ROKSANのつぶやき

独断と偏見に満ちた時遊人の日記

にっきゃんさん宅再訪問

2014-08-16 18:13:39 | オ-ディオ
お盆の15日、この日徳島は阿波踊りの最終日とあって徳島市内は大盛り上がりでしたが、

毎年のように、にっきゃんさんは徳島脱出されていたようでした。

これは、にっきゃんさんのお父様からの伝統のようですね。

お父様もこの阿波踊りの間は避難されていたようでした。

さて今回はお借りしていたAHのDACの返却と久々ににっきゃんさんの音が

変わっている事を聴かせて貰おうと押しかけた次第です。

ブログをアップする前にfacebookに画像をアップしましたが

あやまってその画像を削除してしまい、ブログに掲載できませんでした。

以前と違ったところは、まずセッティングをもう一度追い込んだそうです。

いぜんは、カルダスセッティングをされていましたが、

今回は平行法を採用したとの事です。



これが前回のセッティングです。大きく変わっていないようですが

かなり位置関係を追い込んだそうです。



これも前回の画像ですが、セッティングが少し違っていました。



これは前回の画像ですが、電源ケーブルがカルダスのリファレンスからベルデンに変更してあります。

拙宅では平行法はあまり良い印象がないので、少し疑問視しておりましたが

その心配は1音でたところで吹っ飛んでしまいました。

あの、大きな620Aの完全に存在がきえてそこには広大な音楽空間があるのみでした。

比較的小柄なスピーカーではセッティングでスピーカーの存在が消えることは

あるのですが、このサイズのスピーカーが見事に消え去る体験ははじめてです。

先日、吉田苑でTIDALを聴いた時も完全にスピーカーの存在が消え去って

部屋中に音楽が充満しておりました。

今回はヴィンテージと読んでもいいぐらいの年代のスピーカーでも

このようにセッティングで空間表現が出来る見本を教えられたしだいです。

クロスセッティングも試されたようですが、

平行法に比べて音がきつくなりすぎるようで採用しなかったそうです。

それとケーブル類をスピーカーケーブルを除いて全て

カルダスからベルデンに交換したそうです。

以前はカルダスのケーブルでセッティングもカルダスで

非常に上手くコントロールされた音である意味ALTECの音はしなかった

(あえて出さなかった)のですが、それが私には違和感があり

にっきゃんさんには申し訳なかったのですが「私の思う音とは違って違和感がある」

とはっきり申し上げました。

そこは、親子ほど年がはなれておりますのでお許しを頂いて・・・。

しかし、今回は全く違っておりました。

まず、音に力があり音の芯もハッキリ出ている為に音楽の説得力が段違いでした。

その上驚いたのが、スピーカーの後ろの空間が広大な割りに出てくる音は力があり

ボーカルと楽器の位置関係も明白で、奥から聴こえてくるバスドラの音の

力強さときたら今まで体験した事がないような鳴り方でした。

先日某所で録音が悪いと言われた



ももの凄い存在感のある分厚い音が部屋中に広がりました。

特にピアノの左手の音の厚みと言ったら言いようがないぐらいに迫ってきます。



りゅうとぴあのパイプオルガンの空間表現も広大でその上に上空から降ってくるようなオルガンの

表現も充分に確認できるぐらいに上下左右に浸透していきます。

低域もALTECからこんな重低音は出ないだろうと思わせるぐらいの音がでており

やはり、システムを追い込んでいくとこれ程までの音が再現できると言うことを

改めて確認できたしだいです。



ロドガブのジャパンライブも柔らかいギターが実在感のある空間に

広がっていく様は圧巻でした。

セッティングとケーブルの交換でこれ程までに音楽の表現が何段階も

アップするものかと思い知らされました。

前回のコントロールされている音では、ある程度の表現は再現されるけど、

不自然さが残り音の鮮度感がスポイルされていましたが、

今回では前回違和感がありどうしても私的に納得できなかった項目が

全て払拭されており、その上に体験したことがないような空間表現に

力強く音の芯が表現されてこの上なく新鮮でした。





一際悔しいのが、拙宅ではどうしても抜けきらない音で

欲求不満になりがちなFRIED PREIDのtwo,tooやmusicreamがしっかり鳴っております。

とても悔しくて帰宅して確認しましたが、高域は抜けているものの

中域の充実と力強さが解像度の高さとあいまって上手く表現されている感じです。

これは、拙宅でも頑張らないとにっきゃんさんに大きく水を空けられてしまいますので

オーディオに取り組む姿勢も真剣に取り組まなくては・・・。

先日まで変な音を聴いてオーディオのやる気が失せておりましたが、

