ここのところ、17年生まれのダウン症の赤ちゃんのママと話すことが多い。どう話すか何を話す糸口を作り出すか。これはだいたい「合併症はありますか」の一言が糸口になる。ある場合でも無い場合でも、だいたいここから生まれた頃や告知近辺の話が始まる。人には人の数だけドラマがある。
話し方、声のトーン。展開される内容だけでなくそうしたことなどから、その方の言葉以外の現在の気持ちや現在の状態に耳を傾ける。
大きな衝撃や、乗り越えていく体験というものがあっても、人間とは逞しいもので、少しずつ少しずつ忘れていってしまう。そんなことのひとつひとつを、赤ちゃんのママと話しながら思い出す。
車は運転できないんです、ペーパーなんです、なんて話。これはよく出る話。病院だのなんだのと、普通の赤ちゃんより出かける用事は多くなる。わたしもそうだった、練習したのよ、ペーパードライバーコースに行ったの。運転したかったの。病院に車で行きたかったの。病院に連れていったときにすぐに入院だと言われて、娘は真新しいベビー服をくるくると脱がされて保育器に入ってしまったの。タクシーで行って電車で帰ったの。まだ暖かみの残る娘のベビー服を手に持って電車に乗って帰ったの。その残り香の暖かさの感触がつらかったわ。それから心臓の手術を経過して、長くかかってやっと退院したけれど、スケジュールが決まっている検査入院のときには絶対に車で行ってやる、って思ってたの。これは入院治療が必要な合併症のある子のママにする話。車の運転がどうのってことじゃない、車の運転にまつわるあの頃の話。
赤ちゃんのママと話していると、わたしの中で時間はさかのぼり、わたしはふわりと飛んであの頃に戻る。
ダウン症の特徴的な顔貌、筋肉の柔らかさからくる特徴的な仕草なんてのがある。赤ちゃんのときはたいがいの人がそのことに怖れを抱き、外に連れて行くと「ほらあれがダウン症の赤ちゃんよ」なんぞとささやいているんじゃないかと思う。いやなに、大半の人の目には実は単なる赤ちゃん、ってのが現実なんだけれど。
この特徴的な顔貌、特徴的な仕草、というものが、育っていくと別の観点が出てくる。ダウン症の子どもは生きたアルバム。いくつの子でも、そこに自分の子どもの姿が垣間見られる。ああこんなだった、あんな仕草がかわいかった、と、生きて展開されるアルバム。そしてそこにいるのはあのときの自分。
あせらないでだいじょうぶ、今の気持ちは今の気持ち。自分といっしょに大事にして欲しい。あなたがあなたを大事にすることが出発だわ。
これはこういう風に解決していくわ、そのことはこんな工夫で超えられるわ、これはこんな風に避けることのできる問題よ。だいじょうぶ、ちゃんと育っていくから。
全ての不安に原点がある。歩いてきた軌跡の発端がある。たくさんのことを教えられているのは実はわたし自身。
話し方、声のトーン。展開される内容だけでなくそうしたことなどから、その方の言葉以外の現在の気持ちや現在の状態に耳を傾ける。
大きな衝撃や、乗り越えていく体験というものがあっても、人間とは逞しいもので、少しずつ少しずつ忘れていってしまう。そんなことのひとつひとつを、赤ちゃんのママと話しながら思い出す。
車は運転できないんです、ペーパーなんです、なんて話。これはよく出る話。病院だのなんだのと、普通の赤ちゃんより出かける用事は多くなる。わたしもそうだった、練習したのよ、ペーパードライバーコースに行ったの。運転したかったの。病院に車で行きたかったの。病院に連れていったときにすぐに入院だと言われて、娘は真新しいベビー服をくるくると脱がされて保育器に入ってしまったの。タクシーで行って電車で帰ったの。まだ暖かみの残る娘のベビー服を手に持って電車に乗って帰ったの。その残り香の暖かさの感触がつらかったわ。それから心臓の手術を経過して、長くかかってやっと退院したけれど、スケジュールが決まっている検査入院のときには絶対に車で行ってやる、って思ってたの。これは入院治療が必要な合併症のある子のママにする話。車の運転がどうのってことじゃない、車の運転にまつわるあの頃の話。
