ガーベラ・ダイアリー

日々の発見&読書記録を気ままにつづっていきます!
本の内容は基本的にネタバレです。気をつけてお読みください。

多湖 輝 著 「しつけの知恵」 海竜社 

2008-03-18 | こんな本読みました

サブタイトルに<手遅れにならないための一〇〇の必須講座>とある。

近頃いろいろな親子(母子)を見てつらつら思うのだが、子どもを叱れない母親が多い気がする。もちろん統計をとったわけではないので、個人的印象なのですが(汗)

とくに、母親がいい人であったりすると余計。。。
頭で理想の育児をイメージし、子どもを一生懸命理解しようとしている。別の言い方をすれば、子どもの人格を大切にしているというのか。。。

……それはとっても大事なことだと思う。

……でも。それだけでいいのだろうか?

人を育てるってもっとドロドロしているものだろうし、理屈じゃどうにもうまくいかないこともあると思う。

わが子を客観的に見るということ自体が非常に難しい。

そこで。。。たまには、理論的に(?)自分の育児を振り返ってみるのもいいかと思います。

そこで多湖 輝氏の著書!

本書は以下のような内容です。

1章  親の言うことを素直に聞かせる10の知恵
2章  我慢することを教える10の知恵
3章  いい生活習慣を身に付けさせる10の知恵
4章  世の中のルールをわきまえさせる10の知恵
5章  依存心・甘えを断ち切る10の知恵
6章  自分の頭で考える習慣をつけさせる10の知恵
7章  子どもに自信をつけさせる10の知恵
8章  子どもの創造性を育てる10の知恵
9章  言われなくても勉強するようになる10の知恵
10章 なまじのことではへこたれない子にする10の知恵

……知恵満載の本です!

かなり古い本で恐縮なのですが、ゴマブックスの『子どもを叱るうまい方法』(ごま書房)もおすすめです!具体的に親が子どもに言ってはいけない言葉などが例示されています。

この記事を書いていたらまた初めから読み直さないといけないかも。。。と思った次第です(汗)。子育ての悩みはつきまじ。。。

そして、自分で「こうしたらいい!」と思った日からスタートすればOKだと思います。

親が本気になれば、子どもも変わる!そう信じてー。

 


秋元 康著 「幸せになるにはルールがある」 講談社+α文庫

2008-03-13 | こんな本読みました

著者は有名な放送作家。なんとなく軽く見えるが(失礼!)、さすが高校時代から放送作家として活躍している方である。本書を読んで、どれも「納得!」ということばかりであった。

以下が目次

第1章 自分にとって楽しいことを見つけよう
第2章 勇気を出し、選択して行動してみよう
第3章 相手に望むより自分が変わればいい
第4章 近道ばかりでなく遠回りする勇気がほしい
第5章 人の目を気にするのはやめよう
第6章 自分だけの自信を持ってほしい

ここからは非常に個人的な話になるのだが、近頃自分の中である変化が生じた。それはプラスのいい変化だった。どうしてそのような変化が生じたのかといえば、ひとつにはブログを「書く」→「読む」→「コミュニケーション」するという一連の行為を通じて「自分」というものを見つめる作業を知らず知らずのうちにしていたこと。これが一番の大きな要素だと感じている。

人との考え方の違いや、似ていると思った人と自分との相違を考えているうちに(といってもかなり無意識)、自分というものがおぼろげに見えてきたのである。そうすることにより、自分の限界や可能性がこれまたおぼろげながら見えてきた。そしてその気づきが自分にとってプラスになったのである。そうして自分なりに出した結論をもってして本書を読んでみると。。。どれも読み解けるのである。

……今頃気がついたのかと思うが事実なのだから仕方がない(汗)。

そして本書の解説が漫画家の一条ゆかり氏。これまた、表現方法はちがうが著者と同じことを言っているということが記されている。

ではいったいその気づきとはなにか?

