私が本を読む理由はいくつかある。
現実をしばし忘れ、空想の世界を楽しむ。何かしらの知識を得る。自分が何者かを知るため。自分の生き方を模索する。心に残る「言葉をさがす」・・・などなど。
今回読んだ井上氏の著作は「心に残る言葉」もさがせたし、自分の「子どもの頃の記憶」をよみがえらせ掘りおこしてもくれた。そんな貴重な一冊である。
中学時代に国語の教科書に載っていたある文章が、突然頭の中にひらめきその作品が読みたくなった。知人のアドバイスを得てその作品を探すことが出来た。それが「幼き日のこと」である。それまで氏の作品を実は読んだことがなかった。「しろばんば」「あすなろ物語」「天平の甍」などなど有名な著作が数多くあるのだが、どこか「避けて」いた。氏の作品が「地味」な気がして、若い頃は全く興味がわかなかったのだ。(そういえば「額田女王」だけ読んだことがありました)
しかし、時を経て「ある文章」がよみがえってくるということ自体、氏の持つ文章の力がすばらしいことの証明なのだろう。この本を読んでみて実感した。
「幼き日のこと」には、氏の生い立ちから子ども時代のことが、実に詳細に書かれている。まるで、その文章から「映像」いや「一枚の絵」が浮かんでくるようだ。さすが新聞記者を経て作家になった人だ。この作品自体も、昭和47年から48年にかけて「毎日新聞」の夕刊に連載されたものである。それらの描写は時代も場所も全く違うのだが、なぜか私自身の「子ども時代」の「初めての体験や身体で感じとっていたなにものか」をじわじわと思い出させてくれるものであった。
氏は物心つくと同時に両親の許から離れて、郷里の伊豆の土蔵の中で祖母と一緒に暮らした。祖母といっても、曽祖父の妾である。この「おかの婆さん」とよばれる人との親密なやりとりが特に興味深い。
<私は今でも、おかのお婆さんの墓石の前に立つと、祖母の墓に詣でている気持ちではなく、遠い昔の愛人の墓の前に立っている気持ちである。ずいぶん愛されたが、幾らかはこちらも苦労した、そんな感慨である>
と綴っている。戸籍の上では祖母であるが、血縁関係のない人と暮らしたという時間を大切に、愛情をもって振り返っていることが感じられた。
かように氏は、非常に特殊な幼年時代を送っている。この体験を外しては「井上靖」を語れないと思われるくらい、非常に氏の人格形成に影響を及ぼしていると思った。こころに残った部分を引用する。
<私は暁闇の立ち籠めている未明の一時刻が好きだ。人間が何ものかに立ち向かっているからである。暁闇を衝いてという言葉があるが、人間の精神は確かに未明の闇に立ち向かっており、闇を衝いて何事かを行おうとしているのである。>
その暁闇との最初の<付き合い>が、<幼時のあらしの夜の明け方、暁闇の中を人の背にのって旅した>とあり、氏が5,6歳頃に感じた<未知の風景と時間の中の旅をした>ものの最初の記憶だと述べている。
<季節のいかんを問わず、田圃の拡がりに薄暮が垂れこめて来る頃は、幼い者は幼いなりに、やはり淋しく感じたのではないかと思う。本家の方で遊びに夢中になっていても、夕方になったことに気付くと、大急ぎで土蔵へ駈けて戻ったものである。一刻を争うような、そんなひたむきな駈け方であったに違いない。
小学校に上がるようになると、夕暮れというものは、淋しさと怖ろしさの入り混じったものとして感じられて来る。村の辻々で遊んでいた子供たちも、ふいに夕暮れが来ていることに気付くと、家に向かって駆け出して行く。一人が駆け出すと、他の子供たちも次々に駆け出していく。駆け出すと同時に、夕暮れの淋しさと怖ろしさが四辺から押し寄せてくる。
ぴょんぴょんと、馬にでも乗っているように反動をつけて駈けて行く子供もあれば、ただもう無我夢中で駈けて行く子供もある。どのような駈け方をしようと、それぞれの駈け方で、夕暮れの淋しさと怖ろしさの中から脱け出そうとしているのである。
小学校に通うようになってからのことであるが、私は小学校の校庭とか、田圃とか、そうした広い場所で遊んでいる時、夕方になったことに気付くと、いつも刻一刻濃くなろうとしている薄暮に淋しさを感じた。さして怖さは感じなかった。そうした時、土蔵へ向けてひたむきに駈けて行く気持ちは、いま思うと、淋しさの海をクロールで泳ぎ渡って行くようなものである。こうしたことは夏の夕暮れに多かったように思う。>
<淋しさの海をクロールで泳ぎ渡っていく>という表現にかなりぐっときてしまった。また、子供たちの様子が手に取るように分かる。
また、「おまち叔母さん」という24歳という若さで夭折してしまった女性への思慕を描いている部分がある。(彼女は小学校の教師をしており愛人との間に子どもを作る。そのあとめでたくゴールインしたが)。氏は、彼女が本家の裏庭の縁台に腰掛けて、編み物をし、その傍で遊んでいた記憶を持っている。それについて、後年振り返っている。
