にっきゃんさんの拙ブログに対しての感想を読んで思った事ですが、まず、誰しも自分の音が普通だと思っている事。当然、誰に聞かせるわけでもなく、自分自身で今迄調整してきたわけですから、自分の音が一番自然でしっくりくるのは当然だと思います。
ただ、音楽再生に対するアプローチの仕方が、それぞれに違いがあると言う事ではないでしょうか?大佐殿などアプローチの仕方も明確ですから、非常に理解しやすい事柄が多いように思います。
「ライブ会場そのものを表現したい!」とても明確なヴィジョンだと思います。当然に実体感のある音が再現されないと駄目ですが、それ以上に音楽つまりは「演奏者のハートが伝わってこないような機器は全く評価に値しない機器である」との事です。
いくら、オーディオ的に正確な再生をしていても、音が無機的であったり感性に訴えてこないものはこれも評価できないもののようです。何度か聴かせて頂いて大佐の明確な表現の方向性を見させていただきました。
でも、音を文章にするには大きな無理があり、いくら素晴らしい表現ができている文章があったとしても、実際に聴いてみないと解らない事が多々あります。こればかりはどうしようもありません。
大佐殿は大佐殿のアプローチの仕方であって、誰しもにあてはまるものでもないと思います。あれだけライブが好きでライブの再現を全ての基準にしている大佐殿の音と、これもライブの運営側に居るほうがしっくり来るほど音楽に浸りきっていたにっきゃんさんの音が正反対と言ってもよいほどに違いがあります。
大佐殿も書いておられますが、どちらが良いか悪いか、上か下かという安易な表現など当てはまらないでしょうし、それぞれに音楽に対する思いが違いますので色々な表現があって良いのではと思います。
にっきゃんさんは普通の音と言っているものが、私にとってはにっきゃんさんが完璧に管理された音に聴こえたと言う事も同じでは無いでしょうか。
「自分の音は普通ですよ。」と言いきれるのは、ある意味謙遜も含めての事かも知れませんが、それだけ自信をもてる音が再現されていることの裏返しだと思います。まだ、自分の中で消化仕切れてないのですが、素晴らしかった事に変わりはありません。
ただ、音楽再生に対するアプローチの仕方が、それぞれに違いがあると言う事ではないでしょうか?大佐殿などアプローチの仕方も明確ですから、非常に理解しやすい事柄が多いように思います。
「ライブ会場そのものを表現したい!」とても明確なヴィジョンだと思います。当然に実体感のある音が再現されないと駄目ですが、それ以上に音楽つまりは「演奏者のハートが伝わってこないような機器は全く評価に値しない機器である」との事です。
いくら、オーディオ的に正確な再生をしていても、音が無機的であったり感性に訴えてこないものはこれも評価できないもののようです。何度か聴かせて頂いて大佐の明確な表現の方向性を見させていただきました。
でも、音を文章にするには大きな無理があり、いくら素晴らしい表現ができている文章があったとしても、実際に聴いてみないと解らない事が多々あります。こればかりはどうしようもありません。
大佐殿は大佐殿のアプローチの仕方であって、誰しもにあてはまるものでもないと思います。あれだけライブが好きでライブの再現を全ての基準にしている大佐殿の音と、これもライブの運営側に居るほうがしっくり来るほど音楽に浸りきっていたにっきゃんさんの音が正反対と言ってもよいほどに違いがあります。
大佐殿も書いておられますが、どちらが良いか悪いか、上か下かという安易な表現など当てはまらないでしょうし、それぞれに音楽に対する思いが違いますので色々な表現があって良いのではと思います。
にっきゃんさんは普通の音と言っているものが、私にとってはにっきゃんさんが完璧に管理された音に聴こえたと言う事も同じでは無いでしょうか。
「自分の音は普通ですよ。」と言いきれるのは、ある意味謙遜も含めての事かも知れませんが、それだけ自信をもてる音が再現されていることの裏返しだと思います。まだ、自分の中で消化仕切れてないのですが、素晴らしかった事に変わりはありません。