Greetings From Japan

日々の暮らしをのんびり綴っていきます。

ブダペスト夜景

2012-09-03 21:18:47 | 旅行(Travel)

ドナウ川クルーズ1時間コースでブダペストの夜景を楽しみました。

とはいえ、こんな美しい夜景を見ることができるとは予想していませんでした。

夕方6時過ぎに乗りこんだときは、まだまだ明るく夕焼けが見えたらいいなあと

思っていたほどです。

確かに最初は夕焼けでした。

夕焼けもきれいでした。

尖塔やドームがシルエットになりきれいでした。

 

船では船長さん?が日本語で説明してくれました。(結構じょうずな日本語でした。)

説明の後は、「ウィンナーワルツ」などの音楽が流れました。(なんとか雰囲気を盛り上げよう

という演出なんでしょうが少々やかましい。もう少し静かなほうがよかったかな。)

夜景になる1歩手前のくさり橋。もう点灯しています。

夜景モードになると橋がグリーンになり浮かび上がってきます。

橋に架るワイヤに灯ったライトが真珠でつながれているように見え素敵です。

国会議事堂。昼間とは全く違った雰囲気。

夜空に浮かび上がったお城のようです。

一番上の写真も同じく国会議事堂です。この横を船で通ったとき美しさに

圧倒されました。

クルーズはこれで終わりました。

でももっとこの美しい夜景が見たかったので、ホテルから歩いて15分くらいの

ドナウ川の川岸に行きました。対岸にゲッレールト温泉がありました。

ゲッレールト温泉。世界各国から観光客が訪れるという有名な温泉。

こちらの温泉は日本とは違い、水着を着用して入浴します。

温泉の隣りにあった建物。

橋の奥に見えるのが、ブダ王宮。

写真上が、ゲッレールトの丘。

ドナウ川沿いのホテルに泊まると一晩中この美しい夜景が楽しめるそうです。

うらやましい

 

 

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ブダペスト観光2 漁夫の砦&マーチャーシュ教会

2012-08-30 15:50:19 | 旅行(Travel)

ブダ地区とペスト地区を結ぶブダペストを代表する橋。

橋のたもとには2頭のライオン、橋脚もとてもりっぱです。

この橋を渡り、ブダ地区へ。

王宮の丘へ行きました。

まずは、漁夫の砦。

漁夫の砦は、王宮の城壁を利用して1896年~1905年にかけて建設されました。

7つの尖塔があり、この地にやってきたマジャール人が7つの部族で構成されて

いたことに由来しています。

ここからのながめはすばらしいです。

ドナウ川をはさんでブダペストの街がパノラマのように広がっています。

中央に見えるのが国会議事堂。白い外壁に赤い屋根が映える壮麗な建物です。

漁夫の砦の階段を下りると、マーチャーシュ教会があります。

        

この教会の屋根がモザイク模様のようになっていてとてもきれいです。

マーチャーシュ教会は13世紀ベーラ4世の命令で王宮の建設と同時に建てられた

教会です。

           

主祭壇。主祭壇には聖母マリアが祭られ、その周りは鮮やかな

ステンドゲラスで飾られています。

ステンドグラスをまじかで見ることができました。かなり分厚い色ガラスでした。

ハプスブルグ家の戴冠式の様子のフレスコ画です。

教会を出ると広場があります。

        聖三位一体像。

   18世紀に流行したペストの終焉を神に感謝して1710~1713年にかけて

   建てられました。

イシュトヴァーンの騎馬像。

  

カロチャ刺繍(ハンガリーの刺繍)の製品が売っているお土産物店の看板。

ハリネズミが針山になっています。

       お店の中で若い女性が刺繍のデモンストレーション

をしていました。お花の部分をサテンステッチで刺していましたが、糸がかなり太いようでした。

 

 

 

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ブダペスト観光1 英雄広場&聖イシュトバン大聖堂

2012-08-30 11:21:32 | 旅行(Travel)

「ドナウの真珠」とも言われているブダペストの街は本当にきれいでした。

ブダペストはドナウ川を挟んで王宮のあるブダ地区とペスト地区に分かれています。

2つの地区を合わせてブダペストとなります。(あぁそうだったのか・・・)

