ガーベラ・ダイアリー

日々の発見&読書記録を気ままにつづっていきます!
本の内容は基本的にネタバレです。気をつけてお読みください。

ひたすら進もう

2008-03-10 | これってエッセイ?
からまっていた糸がするするとほぐれていく。

ひとつの糸がすっきりまっすぐになった。

そうしたら他の糸もするーっとほどけた。

不思議なくらいにー。

そうしたら生きるのが少しだけらくになった。

でもー。

そうしたらー。

次の山が見えてきた。

ちがう景色が広がってきた。

さてさて、最強の(?)武器を手に入れたことだし。

また荷物を背負いなおして進んでいくか。

つらくなったら自分がやれたときのことを思い出して。

寄り添ってくれる人たちの顔を思い浮かべながらー。


筋力

2007-11-23 | これってエッセイ?

むかし右膝の靱帯を切ったことがある。

それゆえ、脚を石膏で覆い松葉杖をついて歩いていた。

……治療を終え石膏を切った。3ヶ月ぶりに自分の右脚と対面した。

なんと、右脚が細くなっている。力なくひょろりとしている。
細くなってうれしい!という次元をはるかに超えてー。
使わないとこんなになってしまうのかという驚きと不安。

その後、リハビリに通い1ヵ月後ぐらいにはふうつに歩けるようになったと記憶している。

そしで今の自分自身ー。
筋力の落ちた右脚のようー。

何年もの間、社会という冷たい風にさらされることなく、家庭という石膏で守られてきた。それがいいとか悪いとかを言いたいのではなくそういう事実がある。

たった今。その右脚を鍛えている。

リハビリ中!(笑)

……自分で言うのもなんだが、大分ず太くなってきている気がする(苦笑)

でも。まだまだなんだろうなあ。。。過去の自分と比べるとー。

 


調律

2007-11-18 | これってエッセイ?
ゆるやかな変化は気づきにくい。

ピアノの調律をしてもらってそんなことを思った。

気づきにくい最たるものは、子どもの成長ではないか。
毎日顔をつきあわせているため、意識してはじめてその成長を肌で感じる。
体の変化。こころの変化。
着実に変わってきているというのにー。
日々前だけを見ていて、ふりかえることをしないからだろうか。
たまに会う親戚の子どものほうが、ずっとその成長ぶりを感じとることができる。

そして気づきにくいもののもう一つは、自分自身。
ゆるやかにゆるやかに、下方へ向かっているように思われてならない。

ピアノの調律は専門家に任せればいいけれど、自分自身の調律師はどこにもいない。

……かつての友人に会ってみようか……

ゆるんだ線をきゅっとしめなおすために。


プレゼント

2007-08-05 | これってエッセイ?
長い闘いが終わったー。

…苦しかった。
…つらかった。
…過酷なサバイバルゲームのようだった。

最後の最後は気力だけでもちこたえていた。

……そしてその闘いの最中にキセキが起こったー。

自分が長年ずーっとできなかったことができたのだ。
正直言ってできるとは思ってもいなかった。
あきらめていた…というより「できないこと」を受け入れていた(苦笑)

……なのに、なぜできたのだろう?

それは、ある人のおかげかもしれない。
ある人というのは、全然面識はないのだけれどー。

その人の、そのことに全力で挑む姿を見て触発されたのかもしれない。遠く離れていたのだけれど、なぜかその人の気魄が伝わってきたのだ。

そして、その人の一挙手一投足を見ることによって、自分にそのことに対するイメージができたのかもしれない。

できるとか。
できないとか。
そんなことを思うすきさえなかった。
とにかくそのことにだけ神経を集中させ、気合を入れ無心にやったー。無意識にうなった気がする(汗)。

そしたらできた。できたのだ!

……けれど、このキセキは神様からのプレゼントだった気もする。
非常にきまぐれな(笑)。

もういちどやってみてと言われたら、こわくてできない。
……そんな自信がある(汗)。

神様どうもありがとう!
そして、私に気魄をわけてくれた人にも感謝!


2007-02-13 | これってエッセイ?
再就職の壁。。。それは、自分の社会的能力の低さを自覚することからはじまるのかもしれない。就業ブランクのあるB子はそんなことを思った。

年齢とか、職種とか、経験とか。そんなのは二の次だ。

例えば。。。

書いてあることを正しく読みとり指示通り実行できるか?
人の話をこれまた正しく聞き取り指示通り実行できるか?
時間通り目的地に行けるか?
書類を集中力をもって仕上げることができるか?