……ここでそれを書いてもあまり意味がないと思う。

それを探し続けることが大切だと思うから。。。

いや。もしかしたらそれについてなんの疑問ももたない人もいるかもしれないが。

その問いをもち考え続けること。それを自分の力で解くこと。それが大事。

本書を読んでそんなことを思った。

(非常にわかりにくい表現で申し訳ありません。笑)

 


中谷 彰宏著 「子どもを自立させる55の方法」 TBSブリタニカ

2008-03-12 | こんな本読みました

サブタイトルに<親の努力が、子供の才能になる>とある。そして、巻頭ページに<自分の才能は親の努力のおかげ>ということば。筆で書かれており落款がおされている。

のっけからこんなことを言ってはなんなのですが。。。

とってもよかった!!すごくよかった!!
親必見の書!(言い過ぎか。笑)
子どもを育てることに関わるすべての人に読んでもらいたい♪

……という個人的感想はさておいて、とりあえず中身のほうはというと。。。

4つの章に分かれており、そのなかに55の方法が書かれている。
そのなかから、心に残ったところを< >で引用してみる。

<子供をかまっていられる時間が短くなったほうが、教育はうまくいくのです。>

<体験と、それに対する教育、指導がセットになっていなければいけないのです。>

<自立というのは、自分がやったことが正しかったか間違っていたかを常に考えて、自分なりの軌道修正をやっていける力をつけることです。>

<親は、「後で大変になるからコツコツ毎日計画的にやりなさい」とか、「最初にやっておいたほうが楽だよ」ということを言ってはいけません。まず、大変になる経験をさせることが大事です。子供にとって、夏休みの40日間の宿題を何もやっていないことに2,3日前に気づくことは、大事件です。これを乗り切る力をつけさせないといけないのです。>

<教育が、人間にとって最大の事業なのです。お金儲けや成功ではありません。教育というのは、何代にもわたる長期の事業です。企業を見ればわかります。企業でいちばん大事なことは、サービスや商品ではなく、教育です。社員の教育に成功した企業はつぶれません。>

<情操教育だけではなく、文化を伝えていくにはどうしたらいいかということを、親は考えていくべきです。>

<金銭による絆は希薄です。それより、この人と一緒にいると自分が成長していけると思う関係になった時、その絆は強くなります。(中略)子供と親の関係でも、親が守ってくれるからというよりも、子供が、この親と一緒にいると自分がより成長できると思える関係になった時に、絆が強くなるのです。>

<最高の教師は、みずから成長している人です。学ぶ者は成長している人間に惹かれます。会うたびに新しいことを教えてくれるからです。もうこの人には追いついた、吸い取るものがなくなったと思ったら、そこで二人の関係は切れてしまいます。教育による絆は、教える側が学び続けることによって、より強くなるのです。絆をつくるのは、教育しかありません。教育は、文化のやりとりです。>

<子供は、かまってもらえなかったり、怒ってもらえないと寂しいと感じるものです。子供が時々悪いことをするのは、怒られてもいいから親にかまってほしいという心理からです。>

<結局のところ、学習する子供と学習しない子供がいるのではないのです。学習する家庭と学習しない家庭があるのです。>

<いちばん難しいのは、答えの出ないものに対する教育です。実社会で最も必要なのは、答えのない中でどう生きていくかです。>

<教育ママというのは、子供のための努力をしています。でも、大切なのは、まず自分のための努力をすることです。>

どれもなるほどなあと思わされる。また本書を読んで、男の子と女の子の育て方は多少ちがうこと。これからとくに大切なのは男の子の育て方かもしれないと思った。これがうまくいくと嫁姑問題を回避できそうである。また、人間関係の基本は親子ではなく夫婦であることなどを思った。

 


齋藤 孝著 「読み上手 書き上手」 ちくまプリマー新書

2008-03-11 | こんな本読みました

面白かった。読み応えがあった。氏の著作は何冊か読んでいるが、『読書論』(岩波新書)についで印象深い本だった。しかも非常にわかりやすかった。

「読むこと」と「書くこと」が強く連動しており、その両方をいっぺんに上達させるためのトレーニングを三日間でやるというコンセプトで書き進められている。基礎、応用、実践の三日間だ。

以下< >部、本書より引用。

<アンテナを広くするためには、まずたくさんの種類のものを読むことから始めてください。すると芋づる式に世界が広がっていきます。>

<かつてソクラテスは、答えを見つけるのが重要なのではなくて、問いを作り出すことが重要だと言いました。何かの問いを投げかけることによって、初めて次の何かが生まれてきます。たとえば「なぜ林檎が落ちるのか?」という問いがあれば、それを受けて答えられる人はたくさんいたかもしれませんが、その問いを発すること自体がニュートンの素晴らしい能力だったわけです。
 ですから、普段から自分の周りに、考えを深めてくれる「発問」を出してくれる人を見つけておくか、自分自身がその「発問」を作り出せる人になることが重要です。>