まずは、ペスト地区から回りました。

市内にはこのような観光バスがたくさん走っています。白人の人はできる限り

太陽の光を浴びたいので、屋根のない2階に乗って楽しそうです。

最初に訪れたのは

聖イシュトヴァーン大聖堂。

キリスト教を国教と定め、後に聖人とされたハンガリーの初代国王イシュトヴァーン

を祭る大聖堂です。1851年に建設が始まり、1905年に完成。

        建物内部。

中央ドーム。直径22m、高さ96m。様々な絵が描かれ金色に輝く美しいドームです。

         

「聖なる右手礼拝堂」には、聖イシュトヴァーンの右手のミイラが展示されています。

中央部の窓の部分をよぉーく見ると見えます。(ちょっと怖いです。)

次は英雄広場に行きました。

マジャル人の建国1000年を記念して1896年から造られ1929年に完成しました。

中央にそびえる高さ35mの建国記念碑の足元には、弧を描いて広場を囲うように

列柱が造られ、歴代王や英雄の像14体が収められています。

 

マジャル族の首長像。

         聖イシュトヴァーン像。

         建国記念碑の頂上にある

       大天使ガブリエル像。

英雄広場の右側にある「ミューチャルノク」企画展示を行う現代美術館。

 

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ウィーン観光

2012-08-29 10:43:28 | 旅行(Travel)

シェーンブルン宮殿。

ハプスブルグ家がひと夏を過ごした夏の離宮。

マリア・テレジア・イエローと呼ばれる明るい黄色の外観が庭園の緑に

ひときわ映えて美しい。

しかしとても広い。部屋数1441室。庭園も端まで行くのに12Kmほど

あります。

私たちは40室を見学するグランドツアーに参加しました。

美しい調度品が並ぶりっぱな部屋ばかりでしたが、あまりよく覚えていません。

(宮殿内は撮影禁止だったので後で写真を見て、ということもできず。)

これが広大な庭園。きれいな花が咲く春から夏までがお勧めです。

庭園を周回するミニトレインや、馬車があるそうです。

もし歩いたらミニトレッキングになりそう。

グリーンにくっきり映える赤やピンクの花で模様を描いています。

次に行ったのはベルヴェデーレ宮殿。

17世紀にトルコ軍を撃退し、ウィーンを解放したフランス出身の貴族オイゲン公の夏の離宮。

現在は美術館として利用されています。

私たちは、「19・20世紀絵画館」でクリムトの作品を観てきました。

  

入口の門扉の模様が優雅でした。

     門の上の彫像。想像上の動物でしょう

     か?

ベルヴェデーレ宮殿の広い庭園からウィーンの街が見えました。

バロック様式の宮殿ですが、建物の上にはたくさんの彫像が飾られていました。

   

庭園にも美しい彫刻があります。

   背中に羽を持つ獣、でも顔は美しい

  女性????

   

ウィーンの街にはトラム(市電)が走っています。

また馬車も車といっしょに公道を走っていました。馬車は軽車両に入るかな???

後ろに乗っているのは新婚カップル。ドレスを着ています。これから教会に向かうのでしょか。

      ザッハートルテで有名な「ホテル・ザッハー」

  の入口。たくさんのお客さんで混雑しています。

 ウィーンには有名なカフェがたくさんあります。カフェ巡りも楽しそうです。

 

次はブダペスト。

 

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プラハ観光2 時計塔&ヴァーツラフ広場

2012-08-28 15:19:05 | 旅行(Travel)

           

旧市庁舎の時計塔。

毎正時、ベルが鳴ったら後、一番上にある2つの扉から片方6体ずつ、合計12体

のイエス・キリストの弟子の人形が交互に現れます。

プラネタリウム。

天動説に基づき、地球を中心とした天体の動きを示します。中心の黒い球が地球。太陽が

青い位置にあると日中。黒い位置にあると夜。さらに3つの時計があり、古いボヘミア

の時刻、バビロンの時刻、そしてローマ数字で現在の時刻(目盛は24)を示しています。

(ローマ数字はわかりますが、後の2つの数字はどちらがどちらかわかりません。)

