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東大流よみなおし日本史講義 (山本 博文)

2015-09-27 22:12:56 | 本と雑誌

 縦横に歴史を俯瞰しそういったビッグピクチャの中で歴史的なイベントを位置づけ理解するというのは、とても興味を惹く営みです。

 そういった視点に立った著者の山本博文教授が選んだエピソードの中から、特に私の印象に残ったものをいくつか書き留めておきます。

 まずは、戦国時代の「鉄砲伝来」の背景の解説。
 倭寇との関わりが指摘されていますが、これは私にとっては、改めて認識が変わったところです。


(p165より引用) 倭寇は、日本人海賊を呼ぶ言葉ですが、当時、中国(明)は国家間の朝貢貿易以外は認めておらず、中国人が海外に出て貿易することを禁止していました。・・・この体制のもとでは、海外貿易に従事する中国人は存在しないことになり、そういう者たちが「倭寇」と呼ばれたのです。・・・
 ・・・東アジアに到達したポルトガル人は、倭寇が創り上げていた貿易圏に参入することによって、貿易の利益を得ようとしたのです。したがって、種子島に着いた大船は、ポルトガル船ではなく倭寇の船で、漂着したのではなく種子島を目指して来航した貿易船だとみることができます。


 昔、日本史の教科書で習った「鉄砲伝来」のエピソードとはだいぶ様子が違いますね。

 もうひとつ、平安期摂関政治の実態を説明しているくだり。


(p106より引用) 摂関政治の時代は、藤原氏が摂政・関白の官職に就いて政治を壟断した時代だとイメージされるのですが、実際は太政官で公卿たちによって政治が遂行されていたのです。道長ら摂関家の者たちが、政治を壟断していたというイメージは、天皇が親政を行うことを理想と考える皇国史観の産物だと言えるでしょう。


 私が中学・高校時代に手にとった「日本史」の教科書の記述もそうですが、歴史を語り何がしかの解釈を与える場合、“不偏不党”というのは不可能ですね。
 歴史を扱う人々が共有する「水準点」のような普遍的な“基点”が存在しないからです。そもそも、歴史を語ることは、まさに、その語り部一人ひとりの「史観」の開陳でもあるわけで、そこに、例えば、網野善彦氏の著作の面白さがあるのだと思います。

 このあたりの歴史上の出来事や人物の評価に如何についてですが、私たちが影響されているインプットとして、「歴史小説」での扱われ方があります。
 歴史小説における巨匠といえば、誰しも司馬遼太郎氏を思い浮かべますが、著者は、この司馬氏の代表作「坂の上の雲」における乃木将軍の捉え方を取り上げて、こうコメントしています。


(p289より引用) 小説は、虚構でも根拠のない断定でも、多くの読者に大きな影響力を持ちます。特に司馬氏は、史料に基づいてものを言っているように書くので、ほとんどの読者は、史実だと思うでしょう。歴史研究者が、確かな史料をもとに、正確な史実を提示していくことが望まれます。


 辛辣ですが、大切な指摘です。

 さて、本書を読み通しての感想ですが、「歴史の大きな流れ」をつかんだ上で時々の出来事の意味づけを理解させるという著者の目標は、残念ながら十分に達成できたとは言い難いですね。
 歴史の流れを俯瞰するには、時間軸に加え空間軸を意識した捉え方が必要ですし、また、政治・経済・社会・文化等々多面的な切り口からの解釈が求められるのですが、本書の記述スタイルがやはり“時系列”を機軸としているので、従来形の解説とは異なる“大きな視座の転換”といったインパクトは、どうやらかなり小さくなってしまったようです。

 

東大流よみなおし日本史講義
山本 博文
PHP研究所
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プロフェッショナル シンキング―未来を見通す思考力 (ビジネス・ブレークスルー大学 編)

2015-09-20 22:02:45 | 本と雑誌

 レビュープラスというブックレビューサイトから献本していただいたので読んでみたものです。

 よくある「○○シンキング」と銘打った典型的ビジネス書ですが、その目次をみると、

  • 第1章 準備運動――「思考逃避」のもたらす危機
  • 第2章 思考逃避がもたらす固定観念を打破する
  • 第3章 大局観を持つ――市場の未来を見通す思考力1
  • 第4章 ある程度予測できる未来を読む――市場の未来を見通す思考力2
  • 第5章 新しい未来を創り出す――市場の未来を見通す思考力3
  • 第6章 事業構造と顧客交点アプローチ――顧客の未来と未来の顧客を見通す思考力1
  • 第7章 時間軸と顧客交点アプローチ――顧客の未来と未来の顧客を見通す思考力2
  • 第8章 顧客個人の内面と外部交点アプローチ――顧客の未来と未来の顧客を見通す思考力3
  • 第9章 未知の問題解決に挑戦するための集団IQ