<「弁証法」的な書き方ともいえる「二項対立方式」は、二人で対話しているときのようなダイナミズムがあって、最後に結論に到達したときの爽快感は、ベタな論文の比ではありません。「弁証法」とは、互いに対立しあうものが矛盾を乗り越えて新しい地平を開くという方法論です。文章においてもそれができると、かなりのハイレベルですし、読む側の能力をも要求します。>

<高度に知的なものと、実際の実技的なものを結んでいくところに自分のゆらがない「視座」が確立され、他のものを見る見方が変わってくる、そういう勉強の仕方をしてきたということです。学問とは訓練していない人には身につかない、ある種角度のついたものの見方が身につくことであると考えると、とても意味があることがわかります。>(著者の大学時代にやっていたことだそうである)

また、三日目の実践編では、東大の国語入試問題にチャレンジしたり、上手なエントリーシートの書き方について記されておりなかなか面白かった。

 


佐藤 秀峰 作 「ブラックジャックによろしく」1~5 講談社

2008-03-09 | こんな本読みました

本書は、医療という現場を通して、人間や人間関係を考える漫画である(…とはいっても、第5巻までの自分の印象だが。汗)

主人公は研修医、斉藤英二郎。彼は大学病院等のいろいろな科に配属される。心臓外科、小児科、NICUなどなど。その研修の中でさまざまな疑問をもつ。

医師とは?親子とは?生きるとは?

そしてその疑問について真正面から考えていく。主人公はとても純粋でありまっすぐ。それゆえに人を傷つけ傷つけてしまう。しかしそんな自分を変えることはできない。それが若さの特権でもあるのだろうが。それがなくなったら仕事上ではまだなにもできないのだから、若いという意味が半減するといえばいえなくもない。

本書を読むと、現在医療の現場でかかえている問題が浮き彫りにされてくる。救急医療や研修医のシステム。不妊治療の様子。いわゆる障害児といわれる子や未熟児を受け入れる親とのつきあい。がん治療の告知とその治療法についてなどなど。それが現実と合致するかどうかはわかりかねるが。

主人公は現場で起ったことや教授のやり方について疑問を抱き、それを担当教授になげかける。ストレートにー。

しかし相手は知識も経験も上。立場をかんがみても斉藤が対等に闘える相手ではない。それでも、主人公はあきらめず患者の命を救いたい一心で、担当教授にくらいついていく。

時には教授のこころをも変える。時には自分の根拠のない自信に気づきやる気を失う。時には働き口(バイト)を失う。

しかし決してくじけない。そこから逃げない。そうやって、目の前にあることがらに正対し立ち向かっていく。多くの医者を見、患者と接しながらつねに「医者とはどうあるべきか?」「自分はなぜ医者になったのか?」という疑問をかかえながらー。

「いい医者になろう」と思わずとも、目の前のことを一生懸命にすること。疑問を抱きそれについて考え続けること。答えを出そうともがき続けること。そうやって前に進んでいけば彼は成長する。そしてその結果すばらしい医者となっていくのだと思う。

「すばらしい医者」とは自分自身がそうであると思うものではなくまわり(患者本人)が決めるもの。

初心を忘れずいや忘れたら思い出しながら、くじけずがんばって進んでほしい!(今は足りない経営や組織からの視点を取り入れながら。。。)

……この先、どこまで描かれるのかわからないが(苦笑) 

 


つづき。。。

2008-03-08 | こんな本読みました
現在、3つの異なった漫画をレンタルして読んでいる。しかも同時並行で。

どれも全10巻くらいのもので、「人気シリーズ」というコーナーから借りてきたのが2つ。もうひとつは少女向けの漫画である。

どの漫画も第4~5巻目に突入している。

そこで質問!

あなたは漫画(単行本)を読むとき、一気に同じタイトルのものを読んでしまいますか?

……YES?NO?

