ガーベラ・ダイアリー

日々の発見&読書記録を気ままにつづっていきます!
本の内容は基本的にネタバレです。気をつけてお読みください。

バースデイ

2006-09-30 | 日々のあれこれ
ちょっと早いが、自分の誕生日を家族に祝ってもらった。

いつもと違って、少しだけ気の張るレストラン。
塗りっぱなしの土のような外壁。
窓にはブルーの濃いステンドグラスがはめこまれている。

子どももいるので、夕方1番に入店。

白いテーブルクロスの上に、ナプキンののったお皿をはさんで3~4個ずつフォークやナイフが並べられている。
その前には、ワイングラスが各2つずつ。
テーブルのまんなかには、ハート型のガラスの中にピンクの小花が飾られている。

……ゆっくりと運ばれてくる料理一品一品を堪能した。

それぞれ違うものを注文したので、少しずつ味見をしてみたり。
きれいに盛り付けられているパスタや肉料理を写真におさめてみたり。

……そして、さいごにデザートが運ばれてきた。

私のお皿には、赤くて細いろうそくが1本立てられている。

……ま、ま、まさか……。

やはり、予感が的中した。
なんと、キャンドルに火をともし、その場でバースディソングが歌われた。
お店の人の誘導とともにー。

……は、は、はずかしい……。

ゆずシャーベットとティラミスとストロベリーのやわらかいケーキとプリンののったプレートをひたすら見つめて、歌を聴いていた。
だんだん声が大きくなり、店内にいる人の視線を感じた。
よく見ると、プレートの外側には、「お誕生日おめでとう」の文字(イタリア語)と私の「名前」がチョコレートで書かれている。

となりのテーブルに座っている女性もこちらを見て、ほほえんでいる。

歌が終わり、つきあってくださったお客さんの方に、会釈をした。もちろん顔は伏せてー。

あー、もう○回も歳を重ねてしまったんだなー……というにがい思い。

でもそれとは裏腹に、こうしてささやかながら、誰かに祝ってもらって、毎年歳を重ねることができることに感謝せねば……。

そうだ、歳をとるのが何だ!。

……こうして、あたりまえの日常を大切にしなくちゃ。
ああ、いとおしい平凡な日常!(←おおげさな!)

……ん。でもやっぱり歳は公表できませんなー(汗)。


話題

2006-09-29 | 日々のあれこれ
<ある親子の会話#1>
子「ママー、あしたジェーンのお誕生日だからプレゼント用意しておいてね」
親「うん。わかったわ」


<ある親子の会話#2>
子「ママー、きょうどっかに行ったでしょう?お買い物?」
親「うん。天使のわっかに行ってきたの。」
子「なに買ったの?」
親「髪をとめるもの」

<ある姉妹の会話#3>
姉「うんちしてる。あーあ。。。」
妹「お世話しなくちゃ。かぜひいちゃうよ。。。」

上記の会話の内容は、すべて「ゲーム」の中の登場人物についてです。
つまりバーチャルな世界について会話しているのです。
それがごくごく普通に、両者の間で交わされています。
あたかも「現実」の話のように……。

なので、なにも知らない私なぞは、
「天使のわっかっていうお店どこにあるの?」とか
「ジェーンさんて、英語の先生?」と聞いてしまい、苦笑されるのであった(汗)

読書の秋

2006-09-28 | 日々のあれこれ
秋の夜長。
虫の声に耳を傾けながら、読みかけの本を開く。
香りのつよいアールグレイ・ティーをいれたマグカップに口をつけ、ひとくちすする。

ん~。至福のひととき♪

さくさく読んでいく。。。
ところどころ、ピンクのポストイットをはさみながら。。。

…………?…………

ここではたと自分の所業をふりかえる。

「なぜ、私は手にラインマーカーを持っているのだ?」
「なぜだ、なぜだ。。。」
「あー、心に残ったところにマーカーしてたのね!なんてまじめなの♪」

……などと、自問自答した。

……直後……。

どこが「まじめ」なんじゃい!それを言うなら「まぬけ」だろーーーー!!!

