S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

朝の「事件」

2005年02月01日 | 自力通学
今日は娘の通う養護学校で、PTAの実行委員会のある日でした。
9時半、会議室に校長、副校長、教務主任、事務職員、本部役員、各委員会代表・副代表と出席し、始まろうとしていたとき。
娘の担任が、わたしを呼びに来ました。
娘が学校に来ていない、と。

なにぃ!

はい、すぐに携帯から「娘のカバンにつけてあるP-doco?mini」の位置検索。

徒歩圏で、学校から離れた場所にいる。。。

おい・・・。

会議室から副校長と教務主任と共に、職員室へ。
副校長、「緊急事態です」と宣言。
中学部長と、動ける状態の教員が呼ばれました。

急遽、結成された捜索チームの前で、副校長に「具体的な状況説明を」と言われ、説明。
「8時34分に最寄り駅に着き、学校に向かったことを、位置検索で確認しています。
 現在の位置検索では、○○町○丁目と出ていますが、誤差は100~200メートルあります。」

以下、副校長が指示。

「車を三台用意。
 位置検索で出ている地点から、誤差は200メートルと考え、一番遠くの場所を出発点に三台で学校に向かって捜索。
 一台の車に二名同乗し、15分おきに連絡を入れること。」

一台目がすぐに出発し、二台目が校門を出たところで、「発見」の連絡が入りました。
学校が目の前の道で、まっすぐ横断すべきところを右に曲がって「探検」したようです。

学校に着いた娘、担任に「すみません、ちょっと時間ください」。
「こちらで指導しますから」という担任に、
「いえ、直後でないと、理解が難しいですから」と返答。

娘と視線の位置を合わせて、
「寄り道しちゃいけない。ごめんなさいは?」
「ごめんなさい」
「わかりましたか?」
「わかりました」

娘を連れて、職員室へ。
捜索チームに加わってくださった方、一人一人の前に連れて行きました。
「ちぃちゃん、副校長先生に、ごめんなさいは?」
「ごめんなさい」
「ちぃちゃん、○○先生に、ごめんなさいは?」
「ごめんなさい」

本人が学校を目の前にして「ルートを変えて冒険した時間」、およそ一時間。
でも、「すぐにお迎えが来てくれる」という事実で、本人自身は実はそんなに困っていない。
多分、本人が「困り始めて」30分後には、「車でお迎え」が到着しているはず。
きちんと本人に「学習」してもらうために、「ごめんなさい」を言わせることを選択。

「ごめんなさいは?」
「ごめんなさい」
「わかりましたか?」
「わかりました」

たったこの二往復の会話なのだけれど、人数が増えるごとに、だんだん彼女の声の色が変化。
下げる頭の角度が深くなり、目のフチに涙が浮かび始める。

そうだよ、ちゃんとわからなきゃ、ダメなんだよ。
そうじゃないとやらせてもらえないことが増えてしまうんだよ。
「おかあさん無しの登校の力がついた」って、誰もが認めてくれたアンタの能力を、アンタ自身が「無いもの」にしてしまったら、それはアンタの損失なんだよ。

と、こんな難しい内容の言葉を、彼女は理解する能力が無い。

「ごめんなさいは?」
「ごめんなさい」
「わかりましたか?」
「わかりました」

この4つの言葉で、届けよ、と思う。

明日からは、また、学校到着まで、隠れて尾行。
5月頃の状態まで逆戻り。
隠れないと意味が無いので、また挙動不審者生活です。

そして、彼女の全ての経験が、明日へのプラスになりますよう。。。

本当のことを言えばね、
頭ごなしの「寄り道の禁止」ではなくて、
「片道切符の寄り道」ではなくて、「帰りも計算に入れた寄り道」をできるようにもなって欲しいしね。
アンタなら、いつかできるわよ。
挙動不審者の尾行生活やりながら、次はそのことをどう「うまくやっていけるようになる」か、その支援の道を考えよう。
「やれちゃう」ことの禁止より、その方が、「その先」があるんだしね。

さて、実行委員会に戻りましたら。
校長により、この「事件」の報告がされていました。
それと共に、娘に持たせてあったP-doco?miniの効用に関しても、話がされていました。
学校側からこれらの製品を、自力通学をさせる生徒の保護者に「購入しろ」というのはいささか難しいところもある。
是非、PTA側から製品の啓蒙活動を、と議題にされてしまいました。

あはははは。
ちゅかれたわ、今日は。。。

と、入れ終わったら「ただいま」と本人帰ってきました。
あら。
「帰り」は信頼したままだったわ、自分。。。

*参考記事
「娘の自力通学に関して」