OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

ハイエクの概念 (自由をいかに守るか‐ハイエクを読み直す(渡部昇一))

2008-05-31 18:25:21 | 本と雑誌

 ハイエクの「隷従への道」は、「自由」とりわけ「経済的自由」を強く主張した書物ですが、その中で、いくつか、今の時代でも別のコンテクストの中で見られるような概念が紹介されていたので、以下にいくつか覚えとしてご紹介しておきます。

 まずは、「消費者」という概念とその位置づけについてです。

 
(p78より引用) ここでは「消費者」という言葉がハイエクの中心概念の一つとして登場します。・・・
 談合によって各業界が得するということは、その業界の資本家、経営者、労働者のいずれもが得をすることになる。しかし得をする者がいれば、損する者もいるのが当然です。しかし、資本家と労働者というマルクス主義の観念では、誰が損をするのかはわからない。消費者という概念を出したときに初めて、業界談合によって誰が損するのかがわかるわけです。消費者とは自由主義競争の社会から最大の利益を得る人たちだと規定していいでしょう。

 
 また、「個性の重視・人の多様性に価値をおく考え方」も示されています。

 
(p252より引用) 違った知識や違った見解を持つ人たちの相互作用が思想の生命だとして、理性の成長は個人の間にこのような違いが存在していることに基礎を置く社会で生まれるのだとハイエクは書いています。

 
 最後に、ハイエクが示す「経済成長の条件」です。

 
(p312より引用) 経済成長の条件として、ハイエクは次のような項目を示しています。第一に、大きく変化した環境に、全員が自分を素早く適応させる準備があること。第二に、特定のグループが慣れ親しんだ生活水準を維持させようという考慮が、変化への適応を阻害するのを許さないこと・・・第三に、持っているすべての資源を、すべての人々が豊かになるのに最も貢献する分野へ投じること-市場に任せれば自然にそうなります-。

 
 すでに、このころから「変化」への対応の重要性を指摘しています。
 

自由をいかに守るか―ハイエクを読み直す (PHP新書 492) 自由をいかに守るか―ハイエクを読み直す (PHP新書 492)
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発売日:2007-11

 

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競争と法 (自由をいかに守るか‐ハイエクを読み直す(渡部昇一))

2008-05-25 15:47:25 | 本と雑誌

 引き続き、ハイエクの特徴的な主張をご紹介します。

 ハイエクは、経済的自由の保障のための重要な価値概念として「競争」をあげています。

 
(p223より引用) 競争体制こそが権力を最小化させる唯一の体制だというのです。競争社会では金持ちが生まれ、財閥もできるかもしれないけれども、そういう人が出てくることで普通の人の自由も保障される・・・

 
 ただし、競争が万能であるとハイエクは考えていません。競争が成り立つ土俵(枠組み)はなくてはなりません。

 
(p72より引用) ・・・「有効な競争」をつくり出すことが必要で、そのためには注意深く考え抜かれた法的な枠組みが必要であるとハイエクはいいます。・・・競争を禁じて統制経済になるのではなく、競争を効果的にやらせるための工夫を法的につくるという意味の計画は重要であるということです。・・・
 統制をしなくても、競争によって諸個人の活動を相互に調整することができ、しかもそれは政治権力の恣意的な介入・強制を排除できるとハイエクはいいます。意図的な社会主義的統制を必要としないためには、競争が絶対に不可欠な要素であるのです。

 
 競争を有効に機能させる一つの方法は、「『価格』の調整機能」にゆだねるという道です。

 
(p90より引用) 競争に調整機能があるというのはハイエクにおいて最も根源的な主張です。・・・
 競争は単純な社会よりも複雑な社会で効力を発揮するとハイエクはいいます。・・・ものすごく複雑な社会になると、個人はいわずもがな、いかなる優秀な官僚を集めても、命令で需要と供給のバランスをとることは絶対にできません。
 そこで、当事者がわかっている事実にしたがって独自に行動するに任せ、それぞれの行動が全体として調和するような調整がどうしたら可能になるかという問題をハイエクは提起し、「価格」というものの持つ情報機能と重要性を指摘します。
 不可能に思われるようなこの調整機能を見事に果たしているのが、競争体制における「価格機構」だとハイエクはいいます。つまり、自分の決定と他人の決定とをうまく折り合わせる情報は価格に集約され、調整が可能になるというわけです。