赤ちゃんのママと話していると、わたしの中で時間はさかのぼり、わたしはふわりと飛んであの頃に戻る。
ダウン症の特徴的な顔貌、筋肉の柔らかさからくる特徴的な仕草なんてのがある。赤ちゃんのときはたいがいの人がそのことに怖れを抱き、外に連れて行くと「ほらあれがダウン症の赤ちゃんよ」なんぞとささやいているんじゃないかと思う。いやなに、大半の人の目には実は単なる赤ちゃん、ってのが現実なんだけれど。
この特徴的な顔貌、特徴的な仕草、というものが、育っていくと別の観点が出てくる。ダウン症の子どもは生きたアルバム。いくつの子でも、そこに自分の子どもの姿が垣間見られる。ああこんなだった、あんな仕草がかわいかった、と、生きて展開されるアルバム。そしてそこにいるのはあのときの自分。
あせらないでだいじょうぶ、今の気持ちは今の気持ち。自分といっしょに大事にして欲しい。あなたがあなたを大事にすることが出発だわ。
これはこういう風に解決していくわ、そのことはこんな工夫で超えられるわ、これはこんな風に避けることのできる問題よ。だいじょうぶ、ちゃんと育っていくから。
全ての不安に原点がある。歩いてきた軌跡の発端がある。たくさんのことを教えられているのは実はわたし自身。
5月かあ、と思った。
この間生まれたばかりなんですね。
初めてのお子さんのお誕生、おめでとうございます。
7月になりましたね。
6月はとても長かったんじゃないかとも思います。
日々を超えてきたこと、思う。
1歳のお誕生日には、たくさんお祝いしてくださいね。
何よりも、自分のためにね。
一番傷ついたのが親からの言葉で、生まれたばっかりなのに次の子供を早く作れ、ですね。びっくりしました。まずはこの子を大事に育てなきゃいけないのに、気持ちもまだ落ち込んでるし何言っちゃてるのかと。
もちろん励ましてくれてましたけど、今それ言わなくてもって思いました。
1ヶ月検診の時、赤ちゃんを取り上げてくれた看護師さんが、「生まれたときこの子の顔が普通だと思った?」
これもちょっときつかった。しかも私に聞いた後、夫にも聞いてるし・・・
たぶん親も看護師も悪気は無いと思いますが、なんか残酷だなーと思いまして。
あせらずですよね、がんばります。
これからですよね、大変なのは。楽しいこともあると
信じてがんばります。
あ、うちも娘です。
告知のタイミングが早い時期にあったんですね。
告知のタイミングは実はかなりいろいろでしてね。
1.生後すぐに父親のみに告知
2.生後すぐに父親のみに「疑いがある」と告知
3.↑二つで産婦が加わるパターン
4.出産の退院時に父親のみに告知
(産婦の体調が落ち着いた頃に父親から母親へと指示)
5.出産の退院時に両親ともに告知
6.出産の退院時に「疑いがある」と説明し、最初の検診時に告知
7.告知せずに退院させ、行政の乳児検診にゆだねるケース
これは、全て、「対応を急ぐ合併症が産後すぐに見つからない場合」のパターンなんですが、本当にいろいろだな、と思います。
ちっくさんの赤ちゃんの場合は、検査等の事情で母子同室の産院で母子同室ができなくなった上に、告知時期が早かったパターンになるのではないかと思います。
これはかなりきついパターンだろうな、と思います。
告知時期がこの状況で早いと、周囲の混乱がまともに産婦の心境にひっかぶってきますからね。
つらかったのは当然だと思う。
親御さんの言葉も、混乱から「出てしまった」一言なんだろうと思います。
子どもの結婚出産を経験する。
この年齢に到達している場合、柔軟性に欠く場合は自然なこととも言えるんですよね。
しかし、産婦、生んだ自分、というところに向かう言葉は全てつらいのは現実ですよね。
よく歩いてきた、と思う。
看護師さんは、やはり配慮が無いと思う。
これはまあ、難しいところでしょうね。
出産後すぐの告知の場合、産婦の心理状態のカギを握るのが看護師さんだったりするんですよね。
そのあたりを勉強しようとする看護学校の方や看護師さんなどもたくさんいらっしゃるのですが、現実は難しいですね。
