誰かと「死別する」、ということは生きていく上で避けられない。人間関係というものは、相手が生きている限り、何らかの発展の機会を持つ可能性がある。それがたとえトラブルであったとしても。
しかし「死別」というものは、相手の存在を「失う」ということを認識していく過程が始まるということ。
「失う」ということがつらい相手と「死別する」ということは、深い悲しみを伴うことだと思う。それに加え、死別する相手が自分の日常に組み込まれた相手である場合は、相手の死、という事実は、自分に「事後の日常」を形成していかなくてはならない必要性が生まれるということ。
2006年1月25日、午前7時40分、姑逝去。
義母を失って明日で二週間になる。忌引きで欠勤していた夫は今日から職場に復帰し、家は日常のモードになる。
夫を送り出し、子どもたちを送り出し、わたしは自分の一日の予定を考える「さあ、今日は病院には何時に行こうか」。
病院に行っても、もうそこには義母の病室は無い。病院に行くのではなく、すでにわたしの日常は、すぐそこにある夫の実家の和室の祭壇におかれた義母の「骨」に向かい、線香をあげることになっているはずなのに、わたしの潜在的な思考はそれを認めようとしない。
義母はもういないのに、義母の病室のあったフロアに行ってみたい気さえする。
これは、存命であった頃の日常に対しての未練なんだろう。
容態が急変し、持ち直し、悪化し、逝去。この流れの中の強く記憶に残るシーンを、いちいち反芻する時間が毎日存在する。その反芻に痛みを伴うことがわかっていても。
これは「やがて記憶が薄れていく」ことに対しての抵抗なんだろう。
「姑の入院」という過去記事を読む。このときの入院は一週間で終わったなあと思い出しながら、更新日付を見て愕然とする。ちょうど一年後の同じ日に、容態が急変したことに気づく。
この過去記事に出てくる「小さな畑」の跡地を整地する、春の花をそこに咲かせるために。
この場所に花が咲き乱れる頃、去年衝撃を受けたこの記事から、一年が経過する。
しかし「死別」というものは、相手の存在を「失う」ということを認識していく過程が始まるということ。
「失う」ということがつらい相手と「死別する」ということは、深い悲しみを伴うことだと思う。それに加え、死別する相手が自分の日常に組み込まれた相手である場合は、相手の死、という事実は、自分に「事後の日常」を形成していかなくてはならない必要性が生まれるということ。
2006年1月25日、午前7時40分、姑逝去。
義母を失って明日で二週間になる。忌引きで欠勤していた夫は今日から職場に復帰し、家は日常のモードになる。
夫を送り出し、子どもたちを送り出し、わたしは自分の一日の予定を考える「さあ、今日は病院には何時に行こうか」。
病院に行っても、もうそこには義母の病室は無い。病院に行くのではなく、すでにわたしの日常は、すぐそこにある夫の実家の和室の祭壇におかれた義母の「骨」に向かい、線香をあげることになっているはずなのに、わたしの潜在的な思考はそれを認めようとしない。
義母はもういないのに、義母の病室のあったフロアに行ってみたい気さえする。
これは、存命であった頃の日常に対しての未練なんだろう。
容態が急変し、持ち直し、悪化し、逝去。この流れの中の強く記憶に残るシーンを、いちいち反芻する時間が毎日存在する。その反芻に痛みを伴うことがわかっていても。
これは「やがて記憶が薄れていく」ことに対しての抵抗なんだろう。
「姑の入院」という過去記事を読む。このときの入院は一週間で終わったなあと思い出しながら、更新日付を見て愕然とする。ちょうど一年後の同じ日に、容態が急変したことに気づく。
この過去記事に出てくる「小さな畑」の跡地を整地する、春の花をそこに咲かせるために。
この場所に花が咲き乱れる頃、去年衝撃を受けたこの記事から、一年が経過する。
わたしの舅も昨年末に急変し、亡くなりました。
心よりお姑さんのご冥福をお祈りいたします。ありふれた言葉ですみません。
退院から、介護という生活が始まると思っていたのに。
ぼっかりと、なんだか穴。
やっと見つけた言葉は、日常に存在する人を失うということは「日常の崩壊」「日常の再形成」、
ああ、こういうことなんだな、と。
集まった人たちは、みんな帰っていった。
帰った場所に、日常があるんだろう。
いる場所の日常に再形成が必要になる人間だけが、残される。
そんな感じ。
義妹がなんだか、ばたばたと常に怒ったような声を出しながら話す。
ばしんばしんと、口調の音がきつい。
運命の展開に、怒ってる。
その怒りを持ってないと、泣き崩れるってことをわたしは知っていて、ばしんばしんときつい口調の音の中で、はははと、笑いながら彼女といる。
そんな感じです、始まった日常は。
納骨を超えたら、またちょっと変わるんでしょう。
しかし、子どもはどんどん日常に帰る。
そのパワーに引きずられるのも、救いです。
舅はやや介護状態でデイサービスや入退院を繰り返した。その世話は同居のお嫁さんがしていたわけで。
葬儀のあとは夫が残り、義母と一緒にいろんな手続きに走っていました。
義父の死から2週間して夫が帰宅。
そこでようやく家族の日常が戻りました。
離れてても開く心の穴。
身近にいた家族にとっては、苦労したとしても大きい穴になってるんでしょうね。
夫にかける言葉が見つからず、『残念だったね。』がようやく言えた言葉。
Sさんにも『残念でしたね』としか思い浮かばなかった。
葬儀の間うちのチビは時折マイペース。
それが笑顔を引き出すこともあったりして。
感じることを感じるままに見つめながら、明日を見つけていきますわ。