S嬢のPC日記

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サンタ考

2005年12月12日 | つぶやき
 子どもにサンタクロースの話をすること。この動機はいったいどんなものなのでしょうか。
 
 わたしが子どもたちにサンタの話を初めてしたのは、子どもを寝かしつけるために絵本を読んでいた時期だったと思う。サンタが出てくる絵本を読んで、サンタがやってくるシーンを想像させた。12月のその夜の盛り上がりはわたしにも楽しいものだった。町はクリスマス、家にはクリスマスツリー、そして空想する喜び。季節の中でワクワクを育てることは楽しかったし、現実を次々に認識して大人になっていくためには、現実に立ち向かっていくためのエネルギーにもなるような「ワクワクすることを自分で創造していく力」というものも必要で、それは「生きる力」につながっていくことでもあると、わたしは思う。

 娘にとって、サンタがどういうもので、どういう風に理解し、認識しているのかは、残念ながら彼女の言語能力での説明は不可能で、わたしにはわからない。ただ、「クリスマス」という単語を発するときの娘の表情はきらきらと明るい。
 息子はとても素直な性格で、ずっとサンタを信じ続けてきている。周囲の友人たちの中にはとうにクリスマスプレゼントはどこから来るかなんてことは知っているのだけれど、どうも息子に対してクリスマスの会話をするときには「そっとしておいて」いるとしか思えない。去年は(そろそろサンタはクリスマスのいわゆる装飾のひとつと認識しただろう)と薄々思っていたのだが、25日の朝、ツリーの前に飛んでいってプレゼントを発見したときに「サンタさんありがとう」と叫んだとき、ちょっと動揺してしまった、まだ信じていたのかと。

 今年は息子は、クリスマスが近づくにつれて、サンタのことを聞いてくる。どうもサンタの話を聞かせてやった本人から回答が欲しいらしい。
 単に「あれはお話」で済ませてしまうのはなんとももったいないところがあり、それは「ワクワクする気持ちを持つ」ことが、「生きる力」につながっていくと、わたし自身が思っていることからくるのかもしれない。

 サンタクロース研究所というサイトを検索で出す。トップページの以下の部分におおいに共感。
でも、目に見えないものを信じるって、とってもステキな事。
見えないものも信じる事ができたら、子供はもちろん、大人だって自分の夢や希望が広がると思いませんか?
 ただし、このサイトのコンテンツの「クリスマスストーリー」の【プレゼントをもらえる子と、もらえない子】の記述には違和感。もともとわたしは「サンタさんからプレゼントをもらえる」ということに、短いスパンでの教育的感覚なんていうものを持ち込んだことは無い。「見えないものを信じる気持ち」に説教が導入されることにはおおいに違和感を持つ。ついでに持ち込まれるような説教的教育をサンタに持ち込むのは、なんというか、貧乏くさい。「見えないものを信じる気持ち」というものを育てるということは、もっときらきらに豊かであって欲しい。

 今年の25日の朝は、息子に対してサンタの話をしてやろうと思う。「大切なことは目に見えないんだよ」と。そのことを教えてそういう心を育てるために、わたしはサンタに力を借りたのだよと。もうあなたは大きくなった、これからはあなたが「大切なことは目に見えない」といううことを、自分で考えて、そしてそういう気持ちを自分で育てていって欲しい。それが大きくなるっていうことなんだよ、と。

*関連記事: 「生きる」ということ