 
 もう一つは「法」です。
 ただし、ここでいう「法」は限定法でなくてはなりません。

 
(p73より引用) ハイエクが日本に来て講演したときに、「自由主義の法律はDon’tであるべきである。Doであってはいけない」といいました。
 ハイエクが是認する法律の特色は「否定」です。「これこれをせよ」という法律ではなく、「これこれすべからず」という法律を求め、否定されていること以外はやっていいというくらいでないと、自由主義ではないというわけです。

 
 また、こうも説明しています。

 
(p128より引用) 経済的な面で、国家は一般的な状況に適用されるルールだけを制定すべきだとハイエクはいいます。要するに、法は抽象的でなければいけないということです。そういうルールがあれば、あとは個人個人がその場の状況に応じて行動するわけです。・・・
 いずれにしても、本来の法は個別的な命令であってはならず、詳細が予見できない条件において適用されるものでなければならず、特定の目的や人間のもたらす効果が前もってわからないものだとハイエクは繰り返します。

 
 法は「機会の均等」をもたらすべきであって、直接的に「結果の均等」を目指すべきではないとの考えです。
 
 

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自由 (自由をいかに守るか‐ハイエクを読み直す(渡部昇一))

2008-05-24 13:43:54 | 本と雑誌

Hitler  本書も、先に読んだ「日本史から見た日本人」と同じくセミナーの課題図書としていただいたので読んだものです。

 恥ずかしながら本書に触れるまでは、ハイエクという人は知りませんでした。
 辞典の受け売りですが、ハイエク(Friedrich August von Hayek 1899~1992)は、オーストリアの経済学者で、1974年ノーベル経済学賞を受賞しています。自由市場経済の擁護し、その著書「隷従への道」(1944)は当時のベストセラーになったといいます。

 本書は、渡部昇一氏によるハイエクの主著「隷従への道」の解説本です。
 渡部氏は若い頃、英語も独語も解することからハイエクの通訳もされ、身近にハイエクの考え方・発言に触れた経歴をお持ちです。

 ハイエクは、第二次大戦に至るドイツ等の姿を見、戦後のイギリスの行く末を憂いて「隷従への道」を著したといいます。もちろん、そこで否定されているのは「個人の自由」が抑圧された「全体主義」です。

 ハイエクは「自由」に最高の価値を置き、その保障のために「経済的自由」を強く主張しました。

 
(p37より引用) 「経済的自由なくして個人的自由も政治的自由もない」・・・これはヨーロッパ連合をつくる思想的もとになった団体であるモンペルラン・ソサエティのスローガンでしたが、社会主義政権は個人の経済的な自由を奪おうとするものであり、経済の主体を政府が握れば個人的な自由も政治的な自由もなくなるということを、ハイエクが日本に来たときにも主張してやみませんでした。

 
 ハイエクの「自由」重視の考え方は、渡部氏が紹介する以下のエピソードでも明らかです。

 
(p121より引用) ハイエクの講演で非常に印象深かったことの一つとして、 「自由と民主主義を並べるけれども、どちらが重要かといえば、間違いなく自由のほうが重要です」とおっしゃったことがありました。極端なことをいえば、民主主義がなくても自由があればいい、ということになります。