まあ、どちらでもいいと思うんですが。。。

なぜこんなことを聞くかというと、自分がNOだからです。

YESのほうが多いのかな?
もう完結している漫画でもあるので。
一気に読んだほうがストーリーがすーっと頭に入るし、その分読後の感動も大きい気がする。

……そう思う。そう思うのに自分はなぜNOなのか?……

んで。今日気づいたわけです。その理由をー。

それは。。。

一気に読むのがもったいないからー!
少しだけ間をあかせることにより、続きがどうなるか想像したいから!

みなさんはどうですかー?

一気派?それとも分断派?(笑)


伊藤 公雄・樹村 みのり・國信 潤子著 「女性学・男性学」 有斐閣アルマ

2008-02-28 | こんな本読みました

本書のサブタイトルに<ジェンダー論入門>とある(笑)。

……先日読んだ本とまるで同じ。「論」があるか否かの違い。だが、その内容は少々異なる。

大きな違いは、本書は<大学のジェンダー論のテキスト>として使ってもらうことを念頭において編集されてあること。なので、著者の論を思考の過程がわかるように書いてあるという色合いは少ない。コンパクトに言葉の説明を行い、漫画を取り入れながらジェンダーについての概略をつかめるようにわかりやすくまとめられている。

また<エクササイズ>という項目をもうけ、参加・発見型の学習ができるように課題がいくつか記されている。実際にグループをつくってやってみると面白そうである。その他には<読書案内>として関連図書の紹介、<コラム>として現代における問題点や課題について言及されている。

以下が目次

第1章 女であることの損・得 男であることの損・得
第2章 作られる<男らしさ><女らしさ>
特講1 女性学って何?
マンガ1 あなたとわたし

第3章 ジェンダー・フリーな教育のために
第4章 恋愛の女性学・男性学
特講2 男性学って何?
第5章 ジェンダーと労働
マンガ2 花子さんの見た未来?

第6章 多様な家族に向かって
第7章 育児はだれのもの
マンガ3 今日の一日の幸

第8章 国際化のなかの女性問題・男性問題
特講3 平和の思想と<男らしさ>

第9章 ジェンダー・フリー社会の見取り図
索引
Colomu一覧

現在の大学でジェンダー論をどのように扱っているのだろうか。必修なのか選択なのか。いずれにしても、自分はこのことについて学んでこなかったということ、日本で様々な取り組みや法の改正などが行われていた頃、日本を離れていたことを考え合わせても、本書を読みながら知らないことが多すぎ反省しきり(汗)であった。

女性の苦労や思いは共感することがしばしばだったが、当てはまらないところも多々あること。逆に男性の苦労について挙げられている点が自分にもあてはまることなどに気づいた。

また、日本にいるとなかなかつかみにくいが各国との比較によって、日本における女性の社会参加が遅れていることがデータをつきつけられることにより実感した。もっと「ポジティブ・アクション(積極的格差是正策)」をとる必要があると感じた。

そのためには、さまざまな社会の仕組みを変えていく必要がある。税制や年金制度の変革、男性の長時間労働の仕組み、労働時間の法的な規制、労働における均等待遇、リカレント型就業形態などなど(言うは易し。行うは難しですね)。

しかし、一番大切なのは。。。

<「男は外で仕事に全力をつくすべきだし、女性は家を一手に守るべきだ」といったジェンダー意識の変更が求められるだろう。そうなると、(学校・社会を貫いた)教育におけるジェンダー平等が不可欠の課題になる。教育におけるジェンダー平等の推進のためには、教育に携わる人々の意識を変えなければならない。>

子育てをしている今。どんなふうに子どもを育てていくのか。
それによって、将来の日本がどのようになるのかが変わってくる。どんな国にしたいのか。ジェンダーの視点をもって子育てをしていかねばならないと痛感した。

それには、「言葉」よりもまず親の行動・生きかたそのものが問われる。
なかなか厳しい課題をつきつけられているなあ(汗)。。。

 


加藤 秀一著 「ジェンダー入門」 朝日新聞社

2008-02-25 | こんな本読みました

本書のタイトルの上に<知らないと恥ずかしい>と書かれてある(苦笑)。

先日、評論家の樋口恵子さんの女性差別と立ち向かうまでの経緯を知った(読売新聞)。それを読み自分は女性差別を知っていたけれども、体験としてわかっていなかったということに気づかされた(汗)。ゆえに知識としてあっても某大臣の女性差別的な発言に憤ったとしても持続性がない。はずかしながらそんなことを痛感した。

