OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

1,000,000PV

2023-06-27 20:04:06 | ブログ

 gooブログの「閲覧カウンター」の数字が今日(2023年6月27日)累計で “1,000,000 PV” を越えました。

 もちろん、PV数のうちのかなりの数は実際のviewではなく機械的なものではありますが、まあ、それでも長く投稿を続けてきた結果なので、いい記念にはなりますね。

 もうすぐgooブログの運営主体会社が変わることもあり、このサービスがいつまで続くか怪しくなってきましたが、もうしばらくは付き合ってみましょう。

 

 

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分からない ≫ 分かったつもり

2006-04-17 21:42:26 | ブログ

 何かを説明していて「はい、ここまでで何か質問は?」と声をかけたとき、「○○のところがよく分かりません」と手があがる場合はまだ安心できます。
 しかし、往々にして何も質問が出ない場合が多いものです。(あまりにも説明内容がひどすぎて質問する気にならない場合もあるでしょうが。)

 この場合危ないのが「分かったつもり」というケースです。
 本当の趣旨を理解していないもしくは誤解しているのですが、本人からすると「分かった」と思い込んでいるのです。本人は「分かっている」ので当然質問は出ません。

 「分からない」人は、本人が「分かっていない」ことを自覚していますし、まわりの関係者もそれに気づいていますから、それなりの対応ができます。
 が、「分かったつもり」の人は、実態は「分かっていない」のですから厄介です。それが偉い人であれば、なおさら・・・です。

 「分かったつもり」の人を見分けるのは、本人の自覚がない分堂々としていますから、結構難しいです。ともかく、「ん?、ちょっとずれてるな」と感じることがあったら、その都度確かめることです。

 「分かったつもり」の同床異夢は必ずどこかで大きな不具合を招きます。「ひょっとしたらのアンテナ」で敏感にキャッチしましょう。

 このテーマについては、最近、西林克彦氏の「わかったつもり 読解力がつかない本当の原因」という本を読んでみましたので、その感想のBlogの中で、もう少し詳しく論点をご紹介します。

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時は金なり

2006-01-07 00:51:50 | ブログ

 この格言はアメリカの科学者であり政治家であったベンジャミン・フランクリンの言です。

 フランクリン『若き職人への助言』の中で次のように述べている。

 『時は金なりということを忘れてはならない。自らの労働により一日10シリング稼げる者が、半日ぶらぶらし、その怠けている間にたとえ6ペンスしか使わなかったとしても、それだけを出費と考えるべきではない。かれはさらに5シリングを使った、というかむしろ捨てたのである。』

 しかし、フランクリンは続いて次のようにも述べている。

 『信用は金なりということを忘れてはならない。金は増えていくということを忘れてはならない。五シリングを回転させれば、六シリングとなり、さらに回転させれば七シリング三ペンスとなり、ついには1百ポンドともなる。子を生む豚を殺す者は、千代の後までもその子孫の豚を殺したことになる。』

 この諺はいろいろな教訓として語られます。
 ものすごく即物的な解釈をすると、「時間とお金の関係」は「利息」になります。すなわち、100万円銀行に預けておくとたとえば10年後には105万円になるわけで、まさに、「10年=5万円」→「時は金なり」ということです。

 が、ここでは、「時間は資源だ」という趣旨で話をしましょう。
 時間を「資源」だと考えると、単に「時間(資源)を節約」すればいいということにはなりません。資源は「利用」しなくては意味がありません。
 満員の「通勤特快」で25分ギュウギュウ詰めで10分会社に着く時間を速くするのと、10分プラスの時間がかかっても「快速」でちょっと隙間のある中で35分の本を読む時間をつくるのと、さて、トータルでの時間の使い方はどちらの方が有益かということです。

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ワークライフバランス in 論語

2005-11-11 00:16:52 | ブログ

「子曰く、道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ。」 (述而)

(論語の読み方(渋沢栄一)p184より引用) 完全な人間になろうと思ったら、道に志すと同時に、徳と仁を踏まえなければならない。しかし、これだけでは人間が堅すぎて窮屈になってしまうから、六芸(礼・楽・射・御・書・数)で多少の余裕を身につける必要がある