 
 ここでの「民主主義」は「平等」と言い換えてもいいようです。

 また、ハイエクは自由の保障のため、「経済的目的と政治的目的の分離」を求めます。

 
(p223より引用) 経済的目的と政治的目的の分離が個人の自由を保障するという考え方は、ハイエクの一番のキーノートです。それは、政治的に偉くなくてもお金が儲けられるという制度です。ところが、かつてのソ連や今の中国を見ると、政治的権力がなければ富もありません。つまり、社会主義では政治的権力と富が一致する体制なのです。一方、自由主義社会は公的な地位のない人でも地主であり得るし、会社の社長でもある得るわけです。

 
 政治的権力による経済の統制には強く反対しています。
 まさにそれは「全体主義」への道に通じるからです。
 

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日本史から見た日本人 昭和編‐「立憲君主国」の崩壊と繁栄の謎 (渡部 昇一)

2008-05-18 15:34:31 | 本と雑誌

Pearl_harbor  参加しているセミナの課題図書として指定されたので読んだ本です。

 渡部昇一氏の著作は初めてです。
 渡部氏は、本書で、自身の昭和史観の集大成を目指したと言います。昭和史の中でも、特に「第二次世界大戦(渡部氏の用語では「大東亜戦争」)」に至る背景を詳細に論じています。

 渡部氏は、不幸な戦争に至った根源的遠因は明治期の「大日本帝国憲法の欠陥」にあったと指摘します。

 
(p9より引用) 明治憲法には首相(総理大臣)という言葉もなければ、内閣という言葉もない。あるのは国務大臣だけである。つまり、明治憲法は行政府についての明確な規定のない欠陥憲法だったのだ。

 
 憲法成立当時は問題として顕在化しなかったこの点が、伊藤博文をはじめとする元勲の代替わりによって後に形式的解釈の隙を生み、ついには、戦前の日本を、統帥権干犯問題を緒とする「政府と軍とのダブル・ガバメント(二重政府)の国」に導いてしまいました。

 
(p348より引用) まことに統帥権干犯問題は、歴史の急坂にさしかかった日本というバスからブレーキを取り除いたような結果になったのである。いかに運転者が努力してもバスは谷に転落するであろう。乗客の被害も大きく、谷にある村の人々の被害も大きかった。
 憲法のたった一条項の解釈の惹き起こした内外の惨禍を思う時、今なお痛憤に堪えない。

 
 この点、もう少し具体的には、こういうことです。

 
(p387より引用) 昭和五年(1930)以来、軍は「統帥権は天皇に直属するから、内閣は軍のやる事に口出しできない」という原則で国を引きずってきた。それは、天皇が直接に命令することはありえないことを知ってのうえでの主張であるから、偽善の最たるものである。統帥権とは、軍が政府に掣肘を受けることなく勝手なことをするための、明治憲法の隙間をついた詭弁である。

 
 さらに、外圧としての「アメリカの日系移民排斥問題」「ホーリイ・スムート法に代表される保護貿易主義の台頭」それに連なる世界大不況等が重畳的に発生し、日本は不幸な戦争へと突入していったのです。(別の見方からは、押し流されていったという感覚かもしれません)

 本書で開陳されている渡部氏の主張のすべてに首肯するものではありませんが、現在の学校教育や多くのマスコミの論調では窺い知ることのできない歴史的事実や昭和史観があることは、非常に興味深く感じました。
 また、「明治憲法の欠陥」という独創的な視点から、改めて昭和史を読み説いてみせたという点は、多様な視座の容認・多角的・多面的見方の重要性を再認識させてくれました。

 さて、私が参加しているセミナーでは、本書を読んだ後、渡部氏ご本人をお招きして直接お話を伺うのですが、そのとき、渡部氏は、ご自身のお母様のお話を出して「配給制」はダメだという象徴的な主張をされていました。
 本書ではその趣旨は以下のようなフレーズに表れています。

 
(p252より引用) 商業は買手と売手の自由なる同意を前提とする。この同意は自由意志に基づく。市場とは自由を前提としなければならない。つまり、商業は自由と分かちがたく結びついている。したがって自由商業を抑制する政策を一つ採ると、それは進行的に人間の自由そのものを侵すようになるのである。

