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天平の女帝 孝謙称徳 (玉岡 かおる)

2016-03-27 23:55:12 | 本と雑誌

 ちょっと前の新聞の書評欄で出口治朗氏が紹介していたので興味を惹いて手に取った本です。

 タイトルからは、ヒロインは女性として初の天皇となった孝謙天皇のように見えますが、物語の主役は和気広虫吉備由利という二人の女官です。


(p118より引用) 由利もまた自分と同じ、心地よい日向の光になびく藤の蔓ではないようだ。ならばともに、自分で立って、一つ場所から動かぬ頑固な幹になろうではないか。


 “藤の蔓”とは、藤原氏の傘の下にある者という暗喩でしょうか。二人の女官が傅いた帝は聖武天皇・光明皇后を父母に持つ孝謙天皇でした。その後上皇となった孝謙上皇は、僧道鏡を重用するようになります。このころから当時のもう一人の有力者であった藤原仲麻呂との勢力関係が危うくなり、孝謙上皇は髪を下し仏門に入ることによって帝としての政を行なう強い決意を示しました。


(p244より引用) 女の天皇を軽んじるなら、男も女もない一人の人間となってみせよう。そして実力のみでそなたたちの王になろう。そんな強い意思表示に抗う者があろうか。


 その後称徳天皇として復位した女帝ですが、ほどなく行幸の折から体調を壊し崩御されました。そして、称徳天皇の治世は僧道鏡との間の醜聞とともに語られるようになっていったのです。


(p370より引用) 「お上のすぐれたご人格も、実際にお仕えしたわたくしたちだからこそ知っていますが、時代が去れば、誰が言えましょう、伝えられましょう」
 そのとおりだ。だからこそ、書き記したものが重要になる。


 称徳天皇崩御の裏には、男性天皇に娘を嫁すことにより政治の実権を掌握し続けたいという摂関家藤原氏の男たちの深謀遠慮があったのです。


(p372より引用) 「敵とは、道鏡や、父真備や、女帝の口を封じた上で、女帝の時代をとことん貶めようとたくらむ者。二度とこの国が女の天皇を戴くことがないようにと画策する男たちです」・・・歴史はいつも勝者が書く。勝者とは、ともかく生き残った者であった。


 そして、称徳天皇以降、江戸時代初期109代明正天皇に至るまでおよそ850年間、日本には女帝は生まれませんでした。

 さて、小説なのでストーリーを紹介することはできるだけ避けることとして、本書を読み通しての感想を少々。
 現代の読書家のひとり出口治朗氏のお薦めということで読んでみたのですが、正直なところちょっと期待外れといった印象ですね。
 称徳天皇崩御の謎解き的な要素が読者を物語に引き込む導線だったのでしょうが、そのあたりの脚色に今一つ感があります。当時、孝謙・称徳天皇を取り巻く人物としては、橘諸兄・藤原仲麻呂・道鏡・吉備真備等々強いキャラクターの持主がいるのですから、もう少しエッジの効いた歴史エンターテイメントに仕立てることができたのではと思いますね。
 とはいえ、敢えてそういったビッグネームに頼らず、和気広虫・藤原百川らを働かせたところが玄人仕事なのかもしれません・・・。

 

天平の女帝 孝謙称徳
玉岡 かおる
新潮社
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流れる星は生きている (藤原 てい)

2016-03-21 00:03:36 | 本と雑誌

 一度は読んでみようと思っていた本です。
 作者の藤原ていさんは、作家新田次郎氏の妻、数学者藤原正彦氏の母です。

 太平洋戦争の終戦当時、満州新京にいた藤原夫妻は夫婦別れ別れとなり、ていさんは三人の子供を連れ日本に向けての過酷な脱出行に赴いたのでした。その言語に絶する厳しさを「あとがき」でこう記しています。


(p299より引用) 当時二歳だった次男は、アメリカの大学で、三年間、数学を教えていたが昨年帰国し、いまは日本の大学で教鞭をとっている。この次男は、あまりに当時幼なすぎて、引揚げの苦しみは全く記憶にないと、私は考えつづけて来た。その彼が、
ボクはどうして川がこわいのだろうか、日本でも、アメリカに居たときも、どんなに小さな川でも、一応は立ち止って、考えてから渡るような習慣を持っているのだが・・・」
 つい先頃の話である。私は、彼の顔をまじまじとながめた。
・・・
「やはり、そうだったのか・・・」
 朝鮮の平野を流れる河を渡る時、胸までつかる水をかきわけながら、彼を落とすまいと、私は、横だきにした手に力をいれた。彼は恐怖のためにヒーヒーと泣いた。
・・・
 その時のおそろしさが、今、彼の潜在意識として残っているのだろうか。


 想像もできないような苦難の始まりは夫との別れでした。シベリアに向かう夫に渡した毛布と現金。夫はそれを人に託してていさんに返してきました。その時のていさんの心境を表したくだりも印象的です。


