ガーベラ・ダイアリー

日々の発見&読書記録を気ままにつづっていきます!
本の内容は基本的にネタバレです。気をつけてお読みください。

アメリカで紅白歌合戦

2005-12-31 | 日々のあれこれ
大晦日。NHKの紅白歌合戦を見た。時刻は12月31日の午前8時半である。
???

そう、わが家はTVジャパンという衛星放送のアンテナを設置しており、日本の番組が見られるのである。(月々30ドル。高ーい!!。内容はというと、NHK中心の、日本にいたらほとんど見ない番組の数々である。たまに民放のドラマやバラエティーなども放送するが)

それで「紅白歌合戦」。なんと大晦日の朝5時30分から放送されているのである。日本人の私にとって「紅白をだらだら見ながら年越し」するのが正しい大晦日の過ごし方だと思っている。朝食とりながら紅白見たいですか?答えはノーである。

そういう人のために、なんとその日の夜6時からも再放送されるのである。おもしろいでしょ!当然わが家は夕方から腰を据えて見ました。夜の10時45分まで。その後「ゆく年くる年」もやるんですよ!なんて日本的!ノイジーたちは、その番組で初めて「除夜の鐘」なるものを知りました。「いくつ鐘を鳴らすか知ってる?」との答えに「12こ!」とかわけのわからないことを言っていましたが。

ちなみに、明日のTVジャパンの番組を一部紹介します。

午前2時~   「ハイビジョンスペシャル」天才画家「歌川広重」の肖像
午前4時20分~「ハイビジョン特集」いのちで読む般若心経・柳沢桂子
午前9時20分~「ハイビジョン特集」共鳴する魂 日野原重明、小澤征爾
午前11時42分~ 第85回天皇杯 全日本サッカー選手権 決勝
午後2時25分~ もう一度青春サウンド熱血!オヤジバトル2005 つのだ☆ひろ、浜田マリほか
午後5時~    シネマシアター「釣りバカ日誌8」
午後7時18分~ 白くまピース 人工哺育の全映像・全記録
午後8時30分~ NHKスペシャル 写真家白川義員がアフリカを行く
午後9時32分~ ズームアップ信州 よみがえれ里山のチョウ

・・・と「教養番組」のオンパレード!である。トホホ。

キラキラしたスタジオの中、晴れ着姿の司会者が、やたら高いテンションで「あけましておめでとうございまーす!!」というノリは、いっさいないのである。

アメリカではクリスマスがメインイベントなので、ニューイヤーは元日だけがお休み。2日からは、平常通りである(たまたま今年は元日が日曜日なので2日もお休みだが)。ちなみに小学校は3日からスタートである。正月3が日くらいは、ゆっくりしたいなぁというのは日本人だけなのだろうか?!

異国で大晦日、元旦を過ごすことは、家族でのんびりできていい(親戚関係を回らなくていいので楽ちん)反面、なんだか味気ないようなさびしい面もあるのです。でも、今晩はちゃんと「年越しそば」を食べましたよ!そして明日は「お節」をいただきますよ!お雑煮もお屠蘇も。ノイジーたちには「お年玉」をドル紙幣であげるつもり。やっぱり日本人ですからねー。日本の文化を伝えないと!

それでは、みなさま良いお年をお迎えください。
このブログに来てくださった方みなさまに、感謝の意をこめて・・・。


井上 靖著 「幼き日のこと 青春放浪」 新潮文庫

2005-12-27 | こんな本読みました

私が本を読む理由はいくつかある。
現実をしばし忘れ、空想の世界を楽しむ。何かしらの知識を得る。自分が何者かを知るため。自分の生き方を模索する。心に残る「言葉をさがす」・・・などなど。

今回読んだ井上氏の著作は「心に残る言葉」もさがせたし、自分の「子どもの頃の記憶」をよみがえらせ掘りおこしてもくれた。そんな貴重な一冊である。

中学時代に国語の教科書に載っていたある文章が、突然頭の中にひらめきその作品が読みたくなった。知人のアドバイスを得てその作品を探すことが出来た。それが「幼き日のこと」である。それまで氏の作品を実は読んだことがなかった。「しろばんば」「あすなろ物語」「天平の甍」などなど有名な著作が数多くあるのだが、どこか「避けて」いた。氏の作品が「地味」な気がして、若い頃は全く興味がわかなかったのだ。(そういえば「額田女王」だけ読んだことがありました)

しかし、時を経て「ある文章」がよみがえってくるということ自体、氏の持つ文章の力がすばらしいことの証明なのだろう。この本を読んでみて実感した。

「幼き日のこと」には、氏の生い立ちから子ども時代のことが、実に詳細に書かれている。まるで、その文章から「映像」いや「一枚の絵」が浮かんでくるようだ。さすが新聞記者を経て作家になった人だ。この作品自体も、昭和47年から48年にかけて「毎日新聞」の夕刊に連載されたものである。それらの描写は時代も場所も全く違うのだが、なぜか私自身の「子ども時代」の「初めての体験や身体で感じとっていたなにものか」をじわじわと思い出させてくれるものであった。

