本書は、いわゆるハウツー本ではない。著者の人を見る目が多面的(に思う)なため、○○な人は△△な人とひとくくりにはできかねることがわかるからだ。
ご自身の失敗例などを引きながら、具体的に「人」というものをいろんな側面からとらえられている。「人」の何を見るか。「人」をどう見るか。それはすべて見る人にかかっているともいえる。
とりわけ印象に残ったのは、他の人が気づかない人のよいところを著者が発見し認めているところである。また、歴史上の人物をひきあいに出して述べられている所が興味深かった。
以下が目次
第一章 頼りになる人を見つけるコツ
第二章 こういう人とは付き合い方に注意すればうまくやっていける
第三章 信用してはならない人
第四章 人を見るときの補助線をどう引くか
第五章 頼りになる人との付き合い方
以下、< >部は本書より引用部分です。
<つまり、何をもって「頼りになる」のかが人それぞれに違うし、そのときの立場、状況によっても異なる。会社の中では頼りになる人でも、友人として面白くもなんともない人はいくらでもいる。逆に、友達としては実にいいヤツなのだが、一緒に働くのはご免こうむりたいという場合もある。このように、頼りになる人の条件は、組織のネットワークとプライベートのつながりとでは異なる。>
<何かトラブルが起こったときのちょっとした身じろぎ、たじろぎが信用を失わせる元になる。少なくとも男は立ち向かっていかなければいけない。そこには当然勇気という問題が出てくる。ただし、生理的神経的な意味の勇気が現実にあり得るのかどうかわからないと思う。>
<では、どういう人が好感を持たれるのか。その第一条件は自制心だと思う。好感が持てる人には強い自制心がある。自制心が強いかどうかが、人間評価の最後の最後を決める。>
<何であれ、自分が置かれている立場、本職においてしっかりしていることが、男の信用において絶対に必要な条件である。本職をしっかりやっていないのに、教養だけは抜群という人はいないと思う。>
<本当に大きなことを考えている人間は高慢面をせず、着々と手を打っていく。だから、高慢な人は大したことのない人である。しかし、注意すべき人でもある。絶対にその人の悪口を言ってはならない。自分に対して悪口を言った者をいたぶることで満足しようとするからだ。言わば仮想敵国にされ、しつこく絡まれる。彼らは常に絡む相手を探している。悪口は相手にエサを提供するようなものだ。間違っても自分が矢面に立たないことである。>
<いつ見ても不機嫌そうな顔をしている人がいる。人間、四六時中不機嫌でいることは生理的に不可能だ。これは精神の問題ではなく、どこかに疾患がある。何か気分がうっとうしくおもしろくないのは内臓が悪いからだろう。だから、それは病人だと思えばいい。たとえば、その人と会うときは、心のなかで何々病棟を設け、そこに入院している病人と付き合うつもりで接するのである。>
……ううむ。なかなかいいアイデアかもしれない(笑)世の中、いろんな人がいますからね(苦笑)。
<本がなぜ大事かといったら、実人生と照合することができるからである。言うなれば、実人生は麻雀牌をかき回したような順序不同の状態だ。読書で得た知識で、ばらばらの牌を自分なりに整理していく。そこに読書の意味がある。(中略)また、読書によって「サマセット・モームはこう言っている」と知ることで、「世の中にはこんなことがあるのだろう」という一つの予想が付けられる。その予想に現実がパズルのようにはまってくれることもある。その意味でも、読書と現実を行ったり来たり往復することが大事だと思う。>
<政治家の伝記で日本最高とすべきは『後藤新平伝』である。これは娘婿で屈指の名筆家の鶴見祐輔が書いた。昭和の初年に出て、戦争中に出て、戦後に出て、いま藤原書店から出ているが、三回目か四回目の重版だ。>
……うううむ。読んでみたい(笑)初めて聞く出版社だが(汗)。
<プロセス論は全面的な現状肯定である。したがって、プロセスということを持ち出すと気持ちが楽になる。うまくいかないことが起こったら、「今はまだ完成に向かう途中だ」と思ったらいい。あるいは、人生という探検の旅で、氾濫する川に遭遇したと思えばいい。困難のない真っ直ぐな道を歩くのでは探検にならない。山があり、谷があり、時には川が氾濫していることろを乗り越えていくから探検なのだ。人生もそう考えれば、面白くなるではないか。>
……自分が今、地盤のしっかりしていない沼地を泥をはね上げ、重い足を上げながらどうにかこうにか前に進んでいる絵が浮かんできてしまった……(汗)