……と思いっきり叫んだ。もちろんこころのなかで。

そして、頭をかかえた。

そして、読んでいた本をしげしげと見直した。

…………やってしまった…………
…………コノホン、トショカンデカリタホンジャナイカ…………

いや。自分の名誉のためにひとこと弁解。

「はじめてです。こんなアホなことしたの。
だって、本があまりにもきれいで(新しい図書館なのだ!)、自分のものとつい錯覚してしまったのです。。。」

……っていう見苦しい弁解は、図書館員さんにはしないでおこう(汗)。

ブルー、ピンク、イエローのラインマーカーがバリバリひいてある本を持って行って見せるのは、すごくはずかしいから。。。

……あーしかし、この本、1400円もするよ……(大泣)


河合隼雄 他 「学ぶ力」 岩波書店 

2006-09-27 | こんな本読みました

この本は、小樽の絵本・児童文学研究センター主催によるセミナーの記録を基にしてできたものである。以下が、その内容。

講演  生きること・学ぶこと    河合隼雄
     森流「学び」術のすすめ  森 毅

討議  学ぶ力  河合隼雄 工藤直子 佐伯 胖  森 毅 工藤左千夫

論考・エッセイ 
     児童文化と学び    工藤左千夫
     「中途半端」を遊ぶ  工藤直子
     「学ぶ」とはどういうことだろうか  佐伯 胖

あとがき  河合隼雄   

簡単に略歴を記す(本書より)。
河合隼雄・・・臨床心理学者。現在文化庁長官(*先日脳梗塞で倒れられました。その後の情報が待たれるところです…) *部はガーベラによる。
工藤直子・・・詩人
佐伯 胖・・・認知心理学者
森 毅 ・・・数学者
工藤左千夫・・・絵本・児童文学研究センター理事長

「学ぶ」ということを軸に、各現場で活動・活躍されている方々の話が大変興味深かった。以下、印象に残ったところを引用してみる。

<『論語』の中にある僕の非常に好きな言葉です。「之れを知る者は、之れを好む者に如かず。之れを好む者は、之れを楽しむ者に如かず。」学んでいる者よりも、好きだと思っている者がいい。好きだと思っている者より楽しむ者が一番上>(河合氏講演より)

<自分が学んできたことを、いっぺんガッとつぶされる、あるいはガタガタと揺すられるのは、すごく大事なことではないでしょうか。そういうことによって新たな学びが出てくるわけです>(同上)

<わからんなりに何とかするでと言いながら、付き合っていくうちにだんだんわかってくるという経験はものすごくしました。これは学力なしで何とかする学力です。矛盾していますけどね。>(森氏の講演より)

<だいたい絵本や子どもの本でも、わからせるためにやさしくすることが大事なのではなく、わからんでもええから楽しめるようにするにはどうしたらええかを考えた方がいいと思います。>(同上)

<教授が賢くならなくて、赤の他人の学生さんを賢くしようというのは絶望的ですよ。お子さんを持っておられる方でいうと、お母さんがちっとも賢くならなくて、子どもを賢くしようというのは、原理的に無理ですよ。何せ自分が賢くなることが大事です。>(同上)

<過去に頼っていると自分が自由になれません。だからどんどん自由になったほうがいい…。…それでもさっきの教養みたいなものが残るんですよ。……そのときに割りに辛いのは、人間は自分の考え、自分から自由になるのが一番難しい。俺はこういう考えといって固まって、安心したがるんですよ。……自由というのは結局自分を膨らませることです。>(討議。森氏の発言より)

<「やったことはやりたかったこと やらないことはやりたくなかったこと」>
<「三日坊主も10回やれば30日>
(以上工藤直子氏の発言より。氏のおまじないだとか。)
河合氏は<「三日坊主は何もしない人よりも3日も偉い」>と言ってこられたらしい。

<児童観の変遷は、人間観のそれと不可分な関係にある。子どもについて知る(学ぶ)ということは、自分史を通して自分を知ることに他ならない。「自分探し」の課題は、子どもを手がかりとして始まるものと言える。>(工藤左千夫氏のエッセイより)

