S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

息子とピアノ

2005年08月30日 | つぶやき
娘と息子と、ピアノを習っています。
何年くらいになるんだろ、6年くらいかなあ。

習わせるきっかけになったのは、近所に知的障害児の生徒さんをたくさん持つ先生がいる、と聞いたこと。
近所にあるというのは、これは「縁」だろうな、と。
知的障害児の奇蹟の演奏者なんていう「話題性」を持つこともない程度の「習熟度」ではあるけれど、娘は非常に楽しんでいる。
すごいなと思ったのは、娘にきちんと楽譜を読むことを教えていったこと。
でかいサイズに書き写された楽譜の音符を読みながら、娘は稚拙にピアノを弾く。

息子は、はっきり言って「ついで」です。
本人が「不公平感」を持たないように習わせることにしました。
最初はやはり「ちぃちゃんばっかり」にならないことに満足していたのですが、すぐにネを上げました。
「やめたい」と。
練習嫌い、そしてお稽古のときもうまくいかないとヒスを起こして泣くことも多かったです。
本人がわかって選んだお稽古事ではなかったのにもかかわらず、わたしはやめさせませんでした。
なんでか~っつうとね、この先生が、わたしとは違う「育て方」をする人だったからです。
わたしは「本人の意志尊重タイプ」で、「がんばることはアンタが決めろ」タイプです。
急がずにゆっくり見守るとも言えるが、甘い、とも言う。
この先生は「指導者型」です、本人を泣かせても、追い込む。
人間、「育つ」というときに、いろんなタイプの人に「まみれる」必要があると、わたしは思っています。
これは、娘が障害をもつということで、その支援として早くから「チームで子育てをしてきた」ことに対してのメリットの実感でもあります。
この先生には、「育てるということに協力してくれ」と依頼し、ピアノの習熟に関してはわたしは「知らん顔」で、定期的にこの先生と過ごす時間に金を出し続けてきたわけです。
幸いなことに、「やめたい意志」はありますが、「行きたくない」は言わない。

練習嫌いですから、ちっとも練習などせず、熟達もしません。
先生の言うには、ちっとも熟達はしないが、すごいなあと思うところがあると。
「優しい音を出して」というと、すぐに「優しい音」を出す、と。
「こんな感じで降る雨のような音」というと、すぐに言った通りのニュアンスの音を出す、と。
これでピアノが好きで練習好きの子だったら、すごいのにね、ってのが結局のとこなんですが、それでいいんではないかというのが、この子を「育ててきた」先生とわたしの実感でもあります。

「なんでやめてはいけないんだ」
なんてことを言われたりもするんですが。
最初に答えたのは、この「育てる」ということに対しての「母の考え」です。
次に言ったのは、「楽譜が読める」ということの、今後に対してのメリットです。
音楽というものを自分が主体的に「楽しみ」としてとらえるようになったときに、楽譜が読めることや、音楽の音をとらえるというときに、そのことが豊かさを与えるメリットになっていくんだよ、と。
ピアノ以外の楽器を、自分が選んで自分の意志で「やりたくなる」かもしれないしね、と。

「楽器を何かやりたくなるって、なんで?」と聞くので、「女の子にモテたいから楽器始めたって人だって、たくさんいるよ」と言うと、「そんなこと言うのはおかあさんくらいしかいない」と本気にしません。
え?そうお?

この子に合うレッスンを、ということで、現在、一般的な練習曲や教科書をすすめていくのではなく、「好きな曲を選ばせて完成させていく」という形態を取ることになりました。
本人、ピアノの先生とのやり取りを、ずいぶん前から母には「秘密」にするようになっているのですが、「好きな曲」で選んだのは「ドラゴンクエスト」だそうです。
こういうレッスンって、うらやましいと思うんだけどね。

それでも、本人「やめたい意志」は変わらないようで。
「次の発表会が終わったらやめていいよ」と言ったことを覚えていて、レッスン時間に先生に、そう言ったそうです。
そしたら、あはは、「ダメだ」と言われたそうです。
「んじゃ、先生と相談して決めてね」と、無責任な母です。
育ててきた同士であるこの先生を、わたしは信頼していますので。

なんてのが、最近の動向であったわけで。
母、PCいじっていると、ふと聞こえてくるじゃあ~りませんか。
アイツ、自分の意志で「練習」してますわ。
しかも、ドラゴンクエストではなく、なんだか実に「練習曲」っぽいヤツを。
おほほほほ、何考えてるんだ?と思いつつ、おもしろいです。

あ、自宅にピアノ、あるんですけどね。
わたしが実家から持ってきたものです。
本来、姉が所有すべきピアノですが、姉はオーストラリア在住なので。
ピアノはアップライトですが、調律士の「わかりやすい説明」によると、
「購入当時、一般的に売れていたタイプを車で言えばサニーやカローラだとするならば、これはクラウンというような位置にある」ものだそうです。
姉とわたしは、その昔、「近所の先生」について習っていまして。
姉は先生が「自分ではもったいない素質の持ち主」と判断し、別の先生についたこともあったのですが、「ピアニストにするための厳しい指導」を姉が怖がり、またうちの親もそうした周囲の対応に「ぴんとこない」状態だったようで、結局「厳しい指導」は2~3ヶ月もなかったような。
そんな姉の「ついで」で習っていたわたしは、バイエル程度しか弾けず、現在はそれすらもアヤシいです。

息子、息子。
母だって、そんなモンさ。