これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

テレビの取材

2010年09月19日 21時11分53秒 | エッセイ
 先日、勤務先の高校に、テレビ局の取材が入った。3時間足らずという短い時間であったが、授業の様子を撮影したり、生徒や教員にインタビューしたりして帰っていった。
 マスコミの仕事をじかに見る機会は滅多にない。なかなか面白い経験だった。

「えっ、3人だけなの?」
 取材は、記者が1人とカメラマン1人、それに助手が1人というコンパクトな人数だったから、校長は拍子抜けしたようだ。もっとも、関東地方限定の番組に数分登場するだけだから、記者やカメラがわんさと押しかける様子を想定するほうがおかしい。
 私は、撮影機材の小ささに驚いた。肩にひょいと担ぎ上げる、みかん箱ほどのカメラが1台と、スタンドつきのマイクや照明があるだけだ。自分にカメラを向けられても、「本当に撮影できているの?」と疑ってしまうくらい現実感がない。もっとも、これくらいの身軽さであれば、取材を受ける側も構えずにすむから、ちょうどいいのかもしれない。
 記者の女性は、ときどき携帯電話で、栃木や神奈川の記者と連絡を取っている。
「あとから編集して、ひとつの番組に組み立てますから、内容がかぶらないように調整しているんです」と彼女は説明した。

 授業の撮影では、位置を決めたカメラマンが、生徒に声をかける。
「テレビに映りたくない人は、こちらに移動してください。ここなら映りませんから」
 何人かの生徒が、カメラの死角となる場所に荷物を持って移動した。なるほど、恥ずかしいと思う生徒には、映らない権利もあるわけだ。不自然に下や横を向く者がいては、いい映像にならないから、一石二鳥だろう。
 しばらく撮影したら部屋を出て、別の場所に向かっていった。勝手に校内をうろつかれるのではと心配する声もあったが、あらかじめ取り決めた撮影場所以外、立ち入らないという約束も守られ、トラブルなしで取材は終了した。
「本日はどうもありがとうございました。これから徹夜で編集しますので、なるべくたくさん流せるように頑張ります」と記者の女性が挨拶し、取材班は帰っていった。まさに、体力勝負の仕事である。現場に出向き、何時間もかけて撮影したあとは、寝る暇もなく「ああでもない、こうでもない」と映像を組み立てるのだろう。とても私には務まらない。

 放映日、中2の娘が録画してくれたものを、帰宅してから見た。
「お母さんが出てる~♪」と娘は大喜びだが、画面の中の自分は、えらくブサイクに見える。思わず苦笑した。
 前日、娘に「お母さん、映る前に油取り紙でテカらないようにしなよ」と忠告されたことを思い出す。一応やってみたのだが、大した違いはなかった。
「これを使ったのか」「あれは使わなかったんだ」などと映像を分析する。こちらで選んだ生徒よりも、たまたま居合わせた生徒のほうが味のある意見を述べたら、そちらを優先する。当然だろう。見ていて、引き込まれる番組にしなければ意味がない。カメラ映えする生徒も、出番が多いと感じた。
 数分後、放映が終わった。あれだけ長い時間をかけて撮影したのに、氷山の一角しか流れていない。撮影した9割以上の、おびただしい数の映像をボツにしたとわかった。
 まるで、書初めの宿題のようだ。たった1枚を提出するために、会心の作ができるまで、50枚でも100枚でも書く者がいる。傍から見れば十分上手なのに、「まだ納得いかない」と半紙を買い足し、根気よく書き続ける。それくらいの気持ちがないと、テレビの仕事はできないのではないか。

 私だったら、せいぜい5枚ほど書き、その中から一番マシなものを選ぶだろう。
 友人の息子はもっとひどい。練習用の半紙を3枚持ち帰っても、はなから1枚しか書く気がない。ちゃちゃっと書いて提出用にし、「はい、宿題終わり」となるんだそうな。
 もし、彼が番組を作るとしたら、どんな内容になるのか見てみたい。




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コメント (16)
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