プラネタリウムの右横についているのが、死神とターク。

左の骸骨が死神を示し、死神が手中の砂時計を逆さまにしてひもを引くと、12

使徒の扉が開く仕組みになっています。右は野蛮・残虐を象徴する人形。中世時代に中欧

各国で”脅威の国”と恐れられていたトルコ人(ターク)をモデルにしたもの。(今トルコ

人が聞いたら気を悪くするでしょうね。)

カレンダリウム。

中心にプラハ市の紋章。その周りに12の月を象徴する獣と農作業風景が描かれて

います。外側の白い部分は365日を表し、365日分の聖人の名が記されています。

この時計塔は上ることができます。時計塔の展望台はたいへん狭いですが、プラハ

の街が一望できます。

展望台から見た景色。

旧市街広場にあるヤン・フス像。

きれいな街並みが楽しめます。

展望台から降りてしばらく街を散策しました。

            

火薬塔。17世紀に火薬庫として使用されたそうです。

火薬塔の下が道路になっていて人や車が往来しています。

 

プラハ随一の繁華街であるヴァーツラフ広場。

この広場は、ソ連からの独立運動「プラハの春」や、ソ連崩壊による「ビロード革命」など

数々の歴史的事件の舞台になった場所です。

今は中央が市民が集える公園になり美しい花々が咲き乱れています。

花壇は、紫と白でまとめられていました。

一番奥の建物が国立博物館です。

ティーン教会。2つの尖塔がとてもきれいで気にいっています。

2つの尖塔に挟まれた三角屋根の中央には、純金の聖母マリア像が輝いていますが・・・・。

ちょっと見えません。

 

次はウィーンです。

 

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プラハ観光1 プラハ城&カレル橋

2012-08-27 14:37:40 | 旅行(Travel)

二度の世界大戦でも被害を受けず、ルネッサンス、ゴシック、バロックなどの中世の

建築物が美しく残るプラハ。

「百塔の街」「建築博物館の都」とも呼ばれています。

プラハ城側からの街の遠景です。赤い屋根の間からいくつもの塔が顔をのぞかせて

います。

最初はプラハ城から出発しました。

          

聖ビート大聖堂。

プラハ城は、旧王宮と宗教施設群が複合した、世界最大規模のお城。

この聖ビート大聖堂は、プラハ城の中心に建つゴシック様式の大聖堂です。

14世紀前半から改築が開始され、1929年に完成。実に長い。

   大聖堂の中には、美しさに圧倒されるステンドグラスが

たくさん飾られています。これは、ミュシャ作の「聖ギリルと聖メトビス」の物語がステンドグラスに

描かれています。約4万枚のステンドグラスを使用しています。

聖堂の正面を飾るバラ窓。

 このバラ窓は「天地創造」がテーマ。

柱と天井が一体となり美しい星型を作りあげています。高さ33m。

ネポムツキーの墓。

チェコの守護聖人で最も人気の高い聖人の墓。王の嫌疑によりカレル橋から投げ捨てら

れて殉教した。カレル橋はもちろんプラハの街のいたるところにこの聖人の像があります。

大聖堂の隣りにある聖イジー教会。

ボヘミアで最も美しいロマネスク様式の傑作と表される教会。

黄金小路。

金細工の職人が住んでいたところ。今はかわいい土産物店になっています。

中央の水色の家は作家カフカが1年間仕事場として使用した場所。

小さいけれどどれもかわいい家ばかり。

        

黄金小路を抜け、この坂道をどんどん下って行くとカレル橋へと通じます。

カレル橋。1357年から60年の歳月をかけて建設されました。

全長約520m、幅約10m、ヴルタヴァ川(ドイツ語モルダウ川)に架るプラハの名所。

橋には、30体の聖像彫刻が立ち並んでいます。

       日本人に人気があるのは

聖フランシスコ・ザビエル像。

インド人、中国人、黒人、タタール人に担がれています。

       なんといっても一番人気は

前出の聖ヤン・ネポムツキー像。

ヴルタヴァ川に突き落とされた場面が台座に描かれています。

      これがその場面。この図柄に触ると

幸福になるという言い伝えから観光客が触ってピカピカ。私も順番待ちしてタッチして

きました。

     十字架を背負うキリスト像。

 

