S嬢のPC日記

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ドラマ「小さな運転士 最後の夢」

2005年08月28日 | つぶやき
日本テレビの24時間テレビの中のドラマ、「小さな運転士 最後の夢」を観ました。
24時間テレビを観る、というと、まあいろんな解釈だの意味だの出てくるのですが、それはまあおいといて、わたしはこのドラマを「観た」ということ。
先天性の心疾患を持つ男の子の短い人生というのが、このドラマの大筋でした。
息子がね、「全部観てから寝る」というので、珍しく11時半近くまで起きていました。

拡張型心筋症。
これがこのドラマの男の子の疾患名です。
「心臓移植」という手段はあるのになぜそうした話が出てこないのだろうと、ドラマを見ながらずっと思っていました。
心臓移植、海外での医療を利用ということが必要、という大変なことになるのですが。
「腎臓の状態が悪く、移植の適応外である」
ドラマの中でそう父親が語り、なんというか、わたしはがっくりと肩を落とす。

心室中核欠損症。動脈管開存症。
これが娘が持って生まれた心疾患でした。
どちらも先天性の心疾患の中で、妙な言い方をすればポピュラーなもので、根治手術が可能な疾患です。
娘の場合は、状態が悪く、最初は「2歳を過ぎたら手術」という説明だったものが、「2歳前に」「1歳になったら」「1歳まで待てない」「生後半年頃にやらなくてはならないかもしれない」「早急に」と変わっていき、すでにたてられている外科病棟の手術スケジュールに「緊急に割り込む」形で生後三ヶ月に手術が行われました。
術前の状態は、重症の肺炎に罹患、常時人工呼吸器を使用、悪化する状態を改善させるための輸血等、手術前に必要な検査中に心停止があるかもしれないというものでした。
術後も経過は悪く、ICUを一ヶ月出ることができませんでした。
大人のサイズのベッドに、小さな小さな3キロに満たない体がオムツだけの状態で横たわり、人工呼吸器に呼吸を手伝われながら、両手両足に管がつながれ、心臓の状態を見るモニターが規則的に音を立てる。
大人のサイズのベッドが必要だったのは、体につなぐ各種の管の位置固定のためだったのです。
それを窓から見守るだけの面会が、1ヶ月近くあったわけです。

窓の中を見るために「立つ」常連や、外科病棟に面会に通う人とは、自然話すようになります。
小児病院でしたから、その全てが「親」です。
わたしはここで、いろいろな人から声をかけられ、会話を重ねながら、それまで知らなかった現実というものを知っていきます。
「手術できるの? いいわね」
「手術は何回必要なの? 一回なの? いいわね」
病院の生活しか知らない子ども、学会で発表される最新の治療にチャレンジしていくという形で命を維持している子ども、根治手術の可能性が無く状態に対処していく治療しか受けられない子ども。
そんな現在進行形の「生きる」と、わたしは出会っていくような気がしました。
この時の入院、そしてその後の検査入院で出会った子どもたちの中で、「現在も生きているはず」という実感を持てない子どもはたくさん存在する。

ファロー四徴症、極型。
これが息子が幼稚園生活の3年弱を共に過ごした友達の疾患名です。
息子の幼稚園の入園式に出席したときに、一目で気づいてしまいました。
(ああ、あの子は心臓が悪い)
幼稚園生活を元気に送れる日々もたくさんありましたが、入院治療や数回の手術を重ね、根治手術が治療スケジュールに入っていました。
根治手術のときに渡そうとわたしはコツコツと小さな鶴を折っていましたが、その鶴は千羽になることを待たずに状態は悪化し、千羽に満たない鶴は葬儀の祭壇を飾りました。
葬儀の棺、飾られる祭壇を見て当時6歳だった息子が言いました。
「○○くん、白雪姫みたいだね」
「そうね、白雪姫みたいだね。
 でもね、
 白雪姫は王子様がキスをすると目がさめるよね。
 ○○くんは、もう誰がキスをしても起き上がることはないんだよ」
これが、息子が「死」を言葉というもので知った「説明」でした。
王子様は来ない、王子様はいない。
息子は棺が乗った霊柩車を追いかけようとして、葬儀場の職員に止められました。

ドラマを見ながら、息子が心疾患について聞く。
状態の対処の治療や、状態の説明をしてやる。
「手術」という治療法の存在を知っている息子が「手術はできないのか」と聞く。
「できないのだ」と答える。
いつまで生きられるのか、死というものが近い将来に「ある」ということがわかっている「命」がある。
そのことを、娘が心疾患の治療を受けるまで、わたしは全く知らなかったというに等しいと思う。
友人の死を知っているこの子は、このドラマを見ながらどんな風にそのことを理解するのだろうかとふと思う。

何らかの先天性の心疾患を持って生まれる子の割合は、100人から150人に1人程度と言われています。
経過観察だけで健康を手に入れていく子どももいる。
根治手術を受ける子どももいる。
命を永らえる治療に支えられながら、その限界まで生きていく子どももいる。
全ての子どもにしあわせを、と思う。

ドラマの感想としては、「読み聞かせのボランティア」という人物に重要な役割を与えていたことに好評価。
入院治療が長い子どもに必要な存在だと思うけれど、そうした活動をする人支える人は、「病棟で生きる子どもたち」の数に比べてあまりにも少ない。
不満としては、主人公が進学した「高校」の説明がもう少し欲しかったこと。
入学式に出席する映像で「養護学校」という文字が映る。
「病弱養護学校」というものの存在を、もう少し語って欲しかったかな、とちょっと思う。

*参考リンク*
都立病弱養護学校の高等部をつくる会
同サイトコンテンツ:もっと病弱養護を知ってもらいたい運動