 
 基本的思考を上手いメタファーを使ってシンプルに表すのもなかなか難しいですね。
 

日本史から見た日本人 昭和編―「立憲君主国」の崩壊と繁栄の謎 (祥伝社黄金文庫) 日本史から見た日本人 昭和編―「立憲君主国」の崩壊と繁栄の謎 (祥伝社黄金文庫)
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史上最強の論理パズル-ポイントを見抜く力を養う60問 (小野田 博一)

2008-05-17 16:06:34 | 本と雑誌

 問題のパターンに変化が乏しいので、著者には申し訳ないのですが、自分で考えて問題を解くのは途中で諦めてしまいました。

 キチンと問題にあたって実際頭を悩ませてみるという「実戦」が一番身になるのでしょうが、解答ページに書かれている「論理的に考えるポイント」に目を通すだけでも、首肯できるコメントがいくつかありました。

 たとえば、

 
(p30より引用) 「瞬時に答えを得ようとする態度」を捨てよう!
「瞬時に答えがわからないなら考えるのをやめる」ではだめ。瞬時にわからなくても考え続けましょう。

 
とか、

 
(p38より引用) 「コツコツ考えること」を軽視しないようにしましょう。それは理詰めの思考の基本です。
 頭の冴えている者はコツコツ考えたりしない、なんてあなたは考えていませんか?頭の冴えている者はコツコツ考えます-しかも高速に。

 
といった指摘です。

 その他にも、「結論に飛びつくな」とか「肝心な点を見抜こう」といったアドバイスが記されています。

 「結論に飛びつくな」という方は、何とか注意すれば守れそうですが、「肝心な点を見抜く」という方は難しいですね。
 論理的思考における「肝心」な点といえば、たとえば、「相矛盾する条件」「MECE(Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)」とかが該当します。
 ただ、矛盾するかどうかも、ある程度論理的な思考を進めないと判明しない場合があるのが現実です。となると、結局のところ、仮定や場合分けといった「緻密な思考を地道に重ねる癖」をつけるしかないようにも思います。

 その訓練のひとつの方法が本書のような論理パズルなのでしょうが、「論理的思考のためには、論理的にものごとを考えることが大事・・・」という非論理的な結論になってしまうのかもしれません???

 最後に、本書で紹介されているパラドクスの変形をひとつ、

 「このBlogに書かれていることは『偽』である」
 
 

史上最強の論理パズル―ポイントを見抜く力を養う60問 (ブルーバックス) 史上最強の論理パズル―ポイントを見抜く力を養う60問 (ブルーバックス)
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発売日:2003-11

 

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インフォーマルネットワーク (トヨタ 愚直なる人づくり(井上 久男))

2008-05-11 18:39:51 | 本と雑誌

 本書の特徴は、トヨタの強さの源を「人材」という観点から明らかにしようとしている点にあります。

 潤沢な経営資源を背景にゆとりのある人材育成の仕組み・立派な研修施設があることも事実ですが、トヨタは、もっとベタな「人間的」な要素に着目しています。

 たとえば「育ててもらえる」という言い方。「自己啓発」の勧めはどんな企業でも言われているでしょうが、こういう言い方はあまり聞きません。

 
(p43より引用) 新入社員ら若手に配っている仕事の仕方などを説明したパンフレットには、「育ててもらえる人材になりなさい」と明記されている。厳しく指導されるということは、本人に能力がある、やる気があると認められているからである。これは管理職に対して言えば、部下が可愛いなら、もっと厳しくせよ、というメッセージとも受け止められる。

