金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

酒田への小旅行

2006年09月15日 | 旅行記

9月11日(月曜日)当初の計画から外れるが湯殿山から酒田に向かった。理由は日本列島を前線が覆い雨模様の中、北の方が天気が良さそうので山形県の最北に位置する酒田を訪ねようというものだ。実際車が酒田に近づくにつれ雨はあがってきた。9時半頃本間家旧本邸に到着。ここで1200円出して本間美術館との共通券を買う。本間家旧本邸は本間家三代目光丘(みつおか)が建てたもので20以上の部屋がある。「本間様には及びもならぬが、せめてなりたやお殿様」と言われた本間家であるが、建物や装飾は質素である。

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質素であったからこそ、本間家は長く続いたのであろう。「昔より賢き人の富めるは希なり」とは徒然草の一節であるが、本間家はその希な方だったのであろう。

Honnmakyuutei2 本間家旧本邸の向かいには本間家の店が復元されている。また市役所の方に数百メートル歩くと酒田を代表する廻船問屋鐙屋の建物がある。

鐙屋を見た後車で本間家の別荘跡の本間美術館に向かった。写真奥の書院造二階建の建物は遠清閣と呼ばれていたとのこと。

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また手前の庭園は鶴舞園(かくぶえん)と言う。案内の方の話では本間家は雪のため冬に仕事がなくなる廻船関係の人等に仕事を与えるためこの別荘を作り、造作などの作業をさせたということだった。なお高い建物がなかった昔は遠清閣の二階から鳥海山を望むことができたということだ。

なお遠清閣の二階には本間家所蔵の陶器・掛け軸等の展示があるが目をむく程の逸品は見当たらない様な気がした。深く蔵しているのかもしれないがあるいは代々美術工芸品にそれ程固執しなかったのかもしれない。この辺りはいずれ勉強したいところだ。

さて酒田とその隣の鶴岡に関して私は二人の人物に興味があった。それは藤沢周平と石原莞爾である。この二人に共通するところがあるとすればそれは地位、名誉、金といったものに淡白だったことだろう。どこか本間家歴代の金銭的な淡白さに通じるものがあるような気がするがこれを以って庄内人の気質とまで持ち上げては言い過ぎになるかもしれない。

今回時間がなく藤沢周平や石原莞爾に関わる旧跡をたどることができなかったことは残念だった。機会を改めて庄内に旅をせよということなのだろう。

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