氏は物心つくと同時に両親の許から離れて、郷里の伊豆の土蔵の中で祖母と一緒に暮らした。祖母といっても、曽祖父の妾である。この「おかの婆さん」とよばれる人との親密なやりとりが特に興味深い。

<私は今でも、おかのお婆さんの墓石の前に立つと、祖母の墓に詣でている気持ちではなく、遠い昔の愛人の墓の前に立っている気持ちである。ずいぶん愛されたが、幾らかはこちらも苦労した、そんな感慨である>

と綴っている。戸籍の上では祖母であるが、血縁関係のない人と暮らしたという時間を大切に、愛情をもって振り返っていることが感じられた。

かように氏は、非常に特殊な幼年時代を送っている。この体験を外しては「井上靖」を語れないと思われるくらい、非常に氏の人格形成に影響を及ぼしていると思った。こころに残った部分を引用する。

<私は暁闇の立ち籠めている未明の一時刻が好きだ。人間が何ものかに立ち向かっているからである。暁闇を衝いてという言葉があるが、人間の精神は確かに未明の闇に立ち向かっており、闇を衝いて何事かを行おうとしているのである。>

その暁闇との最初の<付き合い>が、<幼時のあらしの夜の明け方、暁闇の中を人の背にのって旅した>とあり、氏が5,6歳頃に感じた<未知の風景と時間の中の旅をした>ものの最初の記憶だと述べている。

<季節のいかんを問わず、田圃の拡がりに薄暮が垂れこめて来る頃は、幼い者は幼いなりに、やはり淋しく感じたのではないかと思う。本家の方で遊びに夢中になっていても、夕方になったことに気付くと、大急ぎで土蔵へ駈けて戻ったものである。一刻を争うような、そんなひたむきな駈け方であったに違いない。
小学校に上がるようになると、夕暮れというものは、淋しさと怖ろしさの入り混じったものとして感じられて来る。村の辻々で遊んでいた子供たちも、ふいに夕暮れが来ていることに気付くと、家に向かって駆け出して行く。一人が駆け出すと、他の子供たちも次々に駆け出していく。駆け出すと同時に、夕暮れの淋しさと怖ろしさが四辺から押し寄せてくる。

 ぴょんぴょんと、馬にでも乗っているように反動をつけて駈けて行く子供もあれば、ただもう無我夢中で駈けて行く子供もある。どのような駈け方をしようと、それぞれの駈け方で、夕暮れの淋しさと怖ろしさの中から脱け出そうとしているのである。

 小学校に通うようになってからのことであるが、私は小学校の校庭とか、田圃とか、そうした広い場所で遊んでいる時、夕方になったことに気付くと、いつも刻一刻濃くなろうとしている薄暮に淋しさを感じた。さして怖さは感じなかった。そうした時、土蔵へ向けてひたむきに駈けて行く気持ちは、いま思うと、淋しさの海をクロールで泳ぎ渡って行くようなものである。こうしたことは夏の夕暮れに多かったように思う。>

<淋しさの海をクロールで泳ぎ渡っていく>という表現にかなりぐっときてしまった。また、子供たちの様子が手に取るように分かる。

また、「おまち叔母さん」という24歳という若さで夭折してしまった女性への思慕を描いている部分がある。(彼女は小学校の教師をしており愛人との間に子どもを作る。そのあとめでたくゴールインしたが)。氏は、彼女が本家の裏庭の縁台に腰掛けて、編み物をし、その傍で遊んでいた記憶を持っている。それについて、後年振り返っている。

<彼女の心に去来していたものが何があったか知るべくもないが、その時、幼い私は、彼女がその思いにはいっているのを邪(さまた)げないでおこうといったエチケットを持っていたのである。私が若い叔母を遠巻きにして守ってやろうと思っていたものが、彼女の悦びであったか、彼女の悲しみであったか判らないが、しかし、いずれにしてもその時、若い叔母は、一つの彼女にとっては大切な想念の中にすっぽりとはいり込んで、心の灯火を点じたり、消したりしながら、機械的に編み棒を動かしていたに違いないのである。>

子どものころの一つの場面の記憶から、自分の内面を探り、そのときの自分や相手の気持ちを推察している。他にもこんな文章がある。

<本当の怖さというものは、お化けなどではなくて、滝とか、淵とか、そういった場所に一人で行った時感ずる、自分の他には誰も居ないといった思いであったようだ。自分の他には誰も居ないが、と言って、自分一人ではない。眼には見えないが、何か特別のものが、そこには居るのである。滝の精霊であり、淵の精霊である。>

<なぜあのように言い知れぬ恐怖感に襲われたか不思議に思っていたが、もしかしたら、それはいけない時刻に身を置いたことから生起するものではなかったかと思った。幼い者にとっては、淵というものはいけない空間であり、午下がりとか暮色の迫る頃というのはいけない時刻であったかもしれない。そして幼い者だけが持つ原始感覚は、その空間と時刻の組合せが誘発しようとしているものを鋭敏に感じ取っていたのではないか。>

