今年で、結婚して満17年になる。
一生に一度かどうかは人それぞれだが、このときばかりは私もわがままを言った。
「教会で結婚式を挙げたい~!」
ちなみに、私も夫もキリスト教徒ではない。信者でもないのに、教会での挙式は至難の業だった。
小学生のとき、私はキリスト教会の日曜学校に通っていた。たしか、2年生のときに、仲良しの子から誘われたのだ。女の子たちの間ではちょっとした流行りになっていて、小学生集団ができていた。
日曜学校は8時半に始まり、讃美歌を歌ったり聖書の朗読と解説を聞いたりして、小一時間で終了となる。春には復活祭、夏にはキャンプ、冬にはクリスマス会といった行事も開催され、地域の少年少女の社交場でもあった。
もっとも、建物自体は小さくオンボロで、1階は普通の民家、2階を改築して教会にしただけだ。鉄製の塗装のはげた階段を昇り、アルミサッシの出入口から中に入る造りとなっていた。
神父さんはお年を召した方だったが、若い先生も多く、お兄さん、お姉さんのような感じがした。
私が5年生のころ、神父さんから爆弾宣言があった。
「来週の日曜日は、白川先生がこの教会で結婚式を挙げます。よかったら、みなさんも来てください。時間は3時からです」
ええーっ、と私たちはどよめいた。
白川先生というのは、お姉さん的存在の若くてきれいな先生だ。他にも結婚式場はたくさんあるのに、この華やかさとは対極にある教会を選ぶとは、よほど思い入れのある場所だったのだろう。私は絶対に参列すると決めた。
「結婚式に招待されたのなら、お祝いを持って行かないと」
手ぶらにならないように、母と贈り物を買いに行った。
しかし……。
素晴らしくセンスのよい母が選んだ店は、ディスカウントストアのロヂャースだった……。
私は子供心にも、「何でここで買うんだろう!?」と疑問に思った。
「これこれ。玄関や居間に飾ったらきれいだよね」
母が手に取ったのは、色とりどりのガラスをはめ込んで描かれた鳥の絵だった。
どうやら母は、食料品を買い出しに行ったついでにこれを見て、気に入ったらしい。まあいいか。
翌週のお式には、よそゆきのワンピースを着て、鳥の額縁を持って、教会まで出掛けた。
「砂希ちゃんもプレゼント持ってきたんだね。何にした?」
近所の直子ちゃんも、花柄の包装紙に包まれた薄手の贈り物を用意していた。
「絵だよ。直子ちゃんのは?」
「あたしは、ノートとシャーペンと消しゴムにした」
……それは、結婚式の贈り物として相応しくないのではと感じたが、こちらもロヂャースだから、あえて何も言わなかった。
いつもは殺風景な部屋に、赤い布が敷いてある。50人ほどかけられる座席は、すでに親族らしい大人で満席だ。私は直子ちゃんとうしろの壁際に立っていたが、そこも間もなくいっぱいとなり、入りきれない人たちが入口付近に集まっていた。ステンドグラスもない地味な教会に、これだけ多くの人が集まったのは初めてではないだろうか。
「新婦のご入場です」
一斉に割れんばかりの拍手が起きた。純白のウエディングドレスをまとった白川先生が、人ごみをかきわけ、お父さんと一緒にヴァージンロードをゆっくり歩いてくる。入念な化粧を施した顔は、とびっきりの笑顔で彩られ、肖像画のように美しかった。
なんてステキな結婚式……。
キレイな花嫁に、温かい祝福のシャワーが、幼い私に強烈な印象を残した。
そんな経験があるものだから、チャペルウエディングにこだわったというわけだ。
「やっぱり、どこの教会も、信者以外の挙式はしないってさ」
あちこちに問い合わせをしてくれた夫が、ため息をつきながら言った。最悪の場合、結婚式場の小さなチャペルにするしかない。
しかし、夫には奥の手があった。
「オレが卒業した高校の礼拝堂でできるか聞いてみるよ」
夫はミッション系の中高一貫教育を受けているので、卒業生として問い合わせたところ、めでたく承諾を得ることができたのだった。
かくして望み通り、いや、望み以上の結婚式となった。
チャペルが相当大きかったから、白川先生のように満員御礼とはならなかったが、夫の教え子である女子バレーボール部の生徒がこぞって来てくれた。
かつての私のように、生徒たちの中にも教会での結婚式に心を動かされ、憧れるようになる子がいるかもしれない。
読者のみなさま、今回の記事でめでたく100編目となりました。
ここまで続けてこられたのも、みなさまに応援していただいたおかげです。
今後とも、ご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。
お気に召したら、クリックしてくださいませ♪
※姉妹ブログ 「いとをかし」 へは、こちらからどうぞ^^(2/5更新)