と、複数の著者がひとつのシナリオに沿って、自らの得意分野の解説を進めるという構成になっています。

 そのなかでは、平野敦志カール氏が担当した第3章から第5章のパーツが分かりやすかったですね。もちろん、氏が提唱している「プラットホーム戦略」の概要にも触れられています。


(p118より引用) プラットフォーム戦略とは、簡単に言えば「多くの関係するグループを『場』(プラットフォーム)に乗せることによって、外部ネットワーク効果(いわゆる口コミ効果)を創造し、新しい事業のエコシステム(生態系)を構成する戦略」のことです。


 この戦略は、他企業との有機的な協業を前提とした戦略であり、その企業連合が生態系を形成するわけですから、生態系同士の生存競争が繰り広げられることになります。そういう熾烈な競争に勝ち抜くためには、どの陣営に入るのか、その中でどういう位置づけを占めるのかが決定的に重要になります。

 このプラットフォーム戦略は“知財戦略”も様変わりさせます。従来は、知財をいかに自社の中に蓄えるかが重要でしたが、最近は、トヨタのHV技術に代表されるように、自社の知的財産を無償で公開する例が出てきました。


(p135より引用) オープン・イノベーションとは、企業が自社開発の技術だけでなく、他社の特許やアイディアを組み合わせることで、革新的な商品やビジネスモデルを創り出す手法のことです。


 競争優位なエコシステムを創り上げるためには、いかにしてより強力なパートナーを取り込むのがか肝になるわけですが、そのための誘引がこの知財の無償提供です。とはいえ、当然ではありますが、何でもかんでもオープンにしてしまうわけではありません。


(p136より引用) 注意が必要な点は、「どこまでを自社が行い、差別化を保持しながら、どこからをオープン化するか」という全体戦略を事前にしっかり構築し、必要な知的財産などを確保することでしょう。


 さて、本書を読んだ印象ですが、思いのほか“正統派のビジネス書”だと思いましたね。
 「○○思考」とか「△△分析」とかといった多種多様なフレームワークが紹介されていますが、それらの解説も、そのフレームワークに実例を当てはめて具体的な出来栄えを示しつつ丁寧に記述されています。
 大前研一氏が監修している「BBT大学シリーズ」にしては、今までのものと比較して際立って“宣伝色”が少なく、ちょっと意表を突かれてしまいました。(と思っていたら、やはり最終章はBBT大学のPRでした・・・)

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「私の履歴書」─昭和の先達に学ぶ生き方 (石田 修大)

2015-09-13 23:42:35 | 本と雑誌

 日本経済新聞の朝刊文化面の人気連載企画である「私の履歴書」。なんと開始されたのは昭和31年(1956年)、60年にも及ぶロングランコーナーとのことです。

 本書はそのコーナーに登場した多種多彩な人物の「履歴書」の中から、著者なりにいくつかの共通軸を設定し、その切り口から、それぞれ方々の波乱万丈の人生を彩った興味深いエピソードを紹介したものです。
 そういう著者のフィルターを通った内容なので、生々しい尖がった語り口が少し削られた感もしますが、選別された「引用」には、強く印象に残るくだりも数多くありました。

 たとえば、帝国ホテル総料理長村上信夫氏は、自らの転々とした修行時代を振り返って、こう語っています。


(p37より引用) 「まさに古き良き時代だった。日本は貧しかったが、社会にゆとりがあって、のんびりしていた。人間もいたってのんきで、優しく、温かった。学歴がないまま社会に出た少年少女は毎日懸命に働くことを強いられたが、ささやかな希望を持って生き抜けたのは、社会に遊びというか、『のりしろ』のような部分があったからだろう」


 村上氏は、幼いころ両親を亡くし、小学校は出席日数不足のため卒業証書も授けられなかったという辛い記憶を抱いていました。筆舌に尽くし難いような苦労があったのだと思いますが、それを振り返った言葉の穏やかさが印象的です。こういった言い様に、その方の人柄が表れますね。

 もうひとつ、「のらくろ」で有名な漫画家田河水泡氏の回想。
 犬の軍隊を舞台にした「のらくろ」ですが、当時は関連グッズが溢れるほどの人気を博していました。その人気が講じて、太平洋戦争開戦の2ヶ月ほど前、田河氏は内閣情報局に呼び出され、漫画の雑誌への連載をやめて欲しいとの申し出を受けました。用紙統制の一環で、「のらくろ」の連載を中止すれば、掲載誌「少年倶楽部」の売上が落ち、貴重な紙資源の確保に寄与するというのが理由でした。
 戦後、その騒ぎを振り返って、田河氏は「私の履歴書」の中でこう語っています。


