感動は崇高であったり「芸術的」感動であったりする必要はなくて、それにはこのあと話がどう展開するだろうかとわくわくすることも、思わず涙することも、悲憤慷慨することも、ひそかに「劣情」をもよおすことも含まれている>

<人間が感情を動かすのは美醜聖俗を問わず具体的なものに対してであり、観念に対してではない。「愛」とか「平和」とかの観念が高貴で、高貴なものは人を感動させるなどと考えることの方が余程通俗的である>

以上は「小説論ノート」の冒頭「もののあわれ」からの引用だが、ものすごく納得させられた。「ああ、この人について行こう!」という感じ。そのあとも「いい小説とは」ということを探るために「恋」「運命」「真実」「名文」「小説の基本ルール」「通俗性」などなどについて、具体的な作品を取り上げながら話が進められ氏の考えをうかがい知ることができる。

第2部の「小説を楽しむための小説読本」。これには「人間がつまらない小説」「思想より思考」「何を書けばいいか」など「どうやって書くべきか」という考えが述べられている。この本全体にいえることだがかなり辛口である。氏の小説観にもとづきどんな作品であろうがバッサバッサと斬っていく。

さてさて、ここまで言い切ってしまうのだから「さぞ氏の作品はすばらしいものだろう」などという少々皮肉な目で氏の著作「倉橋由美子の怪奇掌篇」(新潮文庫)を手に取ってみた。

個人的趣味もあるだろうが(あたりまえだが)、私は大好き(*^-^)だった。さすが、ここまでいい切る人だわと納得させられた。

「倉橋由美子の怪奇掌篇」は二十の掌篇からなる。
どの話も短いながら、軽い裏切り、批判精神、ユーモア、エスプリがきいているように思える。一つのアイデアをこんな風に料理したんだなと感じさせる。腕前がいいと思わされる。(ちなみに私の好みは「首の飛ぶ女」「鬼女の面」「聖家族」「瓶の中の恋人たち」。自分の好きな作品について人と話すのも面白いことだと思う)

彼女の生前の姿を拝見したこともないし(新聞記事の写真でチラリとだけ)、素の様子を垣間見たこともないのだが(ああ、それがすごく残念。後悔・・・)この小説を読んで勝手に「倉橋像」を描いてみた。

「甘え」とか「ごますり」とか「うそ」とか全く通じない人。かといってガチガチにお堅いのではなく、臨機応変に人と話をあわせられる。けれど自分の心に引っかからない人や物に対しては、もう二度と心の中を覗かせてくれない人。(文壇では生きづらかったんじゃないかなぁと想像してしまう。実際のところ知らないけれど。勝手に想像ごめんなさい)

もっと、倉橋作品に触れたい!!しかし、こちらの書店では「あたりまえのこと」含めて2冊しかなかったぞ(大泣)。「倉橋由美子、買うべきか。買わざるべきか」(あーでも買っちゃうんだろうなぁ。。。)