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ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学 (入山 章栄)

2016-04-30 23:51:31 | 本と雑誌

 ちょっと話題になっているビジネス書ですし、著者の入山章栄氏も最近かなり露出が多くなってきましたね。
 そういう状況の中、従来の書籍とは違った何か新しい気づきが得られそうだとの期待を持って手にとってみました。


 まずは、新進気鋭の経営学者たる著者が規定している「経営学の意味づけ」についてです。入山氏は、それを「経営学の使い方」という観点からこう語っています。


(p34より引用) 経営学は何を提供できるかというと、それは (1)理論研究から導かれた「真理に近いかもしれない経営法則」と、(2)実証分析などを通じて、その法則が一般に多くの企業・組織・人に当てはまりやすい法則かどうかの検証結果、の二つだけです。
 そして、この二つを自身の思考の軸・ベンチマークとして使うことが、経営学の「使い方」だと私は考えています。


 この「思考の軸・ベンチマーク」という意味から、著者は本書において経営学の理論的・実証的側面の成果を数多く紹介しています。
 そういった中で、日本のビジネス書市場においてお決まりのように登場する「イノベーション」というテーマについても、やはり一章を起こして取り上げています。


(p 75より引用) イノベーションの源泉の一つは「既存の知と別の既存の知の、新しい組み合わせ」にあります。


 このコメントは特に目新しいものではなく、寧ろ通常の捉え方でしょう。ただ、著者はさらに、新しい組み合わせを生み出す具体的なメソッドとして、「『知の探索』と『知の深化』について高次元でバランスを取る経営」が重要であると指摘しています。このあたりは改めて押さえておくべきポイントですね。
 そして、さらに著者は、イノベーションを目指す日本企業への示唆として、以下のような面白い視点を提起しています。


(p103より引用) 日本のイノベーションに関する議論は「創造性」と「イノベーション」を混同していることも多く、結果として一辺倒な処方箋が示されがちです。しかし「創造性の欠如の問題」と「創造性から(イノベーションのための)実現への橋渡しの欠如という問題」は、まったくの別なのです。
 さらに重要なのが、「創造性」に求められる要件と「創造性から実現への橋渡し」の要件が、まったく逆なことです。


 たとえば、クリエイティブになるには軽いフットワークで構築された幅広い「弱い人脈」が、それを実現(製品という形)にもっていくには地道に信頼関係を積み上げて得られる社内の「強い人脈」が必要となるという主張です。


(p104より引用) 日本企業のイノベーションを考えるうえでは「創造性」と「イノベーション」の峻別が必要で、その上で自社を見つめ直すことが肝要なのです。


 このあたりの解説にはなかなか興味深いものがありましたし、この視点は、従来からある研究開発から実用化に至るうえでの「キャズム」とか「死の谷(valley of death)」とかの議論とも同根のものですね。

 さらに、もうひとつ、なるほどと思った「組織のパフォーマンス」に関わる議論です。
 組織の学習力を高めるためには「情報の共有化」が重要と言われますが、現在の経営学の研究においては“トランザクティブ・メモリー”という概念が重要視されているのだそうです。


(p127より引用) トランザクティブ・メモリーは、組織学習研究の重要なコンセプトです。その骨子は「組織に重要なのは、組織の全員が同じことを知っていることではなく、『組織の誰が何を知っているか』を組織の全員が知っていることである」というものです。


 これは、安易に語られる「情報共有」という行動を一歩掘り下げて、その重要な本質を指摘した有益なアドバイスだと思います。
 そしてさらに、この“トランザクティブ・メモリー”に関して、著者はもうひとつ興味深い考察を紹介しています。


(p116より引用) では、どのようなチームがトランザクティブ・メモリーを高めているかというと、それは「直接対話によるコミュニケーションの頻度が多いチーム」に限られていたのです。それどころか結果の一部からは、「メール・電話によるコミュニケーションが多いことは、むしろ事後的なトランザクティブ・メモリーの発達を妨げる」可能性も示されました。


 “トランザクティブ・メモリー”が高いチームほどプロジェクトのパフォーマンスが高いという定性的な傾向は誰でも想像がつきますが、そこに至るプロセスに着目したこういう結論は「実証研究」ならではの成果であり、大きな気付きになります。