<幼い頃は一人で淵の畔りに立つと怖かったものである。幽霊やお化けの怖さではなく、ふいに魂でも摑まれそうな一種独特の畏怖感だったのである。>

「子どもの頃の体験」が後年どのように影響するのか。そういったことの示唆が含まれている作品だと思った。「自然への畏怖」「人との距離のとり方」そういったものを幼年時代に感じ取っていることがわかる。他にも石鹸を川に流してしまった時の「はじめての喪失感」、凧揚げがうまくいかなかった時の「はじめての絶望感」。

それらは、みな子どもの頃に「体験」したことから得たものである。氏はそれらを言語化して表現してくれるが、私も含めて現在大人である人は、少なからず同じようなことを子供時代に感じ取っていたはずである。

今の時代、子どもたちにとって何かを「体験」することが難しくなっているように思う。自然の中で思い切り遊ぶこと。両親以外の人と交わること。学校帰り道草をすること。ぼおっとすること。身体を思い切り動かすこと。などなど。

大人に管理された”切り取られた時間”ではなく、何もすることのない”茫漠とした時間”が幼年時代には大切なのではないかと感じた。その中からその子なりの創造力とか感受性が培われていくのではないか。親である私にできることは、そうした時間をあえて作り出していく努力をしていくことだと思った。(自分の子どもの頃とはいろいろな意味で違うということを前提にして。)

例えば「待ちわびた末、欲しいものを手にする喜び」を奪ってはいないか。「物を安易に与える」ということはひるがえって考えれば「罪深い」ことなのではないかと冷や汗が出た。今まで「子どものため」と思ってしてきた数々の意味を再考する必要があると思った。

また「青春放浪」には、「文学放浪」といったものが記されている。中学時代沼津で育ったこと。浪人生活を1年して金沢の高等学校へ入ったこと。その後九州大学へ2年在籍し、東京へ移ったこと。それから京大哲学科に転ずる。その間の文学との出会いからかかわり合いが描かれていて興味深い。

最後に「自己形成史」という作品が収められている。こちらも自己を深く見つめ分析している。その厳しい眼は父・母へも向けられたようである。以下の表現が心に残った。

<へんな言い方であるが、私が父親から貰った一番の大きいものは、父親の持っているものを受け継いだことではなく、父親に反撥することによって、自分を父親とは少し違ったものに造りあげようとして来たその過程にあるといっていい。>

<父の死後、八ヶ月を経て、父の死を悲しむ心を私が持ったということは、私が批判すべき相手を失ってしまったことを、自分ではっきり認識したことを意味する。私は最早この世において、自分と同じような考えをする人間も、同じような感じ方をする人間も持っていないのである。そしてそうしたことから初めて、私はときどき激しい孤独を感じるのである。なにかにつけて、もし父親が生きていたら、父親だけは自分の気持ちがわかってくれたであろうと思うのである。一生反撥してきた父親が、こんどは自分のこの地球上におけるただ一人の理解者であったということに気付き始めるのである。>

父と息子との関係については、私には想像するしかないが複雑なものがあることが感じられた。ここまで明確ではないが、私自身の母親に対する思いにも多少通じるところがあると感じた(ちなみに父母はいまだ健在であるが)。

 


意味のある偶然

2005-12-22 | 日々のあれこれ
朝何気なく自分のブログを開いてみて驚いた。12月21日の閲覧数が3桁になっていたのだ。9月からスタートして、3桁というのは初めてのことだ。

私には、読者は見えない。でも、ここに来てくださった全ての人に、お礼を述べたい。少しでも自分の書いた記事に興味を抱いて、貴重な時間を割いて読んでくださったことに対して。

もしかしたら、そんな大げさなことではないのかもしれない。ただ単にネットサーフィンしてたどりついたとか、1回ちらっと読んだだけとか。どんな理由であれ”出合い”というのは確かにあったのだ。その出合いを大切にしたい。

もしひとりの人が、ある一つの記事から遡って過去の記事を読んでくださったのであれば、なお嬉しい。コメントという形でその方の足跡が見えると、もっともっと嬉しい。

でも人に要求する前に、私は書いていかなければいけない。
「何を?」実はそれが自分でも分かっていないのだ。(すみません 冷や汗)
「どのように?」実はその技術もまだまだ拙いのだ。(またまた 冷や汗)

ただ思いつくまま、気の向くまま。本当は、本の感想から自分の考えを言いたいのかもしれないし、人(特に女性)の生き方について言いたいのかもしれないし、単に日々の足跡を残しておきたいのかもしれない。とどのつまり書くことによって考えたいのかもしれない。

テーマなんてない。その都度思ったことを書く。それだけだ。もしかしたら、続けていくことによって何か一貫したテーマが見えてくるかもしれない。わからないから続ける。今は、そんなスタンスだ。

そんなちっぽけな人の心の中を知るというのは、面白いこと?