<「フルートを学ぶ」といえば、最初は、「いろいろな曲がフルートで演奏できるようになることだ」と思ってしまったけれども、よく考えると、とてもそんな単純なことではないとのことのようです。私たちは、フルートを通して「さまざまなこと」を学んでいるのです。その「さまざまなこと」の中には、フルートという楽器の特徴、フルートを演奏するときに「からだ全体を楽器にする」ということ、そもそも、自分で音楽を「表現する」ということの意味、モーツアルトという作曲家のすごいところ、バッハのすごいところ、……などなど、とうてい語り尽くせない無数のことを「学んで」いるわけです。>(佐伯氏の論考より)

今や寿命がのび、「生涯学習」に関心を持つ人が多いという。「学ぶ」ということを堅苦しくとらえずに、自分の興味のあることを(役に立つとか立たないとか関係なしに)とことん追求していくことがいいのではないかと思った。それが、たとえ中途半端なものに終わったとしてもー。

 


○やしき

2006-09-26 | 日々のあれこれ
子どもの学校の振り替え休日のため、出かけることになった。
めざすは、都内にある遊園地。ジェットコースターが壊れそうで(?)コワイという、いささか違った意味の怖さをもつ遊園地だ。

家を出たときはよかった。

……しかし、だんだん雲行きが怪しくなってきた。

遊園地の手前でお参りをしていたら、ポツリとつめたいものが、ほほに落ちてきた。

……ん、これはまずい。。。どうにか持ちこたえてほしい。。。

という思いとは裏腹に、「ポツリ」が「ポツリポツリ」になってきた。

遊園地に着くまでにみんな(子ども二人と母と私)で歩きながら相談した。
「こんな天気で、遊園地に入るべきか?入らざるべきか?」

せっかくここまで来たんだから入りたい!入らなかったらなんのためにここまで来たのかわからない!と主張する上の娘。

……まー、それはそうだな。。。
しかし、遊園地に入っても雨天のため、結局乗り物に乗れないんだったら、つまらないんじゃないか。。。
それに「入場料」だってもったいないし……という大人側の意見。

下の娘は、まだ自分の意見を持たないのか、この状況をよくわかっていないのか黙っている。

意見を出し合ったところで、平行線。
まー、とりあえず「遊園地」に着いてから決めよう!ということで、ひたすら遊園地めざして歩く、歩く。

ケンケンガクガクとしながら目的地に着いた途端、有無をいわさず白黒決着がついた。

ーーー「定休日 火曜日」ーーー

入り口のさびれたシャッターに、はげかけた黒い文字でそう記されていた。

……はー。遊園地に「定休日」なんてあるのー?……

みんなで、なかば呆然としながら来た道をとぼとぼともどる。

……なんだか、なさけないやら、ほっとしたやら。。。
上の娘もこれでは、あきらめざるをえない。

仕方がないので、行きにお参りしたところに寄って、おみくじをひいた。ここは、「凶」が出るのでも有名だ。

……結果「大吉」!!

やったー!ここで何度もおみくじをひいているが、大吉をひいたのは初めてだ。

このところ、モヤモヤと考えていることがあったのだが、このおみくじをひいたとたん、今日の天気と対照的に明るい「晴れ間」が見えてきた。。。(←すごいタンジュン。汗)

お昼においしい釜飯を食べ、和菓子と本を買って帰った。

なんだか、今日のこの記事のように「オチつかない」日だった(汗)


エールの交換

2006-09-24 | 日々のあれこれ
子どもの運動会のため、小学校の校庭へ行った。

青空に秋を象徴する雲。湿気のないさわなかな風。ふと空を見上げると、万国旗が風にはためいている。

児童入場。校旗を持った児童会長を先頭に、団旗を持った紅白応援団長、バトントワラーなどが続き、その後ろに全校児童が行進してくる。吹奏楽団の演奏に合わせて。

その光景で、私が一番目をひいたのは、「応援団長」だった。

白組の応援団長は、白い柔道着を着た体格のしっかりした男子。
紅組の応援団長は、黒い袴に赤いたすきをかけた背の高い女子。
……かっこいい……
特に女子!男子応援団長よりも頭二つ分ぐらいぬきんでている。

