OMOI-KOMI - 我流の作法 -

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自省録 (マルクス・アウレリウス)

2006-03-07 00:03:46 | 本と雑誌

 このBlogにときどきコメントを寄せてくださるm-funさんの座右の書のひとつということで手に取りました。

Marcus_aurelius  著者のマルクス・アウレリウス(Marcus Aurelius Antoninus)は、紀元後2世紀のローマ皇帝でストア学派の哲学者でもありました。
 高校の世界史にも登場する「五賢帝の最後の皇帝」です。

 五賢帝時代は統治に有能な人物を養子縁組によって後継皇帝に指定することで成立していました。しかし、彼は才能に欠ける実子コンモドゥスを帝位後継者に指定したため、彼を最後に五賢帝時代は幕を閉じたのです。

 彼は、内政においては、学校・孤児院・病院の建設や減税等貧しい者に配慮した政策を推進し、また、法律の整備・刑罰の軽減・奴隷の待遇改善等にも尽くしました。
 他方、ストア派哲学者としての彼の貴重な足跡は、著作「自省録」において公式化され表明・集積されているのです。

  「自省録」はまさに古来より読み継がれてきた珠玉の箴言集ですから、どこをとっても刺激的なフレーズのオンパレードです。

 まずはポジティブ・シンキング系です。

(p72より引用) 実際我々の精神はすべてその活動の妨げになるものをくつがえし、これを目的の達成に役立つものと変えてしまう。かくて活動の妨げになっていたものが却ってこれを助けるものとなり、道の邪魔をしていたものが却ってこの道を楽にするものとなってしまうのである。

 彼は、自分自身の主観は自分自身の意志でコントロールできると言います。

(p205より引用) すべては主観にすぎないことを思え。その主観は君の力でどうにでもなるのだ。したがって君の意のままに主観を除去するがよい。するとあたかも岬をまわった船のごとく眼前にあらわれるのは、見よ、凪と、まったき静けさと、波のなき入り江。

コメント (2)
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学ぶこと 思うこと (加藤 周一)

2006-03-05 14:22:32 | 本と雑誌

 加藤周一氏は、ご存知のとおり現代を代表する評論家であり知識人と言われています。

 この本は、その加藤氏が2002年に大学の新入生を対象とした講演の内容を再構成したもので、全体でも50ページ程度の小冊子です。

 この中で氏は、「学ぶために必要なもの」としてふたつのものを挙げています。

 ひとつは「言葉」です。しっかりした言葉を扱えないと何を言っているのかわかりませんし、ものごとをはっきり考えることはできません。

 もうひとつは「座標」です。

(p10より引用) 一般に問題を考えようとするきには、対象の位置づけを明確にするために、なんらかの座標を必要とするのです。

 言うまでもありませんが、基本的な座標は「時間的座標」と「空間的座標」です。このふたつの座標軸で作られる二つの次元でものごとを捉え考えるのです。

 加藤氏は、タイトルにもあるように「学びて思わざれば罔し」「思いて学ばざれば殆うし」(論語 為政)という孔子の言を引いて、「学ぶこと」と「思うこと」を対にして論じています。

 氏は、孔子のいう「思うこと」とは「自分で考えること」「問題意識を持つこと」と理解しています。そして、上記の辞にある「学ぶ」と「思う」の関係を以下のように説明しています。

(p7より引用) 「これが問題だ」と感じること、これを日本語では「問題意識」といいます。ある問題意識が自分のなかにあり、そのことについてよく考えること、それが「思う」ことです。それは誰かに与えられたものではなくて、自分のなかから出てきた問題意識です。それがないと本当の意味でものごとを理解することにならない。だから教師が教えてくれることを学ぶだけでじゃダメなんですね。学ぶだけでは、自分自身の問題を解決できないでしょう。
 問題解決をするために必要なのは、まず問題を意識することです。だから、意識化された問題が自分自身のなかにあることが学ぶことの動機になります。「思うこと」と「学ぶこと」は、このように関係しているわけです。

 (私ごときが言うようなことではありませんが、)この本全体を通して、やはりものごとを自分なりにキチンと理解している先達が後進に理解させようとして語る文は違うと感じました。
 語り口に明らかな余力があり、同じ言葉であっても、それを聞くもののレベルに応じて理解できる深さが異なるように思います。語る内容の包含する容積が大きいので、どんな広さの人(generalist)にも、どんな深さの人(specialist)にも応えられるのでしょう。
 (もちろん、語る内容の正否・是非の評価・判断については、人それぞれの価値観によって異なりますが・・・)

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アースダイバー (中沢 新一)

2006-03-04 01:12:58 | 本と雑誌

 中沢新一氏の本は初めてです。
 先に読んだ本(「日本の歴史をよみなおす」)の著者網野善彦氏の甥にあたるというただそれだけの繋がりで読んでみました。

 この本で、中沢氏は、縄文時代の地図を現在の東京に重ね合わせて、様々な街の相貌や内包する精神性のようなものを掘り起こして行きます。

 中沢氏によって語られる根拠や論旨は、すべてがすべて首肯できるものばかりではありませんでした。が、全く別の視座・価値観からの思索のプロセスを追いかける楽しみは十分感じることができました。まあ、よくこんな突飛な思いつきをするものだと感心?しましたし、確かにそうかもしれないと妙な納得感を抱くところもありました。

 中には、

(p180より引用) 商品には、たんなる実用の世界の価値を離れたところがなければならない。ちょっと現実を離れた部分があってはじめて、人々の無意識の欲望に触れる、魅力的な商品が生まれるのである。

といったちょっと参考になるコメントもありました。

 青山がファッションの街となった訳、銀座が宝石と広告の街になった理由、いま流行りの秋葉原の源流、東京タワーの意味・・・、
 中沢氏ならではの感性による解読と意味づけが、ある種別世界の心地よい刺激にも感じられます。

 「多様性の受容・活用の実地訓練」というとあまりにも堅苦しい言い様ですが・・・。
 好悪の分かれる本だと思います。

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分数で割る? (続 直観でわかる数学 (畑村 洋太郎))

2006-03-02 00:22:24 | 本と雑誌

 先に紹介した「直観でわかる数学」の続きです。
 畑村氏は、「わかるように教える」ということも大事にしています。

 その例として「分数の割り算」が取り上げられています。
 「どうして分数の割り算は、ひっくり返して掛けるとできるのか?」

 畑村氏流の理解の仕方(教え方)では、割り算には3つの意味があると言います。
   ① △の中に○が何個あるか数える
   ② △を○個に分ける
   ③ △と○を比べる
 で、「分数の割り算」は①の意味で考えます。

 たとえば、6÷1/3の例でいえば、6の中に1/3が何個あるかと考えるのです。
 その場合、いきなり「6の中に」と考えるのではなく、まず、「1の中に1/3が何個あるか」を考えてみます。すると「3個」あることが分かります。1の中に1/3は3個あるので、6の中だと「6×3個=18」となるわけです。

 こんな感じで、いままで学校で「理由や理解はともかく『方法』だけ覚えこまされたこと」を、「わかるように解説」していきます。

 さらに、そういった解説に使われている「図」が非常に効果的な役割を果たしています。
 先の畑村氏の著作でもそうでしたが、シンプルでありかつ的確に理解を助けるような「図(絵)」が豊富に載せられています。

 この本は、「数学がすらすら解けるようになるための本」ではありません。「数学(算数)を材料」にして、「わかったという状態に至るプロセスを描き出した本」「わかったという状態にするための工夫を開陳した本」という感じがします。
 その裏返しとして、「自らの頭で考えて疑問を持つことの大事さを訴えた本」とも言えます。

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