 

カレル橋側からプラハ城を望んだ遠景。

どちらの側から見てもとても美しい街です。

 

次はプラハ旧市街広場付近。

 

 

 

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ドレスデン観光

2012-08-26 11:41:27 | 旅行(Travel)

ツヴィンガー宮殿。

ツヴィンガー宮殿は、ザクセン選帝侯となったフリードリヒ・アウグストⅠ世が、1710年に建設

に着手し、1732年に完成ししました。

          

りっぱな王冠がのった王冠の門。

こういう門は初めて見ました。

ドイツのお城は砂岩でできているので、どうしてもだんだん黒くなってきます。

それがちょっと残念な気がします。せっかく手の込んだすばらしい彫刻があっても

黒ずんではっきり見えなくなってきます。

宮殿の中庭には、4つの噴水があり、勢いよく水を噴き上げていました。

宮殿の中には、アルテ・マイスター絵画館があります。

これが、美術館の入り口。

有名な天使の絵が出迎えてくれます。

この翼を持つ二人の天使は、ラファエロの「システィーナの聖母」のマリアの足元に描かれていま

す。

美術館内は撮影できないため画像はありません。

       

フラウエン教会。

第二次世界大戦で破壊され、戦争の傷跡として瓦礫の山の状態で残されていましたが、

戦後60年を経た2005年に見事もとの姿に甦りました。

このような状態だったそうです。

東西ドイツが統一を果たした1990年、再建運動がようやく正式に呼びかけられ、世界中

から寄付が集まりました。こうして再建工事が1994年に開始され、11年の歳月をかけ

甦りました。

再建はオリジナル設計に忠実に、できる限り元の資材を使用して行われました。

オリジナルの石の部分。たくさんの砲弾がつきささっています。

空爆のすごさがうかがわれます。

教会の前にオリジナルの石の瓦礫が残されています。

フラウエン教会から少し行ったところにある「君主の行列」です。

空襲で街のほとんどが破壊されたドレスデンでしたが、奇跡的に残ったのがこの

「君主の行列」という壁画です。

レジデンス城のシュタルホーフ(武芸競技場)の北の外壁を飾る、長さ102mの「君主の

行列」。35人のザクセンを支配したヴェッティン家の王侯、それに市民階級の代表者

たちが描かれています。1868年にできましたが、1904年から1907年に、この壁を

24,500枚のマイセン焼きの壁画に替えました。

 真ん中あたりに、アウグスト強王と息子のアウグストⅢ世がいました。

ホテル付近で撮ったエルベ川の夕焼け。お城の塔がシルエットになりとっても

きれいでした。

 

次はプラハです。

 

 

 

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ポツダム2 ツェツリエンホーフ宮殿

2012-08-25 11:45:44 | 旅行(Travel)

ツェツリエンホーフ宮殿は、プロイセン最後の王ヴェルヘルムⅡ世が皇太子家族のために

、1914年から17年にかけて、ハイリゲン湖のほとりに建てた宮殿です。

宮殿には、皇太子妃ツェツィーリアの名前がつけられました。

この宮殿でポツダム会談が行われました。(1945年7月17日から8月2日)

トルーマン(米)、チャーチル(英)、スターリン(ソ連)が集まり、第二次世界大戦の戦後

処理とソ連の対日参戦を含めた日本の終戦などについて話し合われました。

敗戦した日本人にとっては非常に大切な場所と言えます。

建物内部の写真撮影は2ユーロ払えば許可されます。

ポツダム会談が行われた部屋。

部屋はそんなに広くありませんでしたが、天井が高く、壁に濃い茶色の木材が使用され

重厚な印象を受けました。

会談当時の写真です。

スターリン  トルーマン チャーチル

THE BIG THREE の写真。

スターリンが東欧の国々を取り押さえている風刺画。

会談前は各首脳は顔を合わせないものですが、ここはスターリンの控えの間

になった部屋です。

ルリマツリが咲くきれいな中庭がありました。

この建物は現在ホテルとして利用されているそうです。

 