午後のプログラムの中で「応援合戦」があった。
紅組と白組が向かい合う形で、順番に自分の組の応援を披露する。
応援団長のかけ声と、おなかにひびくような太鼓の音。
応援団長を中心に、ポンポンをもった応援団員がまわりにいる。

「今年優勝するのはなに組だー!」「シロー!」というかけ合いとか
「チクサクコール」とか
「ウエーブ」とか
「三三七拍子」など。。。

……ものすごくなつかしかった。

ああ、そういえば日本の「応援」ってこういうのだったなー。
それの一番初めの体験が、小学校の運動会だったかもしれない。こうやって、ことあるごとに学校行事を通じて日本の応援のやり方を身につけているのだろう。

応援団長は、同じチームの子ども達と向き合って、自分の組の応援をしていた。が、最後に応援団長が相手の組の方にくるりと身体を向ける。

そして、いきなり相手のチームの応援を始めるのである。
白組側に立って見学していた私は、女応援団長の声がよく聞こえるようになった。
少々低い声だった。

「白組の健闘を祈りー。フレー、フレー、白組!」「フレ、フレ、白組。フレ、フレ、白組」との声援。

……?……

これって、「エールの交換」っていうものだったっけ?(汗)

相手の組の応援だからといって手を抜くことなく、みんな大きな声を張り上げて相手チームの応援をする。

世知辛い世の中になってきて、「自分さえよければ」とか「自分さえ勝てば人のことなんか知らない」……というような場面を見かけたりニュースで見聞きすることがままあった。そして、そんな風潮に嫌気がさしながらも、あえてそれに対して異を唱えていない自分に気づかされた。

「正々堂々と戦うこと」「相手の健闘も祈る」という精神。そして、相手にエールを送り、相手からもエールをもらう、ということのすがすがしさ。そんなことを子ども達のエールの交換を見て感じた。

……なんだかとっても新鮮だった。

……その精神を忘れたくないと思った。




五味太郎著 「ことわざ絵本」 岩崎書店

2006-09-23 | こんな本読みました

これは、子どもたちもだいすきな「五味太郎」さんによる、「ことわざ解読本」である!

著者の五味太郎氏は、数多くのユニークな絵本を著している方。なので子どもたちにもなじみのある作家さんのひとりだ。

さて、この本は見開き2頁を使ってひとつのことわざについて書かれている。

まず、右頁の右端の黒色の枠内にことわざがひとつある。
同頁にそのことわざの意味と絵があらわされている。
字は五味氏の手書きによるもの。
絵はことわざを具体的イメージできるようなものである。

例えば、ことわざ「たなからぼたもち」の場合。。。

少年がねっころがって口をあけている。そこに丸いものがたなから落ちてくる。そのたなには、ねずみと花瓶がある、というユニークな絵。

そこに、こんな文字。

<たなの上から なぜか ぼたもち(おいしいお菓子)が落ちてきた。おっ、得したね、というわけ。>

……これだけで、ことわざの文字通りの意味が子どもにもよくわかる。

しかし、それだけでは終わらない。

そのページの左端に<それは>とある。

その言葉を受けて、左の頁の右端に目をやると<つまり>とあり、

<なんの努力もしないのに けっこうなものが、手に入った、ということ。>

と、ことわざの本来の意味が書かれているのである。

そして、そのページにはこんな絵がある。

運動会のかけっこで一等賞になった子ども。きょとんとした顔でゴール。それが、いかにもおっとりした子どもの顔なのだ。そして、そのうしろで4人の子どもたちが、目を回したり、泣いたり、ころんだりしている。

……この文字と絵で、五味氏はこう結論づける。

<みんな ころんで 一等賞>

……という、とてもユニークな「ことわざ絵本」なのである。

ことわざの文字通りの意味が絵と文であらわされているだけでなく、そのことわざの使える具体的な場面を五味氏が想定して、絵と文字であらわしている。

なので、「こんな時に、こんなふうにことわざが使えるよ」ということがわかるのである。しかも、五味氏独特のひねりをきかせてー。

……いや、厳密にいうと実際の場面では「使えない」かもしれない。
なぜなら、この場合「かけっこで、自分以外の友だちがみんなころんでしまい、一等賞になる」という確率はかなり低いと思われるので。

