ガーベラ・ダイアリー

日々の発見&読書記録を気ままにつづっていきます!
本の内容は基本的にネタバレです。気をつけてお読みください。

エーリッヒ・ケストナー作 「飛ぶ教室」 偕成社文庫

2007-10-16 | こんな本読みました

本書は、若松宣子 訳/フジモト マサル 絵 である。

はじめにお断りしておくが、自分が読んだ翻訳本はその時に図書館(もしくは書店)にあったものを手にとって読んだにすぎない。ので、ここに記した本をおすすめするというわけではないのでご了承を。。。

さて、本書は<ドイツの国民的作家ケストナーの代表作>といわれる。日本でも題名だけは知っている人は多いだろう。本の内容は知らずとも。。。

かくいう私もその一人であり、本書は初めて読む。子どものころに『点子ちゃんとアントン』は既読であったが。それとても内容は忘れている(汗)。

さて、この本とってもよかった。ぐんぐん作品にひきつけられ一気に読めた。さわやかな読後感あり、ほろりと涙させられる場面あり、少年たちの行動にはらはらさせられる場面あり。児童文学の王道(?)をいっているような作品だった。

本書はドイツのギムナジウム(高等学校)の寄宿舎で、五人の少年たちと先生たちのかかわりあいが書かれている。

ケストナーという人は確たる哲学を持っているように思う。子どもというものについてー。例えばこんな文章があった。

<成長してしまうと、子ども時代をきれいさっぱりわすれてしまうのだろうか。子どもにもかなしいときがあるのを、わからなくなってしまうんだろうか。(ちょうどいいので、心からおねがいしたい。子ども時代をけっしてわすれないで!約束してくれるかい?ぜったいだよ。)
 人形がこわれて泣いたとか、もっと大きくなって、友だちをなくしてかなしんだとか、理由はどっちだってかまわない。なぜかなしんだかということでなく、どれだけかんしんだかが人生ではたいせつだ。子どもの涙がおとなの涙より小さいなんてことはけっしてないし、ずっと重いことだってある。だけど誤解しないで!めそめそしようといっているのではない。ただ、つらくても、ちゃんとものごとをみつめてほしい。ほんとうに心の底からしっかりと。>

本作品に登場する先生や大人がいるのだが、自分の若い頃の記憶や友だちを大切にする人として描かれている。逆に人間関係をうまく結べなかった人もほんの少しだが出てくるが。

<ボクサーがいうように、うたれづよくなりなさい。なぐられても、たえてこなしていくこことを学んでほしい。でないと人生に最初のパンチをくらわされたくらいで、もうよれよれになってしまう。>

<だから、しょげてはだめだ、強くなるんだ!いいかい?それさえできれば、もう勝ったも同然。パンチをうけてもゆとりがあるから、ふたつのたいせつなことを発揮できるんだ。それは勇気と知恵。いまからいうことをきちんと心にとめておいてほしい。知恵のない勇気は、ただの暴力。勇気のない知恵は、役たたず。世界の歴史には、勇気しかないばか者や、知恵があるだけのおくびょう者がたくさんいた。それは正しい状態ではない。>

ドイツのドレスデンで生まれたケストナーが生きた時代は世界恐慌が起き(1929年)、みなが失業や貧困に苦しんでいるときであった。『飛ぶ教室』が出版された1933年には、ヒトラーが政権を獲得し反ナチス勢力を弾力しはじめ、反ナチスをうたっていた文化人やユダヤ人はドイツを脱出したという。

しかし新聞社につとめるジャーナリストだったケストナーはドイツにのこり、反ナチスとみなされたケストナーの本は焚書された。彼は、名前を変えて別の国の出版社から作品を出版したという。このような時代背景を知ることにより、作品にこめられた作者の思いがより強いメッセージとして伝わってくる気がする。

個人的に印象に残ったのは、成績優秀で正義感のマルティンだ。家庭の経済的事情によりクリスマスに家に帰れなくなった。そのことを友だちにもどうしてもいえなくてウソをつく。母からの手紙には心配かけまいと気丈にも心強い返事を書くが、その実「涙は絶対禁止!涙は絶対禁止!」と自ら暗示をかけ、どうにか自分のくずれそうなこころを保っている。そんなけなげな様子が描かれている。

そんなマルティンに手を差し伸べるのが、みなから信頼されている舎監のべック先生。マルティンのかかえている事情を知るや、なんと往復の旅費をマルティンに差し出すのだ。

……もう、ここの部分は涙なしには読めない。思わず、野口英世の恩師を思い出した。彼も学費を経済的に苦しい彼のために出してあげたと記憶している。生徒(人)のために自分の損得勘定抜きに、なにかをせずにはいられないという人の行動には心うたれるものがある。

そして、その好意を素直に受け入れ家族とクリスマスを過ごすことができたマルティンの喜びよう。マルティンの両親も大喜びし先生に感謝の念を抱く。おそらく、マルティンは大きくなってもこの喜びを忘れないばかりか、先生だけでなく他の人へ還元するのではないかと思った。そういうことができる子だ。

主に五人の子どもが登場するが、どの子も生き生きと描jかれそれぞれの子のよさを認めている先生。そこには信頼関係がある。その様子が描かれていてとてもいい。特に先生が権威で子どもに対峙するのではなく、一人の人間として彼らに自分の思いを語ることができるというのはすばらしいと思った。なかなかできることではないと思う。

また、べック先生とは違った角度から子どもたちを支える禁煙さん。彼は頭がきれるすてきな人。しかしひどく不幸なめにあったに違いない人。子どもたちは正義先生とあだ名されるべック先生にきけないこと、知恵を借りたい時は禁煙さんを訪れる。

民間人から公立の中学校(東京都杉並区)の校長になった藤原和博氏が述べられる(『公立学校の逆襲 いい学校をつくる!』朝日新聞社)ところの「ななめの関係」である大人の存在。成長期にある子どもにとって身近に先生でもなく親でもない信頼できる大人がいることは理想でもあるだろう。

また、同著者の『小さい男の子の旅』(小峰書店)を併せて読んだのだが、これもよかった。「小さい男の子の旅」「ふたりのおかあさん」の二編が収められている短編集なのだが、車内で読むことはおすすめしない。他人に涙を見られるのに抵抗のない人なら別かもしれないが。

どちらも子どもとお母さんの関係を描いたもの。後者はあたらしいお母さんができるときの八歳の少女の心の動きが描かれている。人形に自分の心のうちを話しかけたりお話をつくって語りかけたり、どうにか自分を支えている様子が目に見えるようだ。この作品のよいところは、新しいお母さんになる人が少女に語りかける部分だ。(実はここに引用紹介したくて、コピーしておいたのだがどういうわけか紛失してしまった。あしからず)

どうもここらへんは、ケストナー自身の生い立ちや母親との関係性が作品に反映されているようである。ケストナーの他の作品も読んでみたくなった。