『ワンタッチそろばん』をご存じだろうか。
左上部に突起状のボタンがあり、それを押すと一瞬にして五玉が上に、一玉が下に揃って『ご破算』、つまりゼロになる機能のついたそろばんである。
昭和40年に登場したらしいが、通常のものより高価ということもあり、私がそろばんの練習に励んでいた昭和50年代にはさほど普及していなかった。
たまたま友達が持っていたので、もの珍しさから借りたことがある。が、ボタンを押すという操作に慣れず、無意識にそろばんを傾けて、人差し指でジャーと五玉を上げる普通のご破算を何度もしてしまった。また、手間のかかる見取算を終え、答えを書き写そうと思ったら……。誤ってボタンを押してしまい、答えがご破算になるという失敗もした。
簡単そうに見えて、実は使いこなせるまでに時間が必要と感じた代物だった。
少女時代の私は人付き合いが苦手だった。そろばんは時間をかければ確実に上達するが、人間関係はそうもいかない。あとさき考えずに思ったことをすぐ口にしたり、自分の要求を主張してばかりいる面があったせいだ。
社会人となってからは、試行錯誤を繰り返しながら人付き合いのコツをつかみ、進んで挨拶をする、正しい敬語を話す、相手の呼吸に合わせて話す、いつも笑顔でなどを実践し、ひたすら猫をかぶった。結果、良好な人間関係が築けるようになったと思っていたのだが……。
先日、職場の飲み会に参加し、にぎやかなひとときを過ごした。しかし、週末をはさんで出勤すると、話しかけてくる人が極端に少ない。なにやら微妙な空気の変化を感じ取った。
変だなと思っていたら、親しくしている6歳下の悠子嬢がニヤニヤしながら近寄ってきた。
「笹木さん、あのあと大丈夫でしたか? ちゃんと帰れましたか?」
「うん、帰れたよ。よく憶えていないけど」
実のところ、私は悪酔いしてしまい、記憶が途切れ途切れだった。そして、そういうときは大抵ろくなことをしていない。学生時代には、ふざけて抱きつこうとした男子に平手打ちをお見舞いしたり、麻雀をしていた仲間の牌を片っ端から読み上げたりして怒られたことがある。
久々に、何かしでかしたのだろう。私は悠子嬢におそるおそる聞いてみた。
「ねぇ、私、何か変なことしてたー?」
「してましたよー!! すっごく怖かったんですからっ!!」
水を得た魚の如く、悠子嬢は嬉々として話し始めた。
私はある女性とかけ合い漫才のような会話をしていたそうだ。まずまずの盛り上がりで、周りの人がウケているのに、真面目だけが取り柄の若手男性2人があまり笑っていなかった。そこにカチンときたのだろう、彼らを口撃しはじめたらしい。
「ちょっと、そこぉ! 反応が鈍いんだよぅ!!」
名指しで非難し、据わった目をして説教ならぬ暴言を続けたという。
「アンタ、面白くないのよぅー!!」
「何か面白いこと言いなさいっ!」
「つまんねーんだよっ」
いやはや、そんな本当のこと、いや、失礼なことを言ってしまったとは!
顔面蒼白の私に気づかず、悠子嬢はビー玉のような大きな瞳を輝かせてとどめを刺す。
「ワタシ、笹木さんを見る目が変わっちゃいましたぁー」
彼女の言葉が信じられず、幹事の男性にも探りを入れた。返事はさらに悲惨だった。
「ああ、たしかに絡んでましたねぇ。そのあとは憶えてますか? オレの腕をつねったんですよ。それから、席を移動して○○さんと××さんの間に座ってました」
そして、同年代の男性○○さんの肩に手を回すというセクハラまがいの行為をしたり、女性の××さんにもベタベタとくっつき、髪をなでたりしたそうな……。
顔から火が出るというより、火炎放射を浴びている気分になった。
猫かぶりに徹してきた、これまでの努力がパーである。
まさに、ワンタッチそろばんの操作を誤り、ご破算にしてしまったときのようではないか。
パチパチと玉をはじき、加算、減算を繰り返した末、ようやくたどり着いた数字を記録する前に、私は禁断のボタンを押してしまったのだ。
カシャッ。
これで計算の答えも、人間関係もご破算。
……いや待て。ゼロどころか、マイナスかもしれない!?