 儒教はある面社会秩序を重んじる教えです。
 そのため、親子・君臣・長幼といった「自分と他者(彼我)との区別」が前提となります。そうすると、悪くすればその両者の離反(Gap)を招いてしまいます。
 この弊害を避けるために「楽」があります。「楽」は心を合わせる「和」を重んじますから、彼我の溝を埋める働きがあるのです。「礼」と「楽」とでバランスをとっているともいえます。

 ところで、最近「ワーク・ライフ・バランス」ということが多くの企業で言われ始めています。

 この背景には、

  • 度重なるリストラ等厳しい会社環境の中での社員の心理構造の変化や社内コミュニケーションの希薄化
  • 長引く不況・競争激化の中での長時間労働の恒常化
  • ITの進展によるいつでもどこでも仕事に応じなければならない状況の現出とそれに伴う仕事とプライベートの境界の曖昧化

等があり、それらを遠因・近因にするストレス疾患が急速に増えているという問題意識があるようです。

 もちろん「ワーク(と)ライフ(の)バランス」といっても、具体的にどんな状態がバランスがとれているのかは人それぞれ異なります。
 仕事と家庭・健康・趣味・自己研鑽などのバランスをどのように取るかは個人的な価値観にかかわることです。が、「100%仕事のみ」というのはありえないでしょう。
 むしろ積極的に自分の時間をつくり、それを有意義に活かすことをもっと本気で考えるべきだと思います。

 いくつもの顔を持つ人は羨ましいです。時間は戻ってこない貴重な資産ですから、無駄なく何倍にもして使いたいものです。

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プロダクトアウトの復権 -顧客ニーズが見えない時代-

2005-09-23 00:28:57 | ブログ

 物質的に充足し、しかも消費意欲が鈍っている時代に、消費者に新しいことを聞いても何も解らない。消費者は自分の頭で想像できるものには反応できるが、いままでまったくないものに関してユーザ調査しても何も得られない。
 それなら、独りよがりでもいいから「俺達が提供したい商品やサービスはこれだ!」というものを創って提示したほうが、よほど世の中に訴求することができるのではないか。

 最近、こういう提供者側からの動きが少なからず出てきたようです。
 私は結構この考え方に賛同しています。

 「顧客ニーズ」を中核に据えたマーケティングの教科書的には逆行した考え方です。が、理屈はともかく、結果的に「お客様に受け入れられる、よろこんでもらえるもの」を提供できれば、それが、「マーケット・イン」的アプローチであろうと「プロダクト・アウト」的アプローチであろうと別に構わないでしょう。

 「お客様は神様です」というのはそのとおりでしょうが、「神様」にも「いい神様」もいれば「いたずらな神様」もいるし、「悪い神様」もいます。(アフラ・マズダもいればアンラ・マンユもいるのです) 「神様」の言うことはすべて正しいというのは、あまりにも純朴すぎます。

 顧客ニーズを重視した顧客志向的な優良企業としては、花王や資生堂とかが有名ではありますが、「現実的な成果は、顧客のクレームを真摯に受け入れて商品の改良や改善につなげるといったものが大半」との話も聞こえてきます。

 どうも、「顧客の声の尊重」は、改良や改善、既存顧客の維持という点ではそれなりの効果が得られているのかもしれませんが、全く新たなマーケットを創出するような画期的なイノベーションは、(通り一遍の顧客ニーズといわれているものからは、)なかなか生まれてきていないのが現実のようです。

 このあたり、一昔前?のホンダやSONYはいい意味での「メーカとしてのプライドや自負」を持っていたように思います。

 とはいえ、顧客を無視・軽視するのは絶対に正しいアプローチではありません。
 最近は、「マーケット・イン」をさらに進めて、ひとり一人の顧客を識別し、その個々の顧客にフォーカスした「カスタマ・イン」というコンセプトが出てきています。
 このあたりについては、また別のときに触れたいと思います。