 また、最近行われたクリステンセン教授による経営者インタビューの結果も刺激的です。
 数多くのスター経営者に対するインタビュー結果からクリステンセン教授は「イノベーティブ・アントレプレナーに共通する思考パターン」として4つの姿勢があると述べています。

  • (1) クエスチョニング(Questioning):現状に常に疑問を投げかける態度
  • (2) オブザーヴィング(Observing):興味を持ったことを徹底的にしつこく観察する思考パターン
  • (3) エクスペリメンティング(Experimenting):それらの疑問・観察から、「仮説をたてて実験する」思考パターン
  • (4) アイデア・ネットワーキング(Idea Networking):「他者の知恵」を活用する思考パターン

 この4つですが、この中で特に私の興味を惹いたのが「Questioning」です。この姿勢について著者はさらに以下のように付言しています。


(p281より引用) 中でも重要な言葉が「What if」です。イノベーティブ・アントレプレナーたちは事業を立ち上げる前から、「もし私がこれをしたら(if)、世の中はどうなるか(what)」を考え続けるのが共通の思考パターンなのです。


 こういう切り口を極く自然に自らの思考の構えとしてとることができるというのは素晴らしいですね、ここまで思考のレンジを拡げることはなかなかできるものではありません。

 さて本書を読んでの感想ですが、久しぶりに面白いビジネス書に邂逅したという印象です。
 すでに今までにいろいろなビジネス書を読み漁っている人にとっても、多くの興味を惹く指摘・示唆が得られることでしょう。もちろん、本書で扱っているテーマはとても広範囲なので、内容の濃度という点では紹介程度にとどまっていますが、興味をもった著者の指摘については脚注にある原典(論文)でさらに深堀りするとか、他の論考を評価するうえでの補助線として利用するとか、さまざまな活用の起点とすることができます。一読に値する良書だと思います。

 

ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学
入山 章栄
日経BP社
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心はすべて数学である (津田 一郎)

2016-04-23 23:58:59 | 本と雑誌

 新聞の書評欄をみて興味をもったので読んでみました。
 ともかくタイトルに強烈なインパクトがありますね。“心は数学”、一体何のことだろうと思ってしまいますが、こういったシンプルなテーゼで表される「概念」を著者は重視しています。


(p216より引用) 概念は、ある意味現代における「絶滅危惧種」かもしれません。脳科学においては特に実証のほうが重んじられる傾向にある。でも、新たな概念が生み出されれば、そこでは見方が変わりうる。今までまったく分からなかったことに道筋がついていく、ということがある。だから概念の多様性を守っていくことはきわめて大切だと思います。


 たとえば、「脳と心」について。この関係については、古来、一元論・二元論というふたつの論陣が張られていたのですが、現代の脳神経科学の論調を著者はこう総括しています。


(p52より引用) すなわち、エピキュロスやホッブスがとった、心は脳の物理的状態に還元でき、物理学の概念で説明できるとする還元的唯物論、あるいはダーウィンがとった、心は進化するにつれて新たな性質を持つようになる脳の諸活動の集合である、とする創発的唯物論の立場です。


 こういった「心は何らかの脳の活動状態である」という考え方に対して、著者は「心が脳を表している」との仮説を掲げています。
 胎児のころから生まれ出て以降、初期の脳神経系の形成過程においては周りの人々たちの行動や言葉がインプットされて行きます。そういった意味で著者は「赤ん坊時点での脳は他者の心によって構築されているのはないか」と考えているのです。
 この考え方を進めていって、


(p55より引用) 他者の心からなる「集合的な心」のようなものがあって、それが個々の脳を通して「私の心」として表現していく・・・「脳とは集合的な心を個々の心に落としこむための生物学的な器官である」


とても興味深い説ですね。

 そして著者は、「心とは何か」を解くためには「脳科学だけでは不十分」という結論に至ります。そこで登場するのが「数学(数学的マインド・純粋数学)」です。あらゆるものに思いを致すことができるのが「人の心」であり、そこに、「数学の定理が持つ普遍性」を重ね合わせているのです。

 本書では、こういった「概念(コンセプト)」をスタートに新たな発見に向けた議論を紹介しています。


(p132より引用) エピクロスの原子のイメージがちょうどカオスの本質と一致するように、古代の中国や古代ギリシャ時代に当時の人々が概念的に考えていたことを我々は現代科学としてやっている。そこが科学の面白いところでもあるし、実証に先立つ概念というものの奥深さを知るきっかけでもあります。


