「自省録」は様々な思索を体系だった形で記したものではありません。宮廷であるいは従軍先で、いろいろな時・場所での彼の想い、彼自身との対話の集積です。
その中には、深い瞑想の言葉もあれば、直情的な憤りの言葉もあります。
私の感じたところでは、「自省録」には、「今」を大事にする言葉が多く見られます。たとえば、
(p129より引用) 目前の事柄、行動、信念、または意味されるところのものに注意を向けよ。
君がそんな目に遭うのは当り前さ。君は今日善い人間になるよりも明日なろうというんだ。
アウレリウス自身、過去の英雄・英傑が今どれだけその名をとどめているか、ほとんど忘れ去られているではないかと言い、また、今の名声がどれだけ将来に残るか、今称えている人もいなくなるではないかと言っています。
(ただ、彼自身の名声は2000年近くたった今でも称え続けられているのですが・・・)
他方、「今」を大事に思うがゆえの辛辣な言葉もあります。
(p170より引用) 善い人間の在り方如何について論ずるのはもういい加減で切上げて善い人間になったらどうだ。
この本には、たくさんの「響く言葉」がありましたが、私が最も共鳴した言葉は次のフレーズでした。
(p102より引用) 人間各々の価値は、その人が熱心に追い求める対象の価値に等しい。