(p50より引用) 私は心の中ではげしく夫を責めた。一体シベリヤへ行くというのにどうして一番大切なものを返してよこしたんだろう。まるで自殺行為のようなものだ。夫は私や子供たちのためにこれを残しておいて、気持の上で満足するかもしれない。しかし私はこの毛布を見るごとに毎日毎晩夫の身の上を案じなければならない。そんな精神的重荷を残していった夫をうらんだ。


 ていさんの満州からの脱出の苦労は筆舌に尽くし難いものでした。寒さ・暑さ・豪雨、渡河・山越・・・、そういった厳しい自然との闘いもあれば、極限状況における人間の本性を顕にした軋轢もありました。それらは、すべて3人の子どもとともに生き抜くためのものでした。


(p226より引用) 私はもう一歩も進めない。
「崎山さん、先に行って下さい」
 私は割合に冷静な言葉でこういった、川の黒い黒い面を見詰めた。一歩前にいた、崎山さんは振り返って私の顔を見ていたが、いきなり平手でぴしゃっと私の頬を叩いた。そしてがつがつ歯を鳴らせながらかみつくようにいった。
「気違い女、死にたけりゃ、私の前で死んで見たらいい。さあ川へ入って見ろ、眼の前に開城をひかえて死ぬ馬鹿があるか!」
 崎山さんはぱらぱら涙を流しながら、私の腕を取った。


 そして、遂にようやく日本に向かう船が釜山の港から離れたとき、ていさんは、その時の心情をこう記しています。


(p252より引用) 皆甲板に集まっていた。・・・
 涙を流すもの、あてもなく手を振るもの、なにか叫ぶもの、人により色々の表現はあるが皆一つの生きて来たという感情の昂奮で騒いでいるのだった。私には別に涙を流すような感情は湧き出て来なかった。静かに右足につけていた牛の草鞋と左足にくくりつけてある草履を解いて、ぽんぽんと海の中へ放り込んでやった。
 とてもよい気持であった。


 ていさんと3人の子どもたちにとって、長く苦しい道程の終着駅は信州上諏訪駅でした。その「引揚者休息所」に着いて。


(p293より引用) 入口に一歩足を踏み込んで私ははっとして立ちすくんだ。そこには私の幽霊が立っていた。・・・
 諏訪の湯と書いてある大きな鏡に写った私の姿は自分で見てさえ恐ろしいほどのものであった。鏡というものを一年以上見たことのない私はどんな姿か、自分を見ることが出来なかった。そして今見た私は墓場から抜け出して来た、幽霊そのままの姿であった。


 さて、本書を読み通しての感想です。出版当時ベストセラーになったとのことですが、さもありなんと首肯できますね。著者自身の実体験に基づくものであり、また舞台が舞台だけに描かれている内容のリアリティは圧倒的です。ところどころで垣間見ることができる藤原正彦さんの子どものころの姿、それがまた今を彷彿とさせる点も興味を惹きますね。
 流石に、評判どおりの作品だと思います。

 

流れる星は生きている (中公文庫BIBLIO20世紀)
藤原 てい
中央公論新社
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アイスランド 絶景と幸福の国へ (椎名 誠)

2016-03-13 22:59:15 | 本と雑誌

 いつもの図書館の新着書の棚で目に止まった本です。
 椎名誠さんの旅行エッセイですが、採録されているナショナル・ジオグラフィックの写真も見応えがあります。

 アイスランド、あまり馴染みのない国ですが、何かしらとても惹かれるものがありますね。その名前のせいかもしれません。とはいえ、椎名さんの印象はかなりワイルドなものでした。


(p56より引用) 大地の下でナニモノカが沸騰している、という感触だった。近くにあまり高い山はないが近隣の低い山のどこか、あるいは谷のどこか、もしかすると低い湿地帯などというところからまんべんなく硫黄ガスが噴き出しているようだった。・・・アイスランドはその名とは裏腹に、けっして冷たく凍結している孤島などではなく、まだしきりに島全体が躍動し、さらに大きくなるための熱い成長過程にあるような実感がある。


 海岸線はフィヨルド、内陸は火山や氷河・・・、決して肥沃とは言えない大地は天真爛漫な世界です。そして、そこに暮らす人々もそうでした。


(p68より引用) レイキャビクからまだ500キロ程度移動してきただけだが、たったその間だけでも、いたるところでこの国の基本的な考えかたがかいま見える。
 ・・・キーワードは、・・・「自己管理、自己責任」で、その精神が社会の基本になっている風景だのだった。


 その「自己責任」において、アイスランドの人々は自然な暮らしを謳歌しているようです。
 OECDが発表している世界各国の「幸福度ランキング」で9位の国。


(p150より引用) アイスランドは先進国であり、経済も食事事情も国際間の位置づけもそこそこのところにある。・・・
 火山などの自然環境の激変などの不安は常にあるが、いまのところ人々はどんな人に対してもここちいい笑顔で応対し、楽しいことがあるとみんなで屈託なく笑い合うことができる―国になっている。


