ROKSANのつぶやき

独断と偏見に満ちた時遊人の日記

拙宅のサウンドその後

2014-04-19 22:10:53 | オ-ディオ



ヤマテツさんのブログがアップされておりますので、そのタイミングでこちらのほうもアップしようと思いました。

元はと言えば拙宅のサウンドがあまりの変貌ぶりに私自身が浮き足立っておりまして、

低域の充実ぶりにバランスが崩れているのも忘れてはしゃいでおりました。何と恥ずかしいことかと赤面いたしました。

ヤマテツさんやRayさんのことですから、お優しいお二人では「少し変なバランスだなぁ!」

「前のほうが良かったんじゃ?」と思われていたに違いありませんが

「クラシックの方が良いですね」とお優しい評価を頂いて穴があったら入りたい心境でありました。

しかし、もう一人の方はそうそう甘くはありませんで、あんな音で許してくれるはずもなく

翌日、直ぐに電話がありました。

「僕に少し考えがあるので、今度伺います」とのことでした。

そうしている内に、尾崎さんのお店のイベントの日にこのスピーカーケーブルを渡られました。

「ちょっとこれを聴いてみてください」

そのケーブルは以前上様がアルテックを使っていたときのもので、長さは20メートルはあろうかという代物でした。

私のほうも「スピーカーケーブルで少しは改善されるのではないか?」と思って、

チクマの極細単線に交換したりしておりましたがあまり改善の方向には進みませんでした。

こうなったら吉田苑で扱ったいる「シュテルンクランクのエフェメラ
にでも変えようかと真剣に思っている矢先のことでした。

このケーブル「ベルデン」らしいのですがベルデンといえば皆さんご存知の497(オレンジと黒のツイストケーブル)

が頭に浮かんでくると思いますが、実はこのケーブルはそれではなく

クラシックシリーズの8460タイプのようです。軟銅の撚り線に錫メッキを施してあるものですが、

今の物は白黒に変わっているようです。以前は非常にポピュラーで安価なもののようでした。






しかしながら、現在のモノは全く別物の音がしており、やはり以前の赤黒のものでないとこの様な音のは成らないようです。

では具体的にどう変わったのか?

まず、いちばんの違いは中域が張り出してきて音楽的なバランスがフラットになった。
(これはあくまでも聴感上のもので周波数帯域がフラットになっているかは解りません)

と言うことは音楽を違和感なく聴ける環境に近づいて、やっとスタートラインに立ったということです。

スピーカーコードを変えただけでこんなに変わって良いのか?と思うほどに変化がありましたが

これで完結というにはそう甘くはいかないもので、70点には程遠い状態であることに違いはありません。

雰囲気はあるがもう少し力が欲しい!上下の抜けが少し悪い感じがする。

等々改善すべき課題が残りました。試したコードが片側20mはありましたので、上様に

「3mほど譲っていただけませんか?」と電話したところ

「じゃ今度の日曜日に伺います」と言うことになり、自宅クリニックが始まりました。

日曜日の昼下がりにお二人でお越しになり、拙宅も家内がおりましたので

いつものオフ会とは全く違った形のオフ会になりました。

まず、上様が尾崎さんに頼み込んで分けて頂いた3mあまりのケーブルの末端処理をして頂きまして

片方にバナナプラグを取り付けていよいよ試聴が始まりました。

あまりのことで何から聞き始めたのかすっかり忘れてしまいましたが、いつものヨーロピアンジャズから始まって

ロドガブ、フェイキー、スリーギターズ等々ひと通り聴いたみたとおもいます。

とても、良いバランスで音楽が流れているのですがいまひとつグッと来るものがありません。

そこで、上様からの提案で(静のケーブルノイズキャンセラー)を設置しました。

これで、音が激変しました。

当然ながら以前ブログにもアップしまして効果のほどは痛いほど解っていたつもりでありましたが

これほど激変するとは「想像の範囲を大きく超えて音楽が迫ってくる感じです。」

「いちど出るだけ出した音のエネルギーをギューっと絞って音の芯を作った感じ」

「幾つもの繭玉から一本の絹糸を捻りながら束ねていく様」と言ったら良いのか

表現のボキャブラリーが豊かでありませんので解りにくいかもしれません。

音の浸透力が倍増どころが「表面的に相槌を打って頷いていた話相手が、

急に目を爛々と輝かせながらこちらに迫ってくるよう」

とでも喩えるべきか・・・。

ここで追い討ちをかけるかのようにもう一組の「静」を投入する運びとなりました。

とうぜん音の芯が増して浸透力も上がったわけですが上様曰く

「線が細いので静を二重に巻いてみれば」

それが、この画像です。(少し解りづらいですが)



丁度ダブルで設置したような効果が得られて、これからは片っ端からCDをかけ続けたのは言うまでもありません。

特筆すべきは中域の浸透力と解像度が大幅にアップしたことです。

具体的には「鐘のディスク」



冒頭の鐘の音が以前でも結構リアルに再現されていたのですが、今回はその鮮烈さに加えて音に重みが加わった感じです。

要するに軽い高音は容易に再現することが出来ますが、重い高音は中々聴けるものではないような気がします。

特にコンプレッションドライバーを使用しない状況においてはその傾向が顕著であると思います。

女性たちのコーラスに続いて男性のコーラスが明確に解像度を伴って浸透してきます。

今までとは全く違った感じ方で迫ってきます。綺麗な空間表現だけではなく

そこに歌われている思いまでが表現されているように感じられます。

つぎに、MAレコーディングス ミシェル・コダール 「スー・レ・ヴートゥ・ル・セルバン」


冒頭ののこぎりのような金属音から始まってセルバンの響きにつれて、突然現れるパーカッションの

木の質感や質量がリアルに表現されているとともに、いつまでも空間に留まって波紋を広げながら消えていく

トライアングルの金属の重さが感じられるかがキーポイントなのですが、

より重みを増して表現されていることに感心しました。



そして、カンターテ・ドミノです。(どうしてクラシックばかりなのか私にも解りません)

このCDは当然ながら皆さんご存知でしょうから、いろいろな再生を聴いていると思いますが

恥ずかしながら「空間表現と響きの素晴らしさ」がいちばんの聴きどころと勝手に思っておりました。

ところが今回初めて、聴くことが出来た表現ですが、

鮮明に分離されたコーラスが恐ろしいほどの解像度をともなって空間を埋め尽くしています。

それに続くブラスのなんと太くて逞しい音は音楽の表現を根底から覆すのにありあまるものでした。

やはり、各パートに刻まれた楽器の音は当然ながら考えつくされたおり

音楽の重要な一部分を担っているのだと思いました。いちど放たれた音はどんな場合も必然であり

一つ一つが重要な意味を持っているのだと気付きました。

上様がたばこ休憩にベランダに出られて、やっと冷静さを取り戻しました。

いつもの、ヘイリー・ローレンです。



やっと、上様の顔に安堵の様子が見てとれました。

「そとにもれて聴こえてくるヘイリー・ローレンの声の出方が全然違っている!」とのことでした。

これで、一安心された様子で、かみさんを含めた4人で色々なオーディオの話を

CDを聴き比べながらして頂きました。

かみさんも含めて非常に充実した内容のあるクリニックであったと思います。

上品な味の「出汁巻き」をおみやげに、上様には感謝です。

また今後の課題はないわけではありませんし、目一杯出しつくしての表現ではありませんから

これが今後の課題になったとおもいます。まだまだ先は遠いようです。