いや、これが意外に面白いのだ。漠然と自分が感じていたことや考えていたことを、”他の人も同じように思っているんだ”と思える体験。日常では絶対に人に話さないような、心の内面の表出がブログにはある。それを知る。すごく貴重な体験だ。

生の人が垣間見られてスリルもあるし、想像もかきたてられる。その人を知っていくという楽しみもある。もちろん自分の「妄想」も十分含まれての。

気まぐれなクリックによって、知り合える人や世界がある。それは<偶然>のようでいて案外<意味>があるのかもしれない。だって、そのブログにひきつけられるということ自体、自分の心の表れであると思うから。

ちなみに<意味のある偶然>というのは、河合隼雄氏(臨床心理学者)の言葉であるらしい(柳田邦男氏の著作による)。河合氏は、はっとする言葉をいつも投げかけてくれるが、これもすばらしい言葉だと思った。


本の値段覚え書き

2005-12-21 | こんな本読みました
こちらでは、とにかく本を入手するのが困難だ。今現在の私の本の入手方法を記してみる。

1.書店で買う。(手にとって見られるものは限定されているので、注文することもしばしば)
2.友だちから借りる。(一時帰国した際に、スーツケースに本を何十冊も持ち帰ったという友人、本好きの友人さまさまである)
3.私設日本語図書館で借りる。(ただし開館は週一回、4時間のみ。本は全て寄付によるものなので最新の話題本はほとんど無い)
4.自分が一時帰国した際に、仕入れてくる。(過去に3回だけ)
5.日本にいる親に頼む。(過去に2回だけ)
7.こちらに遊びに来る親、友人にリクエストする(過去に数回だけ)

たいてい2,3の方法で入手するのだが、どうしても読みたい本がある場合は1の方法を採ることになる。そこで覚え書きとして、今年私が購入した本の中から一部値段を記してみる。

「週刊文春」 302円→$6.00(どちらも税抜き価格)
「言葉の力、生きる力」柳田邦男著(文庫本) 438円→$6.05(同)
「華麗なる一族」山崎豊子著(文庫本) 819円→$11.35(同)
「記憶のつくり方」長田 弘著(単行本) 1800円→$25.20(同)

以前は、週刊文春は7ドル強だった(これが週刊誌の値段か!?)。しかも日本の発売日より1週間以上遅れたものである。また、長田氏の本の値段にはびっくりした。しかもこれは「注文」したものなので、手元に届くまで内容・装丁ともにわからない。いくら人が「良い」と言っても自分が気に入るとは限らない。私にとって「本の注文」は一種の賭けである。(最近は、ネットで調べるようにしてはいるが)

また、「バンクーバーに、ブック○フ」が出来たとの情報を得たので、ついでの時に寄ってみた。日本のように文庫本が105円という世界とは程遠い。文庫本の場合いくら古い本でも$2(カナダドル)はする。それに14%の税金がかかるのだ。

一番驚いたのは、日本円で676円(税抜き)の本が$8(カナダドル)で売っていたことだ(中古の本だよ!いくら見かけはきれいだといっても)。裏を見たら、比較的最近の本だったが最新刊のものではない。まあ、これを新品で買うことを思えば安いに違いないのだが、釈然としない。(違う棚をみていたら、同じ本が$2であった!ラッキー!!)

そこでは、1年前の女性雑誌もきれいにビニールに入れて売られてる。こういう有様なので、日本であれば「古雑誌として処分される」ような雑誌の類も、皆ありがたがって読んでいる。1ヶ月前、いや1年前の週刊誌だろうが、月刊誌だろうがお構いなしである。

だから、「本を買って読んでみたらはずれだった」と言う場合、泣くに泣けない。口が裂けても「つまらなかった」とは言えないのである。なぜなら悔しすぎるから。買った本に関して言えば、どんな本でもどこかしら「良い点」を探し出し自分を納得させている今日この頃である。

ボーリング場でバースデーパーティー

2005-12-20 | 子育て
この頃バースデーパーティーづいている。といっても全て子どもの友だち関係だが。で、今回は近くのボーリング場に行って来た。

まず会場に入る。とても近くにあるのだが入ったのは初めてだ。30ちかくレーンがある。そのうちの3つをパーティーで使うという。最初に靴を借りた。それを持ってレーンへ。5歳の娘は初めての経験なので、おどおどしている。ドロップオフして(おいて)帰ろうと算段していたが、どうも無理のようだ。

子ども用の軽いボールが用意された。モニターが設置されておりスコアーも全部機械がやってくれる。

ガーターのないレーンなので、どんなにボールが曲がろうがとりあえずピンにはたどり着くようになっている。力のない子どもがボールを下に落としただけでも、ゆっくりゆっくりボールは進む。そしてピンはたおされるのである。