今回のにっきゃんさんの音を聴かされてまたふつふつとやる気が沸いてきました。







ケーブルの不思議

2014-08-09 16:33:37 | オ-ディオ
前回の拙宅オフ会から5ヶ月が経ち、その後スピーカーケーブルをベルデンの

ヴィンテージモデルに交換して低域の被りが消え、各楽器の存在が以前にも増して

くっきりと浮かび上がって躍動感も素晴らしいレベルまで引き上げられた感じでした。

ここまできたら欲が出るもので、高域の抜けがもう少しだけ向上すれば、

当面の目標だったものが取り合えず達成されそうな領域がみえてきました。

上様にはこの先まだやれることがあるようで、具体的には聞きませんでしたが

秘策を秘めている感じがムンムンしていました。

しかしながら当面私の方はこの状態で暫く聴きこんで、

次回のヒントを探っていく方向で進んでいくようにしました。

仕事の方も新しい部署に配属がきまり、正直オーディオどころじゃなかったと言うのが現実でした。

かなり聴き込んだと言うのは嘘で、なかなか思うように時間が取れずに

時間があるときに集中して聴いておりました。

そうこうしている間に先日の香川うどんツアーでオーディオに

嫌気がさして暫くお休みしたい衝動にかられて、アンプのスイッチも

1ヶ月ほど入れる事もなく過ごしておりました。

有難い事に小生のようなものでも今後お付き合いをしていただける方が何人かいらっしゃって、

その方々のお話を聞かせていただけるだけでも非常に心強く思った次第です。

やはり、信頼の置ける仲間が数人でも居てくれることが

心の拠り所になることを思い知らされました。

先日のオルフェのサンバさん復帰オフ会で、小生も完全に吹っ切れた感じで

オルフェのサンバさんには感謝しております。

本当に素晴らしい音で音楽が躍動しておりました。

非常にSNのすぐれたハイエンドなサウンドで、拙宅では到底再生できないような

鳴りっぷりに元気を貰った感じです。

またまた、長い前置きになってしまいましたがオーディオの難しさを

また思い知らされたことがありました。

話が冒頭のベルデンのスピーカーケーブルに戻りますが、

正直、交換した直後は中低域が締まった感じが出てきたものの

まだ、力強さがなくて低域と高域を少し圧縮したような感じが残っていました。

そこで「静」のCNC-20-200のケーブルノイズキャンセラーを装着すると

音の芯と力強さは出てきましたもののその感じはまだ残っておりました。

このつまった感じがどの時点で無くなったかはハッキリしないのですが

先日紹介したファンダメンタルの電源ケーブルACC180が引き金になりました。

ACC180の導入はいちばん効果の出るDACのdc1.0に使っておりましたが

どうしても以前のような力強さが少しだけ足りないように感じられましたので

元の純正ケーブルにハッベルのプラグをつけた物に戻しました。

新しい電ケーのACC180はトラポのct1.0に戻して真剣に聴き込んだ結果

スピーカーケーブルのエージングも進んでいた所為もあったと思いますが

高域方向の抜けも申し分なくその上に力強さもスポイルされることも皆無で

太いシンバルの音も健全でパーカッションの輝きもきらびやかに再生されております。

可聴帯域における再生に於いては「ヴィンテージケーブルだから高域の抜けが少し足りない」

ということは全くないどころか充分すぎるほどに再生されているという事です。

今まで思っていたことは小生の大きな間違いであったことが証明されました。

音楽を再生するにあたって可聴帯域で少し違和感がある場合、

その機器がヴィンテージであるとか最新式に機器であるとかは

全く関係のない事柄でそのシステムの持つポテンシャルを

セッティングや使いこなしで充分に引き出してあげることの方が

最重要課題であると今更ながら思い知らされました。

思い返してみると当然と言えば当然で、音楽の再生に於いては

今も昔も変わることがなく、スピーカー自体の構造が何らかの素材で

空気を震わして音にしていると言う根本的なことが変わっていないのですから

ヴィンテージだから霞がかかったような味わいのある音がするとかは全くの嘘で

当時、映画館の隅々まで音が浸透していくように作られた機器で

あいまいな音であるはずがありません。充分に調整されたウエスタンのシステムを聴いても

その音楽の浸透性は半端ではありません。

システム自体音楽が旨く伝わってこないのは、そのシステムの使いこなしが充分でなく

間違った方向に調整されていると言って間違いないように思います。

今一度システム全体を見渡して、要らない物を省いてシンプルに戻して

再構築されることを提案します。


オーディオに於けるコストとは何だろう?

