ガーベラ・ダイアリー

日々の発見&読書記録を気ままにつづっていきます!
本の内容は基本的にネタバレです。気をつけてお読みください。

夏の行事?

2007-07-31 | 日々のあれこれ
J○東日本で実施している<ポ○モン スタンプラリー>を体験した。
今日一日で、スタンプ6個ゲット!
それをもってゴールの駅に向かい、そこで限定グッズゲット!
ついでに記念写真も!

……はっきりいって疲れた(苦笑)。
……こどもは嬉々としているが(汗)。

んで。
電車内や駅構内をそういう目で見回すと、頭にキャラクターの○チュウをかぶり、スタンプブックを片手に歩いている親子連れがあっちもこっちも……。

鉄道会社さんも考えますねえ。
首都圏の乗客が減るこの時期に……。

各駅にポ○モンのキャラクターのスタンプを配し、それを集めさせる!

……しかも。そのスタンプは、改札を出なければ押せない!

……つまり。お金がかかるんです(苦笑)。

ゆえに、一日都区内フリーパスなるものを購入する!親子で。

……まんまとはまってしまった(笑)。

子どもの心をくすぐりますねえ。

なんでも、今年で10回目なんだとか。
わが家の場合は、ずっと首都近郊から離れていたので今回が初めてのスタンプラリー体験。スタンプの配置は午後4時で終了とか。当然(?)時間ギリギリまでつきあわされます(汗)。

人気のあるキャラクターが置いてある駅だと、並んでいる人数が多い気がする(笑)。
駅員さんが何人かで人員整理をしている駅もあった。
スタンプ設置場所までわき目もふらず直行する多くの子どもたち。
駅のホームに<スタンプ台はこっちだよ>と場所が示されている。
スタンプを押す列の中に成人男性の姿もちらほら。
だれかにたのまれたのでしょうか?(笑)。それとも……(笑)。

これがひと夏のケイケンで終わるのか。来年も続くのか。。。
わが家の夏の行事として定着するのか?
スタンプブックをゲットしたので、今夏さらにキャラクター集めに奔走させられるのか?(汗)。

…まあこれが。期間限定であるのが唯一の救いであるな(笑)。


発表会

2007-07-29 | 子育て
発表会が無事終わった。
……といっても、自分のではないのだけれど。

今朝も練習につきあい、最後のダメだしをしている自分…(汗)。
なんだか、本人以上にドキドキしている。
まあ、当事者がどのくらい緊張しているかわからないのでなんとも言えないが(笑)。

そこで、日記にドキドキしていることを書いた。

…すると。不思議なことにドキドキしなくなった。
むしろ、スーッとさめていったのである。

……なんで自分はこんなにドキドキするのだろう?
と考えることにより、自分を客観的に見つめることができたのかもしれない。

そうしたら一つの答えが見つかった。

当事者(こども)と<一体化>しているのではないか?ということである。

ふりかえれば、良くも悪くも<一体化>するには十分の素地がある。いや、ありすぎる。

……はじめての楽器(ヴァイオリン)。しかも先生からはレッスンの時もいっしょにいるように指示されている。

……毎回のように眠い目をこすりながらレッスンに同席。時にメモをとりながらー。時にふねをこぎながらー(汗)。

家では、練習に口出しするのを控えていたのだが、どうしてもガマンがならないことがあった。

……それは「音程」だ。

ピアノと決定的に違うことがあった(汗)。
ピアノは鍵盤を押せば、必ずその音が出る。
しかし。
かの楽器は自分で音程をさぐっていかなければならない。
弦の押さえ方、弓の向きによっても微妙に音程が変わったりもする。