……そこで。この本だ。これで学ぼう!。

どうしてこの本か?と問われても書店でたまたま目についたからと答えるしかない。薄くて、読みやすそうだったし「入門」とタイトルにある。

かつて上野千鶴子氏の著作を読んだことがあったので(2006年1月5日ダイアリー)、それ以外の人という思惑もなきにしもあらずなのだが。…とは言っても、本書の帯に上野千鶴子氏の推薦文らしきものが載っているが。

という前置きはさておいて。。。

本書は、「ジェンダーの理論」のエッセンスを語ることが目標とのこと。知識を増やすためのものではなく、「考える」ための問題集であり参考書であるという。ジェンダーという概念そのものの分析であり、それを現実認識のための道具として鍛え上げる特徴をもつ本だと著者は述べる。

また、著者が述べる意見を補完するものとして何冊かの参考文献を挙げられている。そちらも読みあわせるとより納得する形で著者の意見を理解することができると推察する。

さて、その内容とは?以下が目次。

第1章 ジェンダーって何のこと?
    ― おおまかな見取り図を描く
第2章 「ジェンダー」は何を訴えてきたか
    ― 先駆者たちがめざしたもの
第3章 「男」「女」って何だろう?
    ― 性別の起源
第4章 「男とは~」「女とは~」なんて雑すぎる
    ― 性差・ステレオタイプ・差別
第5章 「女なら女らしくしなさい」は論理ではない
    ― 性役割と「らしさ」の罠
第6章 セクシュアリティはジェンダーではない
    ― 「性」に潜む二つの意味
第7章 ジェンダーの平等に対するバックラッシュ
    ― 自由と平等を問い続ける

では、ジェンダーが実際にどういう意味で使われているのか?大きく分けて四通りあると著者はいう。
①性別そのもの
②自分の性別が何かという意識(ジェンダー・アイデンティティ、性自認)
③社会的につくられた男女差(ジェンダー差、性差)
④社会的につくられた男女別の役割(ジェンダー役割、性役割)

どのような使い方をとっても、ジェンダーには<社会的>という含意があるという。それに対して、肉体的な次元の性をセックスと呼ぶという(ジェンダー/セックスという二分法そのものを著者は疑っているらしいが)。

また、本書はフロイトが<性>をかたちづくる生物学的な次元と社会的な次元を明確に区別してきたこと。ボーヴォワールが<女>を「他者」である(人間の「主体」は男であることに対して女は男から見た客体という意味)と位置づけたことなど二十世紀前半の男らしさや女らしさの考え方を紹介し考察している。

これらの後に、アメリカでもっとも注目を集めたジュディス・バトラー(アメリカの哲学者。カリフォルニア大学バークレー校教授)、ジョン・マネー(アメリカの心理学者)、ロバート・ストーラー(アメリカの精神分析学者)のジェンダーについての理論を紹介していく。その後『性の政治学』(ケイト・ミレット著)、『性の弁証法』(シュラミス・ファイアストーン)などが出てきたという。

<「性差とは男女間の記述的差異のことである」><「性役割とは、ある人が、その性別ゆえにとることを社会的に期待される行動パターンのことである」>と著者は定義づける。

「性役割」には「そうあるべきだ、そうでなければただではおかない」という強い意味があり、このような期待を「規範」と呼ぶという。しかし、表面的には「べき」という語句を含まない文が、実は規範的な意味を隠し持っていることがあるという。

この規範の概念についてはドイツの社会学者二クラス・ルーマンという人の、ジェンダーに限定されない理論を挙げながら説明している(認知的予期と規範的予期)。その理論をもちいると、<性役割とは、つまり「ある人に対して、その人が全体としてどういう人物であるかということをありのままに知ろうとしない、すなわち現実を認めずに、その人の属性の一部である性別だけによって、一連の行動パターンを相手に期待する規範である」ということ>だという。

これは規範である以上、それに違背した人は責められる。それを社会学の用語で「負のサンクション」あるいは単に「サンクション」という(らしい)。これは当人の外部からだけでなく、自分自身の内側に染みこんだ規範の観念が、その規範に違背した自分自身を苦しめるということは稀ではないという。