……しかし、この「発想」がいい!おもしろいではないか!
どうして、このことわざから、こういう場面がおもいつくのだろう?
……と、著者のあたまのやわらかさに感心するとともに、ついつい笑ってしまう。

ちなみに「ことわざ絵本 PART-2」も出版されています。

 


河合隼雄著 「父親の力 母親の力」 講談社+α新書 ②

2006-09-22 | こんな本読みました

9月21日の続きです。。。

第四章では、教育に関して今の日本ほどお金のムダ遣いをしている国はない.。お金さえあれば、だいたいのことができるが、家族・子どもは思い通りにいかないもの。

舅、姑に邪魔されない夫婦だけの生活がひとつの理想のように考えられているが、それを追求するには、それなりの訓練が必要。しかしそこがまったく欠如している。

第五章では、昔の親は忙しすぎたし、お金もなかったので、子どもを適当に放っておいた。むしろそれがうまいこといっていたが、今はお金と時間があるから、特に母親が子どもの世界に介入しようとしすぎる。思春期にふさわしい、感情の揺さぶりを一家で全く体験できていない。家族だからこそあるはずの感情のぶつかりあいがない。発散できなかったものがストレスとなって、こどもの心の中に蓄積されていく。

学校が家庭の機能まで背負いこまされているというのは、日本特有の現象。

「学校はなにをしているのか」と批判しようと思ったら、いくらでも言える。ほんとうは、そういうことを言う前に、「自分の家で、自分はどうしているのか」ということが問題なのに。

今の親が自分の子どもを満足にしつけられないのは、「民主化」を勘違いした結果なのではないか。自由にするにも、一定のルールがあるということを理解しなかった。自由主義とか個人主義とかいうが、欧米の家庭では子どもをとてもきびしくしつける。

第六章では、家族間の葛藤・失敗談から解決法まで、世界の神話に語られている。家族同士が心を通わせようとしたら、どうしても対話するしかない。家族の誰かが問題を起こしたら、この辺で家族が対話しないと危ないぞというサインと考えた方がいいのではないか。

日本中が急激に変わりつつあり、さらに変わろうとしている時期。いろいろな要素が錯綜しているはず。勝手に悪者をつくり、みんなでそれを叩くことで、安心したい。が、誰が悪いかなどと考えるより、どうしたら解決の方法があるかを一緒に考えること。

現在は、家族というシステムにとっても大きな転換期。これまでに想像もできなかったいろいろな問題がいちどきに起こってくる。それはチャンスでもあるが、そのためにも、私たちは考え方をそうとうに改造していかなければならないのではないか。

……以上、心に残った点を列挙してみました。

他にもたくさん考えさせられる視点を提示してくれています。そして、これらを「手っ取り早く解決策を探そうとする」のではなく、まず、それぞれの家庭でどうしたらいいかを考えて実行していく必要があると痛感させられました。

いやぁ、それにしても。。。課題が多すぎ(汗) 


河合隼雄著 「父親の力 母親の力」 講談社+α新書

2006-09-21 | こんな本読みました

副題として<「イエ」を出て「家」に帰る>とある。

これは、河合隼雄氏が、臨床の現場で活躍している臨床心理士の方々の抱く疑問について答える形で、氏の考えが述べられている本である。

さて、ここで質問。
「あなたは、今、日本の家族に問題があると思いますか?」
……そう尋ねられて「いいえ」と答える人は、ほとんどいないと思う。昨今、家庭内暴力・殺人、児童虐待、キレる小学生などのニュースはあとを絶たない。

では「なぜ家族の問題が日本に多いのだろうか?」
河合氏は、2つの大きな要因があるという。

1つは、欧米の影響を受けて、日本人の価値観・家族観が急激に変化している。
もう1つは、経済的に急激に成長し、物質的に豊かになり、生活様式が変化したこと。

しかし、これらの<変化>に対して、<それに見合う生き方が考えられていない>というのである。

……それでは<変化>に見合う生き方とは?