そんな当たり前のことを難なくこなせるか?
間違えたとき、いちいち落ち込まずに先にすすめるか?
自分の思い込みで行動していないか?

自分はやろうと思えば「できるつもり」でいることと、「実際できる」ことの間には大きな溝がある。

「人を批判する側」「お金を支払う側」でいることはある意味楽なことだ。しかしその逆の立場になるとかなり風当たりが強くなる。しかしその風によって自分が鍛えられもする。

「働く」ということによって、自分の能力を冷静に見つめることができる。働いている人への敬意を払うこともできる。それは、主婦専業ではなかなか得がたい経験だ。もちろんありあまる想像力をもっているという人は別だが。他人に敬意は払えても、自分の能力を客観的に測るのはなかなかむずかしいことだろう。

それは「自分は案外できない」ということだけでなく、「自分は案外できる」という認識も含む。どちらにしても、もっともっと「外」の空気を吸って「自分」を再発見していこう。

主婦という仕事はひとつの経験だ。子育てもしかりだ。
それらの経験から自分は何を得、今後それをどう生かして行くのか。

とにかく動く動く。動くことから「自分」が見えてくる。
自分のやりたいことやりたくないこと。
自分のすきなこときらいなこと。
自分のできることできないこと。

家の中の限られた仕事では見えなかった、自分。

再就職で新たな自分を発見できるだろうか。

その一歩手前ですでに「発見」することもあるだろう。それも貴重な体験だ。

つらいことだが、まず客観的に自分の社会的能力の低さを自覚し、その壁をひとつ乗り越える。低い壁をいくつも乗り越えることによって、徐々に自分に自信をつけていくのだ。いや自信を取り戻すのだ。

主婦になる前は、働いていたのだから―。
できないことはない。

……いや、できると信じて進んでいこう。


うれしかったこと

2006-01-20 | これってエッセイ?

友人からメールをもらった。
私のブログをのぞいてくれているらしい。

私の書いたことからなにかを感じてくれたらしく、
彼女の思いがつづられていた。

なんだかうれしかった。
不覚にも涙が出た。


友人から最近仕事がいきづまっているということを聞いた。

私も昔、悩んでいたことだったので
こんなふうに考えてみたら?と言ってみた。

「きょうの、お言葉!」
と言って彼女の顔が明るくなった。

明日から、彼女の仕事がちょっとでもうまくいくといいな。

みんながんばってる。
ふだんは、口には出さないけど。
誰かがふっとことばを発したとき、受けとめられる人になりたいな。


過去をふりかえる

2006-01-10 | これってエッセイ?

ある言葉をさがすために、10代から断続的につけていた「読書ノート」のようなものに目を通してみた。(なぜかこれだけは、転居のたびに持参している)

どこにあるかわからないので、全部に目を通す。
その頃の自分が何を考えていたかを思い出す。

誰に見せるものでもないので、そこにはありのままの自分がある。
それを読んでいるといくつかの発見があった。

ひとつは、「その頃、本を読んで”わかった”ことが実は”わかっていなかった”」ってこと。
これが、ノートを読み返していて一番の大きな発見である。

なぜそう言えるのかというと、自分が大事だと思っていた箇所が抜粋してある(=わかった)にもかかわらず、そうやって生きてこなかった(=わかっていなかった)ことが多いからである。

いや「そうやって生きてこなかったということに”気づいた”」というのが正解かもしれない。何度かこのノートを読み返しているにもかかわらず、今さら「発見」しているのだから。

例えて言うなら、「数式」を覚えて理解したのだけれど、問題を解いてみたら「解けなかった」というようなものである。数学の問題なら解くのにそう時間はかからないし、答えはすぐ出る。しかし「生きる」ことには、なかなか「答え」が出ない。また、人に聞いてもわからない。なぜなら人それぞれにその「答え」に向かっていく道筋が違うものだから。「答え」そのものが違う場合もあるかもしれない。

もう一つの発見は、「なんだ、むかしと同じことしてるじゃん」ということである。
本を読み、感想を書き、好きな箇所を引用する・・・。
これって今の私のブログ(「こんな本読んだ」)のスタイルだ。

「そういえば、何年もの間そういうことをしていなかったなー。
でも、結局ここに戻ってきてしまった」
そういう「発見」があった。

今自分に必要なのは「過去の自分」から「現在の自分」を知り、そこから一歩踏み出すことなのかもしれない。