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※新ブログ 「いとをかし」 へは、こちらからどうぞ^^ (10/8更新)
左上部に突起状のボタンがあり、それを押すと一瞬にして五玉が上に、一玉が下に揃って『ご破算』、つまりゼロになる機能のついたそろばんである。
昭和40年に登場したらしいが、通常のものより高価ということもあり、私がそろばんの練習に励んでいた昭和50年代にはさほど普及していなかった。
たまたま友達が持っていたので、もの珍しさから借りたことがある。が、ボタンを押すという操作に慣れず、無意識にそろばんを傾けて、人差し指でジャーと五玉を上げる普通のご破算を何度もしてしまった。また、手間のかかる見取算を終え、答えを書き写そうと思ったら……。誤ってボタンを押してしまい、答えがご破算になるという失敗もした。
簡単そうに見えて、実は使いこなせるまでに時間が必要と感じた代物だった。
少女時代の私は人付き合いが苦手だった。そろばんは時間をかければ確実に上達するが、人間関係はそうもいかない。あとさき考えずに思ったことをすぐ口にしたり、自分の要求を主張してばかりいる面があったせいだ。
社会人となってからは、試行錯誤を繰り返しながら人付き合いのコツをつかみ、進んで挨拶をする、正しい敬語を話す、相手の呼吸に合わせて話す、いつも笑顔でなどを実践し、ひたすら猫をかぶった。結果、良好な人間関係が築けるようになったと思っていたのだが……。
先日、職場の飲み会に参加し、にぎやかなひとときを過ごした。しかし、週末をはさんで出勤すると、話しかけてくる人が極端に少ない。なにやら微妙な空気の変化を感じ取った。
変だなと思っていたら、親しくしている6歳下の悠子嬢がニヤニヤしながら近寄ってきた。
「笹木さん、あのあと大丈夫でしたか? ちゃんと帰れましたか?」
「うん、帰れたよ。よく憶えていないけど」
実のところ、私は悪酔いしてしまい、記憶が途切れ途切れだった。そして、そういうときは大抵ろくなことをしていない。学生時代には、ふざけて抱きつこうとした男子に平手打ちをお見舞いしたり、麻雀をしていた仲間の牌を片っ端から読み上げたりして怒られたことがある。
久々に、何かしでかしたのだろう。私は悠子嬢におそるおそる聞いてみた。
「ねぇ、私、何か変なことしてたー?」
「してましたよー!! すっごく怖かったんですからっ!!」
水を得た魚の如く、悠子嬢は嬉々として話し始めた。
私はある女性とかけ合い漫才のような会話をしていたそうだ。まずまずの盛り上がりで、周りの人がウケているのに、真面目だけが取り柄の若手男性2人があまり笑っていなかった。そこにカチンときたのだろう、彼らを口撃しはじめたらしい。
「ちょっと、そこぉ! 反応が鈍いんだよぅ!!」
名指しで非難し、据わった目をして説教ならぬ暴言を続けたという。
「アンタ、面白くないのよぅー!!」
「何か面白いこと言いなさいっ!」
「つまんねーんだよっ」
いやはや、そんな本当のこと、いや、失礼なことを言ってしまったとは!
顔面蒼白の私に気づかず、悠子嬢はビー玉のような大きな瞳を輝かせてとどめを刺す。
「ワタシ、笹木さんを見る目が変わっちゃいましたぁー」
彼女の言葉が信じられず、幹事の男性にも探りを入れた。返事はさらに悲惨だった。
「ああ、たしかに絡んでましたねぇ。そのあとは憶えてますか? オレの腕をつねったんですよ。それから、席を移動して○○さんと××さんの間に座ってました」
そして、同年代の男性○○さんの肩に手を回すというセクハラまがいの行為をしたり、女性の××さんにもベタベタとくっつき、髪をなでたりしたそうな……。
顔から火が出るというより、火炎放射を浴びている気分になった。
猫かぶりに徹してきた、これまでの努力がパーである。
まさに、ワンタッチそろばんの操作を誤り、ご破算にしてしまったときのようではないか。
パチパチと玉をはじき、加算、減算を繰り返した末、ようやくたどり着いた数字を記録する前に、私は禁断のボタンを押してしまったのだ。
カシャッ。
これで計算の答えも、人間関係もご破算。
……いや待て。ゼロどころか、マイナスかもしれない!?
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