……友人にアドヴァイスをもらっていたにもかかわらずー。
ヴァイオリンの音がずれている練習ほど聞くに堪えないものはないって。。。
わかっていたはずなのに。。。

……とにかくつらかった。はじめのうちはー。

時にはそのことでかなり戦ったりもした(汗)。

そういうのをひとつひとつ乗り越えながら、どうにか発表会までたどりついたのだ。
いちおう楽曲(「かすみか雲か」変奏曲)が演奏できるようにもなった。

……一体化しないわけがない(笑)。

しかし。。。
さいごの発表は「本人」なのだ。
これらすべてのことは本人の経験にせねばならない。
たとえ失敗しようともー。

そう考えたら気が楽になったのかもしれない。

発表会まで。発表会当日。そして発表会後ー。
本人がそれにどう取り組み、どんな結果を出したのか。
すべてをひっくるめての「経験」だ。

当事者たちは、今日どんなことを思っているのか?
聞いたところで、明確に言葉にすることはできないと思う。

しかし、なにかが心の中にしっかり刻まれているのだと思う。

……終わったあとの表情を見てそんなことを思った。


「鶴見俊輔対談集 未来におきたいものは」 晶文社

2007-07-26 | こんな本読みました

本書はタイトルどおり、哲学家鶴見俊輔氏と13名のかたたちとの対談集である。諸雑誌で掲載されたものを、この1冊にまとめたものである。

以下が目次

大江健三郎  「揺すぶり読み」の力
金芝河     再会
富岡多恵子  老いの奥行き
赤瀬川原平  老人力と赤ん坊力
多田道太郎  カードシステム事始
片岡義男    繰り返し読むということ
奈良美智    ひとりで歩ける人 
横尾忠則    笑う骸骨
福島瑞穂    たよりになるのは、エゴイスト
西島建男    私の中のアメリカ
加藤典洋 赤坂憲雄(司会) 歴史の遠近法
室謙二     二〇〇一年九月十一日
橋本治     いま、私たちの立っている場所

まず、鶴見俊輔氏という人がなかなかおもしろかった。こんなことを言っては失礼なのだろうが(汗)。経歴を見ただけでもいろいろ複雑な人生をおくってらっしゃる。母親との壮絶な闘いについては既知であったが。

対談の内容も、人によってテーマがさまざま。裏をかえせばそれだけ諸事情にくわしいということなのだろう。実際、対談の中でさまざまな歴史上の人物、思想家、宗教家、政治家等の名前がポンポン出てくる。

大江氏との対談では今後読んでみたい本などがみつけられた。武満徹氏や夏目漱石のエピソードなどもおもしろかった。

富岡氏との対談では、鬱病について話されている所が興味深かった(究極の共通の話題とのこと)。

赤瀬川氏との対談では、「老人力」についてがおもしろかった。老人のまなざしを受け止める人がいるかどうかが問題とのこと。

<「相手が問題なんです。ですから、老人力を活用できる基礎が文化の中になければ、老人力は活用されないんです。」(鶴見氏)
「そうですね。あってもしょうがないもんですからね。相手あっての言葉。言葉というのは必ず相手がありますからね。なければ一人の中で煮詰まっちゃうだけで、独り言にしても自分に対していってる。」(赤瀬川氏)
「最後はね、指が動かなくてもいいんですよ。まなざしなんです。まなざしそのものでいえるわけで、老人のまなざしを受けとめる人がいるかどうか、そういう問題なんです。」(鶴見氏)>

<人と人との間に生じる怒りって、だいたい錯覚からきてるんですよ。つまり他の人に対して、自分が像を作って期待して押しつけようとして、それがはずれるから怒りが出るんで、「ああ思いちがいをしたな」という感じが瞬時に働けば抑えられるし、そういう人間関係をなるべく避けるようにできる。>
(鶴見氏のことば)

片岡氏との対談では、片岡氏が『源氏物語』を英語で読むとわかりやすかったということを言っている。英語を通して日本語に帰っていくという仕方。こういうやり方がわかりやすいというのをかつて、ほかの著者(加島祥造氏。英訳・原文から老子の日本語の口語訳をした方。)が言っているのを読んだことがある(←まちがっていたらごめんなさい)。