第一章  家族とは何なのか
第二章  親子・夫婦の不協和音
第三章  父親のどこが問題?
第四章  母親のなにが問題?
第五章  子どもにとっていい家庭とは?
第六章  問題にどう対処するか
という章立てのもと、問題についての本質にアプローチし、問題解決の指針を提示していくのである。

まず氏は、昔の日本人の生き方・道徳観は「モノが少ない中で生きていくことが前提」になっているとし、「もったいない」「しんぼうする」「モノを分けあう」ということがあった、と説く。それも「自然」なかたちで身についていた。

また、昔の日本は「イエ」(家名)が大切だったが、今は欧米の「個人主義」の表面だけ(…つまりキリスト教の倫理観に裏付けられていない)真似て、「ゆがんだかたちの個人主義」が生まれているという。

……つまり「根本の前提」が変わってしまっているのだ、と。

以下、印象に残った氏の考えを、各章ごとに記してみる。

第一章では、家族を持つことの苦しみと大きな意味。自分の答えをつくりあげる練習の必要性。「家族の対話」を大切にする「家」を作っていかねばならない。

第二章では、親の権威について、親には子どもの苦労を見ていられるだけの強さが必要。男女関係・夫婦関係でも変わっていくべき。子どもが母性にあまり深くとりこまれると、自立しにくくなるという点の指摘。

第三章では、新しい父親像をつくること。知識的には大人だが、情緒的には子どもという人が増えていること。やりすぎることで生じる親子メールの弊害について。

また、父親が子どもに対して自らの権威を示すためには、これは絶対に誰にも負けないとか、おれはこういう人生観でこういうことをやっている、こういうものを持っていることが必要である。

・・・・・・ (つづく)・・・・・・


かこ さとし 絵・文 「からすのパンやさん」 偕成社

2006-09-20 | こんな本読みました
なんと、この本、第1刷が1973年(今から33年前!)。
1999年7月で。。。
……218刷!
……も、ものすごいロングセラー(汗)……

どうしてこんなに長く、読み継がれているのでしょうか?

……それは、この本が魅力的だからでしょう。それしかないっ!と思います。

「からす」というと、真っ黒で、くちばしが鋭くって、ごみを漁って。。。ってあんまりいいイメージがありませんよね?でも、この本のからすはちがうのです。

いきなり、からすのすむまちを「いずみがもり」といいます。
このネーミングだけでひきこまれませんか?
そして、からすのパンやさんのおみせがあるところが「くろもじさんちょうめ」。からすのすむ世界が急に身近なものに感じられてきます。そしてなにかがおこりそうなわくわく感をいだきます。

そのからすのパンやさんによんわのあかちゃんがうまれます。しかも、色は黒くないのです。
どんな色かって?名前から推測してみましょう。オモチちゃん、レモンちゃん、リンゴちゃん、チョコちゃんというのです。
……わかりますよね?(笑)。その発想がおもしろい!


おとうさんとおかあさんは一生懸命子育てとパンやさんをするのですが、いそがしくて、おみせがきたないまま。おきゃくさんがへってだんだんびんぼうになっていきます。

さあ、それでどうしたのでしょうか?

なんと、子ども達もパン作りを手伝うようになるのです!。

家族全員で、パンのこなをねったり、まるめたり、かまどでやいたりー。
この絵がとてもいいのです。いっしょうけんめい働いている様子がユーモラスに描かれています。

そして、食パンとかフランスパンだけでなく、おやつパンも作るようリクエストされジャンジャカジャンジャカつくるのです!
その絵が見開き2ページにダーーーッと描かれているのです。このパンの絵を見ているだけで楽しいくらい。

さて、どんなパンがあるのでしょうか。
「きょうりゅうパン」「かえるパン」「こねこパン」「えんぴつパン」「ピアノパン」「かみなりパン」……。ね?おもしろいでしょう!

これが評判になり、からすたちが集まってくるようになります。

が、あるとき、あわてんぼうのゴロベエどんが、「「パン」がやけたことを「店」がやけた」と勘違いして、しょうぼうしょに電話をかけてしまいます。

たくさんのからす達が一同に会し、店はてんやわんや。そこで、どうなったのかー。

この続きは、ぜひ、本をとって読んでみてください。
おとうさんの知恵とか、てんやわんやのからすの様子や絵を存分に楽しめることうけあいです!