ダウン症の赤ちゃんが生まれた場合、産婦に対してのケアが口コミで評判のところがありましてね。
そこは、産科病棟の婦長さんが、ダウン症の弟さんがいる方だったんですよね。
そして現場の方々もそこに学んでくださっていたありがたさ、というものもありました。
これから大変というか。
落ち着いたら、「お友だち」が作れること、考えてください。
地域のダウン症の親の会や、ダウン症の子を育てるグループ参加、やはりわたしはおすすめします。
それは何より、我が子と年齢月齢の近い子のママと、知り合っていくことの大きさです。
同じ頃に同じ時期を過ごしていくこと。
これはとても心理的に大きく、そして楽しさもたくさん呼んできてくれます。
自分たちの「普通」を、こういうことか、と、横並びに助けあいながら理解していけるというか。
同じような年齢の子のママとお友だちになっていくことは、ハンディのある子どもの親になる、という要素をとても助けてくれることだと思います。
ネット上にも、ダウン症の小さい子のママのブログは、ちょっと検索するとけっこう見つかるようです。
そうしたものの過去記事閲覧なんぞも、落ち着いたらまたトライしてみてください。
楽しいこと、たくさんありますよ。
いつか、そうだったのか、と思うと思う。
その日をどうぞ、楽しみにね。
いつも、拝見させていただいてます。昨年の8月に生まれた三番目の娘がダウン症でした。実は上の2人は(どっちも女の子)未婚で生み育てていたシングルママやってた時の子で、40過ぎにこの2人を連れ子にしての勇気の結婚、そして出産への挑戦でした。パパは一度に3人の娘の父となり、しかも実子はダウン症です。
正直・・・この11ヶ月いろんなことがありすぎて大変は大変でしたが合併症の心臓の手術も落ち着きブログで本音を吐いたり人様のブログやHP等で勉強したり情報交換するうちにダウン症児の母親であることがそんなに気にならなくなったし、育児も楽しくなりつつあります。
毎回ここのブログでもたくさんの感動と時々驚きを覚えていますが今日の記事を拝見しすごーく感銘し今日やっと勇気のコメントを残して行く事に致しました。本当に私たちダウン症の子供を育ててる母達に勇気をありがとうございます。
また、とくに私は今回は記事も去ることながらS嬢様のコメントに感激しました。いろんな意味で安心しました。
これからもよろしくお願い致します。
もうすぐお誕生日ですねえ。
いっぱいお祝いしてくださいねえ。
「勇気のコメント」。
いやなに、とって食やしませんから、ご安心を。
お子さん、三人目ですかあ。
上のお二人は、シングルの環境で、ということだったら、保育園に助けられつつ、突っ走ってこられたかなと。
そこで末っ子。
ゆっくり発達を楽しみたい環境が整っている上に、ゆっくり進んでくれますからねえ、楽しめますねえ。
赤ちゃんの時期は、特に生後半年は、ママにとってとても長いものになりがちだけれど、この時期の「ぉぉ」とか「ぅぅ」って感じの顔。
これはねえ。この時期、まったく「旬」ですよねえ。
そろそろ一歳ということで、本人自身の個性を見せ始めてくれているのではないかと。
結局ポイントはココなんですよね。
こういうとこを見せてくれるのにダウン症の赤ちゃんは時間がかかる。
ここがつらいとこだと思います。
○○ちゃん、というより(ダウン症)という語が頭の中をぐるぐるしてしまう。
ココなんだろうな、ポイントは。
なんて思ったりするんですよね。
○○ちゃん、ってのをしっかり本人が見せてくれていくとき、少しずつ(ダウン症)という語の自分の中の色が変わっていくんだと思います。
一歳の誕生日から二歳の誕生日までは、運動機能の発達にドキドキする時期になるんではないかと。
機能面の発達、ということはとても気になると思いますが、この時期はけっこう「キャラの影響」が出てくる場合もあります。
筋肉の緊張の弱さ、つまり関節を支える筋肉や靱帯がふにゃふにゃしている。
体重を支えていくのに、安定に欠ける。
アイススケート。
スケート靴を履いて、最初にリンクに立ったとき、足はまっすぐではなく、足の裏でいえば内側に力が入りませんか?