しかし、それに対して鶴見氏は、逆の場合もあるとして、カナダのSF作家たちのグループが「今日は日本語で話そう」という約束をする。英語で話すのだが、日本語の文法を意識した英語を話すのだとか。単数複数を使わないとか「I」「He」「She」などの主格をつかわないとか。そうするとまったく別の世界が生まれてくるのだとか。これは梅棹忠夫氏によれば「それぞれの言語の言葉癖」だとのこと(そこに松尾芭蕉の「古池や…」が引き合いに出される)。

奈良氏との対談では、鶴見氏が奈良氏の絵を評して<「子供は大人の世界に囲まれて歪みの形をもっている」というのが、絵を貫いていると思ったね。子供が何かを考えている時、何を考えているのか言葉でいってごらんといったって、いうことはできない。考えが、あるところで歪んだ形になって、一瞬静止しているわけだ。子供は、不満があっても、大人の言葉の文法を使って、別の秩序を自分で作ることなんてできない。>という表現が的を射ているなあと思った。

<思想というと、日本では、何かたいへんな手本を作ることだというふうに捉えられている。だからみんなカントやヘーゲルを論じるんだけれども、ある感覚をずっと保つという一貫性も、その人の思想的な達成なんだ。これは大変なことなんだよね。奈良さんの作品では、この「小さなナイフをもった少女」という感覚が、新鮮な仕方で繰り返されている。それはひとつの達成なんだと思ったね。>(鶴見氏のことば)

ちなみに奈良氏の絵は、どこかで見たことがあるかと思います。吉本ばなな氏もお好きなようで、たしか彼女の著作の表紙になっているはずです。ああ、タイトル失念(汗)。

加藤氏との対談では、歴史という軸の中で話がいろいろととぶのだがそれがおもしろかった。わからないところも多々あるが(汗)。桑原武夫、柳田国男、山折哲雄、村上春樹諸氏のなどなどの名前が挙がってくる。意外なことに(?)、宮崎駿の名前もでてきた。『もののけ姫』と『ナウシカ』について語っているのもおもしろかった。手塚治氏の作品との対比とか。

橋本氏との対談では、橋本氏著の『思考論理学』について興味を持った。 

 


時間

2007-07-25 | 日々のあれこれ
どうも自分は時間の使い方が下手らしい(汗)。
……今に始まったことではないが(笑)。

やらなくてはいけないことが目の前にあるために、そのことが頭にひっかかりそのことで頭がいっぱいになってしまっている。

……なのに、体が動かない。
つまり行動しないのである(汗)。

そして、タイムリミットがどんどん近づいてくる。
とたんに焦る。
……まだ時間はあるというのに。。。

…だから、自分の持ち時間の大部分をそれに費やそうとする。
…しかし、だらだらとしてしまって集中できない。
やりたいことも控えているので、さらにストレスもたまってくる。

……つまり悪循環ですね(汗)。

あげくのはてに<じょうずな時間のつかいかた>みたいな本まで読もうとしてる(大汗)。

そして今日気づいた。

やりたいことをやろう!

そして、やるべきこともキチンとやろう!

どっちもやればいいじゃん!

……ってあまいかな?(冷や汗)


ヤクイン

2007-07-22 | 日々のあれこれ
今朝ラジオ体操に行ってきた。
時間は6時半から15分間。
近くの学校の校庭だ。

霧雨が降っていたが、早起きしたので行ってみた。
ぱらぱらと人がいる。
中学生、小学生、大人、サッカー少年・少女。

そして意外と目を引くのが、朝礼台のまわりに立っている大人たち。この方たちは、今年度の子ども部(町内会)の役員さんらしい。

子ども部というと、先日は観光バスに乗って博物館や郷土工芸館に行ったのだが、そちらの企画・準備・添乗などをしていた。旅行会社と打ち合わせ、お菓子の準備、バス車内でのレクリェーションなど忙しそうだった。総勢40名を引き連れての一日観光だ。

そして、これからもう一つ。夏まつりの仕事が控えているという。これは、子どもたちが町内を御神輿や山車をひいてまわるものだ。2日にわたり、合計3回行うそうだ。

いや。もうひとつ。町内会の運動会にもかかわらなければならないのか(汗)。

地域の町内会の仕事なので、やらないわけにもいかない。順番でまわってくるという(くじびきとか)。また、役員さんは、各行事の頭数をそろえるために電話で勧誘などもされていた。