と、全編を通じてこういった調子で著者の解説は進んでいくのですが、正直なところ、本書は私にはかなり手強かったです。
 高校時代も、思考の方法論という程度の「数ⅡB」までしかやっていなくて、いわゆる「学問としての『数学』」の素養は全くないわけですから、こればかりは致し方ありません。


(p172より引用) 脳がエピソードを記憶するときにも、この縮小写像が使われているのではないか。つまり、無限個のエピソード記憶がありうるわけですが、それを有限の領域に記憶させることが、カントル集合を介在させることで可能になるのではないかと考えているのです。


とか論じられても、情けないことに「???」。さらに、


(p119より引用) カオスは・・・数学的には超越的な性質を持っています。つまり、カオスの中には可算無限個(数え上げられるが無限個)の周期軌道と非可算無限個(数え上げることができない無限)の非周期軌道が存在し、また自分自身に繰り返し任意に近づくような稠密軌道が存在しています。これらは有限の計算や観測では、その真の姿を捉えることができないような複雑なものです。


といった記述を読んでもチンプンカンプンで、ただ確実なことは「私の頭の中が“カオス”状態になった」ということでした。
 結局「心は数学」という著者の興味を惹く主張は、残念ながら私には理解できずじまいで終わったようです。もっと、基本的な「数学」を学んでおかないと・・・、残念です。

 

心はすべて数学である
津田 一郎
文藝春秋
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東京湾岸畸人伝 (山田 清機)

2016-04-11 00:40:35 | 本と雑誌

 通勤途上で聞いているPodcastで昨年末に紹介されて、ちょっと気になったので手にとってみました。
 東京湾に面する土地で暮らす6人の人々を取り上げたライト・ノンフィクション?です。紹介されているそれぞれの主人公はひと捻りある方々で、とても魅力的です。

 その中で、特に一人をいえば、「築地のヒール」との別名をもつ築地マグロ仲卸の中島正行さんでしたね。
 中島さんの半生も波瀾万丈で引き込まれますが、その生き様は、「一見の客は相手にしない」「ときに『損』しても安値で売る」・・・、築地でも数少なくなってきている仲卸の仕事の興味深い側面も教えてくれます。


(p23より引用) 仲卸は顧客の経営を維持するための価格調整機能も果たしているわけだ。異常な高値のときは、損を覚悟で仕入れ値よりも安く品物を渡す。反対に、仕入れ値が安い時は、儲けを厚めに上乗せさせてもらう。そうした価格操作をしながら、一年経って〆たときに利益が出ていればよしとする。それが仲卸の商売なのだという。・・・
 築地の仲卸の多くが「素人さんお断り」なのは、必ずしもロットが小さい商いが面倒なわけでなく、彼らが長い付き合いを前提とした商売をしているからなのだ。


 このあたりの事情もあり、築地内での取引では金額を「符牒」で表わしているとのこと、まさに閉鎖的で前近代的な世界ですが、そういった玄人集団が、真に質のいい食材の継続的な供給システムを支えているともいえます。ただ、こういったアナログの取引システムも、今後の豊洲移転を機に益々崩れていくのでしょう。

 さて、この築地の中島さんのほかに紹介されているのは、横浜の最後の沖仲仕今里貞三さん、馬堀海岸の能面師南波寿好さん、木更津の「悪人」證誠寺前住隆克朗さん、久里浜病院の「とっぽいひと」荒木晴熙さん、羽田の夢見る老漁師伊東俊次さんの5名。見慣れた世間とは一線を画しているような暮らしぶりで、それぞれとても味のある生き方をしている方々です。
 著者のペンで浮き彫りにされる姿も面白いのですが、みなさんの生きた軌跡を表すには、粗い粒子の“モノクロ写真”の方がより相応しいような気がします。

 

東京湾岸畸人伝
山田清機
朝日新聞出版
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ソクラテス われらが時代の人 (ポール・ジョンソン)

2016-04-04 00:23:07 | 本と雑誌

 以前、「ソクラテスの弁明」をはじめとして何冊かプラトンの著作を読んでいるのですが、書評によると本書は、プラトンが伝えるソクラテス像にこだわらず「等身大のソクラテス」を描き出したとのこと、これはちょっと興味がわきますね。

