本書は、「中・四国 こども文化セミナー」と称するセミナーで講演・討論された話をまとめたものである。
以下が目次
子どもたちにメディア・ワクチンを! 田澤雄作
メディアが生きる力を脅かす 脇 明子
中・四国こども文化セミナーin米子討論会 斎藤惇夫・田澤雄作・脇明子・中村柾子・山田真理子
子どもの遊び、絵本との日々 中村柾子
子どもたちは警鐘を鳴らしている! 山田真理子
小児科医の立場から田澤氏は子どもの「慢性疲労症候群」の実態とその理由について考えを述べられている。慢性疲労が進むと睡眠障害が起こってくる。不登校につながる。また、慢性疲労の身体所見は「笑顔がない」「目の隈」「肩凝り」「肩甲骨のずれ」「背中が丸い」こと。「慢性疲労」とは脳の疲労、前前頭葉の疲労、こころの疲労である。前前頭葉は注意力、集中力、記銘力、判断力の場である。
では慢性疲労の背景にはなにがあるか?
三・四歳の頃からテレビ、ビデオ漬けで、現実と非現実のボーダーラインができていない(このボーダーラインができるのは小学校低学年だとか)。あちらの世界にはまり込み、意識障害を起こすことがある。もう少し大きい子になるとテレビゲームに時間をとられていること。子どもが土・日も走り回り忙しすぎることなどを挙げている。
テレビゲームと脳の活動についての関連性をいろいろなデータをもとに述べている。ノー・ゲーム・ディを設けること。「メディアに接触する総時間数を制限」し、子どもたちの心を育てる「現実体験」を大切にすること。「静かな時間」をつくり、ゆっくり話したり、入浴したり、ぐっすり眠ることなどの提唱が印象深かった。
また本書で一番心に残ったのは、大学で教鞭をとり「岡山子どもの本の会」代表の脇 明子氏の話。氏は『読む力は生きる力』『幻想の論理』『ファンタジーの秘密』や翻訳書など多数あるそうである。
そこから覚書として以下記しておく。< >は本書からの引用です。
<物語を文章から受け取ることと、映像で見ることとのちがいについて、ここではあまりくわしくお話しすることはできませんが、そのちがいは非常に大きいのです。いかに忠実に映像化したつもりでも、それは、人間にとって大切な想像力、言葉から想像するという力をじゃましてしまいます。映像には、出来合いのイメージだけでなく、台詞の調子や声の音色、その場面の気分を誘導するBGMまでがついています。興奮を盛り上げる音楽、センチメンタルな音楽などが、どう感じればいいかということまで、セットしてくれているわけです。それに誘導されて泣いたり笑ったりしたからといって、ものを感じる力が育っていると思ったら大まちがいで、単に刺激に対して反応しているのにすぎません。>
<大人が赤ちゃんの顔を見る、赤ちゃんの声に耳を傾けるというのも、非常に大事なことだと思います。赤ちゃんが泣いたり、指さしたり、喃語を発したりして発信していることを、大人が興味を持ってキャッチするということと、大人がそれに応えて、何かしてあげたり共感を示したりするということ、それがコミュニケーションを育てていくのだと思うのです。その意味で、最近、「言葉かけ」ばかりが強調されがちなことに、私はちょっと疑問を感じています。>
赤ちゃんは、自分の欲求を表現し、それを満たしてもらう。それがコミュニケーションのはじまりだと述べる。逆に考えれば、大人が赤ちゃんが欲求を表現する「前」にそれを満たしてしまったり、それに気づかないで放置しておくことは、コミュニケーション能力を阻害しているともいえると思った。
また「認知的流動性」という概念についてふれている。これはスティーヴン・ミズンの『心の先史時代』という本にもあるそうなのだが、中沢新一氏の本では「流動的知性」にあたるという。これはどういうものかというと、<頭のなかに蓄えられたさまざまな知識を、柔軟に組み合わせて考えるという能力で、脳のなかの前頭葉の部分で働いており、これが現生人類の知性の芯になっているもの>。<私たち現生人類は、異なるカテゴリーに属する知識を、自在に組み合わせることができます。それによって、柔軟な問題解決が可能になります>。
そこから発想して、幼児が発するおもしろい言葉(「足がサイダーになっちゃった」)を例に挙げあげ、<比喩というのは、異なるカテゴリーのものを結びつけることによって生まれる表現>であるとし、幼児の認知的流動性の働きであると考察している。そして、その言葉に喜んで耳を傾けてくれる人がいる、この人に伝えたいという思いがあることによってその表現にいきつき、その経験が認知的流動性の発達にも関係してくるのではないか。その言葉を受け止める大人の存在は、非常に大事だと述べていく。
そして、その比喩は、<動物や植物、海や川や空や風の体験、五感を使った豊かな体験があってこそ、どんどん出てくるものだと思います。家のなかでメディアだけに接していては、こんなふうに伝えたいことは出てきません>という。どんなときに、こどもが独自の発想を編み出すかということがよくわかった。
また、子どもたちが本を読むことが必要な理由は生きる力を身につけるために役立つから。生きる力として、次の四つを挙げている。「柔軟な問題解決能力」「自己コントロール能力」「前向きな人生観、世界観を持ち続けられる力」「空間的にも時間的にも広い視野」。本を読まなくてもこれらが身につけばいいのだが、今の世のなかでは、質のいい本を読むことが、最も効率のいい手段だという。
脇氏が話のなかで紹介されている本にも興味を持った。以下メモとして記しておく。
『心の先史時代』(青土社) スティーヴン・ミズン著 (認知考古学者)
『ネアンデルタール人の正体』(朝日新聞社) 赤澤 威編集
『カイエ・ソバージュ』(講談社) 中沢新一著 (宗教学者)…特に第一巻と第二巻
『コンピューターが子どもの心を変える』(大修館書店) ジェーン・ハーリー著 (アメリカの教育学者)…他にも『滅びゆく思考力』『よみがえれ思考力』もある。
中村氏は保育士だった経験をふまえて、子どもの絵本、反応などについてくわしい考察をされている。山田氏は子どもの変化について「紙おむつ」「ファミコン」「おんぶ」などの育児環境の変化をもちいて考察している。子どもがちいさいころにぎゅっと抱き締める、きちんと目を合わす(心地よい声かけとともに)という経験が子どもの「安心感」を育てるという箇所が心に残った。
今現在、子どもをどんな環境で育て、どう接していくのか。大切なことはなにか。いろいろ考えさせてくれる良本だった。