はじめは緊張していたノイジー(妹)も、だんだん笑顔になってきた。最後には「またやりたい」とのことだった。

ゲーム終了後、フードコーナーに行きみんなでピザやケーキをいただく。貸切状態だ。若いお兄さんが仕切ってくれた。こちらのパーティーは至れり尽くせりなので、主催者側も少し気が楽だ。

翌日、「腕が痛い」と一丁前に(?)筋肉痛をおこしたノイジーであった。

球場でバースデーパーティー

2005-12-18 | 子育て

こちら地元の球場「○イフィコフィールド」で、子どもがバースデーパーティーに招かれ行って来た。その内容を紹介したい。

球場の2階にある「スイートルーム」に集合。この部屋には背の高い丸テーブルと3客の椅子が1組となっており、それが8組ほど置かれている(いろいろな形体の部屋がある)。窓辺にも椅子が並んでいる。そこから試合が観戦できる。ドアを開ければ外に出られ、グリーンのシートが設置してある。外の空気に当たって観戦もできる。その部屋に約20数名の子どもと親が次々とやって来た。

時間になった。球団のマスコット「ムース」が来てくれるというので、2階の入り口で待つ。親たちはビデオ、カメラを片手にスタンバイ。ムースが入ってくるなり、パーンパーンとクラッカーの音。とても愛想のいいムース。子どもを抱き上げたり、握手したりサービス満点だ。フラッシュが次々とたかれる。ムースのポスター(こんなのあるのね!)にサインをしてくれる。ひとり1枚もらい、満面の笑みの子どもたち。入り口の外に出てムースを囲んでみんなで記念写真。

次に、球場ツアーだ。まず、1階室内にあるピッチングコーナーへ。子ども用にしつらえたものだ。一人2回ずつ的に向かってボールを投げる。的は白い布に穴が開いている。正面にキャッチャー、その横にバッターの絵が描かれていた。

その次は、大きなラウンジルームへ。ベーブルースや有名な選手の写真が壁に飾られテーブル、ソファがたくさんあった。その部屋に隣接して「記者会見室」がある。選手のインタビューの際によくTVで映される部屋だ。前にあるテーブル席にすわって、しばしスター選手の気持ちを味わってみる。

廊下からジムルームをのぞいたり、審判の部屋の前を通りながら選手の使うロッカールームへ。壁の周りに個人のロッカーと折りたたみの椅子。その上には「アメリカンリーグ」という文字と絵がかいてある。奥にはシャワールーム、洗面所、トイレ、自動販売機などがあった。部屋の真ん中には黒い大きなソファが置いてあった。

次に、マウンドに出る。電光掲示板には「○○○○(←子どもの名前) Happy Birthday」の文字。芝生に足を踏み入ぬよう注意があった。こちらは天然の芝だ。寒さで土や芝生が凍っていた。ベンチへと向かう。スタッフによりI選手がいつもすわるという場所を教わる。「へ~ここが彼のお気に入りの場所なのね」などと思いながらそこで記念写真。ベンチシートからマウンドを臨む。上の応援席からみるよりはるかに大きく感じられた。

次に、室内に戻りバッティングルームへ。この部屋は、実際に選手が使っているもので本物のバッティングマシーンがあった。子どもがそこでバッティングすることを許可するという用紙に親がサインをする(これには驚いた。さすがアメリカだわ!)。きちんとヘルメットを着用し、バットを持ってベースの横に立つ。マシーンが怖い子はお兄さんが手でボールを投げてくれた。うちのノイジーたちはバットというものを初めて握ったので、フラフラしていて情けなかった。

さてツアーはこれで終わり。2階のスイートルームに戻り、ピザやホットドッグ、ポテト、飲み物等をいただく。大きいアイスケーキの上に色とりどりの飾りつけ。こっちのケーキはとても派手!。そのケーキをいただく。甘すぎて全部食べられず(ごめんなさい)。夕方になり外も夕闇につつまれてきた。S市のシンボルタワーの天辺もライトアップされて美しい。

2時間あまりのバースデーパーティー。お土産に球団の帽子(しっかりスポンサーの名前入り)と野球カード。主催者側からも頂いた。こちらでは子どもだけを会場に残して、親はパーティーの終了時刻に合わせて迎えに来るというパターンが多いのだが、さすがに今回の球場パーティーでは帰る親は誰もいなかった。親子共々楽しい時が過ごせた。

ちなみに、通常行っている「球場ツアー」では、もっと詳しい説明や他の場所を案内してもらえます。(バッティング、ピッチングはありません) 

 


姫野カオルコ著 「喪失記」 角川文庫

2005-12-16 | こんな本読みました

主人公、理津子。「律子」と言う名の方がふさわしいくらいに「自分を律して」生きている。周りからのイメージは<絵を描いている独身の恋愛にたけた33歳の女性>。その実、彼女は内面にある欠落感・劣等感を抱えている。そんな彼女の内面を「大西」という男性を聞き役として登場させ、丁寧に描き出していく。