各行事も行けばそれなりに楽しいのだが、知っている人がいないとなかなか腰があがらないのが本音だ。内容的に強くひかれるものがあれば別なのだろうが。今回(バスレクに)参加したのは、役員さんが子どもの友人のお母さんだったため声をかけられたからだ(笑)。

地域の行事とその内容。
むかしながらのやり方をどのくらい引き継いでいるのだろうか。
くわしいことはわからないが、いろいろとあるようである。

ラジオ体操は学校がある時の延長で、朝早く起きる習慣がくずれないためありがたいのだが。とりあえず最初の10日間であるとしても(笑)。

地域で子どもを見る。
大事なことだが、ヤクインとなると大変そうだなあ。。。


100円玉の主張

2007-07-18 | 日々のあれこれ
100円玉に悩まされた。

バスカードを忘れたとある日。

料金を入れようと小銭入れを見ると、100円玉が二つしかない。

……うぅ。これは両替しないといけない。
……朝の混雑している時にこれをすると嫌がられるだろうなあ。。。

目的地に到着。
バスから人が降りる。静粛に。粛々とー。
バスカードを差し込む人。定期を見せる人さまざまだ。

自分の降りる順番がまわってきた。

100円玉一つを両替箱に入れる。

……チャリーン……

……?……

100円玉が戻ってきた。


もう一度その100円玉を投入。

……チャリーン……

……はっ?なんで?両替機が壊れてるのだろうか?

その旨運転手さんに尋ねてみたが、返事がない。
聞こえてないのだろうか?
後ろには人の列。
背中にプレッシャーを感じる。。。

……えいっ。これでどうだ!

……ジャラジャラジャラー……

やった。無事両替成功!!

……不思議なことがあるもんだ。ひとつめの100円玉は両替できなかった。が、もう一つの100円玉はできた。

……なぜだ。なぜだ。なぜなんだ?……

そんなことをチラッと思ったが、つきつめもせずに朝のホームへと足早に歩いた。
歩きながら、100円玉といえばこんなことがあったことを思い出した。

駅のホームの自動販売機で飲料水を買った時のこと。

120円のジュースを買うのに、10円玉2つと500円玉1つを投入した。

……なのに。。。なのに。。。

……おつりが100円玉3つしか出てこなかった(汗)。

……ええええー。と思い、あちこちボタンを押してみたがなんの変化もない。

そして、よく表示板を見てみると。。。

<100円玉 つり銭切れ>と赤く表示ランプが点いている。

えええええーーー。それで100円足りないのーーー?

なら、もう100円入れて、120円のボタンを押せば1本買えるだろうか?
…と思い100円玉を投入してみたが、金額不足で押せなかった。

……やっぱりはじめのおつりは400円あったのだろうか?……

いまだになぞである(汗)。

……まあ、100円玉が切れたとしても、50円玉とか10円玉を総動員させて、おつりはでてくるはずだよねぇ。。。やっぱり自分の見間違いなのか。。。

なんだか釈然としない経験があった。


……たかが100円玉。されど100円玉……。

……100円玉の主張を見たような気がする。


傘占い

2007-07-17 | 日々のあれこれ
傘を買った。
一面アイスブルーに黒いストライプが3本。
傘のまわりを縁取っている。

スクエアーな雰囲気の傘。

……この傘には、パリッとした黒いパンツスーツが似合いそう。

傘を持っている。
オレンジのチューリップが一面に広がっている。
緑の葉っぱもあざやかだ。

マイルドな雰囲気の傘。

……この傘には、フレアースカートに白いブラウスが似合いそう。


今日新しい傘をさして街を歩いていたら、ふと楽しみをみつけた。

そうだ、傘占いをしてみよう!(笑)