また「性差」といううのは本質的に統計学的な概念だとする。自分の知っている数少ない事例をいきなり一般化することはよくない。ステレオタイプは差別とむすびついていると述べる。

ここで「区別」と「差別」はどう違うのか?ということについては、著者は「差別とは不当な区別」と定義し、「不当な区別」とは、人間を等しく扱うべきところで扱いに差をつけることだという。

また、<差別はステレオタイプを前提としている>ということもできるという。<人間を一人ひとり異なる人格として見るのではなく、その人が持っている特定の属性だけに注目して、他の点は切り捨てる。すなわち、人間というものを、かけがえのない存在として尊重することなく、ある属性を共有する集団の中の一つの「例」としてしか扱わない。>

<差別という以上、そこには集団ごとの序列化があり、差別する側と差別される側がある。そして、ジェンダーに関わる限り、男性が優位で女性が劣位というのが私たちの生きる社会の現実です。>と最低限の基本的な意味をキープしておかなければいけないと述べている。

そして、「性差」と「性役割」は、論理的には無関係であると結論づける。誰々が女である、あるいは男であるという事実から、だから女らしくするべき、男らしくすべきという価値(役割規範)を直接に引き出すことはできないと述べる。

最終章では、現代におけるジェンダー論への攻撃(いわゆるバッシング)とその背景としてのバックラッシュについて述べられている。ちなみに一般的な意味でのバックラッシュとは、政治的・社会的な改革運動に対する反動全般を表す言葉だという。

以上、ざっと自分が印象に残ったところを<>にて引用・抜粋しながら覚書として記してみた。

最後に著者が述べているのだが、ジェンダーの概念をくわしく説明するというテーマに取り組んでいたら、いつのまにか平等とはなにか、自由とは何か、民主主義とは何かという別の問題群が見えてきたという。

自分自身も本書を読んで、もっと知りたいことがみつかったし、はからずも自分自身が「女だから……しなさい(するべき)」と言われたことがないことに気づいた。これも自分の母親(産後も働き続けた)が体験的に差別の痛みを知っていたからだろうか…と今さらながらに気づいた次第である(汗)。 

*樋口恵子氏についてのくわしい記事を知りたい方は、私がひそかに読み勉強させてもらっている樹衣子さんのブログ「千の天使がバスケットボールする」(2008年2月21日)をお読みください(左のブックマークにあります)。とても簡潔にまとめてくださってます!。 

 


斎藤 惇夫著 「子どもと子どもの本に捧げた生涯」 キッズメイト

2008-02-20 | こんな本読みました

サブタイトルに<ー講演録 瀬田貞二先生についてー>とある。

本書は福音館書店編集責任者を経て作家活動へと専念された著者による、瀬田貞二氏について語られたものである。その内容は、著者だけが知りうる瀬田氏とのエピソード、そこから垣間見られる瀬田貞二氏の人となり。タイトルにあるように瀬田氏の子どもと子どもの本へ捧げた情熱とその仕事ぶりなど。著者の瀬田氏を師と仰ぎ敬愛されていたことが伝わってくる。

また巻末資料として、五名のかたによる瀬田貞二氏への思い(エッセイ)が収められており、いろいろな角度から瀬田貞二氏について知ることができた。

以下が目次

はじめに
日本の絵本を語る言葉のはじまり
  私にとっての瀬田先生
  子どもの本を語る言葉の確立ー瀬田節
  私の最初の物語を読んでいただいたこと

一九五〇年、日本の児童文学の夜明け
  「岩波少年文庫」と『児童百科事典』の刊行
    「岩波少年文庫」と石井桃子
    『児童百科事典』と瀬田貞二
  石井桃子と瀬田貞二の出会い
  日本の絵本の開花を支えた二人

能力と時間のすべてを子どもたちに解放した生涯
  幼・少年時代
    瀬田貞二は作家であったか?
    仲間と楽しむ「場」を作る天才
    幼年時代の読書
  中学・高等学校時代
    趣味多き少年
    「場」の文学、連歌への憧れ
  大学時代
    中村草田男から学んだこと
    政治・組織を拒否する姿勢
  青年時代
    夜間中学と兵営での「場」作り
    戦友の戦死ーディレッタンティズムとの決別
  先生の戦後
    生涯を子どもたちに捧げる
    天狗の魔法
  あとがき