はじめ私は、理津子像がどうしてもイメージできなかった。CMや雑誌のインタビューを受けるくらいのビジンな女性が、どうしてこんなさえない男性と食事をするのか。しかし読みすすめるうちに次第にわかってくる。理津子の外見と内面のギャップが手に取るように。

自分の素直な感情にふたをして、人の期待に応えようとして行動する。早食い競争のTV番組を見て罪悪感を覚える。男性に甘えるとか媚びるとかわがままをいうという行為を激しく憎悪し蔑む。自分の「女性性」をも否定するくらいに。

それらは「よその家(カトリック神父)に小さい頃預けられ」「戒律を守るよう育てられ」「ほとんど話をせず寝る部屋も食事も別々という」「遠慮のある家族関係」から生じたもの。つまり子ども時代の環境や生育歴が今の彼女をかたちづくっている大きな要因だ。

ある日幼馴染の小夜子と再会し、自分の今までの生き方にゆさぶりをかけられる。小夜子というのは<生活力のまるでない男>の間に子どもをつくり別れ、その子を連れて幼馴染と結婚したという。
小夜子と再会した時の理津子の内面を引用する。

<子供を育てられる状態でもないのになぜ避妊もせずにセックスに応じたのですか。なぜ自分を律しないのですか。
このような問いかけにだれがなにを答えてくれるだろう。
ふしだらなことはいたしません。
自らを罰し、自らを律しても、私ではなく小夜子が選ばれる。小夜子のみならず彼女が出した小型の人間もともに掬いとって男は庇護する。
結局、女として優れているのだ。
私よりもはるかに、はるかに、はるかに、彼女は女として優れている。律する精神など、異性には何の輝きも放ちはしないのだ。私は選ばれはしない。>

<男女間に友情などないと思える神経は、同性間に恋愛、あるいは恋愛に近い感情が生じることもまた発想できないのだと思う。それほど小夜子は女なのだ。>
理津子が”女としての小夜子”をうらやましく思っていることが痛いほど伝わってくる。

また大西とのやりとりによって、理津子は自分の真実の心に気づき、自分の心から欲しているものを直視するようになる。

<あいつ、繊細でもないくせに繊細な役をやりたがってるんだぜ。あいつ、鈍重なくせに鋭敏な役をやりたがってるんだぜ。ひそひそ声で世界が私をあざ笑うのではないかと恐れたのだ。>こんな<劣等感の裏返しに傲慢な願望>があることにも気づく。

<私は、多くの男が魅力を感じえない肉体に、繊細ではない、傷つきやすそうではない肉体に、ささやいてほしかったのだ。
そんなことないよ。
そのひとことを、言ってもらいたかった。傲慢にも私は願ったのだ。うそでもいいからきれいだとささやかれたいと。映画の主演女優しか、小夜子のような女にしか願ってはいけない大それた願いを、私は持っていたのだ。>

すると、大西がこんな言葉を投げつける。
<「持ってりゃいいじゃないか。」><「持たなきゃ、わからないぜ、相手には。示せないからつめたいんだよ」>

<砂人間。鉄人間。大西は私を呼んだ。>

「なぜ私は女としての自信を喪失してしまったのだろう」「自分はこれからどう生きたらいいのか」などという問いに誰も答えてはくれない。その答えは自分で探さなければならない。しかし、私は思うのである。理津子ははじめの一歩を踏み出したと。自分の「歪み」を直視し、弱さを認め、何を欲しているのかを口に出して言えるようになった。「大西」という男性の出現によって。あとは、勇気をだして行動するだけだ。

またこの本を読んで、「人は人によって傷つきもするし、救われもする」と思った。長い間ひとりでいたために「歪め」られてしまった考え。「性」に関することだと余計に他人に言いづらいのだろう。でもひとりで抱えこまないで、本当に何かを求めたいと心から願うのなら、”傷つくことを恐れずに行動する”しかない。自分は高みにおいておいて、何かを得ようとするのは虫のいいことだと思うのだ。(・・・なんて言うは易し行うは難しですね。)

ラスト近くの大西と理津子のこんなやりとりが心に残った。

<「探せばどっかにはいるんじゃないか。欲しいものは自分で探せ」
「同じことが聖書にも書いてあったわ」
「そうか。じゃ、いい本なんだな」>
私は、この会話に作者の独特なユーモラスを感じた。

<「鉄人でも男でもなく女であることは神様だって変えられない、それを認めないから鉄人になって男になるんだよ」
「・・・・」
「噛まずに鵜呑みにしろ」
「・・・うん」>
まるごと自分を受け入れろというメッセージを大西はおくっている。それをうまく表現していると思った。

最後に「大西」という人物について。私にはある意味「カウンセラー」に思えてきてならない。本当はとんでもない人なのだが・・・。

 


チェックの改ざん

2005-12-15 | 日々のあれこれ
これは、先日知人から聞いた話である。

その前に、少し米国の郵便事情を書いておこう。
米国ではあまり現金を持ち歩かない。支払は、カード(クレジットorデビット)かチェック(小切手)である。公共料金、新聞料金の類は、「請求書が送られてきて、チェックで支払う」。これをどちらも郵送で行うのである。