2014-08-08 21:18:50 | オ-ディオ
最近、特にオーディオに対するコストパフォーマンスと言うことが気になって仕方がない。

本来コストパフォーマンスはあって当然なのであるが、

ことオーディオに関しては大きく意見が分かれる状況であるように思う。

最近、ファンダメンタルの電源ケーブルを購入したのですが、10800円でも「ぼったくり」と

書かれているのを見かけるといったいコストパフォーマンスとはどういうことか考えさせられる。

確かに線材だけの価格は数百円かも知れないけれど、それを単純に製品価格と比較するのはどうだろう。

その上にそのケーブルの効果も人それぞれであるし、絶対に安いと感じる人もいれば

全く、見合った価値が見出せない方も居られるとおもうが、それをトータルで考えた時に

そう簡単に良い悪い(コストパフォーマンスが高い、低い)と判断するのは如何なものであろうか?

コスト的には安価なものであるが、トータルの音決めをした時の作業(費用)対効果はいくらかかったのでしょうか?

ハードばかりが持てはやされて、その裏にかかったソフトの価格など無視という国がこの日本ですね。

不思議とこの国はソフトの面にはお金を払う習慣がないのか・・・。

残念ですが何時までたっても3流で振興国から抜け出せない。

当然ながらケーブルにウン百万円も出せる方はそもそもこんな話には乗ってこないし、

当然、コストパフォーマンスなど当てはまる訳でもなく、

兎に角「高いものの方が絶対に良い」と信じ込んでいらっしゃる方が殆んどですから。

しかし問題なのは、こんな決して高価でもないケーブルにまでも

「見た目が悪い、もう少し価格ににあった物」などと平気で言う方がいらっしゃるので、

これも反対の意味で困り者です。この価格で見た目優先とは・・・。

音が良ければケーブルなど目立たない方が宜しいんじゃないでしょうか。

その感覚の方がずっとまともだと思うのですが・・・。

いつもながら、話があらぬ方向に行ってしまって「最近、欲求不満なんでしょうか?」

企業の製品コストというのはそう簡単に計れるものでは無いと言いたいのです。

企業として製品にするには、膨大な数のカット・アンド・トライがなされているということです。

たかが線材でもそうですし、スピーカーユニットや抵抗、コンデンサーやその他の部品にしても、

どれだけの数から選別しているのか計り知れません。

わたしは決してメーカーの人間ではありませんし、メーカーの中にもいろいろな企業がありますので

全てに当てはまるとは言いませんが、それでもメーカーとしては最低限の安定した性能を提供する

使命がありますので、たとえば真空管をヴィンテージの物に変えると信じられないぐらいの

パフォーマンスを発揮するメーカーも事実ありますが、そんな、安定供給出来ないものは

製品としては採用出来ないということです。

また、ユニットにしても、個体差がありますから左右の特性を合わせるために

これまた膨大な中からの選別がされています。

「ただただユニットの価格がこれだけだから製品の価格はこれくらいがが妥当である」とは

単純に比較が出来ないのはあたりまえですし、

高価なユニットを製品に纏める一番重要な作業に

いくらコストがさかれているか解りません。

素材にしてもロットがありますからそのロットを賄えるだけのものが確約できないと製品にはできないのです。

このことはオーディオだけではなく全ての生産品に当てはまります。

製造業に少しでも関わったことのある方なら直ぐに理解してもらえるでしょう。

全てとは言いませんが、製品になるまで途方もないコストがかかっています。

製品としての価値は、みてくれや使ってある部品の価格で

判断できるような単純なものではないと断言できます。

また企業として、そうあって欲しいという事を強く望みます。

個人レベルでどうこう言うのはまだ良いのですが、

そんな浅い知識で他人を巻き込むのはやめて欲しいものです。