解説ーーーーー小寺啓章 

巻末資料
 瀬田貞二年譜
 瀬田貞二著作目録 
 カッパ(河童)  瀬田貞二
 百科事典について  中野重治
 瀬田貞二君の思い出  日高六郎
 「落穂ひろい」の日々  荒木田隆子
 瀬田貞二著『絵本論』をすすめる  松岡享子
 アン・キャロル・ムアのブックリスト

さてさて。こうして目次を見てみると、瀬田貞二という人がどういうことを行い、どういう人だったのがざっと見えてくる。

自分自身をふりかえると、瀬田貞二氏の名前はなじみのあるものだったのだが、訳された著書をはじめ、人となりなどほとんど存じ上げていなかった。なので、非常に興味深くかつ瀬田貞二という人の生き方とその仕事ぶりに魅かれるところが多々あった。

とくに心に残ったところを< >で引用する。

<戦後まだ間もないころに、なぜ自分の生涯をかけてまで子どもと子どもの本を考えるような人があらわれたのか。しかもその考え方が、最初から今の子どもの本に対する見方、考え方の基本となるほどに熟成したものであり、なおこれからの子どもの本に対する予言とまでなっているのか。また、忘れられつつあった「子守歌」や「わらべうた」、そして「なぞなぞ」や「ことわざ」や「昔話」、つまり子どもたちの遊びのなかにあったもの、そして親と子のあいだで遊びとして楽しまれてきたものを、文学として高く評価し、子どもたちに積極的にかえそうとしたのか、あるいは返す道筋を考えようとしたのか。さらに、ほとんど孤立無援で、わが国の歴史のなかから、消えてしまったと思われていた子どもの本を丹念にさぐりあて、顧みられることのなかったひとつの文化を掘り起こすという、とほうもないことをくわだてるにいたったのか、そこまではどうしてもよくわからない。>

<絵本が、子どもの本が、人間にとってどんなに喜ばしいものであるのかを、ほとんど思想・哲学の問題として、総合的に、人間的に、歴史的にとらえ、しかも子どもたちの心のなかから決して離れることなく、滑らかで初々しく、そして恥じらいをたたえた勁(つよ)い口調でーよく瀬田節といわれていましたがー、語った方はいないのです。>

これらの文章を読んだだけでも、瀬田貞二氏というかたが子どもたちの文化にどれほど貢献してきたかが推測できる。読み進めていくうちに、これらのなぞについて著者の考えがあきらかになりされ、それを知るたびに瀬田貞二氏の業績のすばらしさにうなりそうである。

<絵本や子どもの本全般を語る言葉は、絵と文学に対するなみなみならぬ見識があって、ようやく生まれてきます。それがなかったならば、とても絵本や子どもの本全般を語ることはできません。この二つが融合したものが子どもの本だからです。おまけに、子どもをどうとらえるか、子どもにとって絵とはなにか、言葉・文学とはなにかとういう根本的な問題もふくまれています。絵画論と文学論と、子ども論。この三つが解決されていなくてはならない。このひとつひとつは、それだけであまりに大きなテーマになるものですが、この三つを解決し、統合なさろうとしたこと、それこそが、先生のなさったお仕事だったのです。>

ここで瀬田貞二氏の仕事を年譜から少しだけ取り出してみると。。。
「三びきやぎのがらがらどん」訳、「かさじぞう」再話、「少年少女世界文学全集10(イギリス編)」共訳、「児童文学論」共訳、「ホビットの冒険」訳、「ナルニア国ものがたり(全七巻)」訳、「指輪物語」訳、「幼い子の文学」著、「絵本論」著などなど。とても精力的な仕事ぶりだ。

そしてそのきっかけとなったのは。。。

すみません。筆者ここで力尽きました。つづきはまた今度。。。

 