日本では郵送する場合、町の角に立っている「ポスト」に投函しなければならないだろう。こちらでも「ポスト」に投函することも出来る。ふたつきの青い四角いポストだ。
しかし、ポストに投函せずとも「家のメールボックス(郵便受け)」に入れておけば郵便配達の人が持って行ってくれるシステムがある。ただし、ある目印がいる。それは、メールボックスの横に赤い棒(旗の形態をしているのもある)を立てておくのだ。またそのメールボックスも家のすぐ横には無く、たいてい近隣の10件分くらいが1箇所にかためられている。郵便配達の人が車から入れやすいようにであろう(いちいち外に降りない)。

さて、そのようにして「請求額を記入したチェック」を家のメールボックスに入れておいた。目印を立てて。しかし、その封筒が何者かによってポストから取り出され、挙句の果てに、そのチェックの金額を改ざんされて、引き落とされた被害にあったと言うのである。

気がついたのが早かったので手の打ちようもあったが、気がつくのが遅かったら・・・と思うと、ゾッとすると知人は話していた。

たしかに、「家のメールボックス」には、鍵がついていない(ついているところもあるが)。開けようと思えば簡単に開けられる。おまけにご丁寧に「目印」まであるのだ。しかし、それは法に違反する行為である。

師走などの忙しい時期にこのような事件が起こりやすいと警察の人に言われたとか。「自己防衛」できるところはしていかなければと思った出来事だった。

勝手に予測!そのうち日本で流行るもの

2005-12-14 | 日々のあれこれ

商品名 : 「Polly Pocket」(ポーリーポケット)
対象年齢: 5歳ぐらい~
形体  : プラスティック製の小さな(6cmぐらい)の人形。
付属品 : 洋服、靴、サングラス、バッグ、その他多数。
遊び方 : 着せ替え人形のプラスティック製版。付属品(磁石付)をとっかえひっかえ人形につける。バスブティックなどいろんなバージョンがある。
サンプル数:たくさん。
対象年齢の女児を持つ家には、必ずあると言っても過言ではない。

その他:アメリカは大きな玩具が多いのだが、これは小さくて持ち運びしやすい。日本の住宅事情、子どもの手先を使う点からしても良い玩具である。子どもも大好きで集中力を養うのにも良い。ただし、付属品が数ミリ、数センチ単位と小さいので、乳幼児のいる家庭では十分な注意が必要。(口に入れないよう)

以上私の勝手な予測ですので、今商品化の動きがあるとか、日本でも出回っているとかそういうことは一切関知いたしませんので、ご了承ください。

 


宇野千代著 「幸福を知る才能」 海竜社

2005-12-13 | こんな本読みました

巻頭に宇野千代氏の写真が何枚か掲載されている。その美しさ、艶やかさについ惹き込まれる。宇野氏の姿は高齢でしかも「和服姿に黒ぶちめがね」しか拝見したことがなかったので、とりわけ40代の「洋服姿でめがねなし」がとても新鮮だ。

宇野氏の名前はあまりにも有名。だが恥ずかしながら著作に触れたことがなかった。先日『生きていく私』を読み、彼女の生き方に好感をもった。それで、今回は2作目。
32編のエッセイ集だ。目次を紹介する。

 幸福を知る才能
 愉しく老いる
 私のお化粧人生史
 結婚の風景
 女のこころ模様

昭和57年に第一刷発行とあるが、内容がとても新鮮だ。しかも宇野氏はなんと明治30年生まれ!(もうすでに他界されているが。享年100歳近かった)。『生きていく私』でも感じたのだが、自分の生き方をストレートに書き表し、「わからない」ことは「わからない」と言い切ってしまう。自分のしたことであるのに「~かもしれない」という表現もある。自分を美化したり、よく見せようという「せこさ」がないのがいい。(多少はあるか?作家だからね)

以下、好きな部分、心にとまった部分を引用する。

<健康法と言うのは、体操をするとか、歩くとか、あれを食べるとか、これを食べないとか言うことではない。いつでも、何かを追いかけていく目的があって、張り切っている状態でいることだと、この頃、そう思うのである。>

偶然今読んでいる本にこんなフレーズがあった。
<やせると知的になるのではない。知的になるから、やせるのだ>(中谷彰宏著『知的な女性はスタイルがいい』)

つまり、”知的好奇心”をもっていることが、心身の健康に大事なのではないか。非常に当たり前のことだが。ダイエットを目的にするのではなく、まず自分の「生き方」を見つめなければいけないと思った。(別に自分がダイエットをしているわけではないが)