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北風と太陽

2005-09-11 22:57:41 | ブログ

(イソップ物語) 北風と太陽が、どちらが強いか争いました。そのとき、一人の旅人が街道を下って来るのを目にして、太陽が「この問題に決着をつけよう。あの旅人の上着を取り上げた方が強いと言えるのじゃないかね。先ず、君からだ。」
 そう言って、太陽が雲の後ろに隠れると、北風は旅人に向かって力の限り風を吹き付けました。しかし、北風が強く吹けば吹くほど、旅人は上着をしっかりと身に押さえつけ飛ばされないようにしました。最後には北風はやむなくあきらめるしかありませんでした。
 そこで、太陽が顔を出し、旅人の上に燦々と陽を浴びせました。旅人はあまりの暑さに上着をつけては歩けなくなりました。

 小さいころ読んだ有名なイソップ物語のひとつですが、この話を久しぶりに耳にしたのは10年以上も前のことです。
 当時の上司が「自分が仕事に取り組むスタイル」のたとえ話として語っていました。その印象は今でも強く残っています。

 最近でも、この寓話はリーダシップやコーチングを説く際の分かりやすい例示として登場します。

 多くの組織人は、自分は「太陽型」だと思っている、あるいは「太陽型」になりたいと思っているのが実態でしょう。私もそうありたいと思っているひとりですが、「太陽」なのか「北風」なのかは、そのときの相手が感じることです。
 また、個々の相手によってまたそのときの状況によって、「太陽」がいい場合もあれば、敢えて「北風」を吹かした方がいいこともあるでしょう。

 自分を「太陽型」「北風型」かという「型」にはめるのではなく、様々なケースに応じて、「太陽」になったり「北風」になったりすべきだと思います。相手に「自発」を促すのか、相手を「強制」で動かすのか、対象や環境等の諸条件を勘案して、そのたびごとに適切なスタイルを選択し演じるのです。

 もちろん、その場合の「北風」は、その後に春を呼ぶ先駆けでなくてはなりません。太陽熱による地表の温度差が「風を生む源」ですから、「北風」も「太陽の所作のひとつ」です。

 もうひとつ、最近改めて気付いたことです。
 イソップ(ギリシア語ではアイソポス)は、紀元前6世紀の人です。孔子もほぼこのころに活躍していました。
 ギリシアでイソップが寓話を語り、中国で孔子が仁を説いていたころ、日本では縄文晩期でした。

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ケインズも当時は先駆的

2005-09-04 22:20:05 | ブログ

 今日では守旧的な机上の理論と考えられているケインズ理論も、その登場した時代背景と役割から見ると、当時は現状打破的な先駆的理論だったようです。(今頃になって、こういうことを改めて教えられていること自体、少々情けないのですが)

「著者がここに苦心して表現した思想は、きわめて単純であって、容易に理解されるはずである。困難は、新しい思想にあるのではなく、・・・われわれの心のすみずみにまで拡がっているふるい思想からの脱出にある」(雇用・利子および貨幣の一般理論(ケインズ))より引用)

 ここでの「ふるい思想」とは、アダム・スミスから始まる自由放任主義であり、ケインズはそこからの脱出に苦闘したのです。

 経済恐慌下の生産過剰・失業増大の状況においては、自由放任主義は一部金利生活者への海外投資の自由を正当化する理論に過ぎなくなっていました。
 これに対しケインズは、政府主導の公共投資による雇用創出という「『夜警国家』を否定する政策」を主導したのでした。

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BPOができるなら

2005-08-27 22:43:53 | ブログ

 業務のアウトソーシングは、数年前社内IT部門を対象にしたものがブームになりました。

 最近では、もう少し広い業務を対象にしたBPO(Business Process Outsourcing)が注目されています。その対象は経理・人事・営業・カスタマケア等、企業の中核業務以外のすべての業務に広がっています。(知らず知らずのうちにコアコンピタンスとすべき業務も切り出し対象にしている場合も無きにしもあらずです)

 導入推進の謳い文句は「BPOを導入することにより、企業は顧客に提供する製品やサービスのレベルを落とすことなく、人的資源の最適な配置やコスト抑制を実現することができる」というものですが、これは、よほどうまくやらなくては「幻想」になってしまいます。

 そもそもきちんとした企業であれば、アウトソース先の方が(業務内容の習熟度は低いので、その)品質は落ちるのが普通です。

 業務と人材を一体で切り出す場合はこの品質の低下は回避できますが、今度はコストダウンが図りにくくなります。切り出された社員は、根本的なメンタリティは旧会社のDNAを引き継ぎますし、切り出し前の給与水準との関わりが出てくるからです。