勝手に想像してみるのだ。

光沢のあるベージュにリボンが浮き出た傘。
いかにも高そうなブランド品。

見ると傘の中には。。。

洋服もバッグも靴も同色(黒)できめている女性。
ロングヘアー。
いかにもキャリアウーマン。

……そんなあなたの性格は。。。


雨の日がガゼン楽しくなった(笑)。


上橋 菜穂子著 「闇の守り人」 偕成社

2007-07-14 | こんな本読みました

同じ著者の「精霊の守り人」読了後に読んだ。おそらく出版もこの順かと思われる。

話の内容からするとこれだけ単独で読んでもよいと思う。「精霊」で描いていたバルサ像が、本書によってその実体が明らかにされていく。ので、この順番で読むことによってバルサという女性を知る楽しみが得られたように(個人的には)思うが。

バルサ。女短槍士。わけあって両親と離れジグロとともに郷をあとにする。天才的な短槍使いジグロに育てられ鍛えられる。そのジグロはもうこの世に存在しない。

本書を読むと、バルサの生い立ち、幼いころの様子、バルサの父親とジグロの関係、ジグロにどのように育てられたのかがわかってくる。

彼女の知るジグロと故郷でのジグロ像がまったく違うことに気づくバルサ。ある権力をもつ人物によって、真実がねじまげられ彼の都合よく語られている。バルサはジグロの真の姿を知ってもらいたいと望む。そうすることが彼を弔うことになるのだと。

また本書には、自分を男手ひとつで育ててくれたジグロとのぶつかりあいのシーンもある。ジグロとの関係をきれいごとで終わらせず、ジグロから見た自分の存在というものをきっちり考え、みつめているバルサの姿勢が描かれていてよかった。

 
「ひとりなら、なんとでもできるんです。わたしに、叔母さんの心配をさせないでください」

バルサの唯一の肉親である叔母さんと何十年ぶりかに再会しする。上記のこの言葉だけをとってみればずいぶん冷たい人のように思えるのだが、実はこの言葉の裏に、叔母さんに心配・迷惑をかけたくない…との強い思いが秘められている。

自分がどう思われようと(相手から嫌われようと誤解されようと)、相手のこと(身の安全)を一番に思っての言葉を発するバルサ。強さとやさしさをもった女性だということが伝わってくる。本当に人にやさしくするには自分が強くないとできないということも。

洞窟の中で、バルサに命を助けてもらったカッサ少年。武人として王に仕えたいと願っているが、実際問題としては一生ヤギの世話でおわるしかないとなかば諦めている。その彼にこんなことを言うバルサ。

「槍をつかうのは、いざというだけ、か。……それが、しあわせなことかもしれないと考えたことがあるかい?」
「しあわせ?」
「ああ。―わたしは、ふるいたくない残酷な槍を、何度も何度もふるって生きのびてきた。そうしないですめば、どんなにしあわせだったろうと思うよ」

おさないころから修羅場を何度もくぐってきたバルサのどうしようもない思いが伝わってくるようだ。「なにかを知る」…ということは、その人にとっての「必然」があるからであって、それを「知らない」ということはそのことについての苦労がないことを表してもいる。もちろん興味の有無もあるだろうが。

バルサが言うようにそれは「しあわせ」なことかもしれない。人間としての深みの有無を思うと疑問に思う点もあるかもしれないが。それでもこの世には「知らない方がいい」ということは確かに存在する。そのひとつに人を殺傷することがあるかもしれない。いずれにしても、そのようにしか生きられなかったバルサの二十数年をあらわしている言葉だと思った。

バルサの内面にせまりながらもそれだけにとどまらず、故郷の王国の権力争いの様子やその世界をくわしく描く。その世界がきっちりと描かれているのがすごい。重層的に話が進み、そのなかで闘い、歩み、挑み続けるバルサが描かれていてよかった。

<7月15日追記>
出自はどうあれ、自分の身を守るために闘わなければならないバルサ。
本書は闘い続けることをプログラミングされた女性の生き方を描いている…とも読めるのか?
それゆえ、今大人にも読まれているのだろうか?
そう考えると、第一巻でバルサとかかわりがあったタンダ(年下の幼なじみ。薬草師)との将来はどうなるのか。。。という点もかなり興味深く思えてくる。