次はドレスデン。ドイツ観光最後の街です。

 

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ポツダム観光1 サンスーシ宮殿

2012-08-24 16:31:52 | 旅行(Travel)

サンスーシ宮殿があるポツダムは、ベルリンの西に位置する人口14万の小都市です。

サンスーシ宮殿は、プロイセン国王フリードリッヒⅡ世が、自ら設計に加わり1745年に

建設が始まり、1747年に完成しました。

「サンスーシ」とは、フランス語で「憂いのない」という意味でこの宮殿を構想したフリードリッヒ

Ⅱ世は、心からくつろげる牧歌的な居城を作ることを願ったのかもしれません。

公園にある池から宮殿を望むと、階段状にブドウとイチジクが植えられています。

イチジクは温室の中にあります。真夏なので、扉は開いていました。

ここに植えられているブドウは、ブドウ酒になり全て宮殿で消費されたそうです。

200ヘクタール近くある宮殿の庭園には、色とりどりの美しい花が咲いていました。

庭園に沿ってある林の中には風車も

ありました。

これは、フリードリッヒⅡ世のお墓です。フリードリッヒⅡ世がジャガイモを奨励した

ということから、お墓にジャガイモがお供えしてあります。

また王様は、自らフルートを演奏し、フルートソナタなどを作曲し、バッハをはじめとした一流

の音楽家とも親交がありました。

それでこの方が、宮殿の入口にいらっしゃたようです。

       ここにも楽器がデザインされていました。

 

次はポツダム会談が行われたツェツリエンホーフ宮殿です。

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ベルリンの壁

2012-08-22 09:35:22 | 旅行(Travel)

ベルリンの壁。

冷戦の真っただ中にあった1961年8月13日に、住民の流出を防ぐために東ドイツ政府

によって建設されました。

1989年11月10日に破壊され、1990年10月3日に東西ドイツが統一されるまで

、この壁がドイツ分断や、冷戦の象徴となっていました。

壁の高さは3mくらいでそれほど高いものではありませんでした。

しかし、壁は西ベルリンに面した壁と東ベルリン側にもう1枚同様の壁あり、その間は

数十メートルの無人地帯となっていました。無人地帯には番犬が放され、一時期、対人

地雷も設けられていました。東から西に逃れようとして殺された人々は136人いたそうです。

その壁の一部が記念碑的に残されている所が「イーストサイドギャラリー」です。

1990年にこのイーストサイドギャラリーで、118人の画家たちが壁に作品を描きました。

「ホーネッカーとブレジネフの熱いキス」を描いた風刺画。

ホーネッカーは当時の東ドイツの指導者、ブレジネフはソ連の指導者。

まじかで見ると、もっと気持悪かったです。「もう誰にもこの二人を止めることが

できない・・・。」というメッセージがあるとか。

あれ?日本人の画家が描いたのかな?と思いましたが、日本が好きなドイツ人の画家

の作品だそうです。

平和の象徴のハトが重い鎖をひっぱっています。

西側へ逃げようとしているとき検問所の遮断機が「ガシャン」と降りて、車の上部も

吹っ飛んだのでしょうか???

中央の女性の目から黒い涙・・・・。

珍しい形の車が止まっていてみんなが集まってきました。

後ろの壁には落書きがいっぱい。

落書き禁止の表示がありましたが、全く無視されています。

シュプレー川という川が道に沿って流れています。この川の向こうが旧西ドイツ。

川があるのでこの部分は西ドイツ側に壁がありません。しかし、川の底に鉄条網や

地雷があったようです。

シュプレー川にかかるオーバーバウム橋。この橋は冷戦時代、国境検問所が設置

されていました。2つの塔が立ち、上段をU-Bahn、下段を歩道が通る美しい橋

でした。こんな橋は、初めて見ました。

 

23年前のベルリンの壁が崩壊したとき、大勢の市民が壁に上って壁を打ち壊して

いた映像がまざまざと蘇ってきました。歴史の大きな転換点でした。

 

 

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