一生に一度かどうかは人それぞれだが、このときばかりは私もわがままを言った。
「教会で結婚式を挙げたい~!」
ちなみに、私も夫もキリスト教徒ではない。信者でもないのに、教会での挙式は至難の業だった。
小学生のとき、私はキリスト教会の日曜学校に通っていた。たしか、2年生のときに、仲良しの子から誘われたのだ。女の子たちの間ではちょっとした流行りになっていて、小学生集団ができていた。
日曜学校は8時半に始まり、讃美歌を歌ったり聖書の朗読と解説を聞いたりして、小一時間で終了となる。春には復活祭、夏にはキャンプ、冬にはクリスマス会といった行事も開催され、地域の少年少女の社交場でもあった。
もっとも、建物自体は小さくオンボロで、1階は普通の民家、2階を改築して教会にしただけだ。鉄製の塗装のはげた階段を昇り、アルミサッシの出入口から中に入る造りとなっていた。
神父さんはお年を召した方だったが、若い先生も多く、お兄さん、お姉さんのような感じがした。
私が5年生のころ、神父さんから爆弾宣言があった。
「来週の日曜日は、白川先生がこの教会で結婚式を挙げます。よかったら、みなさんも来てください。時間は3時からです」
ええーっ、と私たちはどよめいた。
白川先生というのは、お姉さん的存在の若くてきれいな先生だ。他にも結婚式場はたくさんあるのに、この華やかさとは対極にある教会を選ぶとは、よほど思い入れのある場所だったのだろう。私は絶対に参列すると決めた。
「結婚式に招待されたのなら、お祝いを持って行かないと」
手ぶらにならないように、母と贈り物を買いに行った。
しかし……。
素晴らしくセンスのよい母が選んだ店は、ディスカウントストアのロヂャースだった……。
私は子供心にも、「何でここで買うんだろう!?」と疑問に思った。
「これこれ。玄関や居間に飾ったらきれいだよね」
母が手に取ったのは、色とりどりのガラスをはめ込んで描かれた鳥の絵だった。
どうやら母は、食料品を買い出しに行ったついでにこれを見て、気に入ったらしい。まあいいか。
翌週のお式には、よそゆきのワンピースを着て、鳥の額縁を持って、教会まで出掛けた。
「砂希ちゃんもプレゼント持ってきたんだね。何にした?」
近所の直子ちゃんも、花柄の包装紙に包まれた薄手の贈り物を用意していた。
「絵だよ。直子ちゃんのは?」
「あたしは、ノートとシャーペンと消しゴムにした」
……それは、結婚式の贈り物として相応しくないのではと感じたが、こちらもロヂャースだから、あえて何も言わなかった。
いつもは殺風景な部屋に、赤い布が敷いてある。50人ほどかけられる座席は、すでに親族らしい大人で満席だ。私は直子ちゃんとうしろの壁際に立っていたが、そこも間もなくいっぱいとなり、入りきれない人たちが入口付近に集まっていた。ステンドグラスもない地味な教会に、これだけ多くの人が集まったのは初めてではないだろうか。
「新婦のご入場です」
一斉に割れんばかりの拍手が起きた。純白のウエディングドレスをまとった白川先生が、人ごみをかきわけ、お父さんと一緒にヴァージンロードをゆっくり歩いてくる。入念な化粧を施した顔は、とびっきりの笑顔で彩られ、肖像画のように美しかった。
なんてステキな結婚式……。
キレイな花嫁に、温かい祝福のシャワーが、幼い私に強烈な印象を残した。
そんな経験があるものだから、チャペルウエディングにこだわったというわけだ。
「やっぱり、どこの教会も、信者以外の挙式はしないってさ」
あちこちに問い合わせをしてくれた夫が、ため息をつきながら言った。最悪の場合、結婚式場の小さなチャペルにするしかない。
しかし、夫には奥の手があった。
「オレが卒業した高校の礼拝堂でできるか聞いてみるよ」
夫はミッション系の中高一貫教育を受けているので、卒業生として問い合わせたところ、めでたく承諾を得ることができたのだった。
かくして望み通り、いや、望み以上の結婚式となった。
チャペルが相当大きかったから、白川先生のように満員御礼とはならなかったが、夫の教え子である女子バレーボール部の生徒がこぞって来てくれた。
かつての私のように、生徒たちの中にも教会での結婚式に心を動かされ、憧れるようになる子がいるかもしれない。
読者のみなさま、今回の記事でめでたく100編目となりました。
ここまで続けてこられたのも、みなさまに応援していただいたおかげです。
今後とも、ご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。
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