工藤直子・斎藤惇夫・藤田のぼる・工藤左千夫・中澤千麿夫 「だから子どもの本が好き」 成文社

2008-02-19 | こんな本読みました

本書は、「絵本・児童文学研究センター」主催のセミナー(第11回)の記録である。5名の方が一人30分間の持ち時間で講演したものをまとめてある。

以下がその内容

ツッコミの時代……藤田のぼる
期待ー「読む」ことの不思議ー ……中澤千麿夫
原風景……工藤直子
心って……工藤左千夫
音楽……斎藤惇夫

藤田氏の講演のなかで、児童文学の時代の反映のしかたに独特の様相があるという話が印象的だった。

<ヨーロッパで近代家族というものが成立していく中で、子どもという存在の意味が、単に大人予備軍、未熟でやっかいな者から、ひとつの人格をもった愛すべき存在としてクローズアップされていった。家族の中で子どもはかけがえのない者として意識されていった。>

これは、今から百年くらい前(19世紀から20世紀にかわっていくころ)、「赤毛のアン」「小公子」「秘密の花園」「トム・ソーヤの冒険」「ハイジ」といった名作が世に出ているのだが、不思議なことにそのほとんどが、主人公は「孤児(みなしご)」もしくはそれに近い設定だという。その理由を上記のように考察されている。

そして、それは<普通にその家族として存在している子どもよりも、「外からやってきた子ども」という設定のほうが、家族の結びつきとか、子どものかけがえのなさといったテーマが浮き上がると述べられている。また、それは当時の作家が意識して行ったわけでは多分なく、後になって並べてみると時代の思潮、空気、人々の考えというのが作品に反映されていると思う>という。

この文章を読んで、絵画にもそのような「時代の流れ」というのがあることを想起した(ここでは、詳しく述べられませんが。汗)。内面を表現するものゆえに、人間の生きかたというのは外せないものなのだろう。

そして、藤田氏によると1980年代に本格的に日本の児童文学が大きく転換したという。これは日本の社会全体の変化・変質の時期と重なる。そしてこうした時代の変化に敏感に対応していった作品は決して多くないがある(具体的な本をいくつか挙げ考察されている)。

また、工藤直子さんの話もおもしろかった。

<私にとっての原風景って、楽しかったり暖かかったりするばかりではありません。むしろ、切なかったり、寂しくて、しゃくりあげるような感じが多いです。ただ、その寂寥感の原型みたいなものを、まるごと引き受けて、なんども味わっているうちに、ダメな自分も丸ごと引き受けられる気持ちになれたというか…。>

工藤氏の以前読了した『まるごと好きです』(ちくま文庫)にも同様のことが書いてあった記憶がある。人や動物や自然にたいして開かれている感じがするのは、こころがやわらかいからなのだろうと思った。そういう感性をいつまでも持ち続けることができるというのは一つの才能なのだろう。

工藤左千夫氏の講演で心に残ったのは、『ロージーのおさんぽ』(パット・ハッチンス著)をめぐって、カナダから来日していた北海道大学の客員教授と議論を三時間したというくだりである。欧米と日本の(自立的)世界観・民族性の違いをそのまま受け入れることが異種文化や異民族との出会いの一歩である。絵本をめぐって三時間とはすごいものだ(ちなみに、この絵本個人的にはとてもおもしろく読みました。いや見ましたというのが正解かもしれないけれども)。

また、西洋の物語(成長理論)には、象徴的な「母殺し」「父殺し」という通過儀礼がバックボーンにあり、それは人間が自立していくための葛藤だという。しかし、日本にはこのようなものはまずないという指摘がある。日本の民話の、禁止譚のなかにやむなく去っていく(亡んでいく)、もののあわれが見てとれるという。

最後の斎藤惇夫氏の講演では音楽と絵本についての関係を述べられていて、なかなか興味深かった。対位法を絵本の中に持ち込んだのがコールデコットでありそれを指摘したのがモーリス・センダックである(『かいじゅうたちのいるところ』の著者)。

また、斎藤氏の著書『グリックの冒険』は、ただただ音楽をそのまま言葉にしてみたいと思い、モーツアルトのフルート四重奏曲をずっと聴いていたという。音の美しさ、なめらかさ、それから走る悲しみを文章で表現できないかと思って書いたそうである。おもしろい試みだと感じた。

二作目の『冒険者たち』の時は、もっとその欲望が深まったというのだからおどろきだ。曲はバッハの『ゴールドベルグ・バリエーションズ』だそうである。そう思って著書を読むと読書の違ったおもしろさを発見できるかもしれないと思った。