<彼女の心に去来していたものが何があったか知るべくもないが、その時、幼い私は、彼女がその思いにはいっているのを邪(さまた)げないでおこうといったエチケットを持っていたのである。私が若い叔母を遠巻きにして守ってやろうと思っていたものが、彼女の悦びであったか、彼女の悲しみであったか判らないが、しかし、いずれにしてもその時、若い叔母は、一つの彼女にとっては大切な想念の中にすっぽりとはいり込んで、心の灯火を点じたり、消したりしながら、機械的に編み棒を動かしていたに違いないのである。>
子どものころの一つの場面の記憶から、自分の内面を探り、そのときの自分や相手の気持ちを推察している。他にもこんな文章がある。
<本当の怖さというものは、お化けなどではなくて、滝とか、淵とか、そういった場所に一人で行った時感ずる、自分の他には誰も居ないといった思いであったようだ。自分の他には誰も居ないが、と言って、自分一人ではない。眼には見えないが、何か特別のものが、そこには居るのである。滝の精霊であり、淵の精霊である。>
<なぜあのように言い知れぬ恐怖感に襲われたか不思議に思っていたが、もしかしたら、それはいけない時刻に身を置いたことから生起するものではなかったかと思った。幼い者にとっては、淵というものはいけない空間であり、午下がりとか暮色の迫る頃というのはいけない時刻であったかもしれない。そして幼い者だけが持つ原始感覚は、その空間と時刻の組合せが誘発しようとしているものを鋭敏に感じ取っていたのではないか。>
<幼い頃は一人で淵の畔りに立つと怖かったものである。幽霊やお化けの怖さではなく、ふいに魂でも摑まれそうな一種独特の畏怖感だったのである。>
「子どもの頃の体験」が後年どのように影響するのか。そういったことの示唆が含まれている作品だと思った。「自然への畏怖」「人との距離のとり方」そういったものを幼年時代に感じ取っていることがわかる。他にも石鹸を川に流してしまった時の「はじめての喪失感」、凧揚げがうまくいかなかった時の「はじめての絶望感」。
それらは、みな子どもの頃に「体験」したことから得たものである。氏はそれらを言語化して表現してくれるが、私も含めて現在大人である人は、少なからず同じようなことを子供時代に感じ取っていたはずである。
今の時代、子どもたちにとって何かを「体験」することが難しくなっているように思う。自然の中で思い切り遊ぶこと。両親以外の人と交わること。学校帰り道草をすること。ぼおっとすること。身体を思い切り動かすこと。などなど。
大人に管理された”切り取られた時間”ではなく、何もすることのない”茫漠とした時間”が幼年時代には大切なのではないかと感じた。その中からその子なりの創造力とか感受性が培われていくのではないか。親である私にできることは、そうした時間をあえて作り出していく努力をしていくことだと思った。(自分の子どもの頃とはいろいろな意味で違うということを前提にして。)
例えば「待ちわびた末、欲しいものを手にする喜び」を奪ってはいないか。「物を安易に与える」ということはひるがえって考えれば「罪深い」ことなのではないかと冷や汗が出た。今まで「子どものため」と思ってしてきた数々の意味を再考する必要があると思った。
また「青春放浪」には、「文学放浪」といったものが記されている。中学時代沼津で育ったこと。浪人生活を1年して金沢の高等学校へ入ったこと。その後九州大学へ2年在籍し、東京へ移ったこと。それから京大哲学科に転ずる。その間の文学との出会いからかかわり合いが描かれていて興味深い。
最後に「自己形成史」という作品が収められている。こちらも自己を深く見つめ分析している。その厳しい眼は父・母へも向けられたようである。以下の表現が心に残った。
<へんな言い方であるが、私が父親から貰った一番の大きいものは、父親の持っているものを受け継いだことではなく、父親に反撥することによって、自分を父親とは少し違ったものに造りあげようとして来たその過程にあるといっていい。>
<父の死後、八ヶ月を経て、父の死を悲しむ心を私が持ったということは、私が批判すべき相手を失ってしまったことを、自分ではっきり認識したことを意味する。私は最早この世において、自分と同じような考えをする人間も、同じような感じ方をする人間も持っていないのである。そしてそうしたことから初めて、私はときどき激しい孤独を感じるのである。なにかにつけて、もし父親が生きていたら、父親だけは自分の気持ちがわかってくれたであろうと思うのである。一生反撥してきた父親が、こんどは自分のこの地球上におけるただ一人の理解者であったということに気付き始めるのである。>
父と息子との関係については、私には想像するしかないが複雑なものがあることが感じられた。ここまで明確ではないが、私自身の母親に対する思いにも多少通じるところがあると感じた(ちなみに父母はいまだ健在であるが)。