数年前、この本の著者で詩人の工藤直子さんのお話を直接うかがったことがある。
かざり気がなく気さくな方で、小柄なのだがその中にいっぱいエネルギーが詰まっている印象を受けた。「講義」のように「教える」というのではなく「みんなで一緒に考えましょう」という場の雰囲気だった。(内容はすっかり忘れましたがf(^_^; )
『まるごと好きです』まず、タイトルがいい。
<中学のころから、ひとと出会うときは、とりあえず、まずまるごと好きになる、というふうになってきた。会ったとき、まず、相手のひとの好きな部分のほうを先に探しだすのである。好きなところを見つけて、「うん!」と、そのひとをまるごと好きになる。きらいなところを見つけるのはあとでよろしい。きらいなところがあっても別にかまわないじゃないか。とにかくまるごと好き、というのは、「きらい」もひっくるめて好きなことである。そのうえで、そのひとの、好きな部分にだけパチパチと拍手する。>
この文章が工藤氏の全てを物語っているように思える。
小さい頃から転居・転校を繰り返し(なんと約50回ぐらい!)、「友だち」の人数も種類も多い。そのなかから、工藤氏が「友だちってナニ?」と自身で考えた「友だち」について語っている本である。それは「友だち」を語るようでいて、自分自身をも語っているのである。
ここに引用するのが惜しいくらい、たくさんの素敵なフレーズがあった。例えばこんなような。
<文男さんにとって、おとな・子どもの区分は不要だったようだ。そのぶん、ほんとうの「おとな」だったのかもしれない。だからわたしも、「もう子どもじゃない」と突っ張る必要もなく、のびのびと話すことができた。そして不思議なことに、のびのびと、子どもっぽくも振舞えたのである。いや、不思議、ではないか。子どもだからといって区別されないのだから、安心して子どもっぽさも出せるわけだ。>
*注:文男さんとは、兄や姉の友人で当時30歳くらいの人で、大学の助手をしながら、高校で数学の時間講師をしていた人(引用者による注です)
そういえば、私自身も図書室の司書さんのところに逃げ込んで、いろいろくだらないことを話していた記憶がある。何を話したかは覚えていないのだが「高校生でもそんなこと考えてるんだね」というようなことを言われたことだけ覚えている。自分の話を「おとなになったらわかるよ」というようなことを言わずに、ただ聞いてくれるおとながいるということは、子どもにとってすごくほっとすることだと共感した。
友だちが多い工藤氏は、いろいろな人から相談を受ける。
足の不自由な女性が恋をした。相手(彼)に何かを言われるたびに『コノ足ノセイカ?』と考えてしまう自分にイヤ気がさしている。そして彼女はだんだん声がふるえ泣き出してしまう。
<わたしは、あいかわらず何もいえなかった。肩を抱いて、なぐさめたりもできなかった。
ーー何ができよう?Mさんは、おそらく生涯かけて、その問題ととりくんでいくだろう。そんな彼女に、わたしが、わたしの生涯をかけてかけていえるようなことばがあるだろうか。>
<ーー黙って、ひとことももらさずMさんの話を聞き、彼女の鳴き声を聞き、姿を見つめていることが、わたしにできる唯一のことだった。>
とても誠実な人であることがわかる。相手のつらい気持ちを自分のものとしてとらえ、そこから目を離さない。そして本当に相手のことを思えばこそ、軽々しくことばにだして言えないこともある・・・そんな切実な思いをこの文章から感じた。また、工藤氏はこの体験をその場で終わらせず、このようなことを考えているのである。
<わたしは、あの夜以来、Mさんに宿題をもらったような気持ちでいた。(あのとき、だまっていることしかできなかったのはなぜだろう。わたしが、彼女のためにできることがあるのか?あるとすれば、それはなんなのか?--友だちのために、ひとは何ができるのだろうーー)>と<つらい思いをしているひとに出会うたびに、この宿題を思いだして>いるのである。
なんて素晴らしい人なのだろうと思った。こんなふうに考えることができるようになりたいと思うフレーズである。(実際なかなかむずかしいが・・・)
<「友だち」を得たときの喜びのひとつに、「相手の中に『もうひとりの自分』を見つける」ということがあると思う。友人と話し合い、相手が自分の考えに賛同してくれたときなど、まるで自分の分身がそこにいるような気がしてうれしく、心づよいものだ。そんな分身ーー「もうひとりの自分」が、人間のなかばかりでなく、いろんなもののなかに発見できたとき、ひとはそれらと友情関係を結べるのではなかろうか。>
実際、工藤氏は「樹や草、鳥や虫」などを友人としてつきあい、そこから数々の「詩」を生み出している。こころがのびやかでなににもとらわれない大らかさを感じる。
かように素敵な工藤氏が書いた児童書がある。
『ともだちは海のにおい』(長 新太絵/理論社刊)。これはサンケイ児童出版文化賞を受賞している作品だそうである。
これも合わせて読んだ。いるかとくじらが友だちになる話なのだが、これがものすごくよかった。以前に読んだ時はわからなかったところが、すーっとこころに入りしみてきた。
まず「海のはじまり」で泣けた(はずかしい話だが・・・)。「ふたりがであった」「いるかのうち」「宇宙を泳いだ」「はなしかける海」も大好きな詩だ。
正直言うと、『まるごと好きです』の中に私が一番大好きなフレーズがあった。でももったいないので、これは書かないことにする。是非手にとって読んでみてほしい。『ともだちは緑のにおい』(同 出版社刊)もある(これは芸術選奨文部大臣新人賞受賞だそうだ)。私も今日注文したので後日紹介できればと思っている。(他の2冊は手元にあったのだ)
なんだかこの2冊を読んで、自分が幼いころ、泣き虫だったことを思い出してしまった。