10月14,15日に紹介した本の著者の第二弾!です。
以下が目次
はじめに
第一章 育児論の混迷
第二章 子育ての現実
第三章 裏目に出た伝統
第四章 子育てがつらい!
第五章 母親に「しつけ」はできない
第六章 女性が働き続けられない日本社会
第七章 正しい子育てはどこに
おわりに
これもやはり乳幼児の育て方について書かれている。前に紹介した本(『母子密着と育児障害』)と違うのは、ご自分の主催されるNMS(ニューマザーリングシステム)の方の育児に関する悩みや、通信教育を受けての感想。そして各種データ、母親の世代の特長などを具体的に挙げているところ。なので現代の母親像や育児の様子が、よりつかみやすくなっている。
<>は、本書からの引用部分です。
<現代の母親たちは、「貧しさ」のなかでの子育てのノウハウは心得ていても、「豊かさ」のなかでのそれを知ってはいない。いや母親ばかりでなく、日本人全体が知らない。>
同感である。母親は常に悩んでいると思う。うまくいかないことも多々ある。いや、そのほうが多い?その「豊かさのなかでの子育て」の方法。それを手探りでさがしているのが現代だと思う。
<赤ちゃんの欲求はすべてかなえてやることが善である。これがいま、日本で流行している子育ての基本思想である。>むかしは、かなえてやりたくても、母親のが忙しくてかなえてやれなかった。しかし、今は<「家事」の名で呼ばれていた労働のほとんどは家庭から姿を消してしまっている。><いまや、子どもをいじくりまわしてでもいなければ、母親が何のために家庭にとどまっているのか、言い訳のできない時代がやってきている。>
そこで、<親が赤ちゃんを一日中抱いたまま育てている><泣かれればすぐ抱く><泣けばおっぱい>。つまり、<母親たちは心ゆくまで子どもに手をかけるヒマを手に入れている。>
しかし実は、<赤ちゃんが寝てばかりいるこの時期に、親が子どもをどう扱うかということにこそ、赤ちゃんのその後の人生を左右する鍵が潜んでいる。>という著者。
以下のように、池田市の小児科医・槙野幾之輔の研究(リーフレット)より引用している。
<赤ん坊が生まれます。母親は本能的にこの可愛い子のためなら何でもしてやろうと思います。だから赤ん坊が泣くとヨシヨシと声をかけ、抱き上げ、お乳を与え、オムツを替えたりします。しかし母親が、泣く度に反応していると、泣けば何でもしてもらえるという「悪い条件反射」が生まれます。泣けば思い通りになることを覚えた子はどんな性格になるでしょう。そんな子は「辛抱」する心が育ちません。>
上記のような声を発する人がきわめて少なく、逆に母親の愛の不足を言挙げする「先生」の言葉ばかりがマスコミに出現することが不思議でならないと著者は言う。
<こうしてわがまま勝手な幼児が大量生産され、乳時期を脱して行動半径が広がってくると、そのわがままっ子に振り回される母親のイライラは増幅してくる。>
<母親が育児の失敗に気づくのは、Yさんのように二番目の子どもの誕生を機とすることが多い。それまで王様・女王様として育ってきた長子が、二番目の出現にパニックになり、猛烈な抵抗を始めるからである。>
*Yさんというのは、「とある育児の会で、母乳は本人からやめるまで、何歳になってもあげていい。おっぱいは泣いたらあげる。夜は添い寝でいい。と言われ、下の子が生まれるまでずっと実行してきた」方(*はガーベラによる註)
<この時点でたいていのお母さんは、ガミガミ型の母親に変身していく。それまでのように、子どもを全面的に受容していては、日常生活まで成り立たなくなってしまうからだ。><「先生」たちが母親の変貌のすさまじさに呆れているが、しかし母親の変貌の遠因は自分たちが彼女に教え込んだ母子密着の子育てにあることに気づいていない。>
著者は、この「先生」にも目を向ける。
<彼らの「やさしさ」はもっぱら子どもだけに向けられていて、母親の存在は視野の外にある。自分たちの勧める育児法が、母親にどんな負担を与え、結果としてどんな母子関係をもたらすかということが見えていない。>
この「先生」とは、泣けば抱っこ、泣けばおっぱい、寝かしつけは抱っこで揺らしながら……という育児を推奨する学者や小児科医のことをさす。
<親のしつけがもっとも効率よく子どもの身につくのは、ゼロ歳から二歳ぐらいまでの時期なのだが、この大切な時期に親たちは「まだ小さいから」と何から何まで面倒を見、どんなわがままも許してしまう。そしてすっかり「やらない」生活が身についてしまった頃、口やかましく「言ってきかせて」やらせようとする。しかし時はすでに遅い。>
<たしかに親の「厳しさ」が理不尽なものであった場合、思春期になった子どもに手ひどいしっぺ返しを受けることはある。しかし私は、親の「筋の通った厳しさ」が親子仲を破壊した例は見たことがない。>
また、日本社会が母親に冷たいことにも言及している。
<たとえば子連れの母親が電車のなかで冷たく扱われる情景などにも、その現実は象徴的に現れているような気がする。人々は、子育てというものをまったく私的な営みと取り違え、とくに家庭で子育てをしている母親を支えようとはしない。>
筆者は、子どもをどうしつけていくか。そのために母親はどうすべきか。その母親はどうして子どもに密着するようになったのか。その母親をめぐる社会はどうなっているのかなどについて述べていく。そして、女性が働き続けることがむずかしい日本社会について言及していくのである。また、ごく一部を除いて、出産・育児でごくすんなりと職業を中断する実情があることも。
では、政財界を動かしている人が女性のライフスタイル(「中断再就職」)を変えようとしないのはなぜか? それは、<主婦たちは介護の担い手として期待されている>からであるという点をついていく。
<家庭にとどまる母親に、仕事の名にふさわしい家事労働がある間はまだよかった。いま、生きるにふさわしい「仕事」を失った彼女たちは、「ラクで楽しい生活」の頽廃の中に沈み込み、唯一の生きがいとして子育てにすがりついている。>
……子育てを母親の生きがいにしてはいけない。では、その母親はどうやって生きていくのか?日本の男性の過重な労働。はたまたリストラ。子どもをめぐる家族のあり方。。。なかなかにむずかしい問題が山積している(と思いませんか?汗)。。。
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