優子はだんだんと洋裁師への道へと邁進し、直子は優子のそんな姿がおもしろくないという感じでしょうか。聡子は、相変わらずのマイペース。でも、三人とも有名なデザイナーになるとわかっているので、こういう過程を経たのだなと思うとお話がリアルに感じられます。
昭和32年(1957)秋。
優子の里帰り。すっかり言葉が東京弁。直子は、そのしゃべり方、気色悪いと言います。私も聞いていて違和感が大。たとえ東京では東京弁だったとしても、ふるさとに帰ればふるさとの言葉になるのが自然ではないでしょうか。
優子は、東京に呼んでくれた「原口先生」にかぶれています。二言目には「原口先生が。」
わらび餅を食べながら、千代が優子のことを心配します、優子が原口先生のことを好きだと思っているようです。
《今回のオモロー》
千代の心配に対して糸子が「おかあちゃんはな、若い頃はべっぴんやったよって、男ちゅうたらよってくるもんと思うてるやろ。そんなことないんや。優子かて見てみい、まだまだじゃがいもみたいなもんや。」「優子は今日帰ってきたときかて、あれどこの女優ちゃうぐらいきれいなってたしな。」「身内の欲目や。」
二人の会話はユニーク。糸子は千代のことを若い頃といっていましたが、今でもべっぴんですよ。
優子は妹たちに、姉妹の誰かが背負わなければいけないものを自分が背負っていると言い放ちます。そういう言い方、たぶんもし直子の立場ならカチンときます。優子は、調子に乗りすぎではないでしょうか。
昭和32年(1957)11月。
糸子は女の経営者たちと会合。皆研究熱心で、嬉しいし頼もしいことです。
アメリカ商会に男の人-それは、原口。
昭和32年(1957)秋。
優子の里帰り。すっかり言葉が東京弁。直子は、そのしゃべり方、気色悪いと言います。私も聞いていて違和感が大。たとえ東京では東京弁だったとしても、ふるさとに帰ればふるさとの言葉になるのが自然ではないでしょうか。
優子は、東京に呼んでくれた「原口先生」にかぶれています。二言目には「原口先生が。」
わらび餅を食べながら、千代が優子のことを心配します、優子が原口先生のことを好きだと思っているようです。
《今回のオモロー》
千代の心配に対して糸子が「おかあちゃんはな、若い頃はべっぴんやったよって、男ちゅうたらよってくるもんと思うてるやろ。そんなことないんや。優子かて見てみい、まだまだじゃがいもみたいなもんや。」「優子は今日帰ってきたときかて、あれどこの女優ちゃうぐらいきれいなってたしな。」「身内の欲目や。」
二人の会話はユニーク。糸子は千代のことを若い頃といっていましたが、今でもべっぴんですよ。
優子は妹たちに、姉妹の誰かが背負わなければいけないものを自分が背負っていると言い放ちます。そういう言い方、たぶんもし直子の立場ならカチンときます。優子は、調子に乗りすぎではないでしょうか。
昭和32年(1957)11月。
糸子は女の経営者たちと会合。皆研究熱心で、嬉しいし頼もしいことです。
アメリカ商会に男の人-それは、原口。