<へんてこな基準ですけれど、私はこの、「生きが悪かったか」「生きが好かったか」の二つに分けて、若い人たちの生活を考えるのが好きです。>

<誰の目にも、自然な、生きの好い行動は美しく映ります。たとえそれが禁じられている事柄でも、「生きが好い」の基準で、私なら、許せると思うのです。>

<いまになって考えますと、自分の過去で、「生きていた」と思うことは、そういう種類の事柄ばかりです。おかしな言い方ですけれど、あのときは思わずそうした、考える隙間がなかった、と思うほど速い、速力のある行動ほど、「生きていた」という感覚が強いのです。>

<私が六十になったのを自慢するのは、この標準がはっきりと分かったからなのです。そして皮肉なことに、標準が分かった頃には、自分には「行動すべき対象がない」みたいな現象なのです。>

宇野氏の半ば「奔放」ともとれる男性遍歴や行動を、自分自身で懐かしんでいるように思えた。そして、それを悔いていないようにも。そうだ、私も「○年先にも使える物を手に入れる」いう発想はやめて「今欲しいもの」「今したいこと」「今読みたいもの」「今書きたいこと」を大切にしたいと思った。「10年後にこうありたい」という姿をイメージしつつ。

<よく嘘をつく人に、「あなたは嘘つきねえ」とは、決して言わないようにしよう。反対に、「あなたは嘘をつかないから、好きよ」と言ってみるが好い。おや、何だって。私のことを、嘘をつかないから、好きだって。フフフフフ、この人には、私が嘘つきではないように見えるのか知ら、と思ったとしても、そう言った人に対しては、多少とも、嘘をつく回数が少なくなること請け合いである。>

<それが、言葉の魔術か、などと思ってはならない。人が人に対したとき、多少とも、その相手に対して抱く願望の通りに、まず、先立って、言葉で表現するだけのことである。恋人には情けをかけて優しくしてもらいたい。子供にはよく勉強してもらいたい。その願望する通りのことを、心をこめて表現するだけのことである。人はこの魔術によって、やや誇張して言うと、人の心を自分の思った通りに変えることも出来るのではないかと、私はこの頃、そんなことを考えている。>

「言葉の魔術」は、子どもには効果てき面である。しかし、「褒められる」場面の少ない大人にとっても効き目があるのでは。「願望を先立って口に出す」と思えば、恥ずかしがらずに言えることもあるかもしれない。トライしてみよう。

<人には不思議に思われるかもしれませんが、私はいまでも、自分の一生の間で、いまの自分が一番好きだと思っています。ですから私は、いまでも自分がその境遇におかれたら、何の躊躇もなく、またもう一度、新しく結婚する積もりでいるのです。まだ八十には大分間がありますが、決して若いとは言えないこの齢になって、私はいまでも、私にとってはこのいまが、自分にとってやはり「結婚適齢期」であると思っているのです。>

<彼女たちは貰い手がないのではなく、自分で、自分の眼で、結婚したいと思う相手を発見するまでは結婚したがらない、-つまり、自分の意志で自分の結婚を決める気でいるからです。>
ガーベラによる注:”彼女たち”というのは、宇野氏の言うところの<お母さんの娘のときの結婚年齢を、ずっとずっと通り過ぎて了ったお嬢さん>のこと

 

<新時代の女性は、その全生涯が凡て「結婚適齢期」であると言うのが私の持論です。> 

 この発言を「約20数年前に、齢60を超えた女性」がしていると思うと、ものすごく驚く。いつまでも「女現役」でい続ける。その気概をもつ。あっぱれ!お見事!と言うしかない。

他にも、「私の”離婚十戒”(この題は、ひょっとしたら、結婚生活十戒と言った方が好いのかも知れません。)」というエッセイがあり面白かった。ちなみに禁制だけ書き出してみますね。

禁制第一条 妻はその新婚生活の始めから、ただの一刻も良人の傍を離れること勿れ。

禁制第二条 妻はその良人の最初の浮気のとき、徹底的に、めちゃくちゃにヤキモチを焼くこと。夢にも、「あたし、あなたを許すわ」などということ勿れ。

禁制第三条 家庭の中を警察署にすること勿れ。

禁制第四条 ケンカしてむしゃくしゃしたときに、すぐに表へ飛び出すこと勿れ。

禁制第五条 「あなたと違って、あたしだけはいつも正しい人間よ」と言う風をすること勿れ。反対に、妻はいつでも、良人の悪いことの共犯者になることです。

禁制第六条 良人の描く夢を、片っ端から叩きつぶすこと勿れ。

禁制第七条 良人の欠点を夢にも言葉に出す勿れ。また心の中ででも、繰り返して考えること勿れ。良人に関してはオノロケ以外は口に出すこと勿れ。

禁制第八条 絶えずブツブツこぼしていること勿れ。

禁制第九条 いつもどこか体の調子が悪い、と言って訴えること勿れ。

禁制第十条 何事にも、陰気で深刻な表現をすること勿れ。

ガーベラによる注:内容に「?」と疑問を抱かれた方、当方にご質問ください。たしかにこの条文だけだと誤解される点があるかもしれません。(ごめんなさい、長々と引用して疲れてしまいました。あしからず)