 アウトソーシングが成功するのは、切り出せる業務が特定化でき、そのプロセスがキチンと整備されているもののみです。
 そもそもプロセスがキチンと整理されていないと「どの部分を出すべきか」の判断もできないはずです。また、未整理のプロセスだと習熟度の相対的に低い外部リソースに任せることもできません。

 さらにもっといえば、キチンとプロセス整備ができるのであれば、何もアウトソーシングしなくても自社内でかなりの効率化は図れるものです。

 かといって私はアウトソーシング反対論者ではありません。
 手垢のついたフレーズですが、企業が生き残りを賭けて「選択と集中」を進めるには、何がしかのプロセスのアウトソーシングは不可欠です。アウトソーシングを受ける企業でもその業務がコアコンピタンスであるならば、依頼する企業との間でValue Chainが繋がりWin-Winの関係が築けるものと思っています。

 企業をまたがるプロセスのValue Chainをうまく築くことが、そのValue Chainを構成する企業群の生き残りの分水嶺になります。
 この動きを進めていくと、関連プロセスはValue Web(価値連鎖によるクモの巣)状となり、結局のところ、負け組(この言葉は嫌いですが)への転落を防ぐ「防護ネット」になるのです。

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ペーパーは「情報密度」に気をつける

2005-08-21 23:30:32 | ブログ

 プレゼンテーション資料の作り方を書いたHow to本には、ときどき「プレゼン資料は○ポイント以上のフォントで作ること」とかと勧めています。
 もちろん、見えないほど小さな文字を使うことは論外ですが、かといって現実的には、「大きな文字の簡潔なプレゼン資料」というものには、めったにお目にかかりません。
 「大きな文字で」というのは、言いたいことを簡潔に表現せよとの心と考えるべきです。
(その意味では正しい勧めだと思います)

 私は、文字の大きさよりも、1枚のスライドの中の「情報密度」に気をつけるべきだと思います。
   情報密度 = 情報量/スペース(面積)

 言わんとする中身の薄い表やグラフはスペースの無駄です。資料自体が幼稚に見えます。
 かといって、小さい字でたくさん書いてあるのが良いわけでもありません。
  (ポイントを掴んだシンプルな無駄のない表現がベストです)

 1ページ内のレイアウト上でも、プレゼンテーション全体の各スライド間でも、情報密度に気をつけてコンテンツの量を調整しましょう。
 そうするとバランスのとれたアウトプットができあがります。

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知識→推論→判断

2005-08-19 23:17:36 | ブログ

 より適切な判断をするためには、いろいろな知識をもっていることは有益なことです。

 ですが、「知識の質・量がそのまま判断の適否と相関関係があるか」といえば、必ずしもそう簡単なものではありません。

 知識はある意味、すべて過去の情報であるか、もしくは二人称・三人称の情報です。したがって、「現在の我が事としての課題」に対して、そういった知識をそのまま単純にあてはめられるとは限らないのです。

 たとえば、ベンチャー企業の成功手法を「知識」として知っていたとしても、それがトラディショナルな企業にそのままあてはまるとは限りませんし、また、外国の著名な経営学者の指摘をそのまま鵜呑みにして金科玉条のごとく崇め奉るのもいかがか、というわけです。
 (かなり無理やりの例ではありますが)織田信長が今川義元を桶狭間にて奇襲戦法で破りましたが、太平洋戦争の日本軍はガダルカナルで夜間奇襲戦法を採り大敗したのです。

 そこには、今回の案件にそれらの知識が適用できるかの「チェック・推論のステップ」が必要です。

 このステップなしでは、折角の豊富な知識も判断を誤らせるノイズになりかねません。
 知識は材料であり、判断はプロセスなのです。

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「イメージ図」や「矢印」

2005-08-13 23:54:51 | ブログ

 プレゼンテーションで使うスライドは、そのパーツである1枚ごとが「言いたいことの完結ペーパ」でなくてはなりません。(というか、そういうつもりで作らなくてはポイントがぼやけた紙になってしまいます)