 
 極端な言い方をすると、「トヨタ版徒弟制度」ですね。

 どうも、こういった一般的には「ちょっと前のやり方」と思われるような仕掛けが、トヨタの「人」という側面からみた強みになっているようです。

 トヨタには多くの親睦団体があり、スポーツやレクリエーションイベントも盛んだといいます。

 
(p67より引用) 人事部長の宮崎は「『個』の時代だと思って、会社も遠慮していたところがあるが、こういう会合に若い人もどんどん参加した方がいい。若い人が嫌がっても、どんどん引っ張っていけば、ついてくるようになる。若い人のコミュニケーション力は弱くなっている傾向にあるが、幹事をやれば、企画力やコニュニケーション力もつく。趣味の話だけではなく、他部署の人と仕事のことを話し合うきっかけにもなる」と話す。「花見の幹事のできない人間に、仕事の段取りもできない」と話すトヨタ幹部もいる。

 
 トヨタの「人脈力」=「インフォーマルネットワーク」の源がこのあたりにあります。

 
(p69より引用) 娯楽が多様化したことや、休みの日まで会社に縛られたくないなどの理由で、日本の会社では「文体活動(文化、体育活動)」のイベントは減る傾向にある。・・・しかし、トヨタでは、文体活動のイベントも、縦・横・斜めのネットワークを形成する上で重要な役割を果たしていると判断しているのだ。

 
 近年、野中郁次郎氏も、企業における知識創造プロセスの構成要素として「場」の重要性について指摘しています。
 このトヨタのインフォーマル・ネットワークも、ひとつの「場」もしくは「場」形成の基盤といえるのでしょう。

 
(p75より引用) 人と人との関係、人と職場との関係、人と親睦組織との関係、これらはすべて「場」であろう。
 裃を脱いだインフォーマルな活動では、ざっくばらんに意見交換もできる。立場の違う人や職種の違う人の異なる価値観と交じり合うことで、新たなヒントも入ってくる。トヨタの縦・横・斜めのインフォーマルなネットワークは、大きな「場」である。

 
 著者も、「トヨタの競争力の源泉」について本書のなかで、こう指摘しています。

 
(p91より引用) トヨタの競争力が依然として強いのは、トヨタ生産方式を使っているからではなく、長期的な視点も織り込み、OJT教育を大切にした実践に根づいた人材育成を大切にしているからではないか。トヨタ生産方式を学ぶというよりも、机上の空論は受け入れない実践重視の人材育成のあり方を学ぶことの方が先決であろう。

 
 最後に、本書を読んでの感想ですが、文章が簡潔で非常によみやすく、また、内容も丹念な取材に裏打ちされてよくまとまっています。世の中に溢れている「トヨタ生産方式」の解説はほとんど省いて、「人材育成」に焦点を絞った点も成功しているのではないでしょうか。

 強いていえば、「人材育成」について従業員の声も聞いてみたかったですね。
 経営者やマネジメント層からのコメントは多く取材されているのですが・・・、人材育成は、しばしば育成側の想いと受ける側の実感とがすれ違いがちですから。

 

トヨタ 愚直なる人づくり―知られざる究極の「強み」を探る トヨタ 愚直なる人づくり―知られざる究極の「強み」を探る
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発売日:2007-09-07

 

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継続する結果 (トヨタ 愚直なる人づくり(井上 久男))

2008-05-10 13:42:05 | 本と雑誌

 巨額の売上・利益をあげているトヨタですが、著者曰く、「トヨタ社内には数値目標はほとんどない」とのことです。
 目標管理にもとづく成果主義がこのところの流れですが、トヨタはここでも別の考えをもっているようです。
 共有するのは「目標」ではなく「方針」だというのです。

 
(p28より引用) トヨタでは、目標管理ではなく、「方針管理」という言葉がよく使われる。方針管理はだいたい1年スパンで管理される。目標管理は、会社の目的とずれていても、上司と部下が一定の目標を決め、それを達成すれば評価される仕組みであり、どちらかと言えば、部分最適が重視される傾向にある。
 方針管理とは、「今年はこちらの方向に向けて新しい仕事をするぞ」といった具合に、会社や組織として新しい方向に向けて動き出すための、言わば「哲学書」のようなものだ。・・・社長が年初に全体の方針を発表し、各職場がそれをブレークダウンしていく。それによって全体最適を目指すのだ。