 本書で試みられた著者の推論は、ソクラテスと同時代の人物の評伝や彼らが残した著作・芸術作品が語る“当時のギリシャの世相”の中にソクラテスを位置づけ、その人物像や思想の意味づけを明らかにしていくというものです。

 そういったソクラテス像の中から、私の興味を惹いたものをいくつか書き留めておきます。
 まずは、喜劇作家アリストファネスがその作品「雲」においてソクラテスを風刺の対象としたことを捉えて。


(p98より引用) ソクラテスは演劇で自分が攻撃されていることについて、「もしも批判が正しいのであれば、わたしは自分を直さねばならない。もしも正しくないのであれば、気にならない」と語っている。


 もうひとつ、こちらは、よく語られている有名な「ソクラテス裁判」に臨んでのソクラテスの姿勢について。


(p228より引用) 裁判をつうじてソクラテスが一貫して示したのは、自分はアテナイの市民として、アテナイの法律の完全な適用をうけ、それにしたがう義務があるという立場だった。・・・ソクラテスには、真の意味の人間性と、頑固なまでのプライドが奇妙な形で併存していたことを、わたしたちはうけいれるべきなのだ。


 この裁判は、ソクラテス自身、自らの信念を貫徹したことで悲劇的な結末を迎えます。


(p254より引用) ソクラテスが生涯にわたって貫いてきた原則は、悪をなされたからといって、それに悪で応じてはならないというものだった。むしろ悪をなされるままにして、やがては人々がそれを悪であることを認識するようになることのほうがましだった。


 ソクラテスは、自ら悪を甘受することにより、後世の人間に大きな教訓を残したのでした。

 さて、“ソクラテス”といえば誰もが「哲学者」の代表的人物として思い浮かべると思いますが、著者は「哲学者」を2つの類型に区分しています。


(p133より引用) ソクラテスの時代からすでに哲学者は基本的に二種類に分類できた-何を思考すべきかを教える哲学者と、どのように思考すべきかを教える哲学者である。・・・ソクラテスは、どのように思考すべきかを教える哲学者のいわば代表である。


 そして、著者は、「ソクラテスの哲学の方法」をこう要約しています。


(p155より引用) ソクラテスの哲学のやり方は、「よく考えられていない思想から生まれる命題を省察すること」と定義できるだろう。


 この「よく考えられていない」部分を「改めてしっかり考える」ためのソクラテスが説く思考の方法が、「無知の知」をベースにした“対話(Socratic dialogue)”というプロセスでした。


(p134より引用) ソクラテスはまず簡単な質問をする。・・・相手の示したありきたりな答えにたいして、さらに新たな問いかけをする。・・・ソクラテスは自明に思えることにはつねに警戒していた。・・・
 この作業がソクラテスの対話の主な内容であり、彼の対話の面白さとダイナミズムの源泉となっている。ソクラテスは対話において、何らかの結論に到達することを目指していたわけではない。彼の目的とするところは、話しかけている相手に考える方法を教えること、何よりもまず、自分の力で考える方法を教えることである。


 「自分の力で考える」ということのゴールは、「既定の正しい答え」にたどり着くことではありません。そもそもこの世の中、多種多様な価値観が混在・並存しているのが常ですから「絶対的正解」というものはほとんどの場合「ない」のです。「ある」とすれば、それは、ひとつ価値観への誘導であり、ひとつの権力による強制といった類のものでしょう。


(p135より引用) ソクラテスの会話における解放的な要素は、・・・「正しい答え」にたいして、そして「正しい答え」があるべきだという考え方にたいして、ソクラテスが敵意を抱いていたことから生まれるのである。・・・ソクラテスは、こうした個人の独立した思考を拒否する考え方に、生涯をつうじて抵抗したのだった。


 この権威からの自由を目指すソクラテスの考え方は、当時のギリシャの民主制の世の中のみならず、多様な価値観が併存する現代社会においても尊重すべき思考の基本姿勢ですね。
 ちなみに写真は、昨秋訪れたメトロポリタン美術館で出会ったソクラテスです。

 

ソクラテス われらが時代の人
中山元
日経BP社
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