 それに対して、「日本」は?今まで数々の国を訪れている著者はこう語っています。


(p167より引用) ぼくはこんなふうに、世界のいろんな土地で書き切れないくらいのさまざまな風景を見てきた。そうして、いつの旅でもやがて日本に帰ってくる。
 そのとき必ずいつも形容の難しい「違和感」におそわれる。しかもそれは外国に行くたびに増していくのを感じる。
 電子化社会というのだろうか。生活の多くのありようが強引にシステム化され、人々はその仕組みのなかでそれぞれ指令された方向にコントロールされ、せわしなく緻密に動かされている印象を受ける。
 都市の大きな駅などではそれまでの旅で見てきた同じ人間の生きる世界とはとても思えないような風景にたじろぐ。


 アイスランドの「生活の豊かさ」は、日本のそれとは異次元なのでしょう。国自体が、そしてその国に暮らす人々が拠って立つ「礎」そのものが全く異なっているのだと思います。
 そして、たまたま映画「センター・オブ・ジ・アース」を観直していたら、レイキャビクが登場。アイスランドは、ジュール・ヴェルヌの代表的SF作品「地底旅行」の舞台でもあったのですね・・・。

 

アイスランド 絶景と幸福の国へ
ナショナル ジオグラフィック
日経ナショナルジオグラフィック社
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水木しげる ゲゲゲの大放談 (水木 しげる)

2016-03-06 21:03:38 | 本と雑誌

 いつも行く図書館に、昨年(2015年)にお亡くなりになった水木しげるさんを偲ぶ書棚がありました。
 その中で気になった本、ちょっと前に「墓場の鬼太郎」は何冊か読んでみたのですが、これは、水木さん所縁の方々との対談集です。

 最初に登場する対談相手は“ゲゲゲの女房”武良布枝さん、水木しげるさんの奥様です。
 その奥様が語る水木さんの「プロの矜持」。
 貧乏生活を送っていた水木さんに天下の講談社から掲載の声がかかりました。しかし求められたテーマは「SFもの」、水木さんは、描けないときっぱりと断りました。


(p24より引用) ここで少しでもお金が欲しいと思ってなんでも飛びついて描くという事はしなかった。私は、ああ、なるほど、彼の思いはそうなんだなと強く思いましたね。それはマンガに限らず、戦争で生き残って今日に至るまでの生き方にしてもなんでも、筋は通してますからね。強い信念は持っていたと私は勝手に考えています。それを通して来た。


 こういう水木さんの信念は何か「堅い意思」に拠っているのかといえば、どうもそればかりでもないように思えます。自分の考えを大切にする生きる姿勢は、「生まれつきの性分」として染みついていたようです。
 本書の中でも何人もの方との対談の中で、水木さん自身そういった類のことを語っています。イラストレーター南伸坊さんとの対話での水木さんのことばです。


(p146より引用) 寝ないであくせくと勉強して学校の成績がよくても、やっぱり長生きとか幸福の問題になってくるとあまりパッとしないようだねえ。いわゆる賢い人というのは自分流で幸せになれてるわけですよ。だから、先達の賢い人なんかが言う幸せになる方法なんていうのはまちがってる。水木サンは学校の成績なんかもそんなによくなかったわけですよ。たっぷり寝て、たっぷり食って、ゆったりとわが道を行く生活だったから。・・・他人の意見で生きるってことはしなかった。


 ただ、何の拠り所もなく「わが道を行く」という生き方を徹底していただけというのでもありません。自分の能力についての“自負”“自信”も持っていました。そのあたり、水木さんはこうも語っています。


(p25より引用) 水木サンはストーリーに自信を持っていたんです。その割りに仕事はなかったけど(笑)、ストーリーはいくらでもできたわけですよ。


 そして、日々の水木さんの仕事ぶりたるや、それはそれは凄まじかったようです。


(p25より引用) 私はコマを割る線引きをかなり手伝いましたけども、まだアシスタントも雇えない状況でしたから、こつこつと手間ひまかけて一人で描いていました。一心不乱とはこういうことだと思いました。大の男が心血注いであれだけ熱中して描いている姿に私はなにも意見は言えませんでした。オーバーな言い方になるかもしれませんけど、その打ち込む力たるや、もうなかったですね。


 水木さん自身、当時は家族も顧みなかったと認めていますが、布枝さんの言葉がその鬼気迫る姿をまさに言い表していますね。

 さて、本書ですが、特に水木さんにとって身近な方々との会話が生の形で紹介されているので、水木さんの「そのままの姿」を窺い知るには相応しい本だと思います。改めて感じるのは、水木さんはひとつの「独自の世界観」を築き上げた“凄い人”だったということです。

 

水木しげる ゲゲゲの大放談
水木 しげる
徳間書店
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