金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

中国の証券業自由化は近い

2007年05月15日 | 国際・政治

国に勢いがあり、世界の経済に大きな影響を与えるとなると国際的な新聞が割くスペースが大きくなる。昔ファイナンシャルタイムズなどのアジア紙面では日本のニュースが大きなウエイトを占めていたが、今はすっかり中国に取って替わられている。中国の動きが投資の世界に与える影響は大きいのだ。その中で今注目するべきは「中国の証券業の自由化の速度」だろう。

今月後半に中国の呉儀(Wu Yi)副総理がワシントンを訪問し、ヘンリー・ポールソン財務長官と会談する予定である。ところで英字新聞を読んでいて困るのは英語表記された中国人の名前が直ぐ浮かばないことである。そこでグーグルなど検索エンジンで調べながら、読み進むので時間がかかる。ただし寄り道して雑学を仕入れるチャンスもある。例えばWu Yi=呉儀副首相についてはフォーブス誌が今世界で3番目に権力のある女性とランクしていることが分かった。因みに一番目はドイツのメルケル首相で二番目がアメリカのライス国務長官だ。

さてこの呉副首相とポールソン長官の会談だが、貿易摩擦の緩和策として「中国の証券業の開放について議論がなされる」とファイナンシャルタイムズ(FT)は予測している。

FTによると「中国は保険業を開放した様に、証券業と資本市場を開放する」一方米国は「中国に対する保護貿易論を押さえ」「ハイテク製品の輸出に関する制限を緩和し」「人民元切り上げ圧力を取り下げる」というものだ。

FTによると今月下旬の米中戦略経済対話(SED: Strategic Ecomonic Dialogue)で中国の資本市場改革が交渉のベースになると予測している。

それによると中国は「合弁証券会社の外資持ち分を33%から50%に引き上げ」「合弁資産運用会社における外資の多数支配を認め」「合弁証券会社の中国側企業を証券会社に限るという制限を廃止し」「合弁証券会社に現在は引受に限られている制限を廃止しフルライセンスを与え」「外資が既存証券会社の少数持ち分を取得することを認める」というものだ。

勿論これらの規制緩和がどの様なスケジュールで実施されるか分からないが、このインパクトを少し考えてみよう。

まず一つは円の為替レートに対する影響だ。3月の日本の経常黒字は1980年代の日米貿易摩擦の頃を上回るレベルに達している。これに対してG8の蔵相会議で欧州からは非公式に問題提起がなされる見込みが高いが米国は「日本は為替介入をしていない。為替レートは市場が決定する」という立場を貫くと予想される。また中国が資本市場の開放に合意すると、人民元の切り上げ要求が見送られるので、円高圧力は一層減少すると考える。

次に米国内部を見れば、米国は中国からの輸入の影響を受ける製造業の利益を捨て、証券業のメリットを取ったといえる。ポールソン長官はいうまでもなく前ゴールドマンザックスの会長で、彼が出身業界に巨大な利益を誘導したというと言い過ぎかもしれないが、結果としては投資銀行は巨大なメリットを得る可能性がある。

5年位前欧米から中国への投資が今程活発になる前に「中国の経済発展のメリットはとりたいがカントリーリスクは不気味なので、中国ビジネスを展開する日本企業の株を買って間接的にメリットを取ろう」という動きがあった。

この論法で行くと「中国の証券市場の成長性は取りたいが、バブル崩壊のリスクは避けたいので米国の投資銀行の株を買おう」という理屈が成り立つだろう。もっとも現在の投資銀行の株価水準が妥当かどうかという問題はあるが。

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【書評】希望格差社会

2007年05月15日 | 本と雑誌

山田昌弘氏の「希望格差社会」(ちくま文庫)を読んだ。オリジナルは2004年11月に出版されているので、別に目新しい本ではない。しかし本の値打ちが目新しさや季節性だけでなく、その主張の普遍性にあるとすれば、この本は今読む価値があると思う。少なくとも私にとって筆者と考え方や参考にしている本にかなり共通点があるので、読み進みながらストンと腹に落ちるところが多いと言える。

著者に共感するところは、世の主流者といわれる人やマスコミの多数意見を向うに回して現実直視の現実論を展開することである。一例を挙げよう。著者は「教育問題への視点」の中で「教育は、子ども(とその親)にとっては、何より『階層上昇(もしくは維持)の手段』であり、社会にとっては『職業配分の道具』なのである。この二つの機能が危機に瀕していることが、現在の教育問題の根幹にある」と言う。

しかし著者は「この視点から教育を考えることは、主流の教育学者、教育関係者、教育評論家、一部マスコミから、たいへん嫌われる」と言う。

また格差そのものについて筆者は「文庫本あとがき」の中で「なかなか伝わらないのは、格差社会の進行は、構造的必然であると点」と述べ、フリーターについては「日本社会は、非正規の単純労働者を構造的に必要とする経済に移行しているのだ」と喝破する。

私は著者のこの現実直視の姿勢に大いに共感する。格差社会の問題は観念的に格差の是非を論じて解決するものではない。経済がグローバル化し、日本企業における仕事が少数の中核社員が担う仕事と多くの単純労働者が担う仕事に切り分けられてきた以上、会社がより安いコストで単純労働を賄おうと考えることは資本の自然な論理である。

英米のサービス業においてはこの単純労働の部分は、インド等にアウトソースされることが多くなっている。つまり商品やサービスを購入する消費者は電話で申し込みをしても、その電話の受け手はアメリカやイギリスではなく、インドで作業をしているということだ。

グローバリズムが進むと仮定すれば、このアウトソーシングは同一スキルを持ったインドの労働者とアメリカの労働者の賃金が等しくなるまで進行するというべきだろう。

英語という共通語を日常使用しない日本において英米のようにコールセンターをインドにアウトソースをすることはないが、生産拠点の海外移転や安価な海外の労働力受け入れを通じて、単純労働の賃金には絶えず引下げ圧力がかかるだろう。

なお公平の観点から敢えてこの「希望格差社会」に注文をつけるならば「格差問題に対する総合的な対策」の提言が弱いことである。無論筆者は具体的な提案も行なっている。たとえばマッサージ業界の例を引き、「努力してスキルをつければある程度評価されるシステムの導入が望まれる」という提案を行なっている。これはこれで良いが、局地戦の感を免れない。より多くの人に直接的な影響を与え雇用を増やす方法として私なら「同一労働同一賃金の貫徹」と「残業に対する欧州並の割増」を提言したいところである。ここにおいて資本の論理と社会の論理は妥協点を見出すべきだろう。さもないと資本はそのよって立つ社会基盤まで侵食する恐れがあるからだ。

格差社会の問題の問題について「観念的に格差の是非を論じても解決するものではない」と述べたが、同時に「度を越した格差が社会の不安定とそれに伴う高いコストの負担を発生させる」という認識がないと解決の糸口を見出すことは困難である。

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