 


コンサート♪

2007-07-12 | 日々のあれこれ
チャイコフスキー・コンクール、ショパン・コンクールに第三・四位に入賞歴を持つピアニストのかた(女性)の演奏を聴く機会を得た。今現在も第一線で活躍されてらっしゃるかただ。

会場の真ん中にグランドピアノ。それほど大きくはない。そこに観客が放射状に座る。演奏者と第一列目の観客との距離は1メートルもないくらい。かなりの至近距離でピアノの生演奏を聴いた(私と演奏者との距離は10メートルくらいか?)

ものすごい集中力と緊張感。
しーんと静まり返った会場。外の雨の音だけが聞こえる。
コンサートホールではないので、特別な防音装置がない。

グランドピアノの前にオーロラのドレスを身にまとった妖精が舞い降りた。。。かのよう。

彼女から紡ぎだされる音のつらなりが実になめらかで繊細。そして、時に激しく時に哀しい。

一曲目のショパンのノクターン(第二番 変ホ長調)でいきなりノックアウトされた。とてもきれい。美しい音色。こころがゆさぶられる。

手の動きも肉眼で見ることができたのだが、ものすごく早くて正確。まるで10本の指が別の生物のように自由自在に動いている。

前半4曲。後半4曲。演奏の直前に曲の解説を演奏者自らしてくださった。また途中で質問コーナーがあり、彼女の素顔にもふれることができた。

子どものころから、血のにじむような(?)練習を積み重ねて来られたことと思う。1日3~4時間は練習していたとのことだ。また、今日のコンサートのための調律に4時間かかったという。それでも演奏当日、音についての注文が彼女からあったという。妥協をよしとせず、よい音を追求するゆえんなのであろう。

ピアノは他の楽器と違って自分で持ち歩くことができないので、その会場にある楽器(ピアノ)とどうつきあうかがとても大切という話をされていた。演奏前にそのピアノと語り合う時間が必要だとも。

…しかし。やっぱり生演奏はいいなあ。
演奏者をとりかこむピンと張りつめた独特の空気感。自分の背筋までしゃんとなってくる。手だけでなく全身で表現されている。そのオーラがこちらにまで伝わってくる。

最後に弾いてくださった「英雄ポロネーズ」も変化に富んでいて楽しかった。「ラ・カンパネラ(鐘)」の指の動きにも圧倒された。

……音楽に限らず人に感動を与えられるってすごいことだなあと思った。。。


だだ!

2007-07-09 | 日々のあれこれ
スーパーマーケットで「だだ」を見た。

「だだ」ってなに?

……だだっこ?
……もしかしたらそういう子がいたかもしれません。

……ダダイズム?
……美術館じゃないし!

……だだ……ただじゃなくて?
……ただなものは置いてありません(汗)。

……だだ。DADA……

答えは<「だだちゃ豆」入りのお豆腐!>

日本に6年ぶりに帰ってきて豆腐の種類の多さに驚き、そのおいしさに舌を巻いていた。

つるんとしたなめらかなもの。ガーゼに包まれて、水が下にしたたり落ちるようなパッケージのもの。ネーミングがユニークなもの。男性の名前がついているものもある。

とにかく目新しく、スーパーでいろんな種類の豆腐を試していた。

んで、<だだ>である!。

だだちゃ豆の粒が豆腐の中に入っており、とても美味。豆腐そのものもおいしいのだが、豆が入ることによりその食感をも楽しめる。通常の豆腐より値段ははるが、たまにはいいかも。

夏の食欲の出ない日などは、薬味をたっぷりかけた豆腐がなんともいえずいい。この豆腐に関していえば、薬味がなくてもいいかもしれない。いや、ないほうがこの豆腐のよさが生きるかも。

いろんな味の豆腐を味わえる。
……やっぱり日本はええなあー。

くいしん坊のひとりごとでした(笑)。