(p197より引用) 「私にとっては不本意な形での連載中止だったが、結果的にはこのときにやめておいたのがよかった。・・・もし、あのとき、情報局へ呼び出されず、(太平洋戦争)開戦後も連載を続けていれば、『のらくろ』は露骨な戦争協力をさせられ、それがますますエスカレートしていったに違いない。そんな羽目になっていたら、いかに人気のあった『のらくろ』といえども、戦後、復活させて続編を描き続けることはむずかしかったかもしれない」


 人生における「偶発」の影響力には人知を越えるものがあります。「私の履歴書」に登場する方々の多くは、この「偶発」がラッキーにも成功への道に導いたのだとも言えます。もちろん、本人の真摯な努力によるところも大きいのですが、「血の滲むような努力」をしていてもそれが報われない人の方が、「偶発に恵まれた」人よりも、ずっと多いように思います。

 さて、本書を読み通しての感想ですが、正直なところ、ちょっと思っていたものとは違っていましたね。「私の履歴書」で紹介された著名人のエピソードから特に興味深いものを厳選して、著者なりに深掘り・肉付けした内容を期待していたのですが・・・。現実的には、過去の「私の履歴書」をザッピングしたような体です。
 やはり、関心を抱いた人物については、その伝記や自伝といったしっかり書き込まれたものを読まないと欲求不満が残りますね。
 

「私の履歴書」──昭和の先達に学ぶ生き方 (朝日新書)
石田修大
朝日新聞出版
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メンターが見つかれば人生は9割決まる! (井口 晃)

2015-09-06 21:49:19 | 本と雑誌

 レビュープラスというブックレビューサイトから献本していただいたので読んでみたものです。
 典型的なHow to本ですね。

 “自らが理想とする人生を実現するための最も効率的な方法は「メンターを見つけ、その人を徹底的に真似る」ことだ”。本書で伝えたい著者のメインメッセージです。

 ここでいう“メンター”とは自分が成功したい世界での成功者であり、その意味で「人生のロールモデル」となる人のことです。そういうメンターを見つけ、そして、「モデリング」という手法でそのメンターの「発言」「行動」「思考」「感情」に関するパターンを加速的に身につけていくのが成功への最短経路だと著者は説いています。
 もちろん、ずっと永続的にメンターを真似し続けるわけではありません。


(p68より引用) 私はメンターに学び続ける期間は1年間が理想だと考えています。1年間で、メンターから集中して学び、その後は独り立ちしていくことが大切です。・・・こう期限を切っておくことで、この期間にすべてを学び切るという決意もできますし、貪欲に学んでいけるのです。


 著者が本書で薦める方法を実践する上で最も重要なポイントは「いかにして最適なメンターを見つけるか」という点です。
 もちろん、著者はこの「メンターの選び方」についても、いくつもの条件を紹介しています。「現在トップであり、3年後もトップであるような人」「本を2冊以上出している人」「“再起不能と思えるような失敗”をしている人」・・・と続きます。が、私の場合、このあたりから、ちょっと著者の主張に対する「納得感」が薄れてきました。


(p116より引用) メンターに接触する方法の王道は、次の通りです。
①メンターが書いた本を読む
②メンターの勉強会、セミナー、講演会を受ける
③少人数に限定したメンターのプログラムを受講する
④直接あって1対1で学ぶ


 さらに、説明がこう続いてくると、著者が想定している「メンター」というのは、かなり「特殊な業界」の人をイメージしていると考えざるを得ません。多くの悩める人たちに対する現実的なアドバイスとは乖離しているように感じます。

 もう一点、「目標とすべきロールモデル」を意識し、それに一歩でも近づこうと努力することは全く持って正しい姿勢だと思います。しかしながら、私は、「有無を言わさず真似すればいい」という論には十分な説得力を感じません。
 決して“真似”自体を否定するものではありません。良いと思ったものはどんどん真似をすればいいでしょう。ただ、メンターとして据えた人物の一体「どこ」を真似すればいいのか?真似ができるメンターの特性は、真似をしようとしている人の知覚で捉えられるものに限られますが、メンターが成功した要因は「表出」したものだけでしょうか?表出したものだけを摘み取って、その人物の「基質」を自分のものにすることはできないでしょう。

 濃密な師弟関係とかでないと「師」の全てを学び取ることはできないでしょうし、世の中の多くの人が「メンター」とそこまでの親密な関係を築くことは非現実的です。
 類似事象に対する表層的な取り回しはメンターと同じらしくできたとしても、姿勢・思考の「基」が確立できていないと、応用問題への対応にはお手上げです。
 

メンターが見つかれば人生は9割決まる!
井口 晃
かんき出版
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