膝が内側にちょっと入るような、X脚になるような感じ。
筋肉を使わないで、転ばないように関節を変に使ってしまう立ち方。
ダウン症の立ち始めって、この不安定さ、みたいなものがあるんですよね。
さて、このアイススケートの「初心者状態」。
あなたはどうしますか?
転んでもいいから滑り出しますか?
それともずっとリンクの手すりを腕で「掃除」し続けますか?
ダウン症児には、たまに、「つかまり立ちは早かったのに、歩行が遅れる」場合があります。
どうしても「筋肉」だけで考えて、がんばって療育トレをやりたくなってしまう場合もあります。
でも、実は、こうした「キャラ的心理」が背景にある場合があります。
こういうとこ、二人目三人目のお母様は、ぱっとわかったりするんですよね、「子ども」を知っているから。
だけど、弱いんですよ、第一子がダウン症だった母というものは。
「子ども」がわからないので、こういうことがよくわからない。
ファンタジアさんとこのお嬢さんが育っていく中で、第一子がダウン症の方に出会ったとき。
助けてあげてくださいね。
全てを「ダウン症だから」と持っていきがちになるときに、ダウン症の子どもの母親から、「それは子どもには時々あるようなこと」という一言をもらえること、
わたしはとても大きいと思います。
>赤ちゃんのときはたいがいの人がそのことに怖れを抱き、外に連れて行くと
>「ほらあれがダウン症の赤ちゃんよ」なんぞとささやいているんじゃないかと思う。
>いやなに、大半の人の目には実は単なる赤ちゃん、ってのが現実なんだけれど。
知的障害者、発達障害者、身体障害者、精神障害者・・・
世間の人の目は、身体障害者の人には明らかに目に見える障害だから受け入れやすい
残り3つの障害者に対する受け入れは目に見えにくい障害があるのでどうしても偏見の目っている
それぞれの立場の方が、それぞれに、自身に受ける視線や偏見のようなものに対して、一考察あるんだろうな、と思います。
ダウン症の赤ちゃんを「生んだ母親」にとっては、ダウン症の容貌というのが最初に立ち向かう「壁」なんだろうと思います。
この「壁」は、自分自身の偏見との闘いでもあるのだろうな、と思います。
このことの受容に関しては、無理をしなくても、年数の経過の中で、変化していく要素のように思います。
それでもまあ、時々は、不躾な視線にくっそーと思ったりもしますけれどね。
結局のとこ、どうせ視線を浴びることが多いのなら、かわいくしておきたい、と思う日常。
現在娘は「月島きらり」ヘアーがお気に入り。
なんだかファッションセンスを磨くべく特訓なのかなんなのか、一日に何度も着替えて「どう?」などと言う。
「どう?」はいいのだけれど、冬ではなく夏なので、一時間かそこら着ただけの服もすこしは汗などがつくわけで。
洗濯モノが増えて大変です。
夏、産まれたのですね。
初めてのお誕生日はたくさんお祝いしてくださいね。
よく思うのだけれど。
季節の運、ってのもあるだろうな、と。
告知の頃、どんよりとした曇り空が続く季節だとか、雨ばかり続く頃だとか。
そういうときに、そんな空を眺めながら考える環境と、晴天の多い環境と、気持ちって微妙に違うかもしれないな、なんてね。
「もうすぐ」は、8月中なのかしら、9月なのかしら、と思いながら、その頃にどんな季節にいらしたのだろうと、そんなことを思いました。
思ってもみなかったことが自分に起きる。
これは、多分「ものさしの転換期」なんだと思います。
今まで自分が使っていた「ものさし」でいろいろなもの、いろいろなことを「計る」。
そうして感じたり、判断したりすること。
思ってもみなかったことが自分の起きるときって、この「ものさし」が変わるときなんだと思う。
楽しい、幸せ、だいじょうぶ。
「新しいものさし」を、ゆっくり豊かに作っていってください。
>時々、のぞかせていただきます
いや、ココ、もう開始後2年経過してますのでね。
まあ、ダウン症に関してのたいがいのことはもう出しちゃったかな、と思う。
更新も最近では、月数回です。
ってことで、関心あったら、左メニューの検索窓に「ダウン症」と、ほうりこんでみてください。