 
 私などは「目標管理」or「方針管理」ではなくて、「方針管理」があってその具体的手法として「目標管理」があるように思うのですが・・・。

 
(p31より引用) 目標管理は合成の誤謬を生みやすいシステムであるのに対し、方針管理はコンセンサスやチームワークを重視するシステムだ。・・・先の小西(注:トヨタインスティテュート部長)は「企業だから数字も大切だが、10年後に企業としてどうなっていたいか、あるいはトヨタの社員としてどうあるべきかを考える方が大切ではないか。トヨタでは継続性のない結果は結果とは言わない」と言い切る。

 
 「結果の継続性を重視する」、これはなかなかインパクトのあることばですね。

 ちょっとトーンは異なりますが、「将来」を重視するトヨタの実例をもうひとつご紹介します。

 
(p144より引用) トヨタには「現地現物」を大切にする経営哲学がある。プリウスが発売された当時、トヨタの役員は「一時的にコストがかかっても、自社で生産してみないと、技術もコスト構造もわからない。仕入先とも議論ができなくなる」と語っていた。

 
 コアとなるノウハウや経験は社内に蓄積する。
 「将来のための自前主義」です。
 
 

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トヨタウェイ (トヨタ 愚直なる人づくり(井上 久男))

2008-05-06 15:37:31 | 本と雑誌

Toyopet  トヨタの「強さ」の源泉を説く書籍は、それこそ山のように出版されていますが、本書は、その中でもかなり最近のものです。

 切り口は、「カイゼン」「カンバン方式」といった定番の生産管理関係ではなく、「人づくり(人材育成)」に焦点をあてています。

 とはいえ、やはりトヨタに関する本で「カイゼン」に触れないわけにはいきません。もちろん「カイゼン」活動も「人」が主人公ですから。

 
(p98より引用) トヨタ自動車は2001年、企業理念をグローバルに共有し合うため、「トヨタウェイ2001」を策定した。・・・
 このトヨタウェイ2001は日本語と英語で説明されており、以下のような五つのキーワードで説明され、それをわかりやすく補足する形で、経営者の「語録」がつけられている。
①チャレンジ
②カイゼン
③ゲンチゲンブツ
④リスペクト
⑤チームワーク

 
 この「カイゼン」の項で紹介されている高橋朗氏(元デンソー会長・元トヨタ副社長)の「ことば」です。

 
(p100より引用) 「改善活動は改革のインキュベーターである。なぜなら、それは変化を受け入れる土壌を創り出すからだ」(高橋朗)

 
 こういったトップマネジメントの意識は、トヨタのあらゆる社員に浸透しています。
 本書の冒頭では、トルコ工場を立ち上げた小林浩治氏の話が紹介されています。

 
(p8より引用) 小林はいつも「会社には多くの人が働き、ミスもしでかす。それが悪いのではない。起きた問題を隠す方がもっと始末が悪い。会社経営というのは、問題がないことの方が問題ではないか」と話す。

 
 まさに、トヨタに根づいた「カイゼン・マインド」の一端を示すものです。

 こういった「カイゼン」に限らず、本書では、数々のトヨタの経営スタイルが登場します。

 その中でひとつ「なかなか決めない経営」について。

 
(p24より引用) この「なかなか決めない」経営というのは、トヨタの伝統でもある。最高顧問の豊田英二が社長時代、アメリカに工場を建設する大プロジェクトでも、豊田は自分の口からはどこに新工場を建設すべきか、なかなか発言しなかったという。トヨタ関係者は「英二さんは『俺がすぐに決めたら、社員は誰も考えなくなるだろう。どこの土地がいいのか、あるいは本当にアメリカに工場をつくることがいいのかも含めて、皆が徹底的に考えないと事業は失敗する』と漏らしていた」と語る。

 
 じっくり考えて、決めたら迅速に動くというスタイルです。
 「スピード経営」が声高に叫ばれているなか、自動車産業のような巨大製造業は、まだ「決めてから動く」でよいのかもしれません・・・。一旦動き始めると、研究開発にしても設備建設にしても後戻りするのが大変ですから。

 最後に、ここでは詳細には触れませんが、本書を読んで最も驚き印象に残ったのは、「アイシン苅谷工場火災に際してのグループ企業の自律的な動き」でした。
 著者も指摘しているように、グループでの目的意識の共有と同時に、常日頃から実際のアクションにつながる実力が養われているということの証左です。
 これは、一朝一夕には真似はできません。すごいことです。
 

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私の古寺巡礼 (白洲 正子)

2008-05-03 12:58:55 | 本と雑誌

Murou_ji  「プリンシプルのない日本」「白洲次郎の流儀」など白洲次郎氏に関する本は何冊か読んだことはあるのですが、正子氏の本は初めてです。

 正子氏が若狭・熊野・近江・奈良等の寺社を巡った、その折々を記したエッセイ集です。
 飾り気のない素直な語り口で、それでいて細かな心遣いが感じられる文章ですね。
 たとえば、こういう感じです。

 
(p57より引用) 織物でも織るように、そうしたさまざまな糸が四方からより集まり、次第に私の興味をかき立てて行った。

 
 もちろん、ところどころに、正子氏一流のウィットを感じるフレーズも見られます。
 朝日を見ようと思い立って訪れた宇治の平等院では、

 
(p84より引用) 待ちに待った太陽は、雲にかくれて、ついに姿を現さず、平等院の朝はそのままずるずると明けて行った。大体東京から駆けつけて来て、いきなり日の出を見ようなんて心掛けが悪いのである。

 
 そういう言い回しがあるかと思えば、さすがの解釈も語られます。

 
(p90より引用) 平等院の構想は、ふつう考えられているよりはるかに大きいのだ。鳳凰堂の阿弥陀如来や飛天を見たからといって、平等院を知ったことにはならない。そこには古代の自然信仰から、仏教へ移って行き、再び自然の美しさに開眼した人間の、まったく新しい思想がある。その時外来の仏教は、はじめて自分のものになり、浄土は現実の目に見えるかたちとなった。

 
 耳学問ではなく、自らの感性と体験でとらえた印象・思いを極々自然体で綴っていきます。
 対象の歴史的背景・史実もふまえつつ、根本のところは自分自身の感覚・感性を大事にするという正子氏の物事に対する基本姿勢を強く感じます。

  「借景」を題材にした日本の庭についての解釈もそうです。

 
(p161より引用) 内なる庭と、外の景色が、互に呼応し、無言のうちに共鳴し合っている、そういうものが日本の庭であり、禅宗の思想ではないかと私は思う。

 
 本書の冒頭「古寺を訪ねる心‐はしがきにかえて」において、正子氏自身、自分の物事に対する接し方について、こう語っていました。

 
(p8より引用) 何もかも見ることは人間には不可能です。ただ向こうから近づいて来るものを、待っていて捕える。それが私の生まれつきの性分なんで、だれにでも勧められることじゃありませんが、しいて「心」というのなら、無心に、手ぶらで、相手が口を開いてくれるのを待つだけです。お寺ばかりでなく、私は何に対しても、そういう態度で接しているようです。

 
 本書で紹介されている寺社の中には、室生寺や大覚寺といった観光コースの定番の史跡も含まれていますが、そういった世間の耳目を集めていない隠れた旧跡も数多くあります。
 いつか、本書を供に、そのいくつかでも巡ってみたい気持ちになりますね。

 

私の古寺巡礼 私の古寺巡礼
価格:¥ 2,100(税込)
発売日:1997-05

 

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