 しかしだからといって、文字ばかりのスライドで「言いたいこと」を(文字どおり)「言う(=説明する)」のはスマートな方法ではありません。
 プレゼンテータは、「言葉」で説明を行います。同じ調子の説明文をスライドに書いておくのは無意味です。(淡々とスライドを読み上げるプレゼンテーションほど退屈なものはありません)
 スライドには、「プレゼンテータの声(語りや訴え)」を確認・強調・補完する情報を、「イメージ」の形で見やすく分かりやすく配置しておけばいいのです。

 その趣旨で言えば、「文字」は文章ではなく、「単語」もしくは「箇条書き」の形が基本です。また、「イメージデータ」をうまく使いましょう。
 「イメージ図(ポンチ絵)」で「説明の範囲(スコープ)」を、「矢印」で「論理の流れ」を表します。

 表やグラフも有効ですが、プレゼンテーション用には「すっぴん」よりもちょっと「お化粧」を施すべきです。生のデータを単純に示しても効果はありません。論旨で使った数字部分を切り出したり、注目すべきポイントを強調したりしておきます。

 プレゼンテーションは、虚偽でないことが絶対条件ですが、多かれ少なかれ「イメージデータによる誘導や錯覚」をうまく活用しているのです。

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よくある仕事の優先度の話

2005-08-10 23:30:14 | ブログ

 会社では、いくつかの仕事を抱えてそれらを一定の時間の中で処理することが求められます。

 しかしながら、「時間は有限」です。したがって取り組む順序を考えなくてはなりません。来た順番で順次こなして行けばいいわけではなく、「優先順位」をつけなくてはなりません。この優先順位は上司から指示がある場合がありますし、自分で判断しなくてはならない場合もあります。

 「優先順位」をつける場合の基本軸は「緊急性」と「重要性」の2軸です。

 この2軸でできた4つの象限に、今抱えている仕事を分類整理して優先順位を考えればいいのです。

 当然、「緊急かつ重要」な仕事から手をつけます。

 さて、つぎが問題です。「緊急かつ非重要」と「不急かつ重要」のどちらを先にやるか。
 通常の場合「緊急度の高いもの」を手がけます。が、このとき注意すべき点が2点あります。

 ひとつ目は、「緊急度の現行化」をするということです。

 実際の場では、次の仕事に取り掛かるまでにはある程度時間が過ぎています。したがって、残りの仕事のうちいくつかのものは期限が迫ってきて「緊急度」のポイントが上がっているはずです。
 次の仕事に取り掛かる際には、その時点で「緊急/重要マップ」を現行化して、新たな緊急度の優先順位に従わなくてはなりません。

 ふたつ目は、(原則「緊急度」が優先だとしても、)「緊急の程度」と「重要の程度」とを冷静に判断するということです。

 「緊急」の定義を「期限がより迫っているもの」だとすると、極端な話、
・「今日の夕方が近所の商店街の6等(石鹸1こ)の福引券の交換期限だ」という件と
・「明日が卒業がかかっている期末試験の試験日だ」という件を比べて、
石鹸1このために落第リスクを犯すようなことになってしまいます。
 その意味では、本質的には「重要度」の方が大事な軸かもしれません。

 このように「緊急/重要マップ」を現行化して仕事を進めていくと、「緊急でもなく重要でもない仕事」が底溜まりのように沈殿していきます。
 結局こういう仕事は「する必要がない仕事」なのです。

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1枚の紙芝居は「3部構成」

2005-08-06 23:04:01 | ブログ

 プレゼンテーションの構成スライド(紙芝居の1枚1枚)を作る際のポイントです。

 基本は「3部構成」です。「タイトル」「キャッチコピー」「サポートコメント」の3点セットです。

 まず、そのスライドの役割を明らかにしなくてはなりません。
 すなわち、そのスライドは「現状把握」の内容を整理したものだとか、「根拠」を記したものだとかを明確に意識するのです。この内容が「スライドのタイトル」になります。

 次に、その1枚のスライドで説明しているポイント(要旨・結論・ここで言いたいこと)を「簡潔なメッセージ」にまとめます。それをスライドの上段に「キャッチコピー」的に書きます。この部分が1枚のスライドの心臓部です。

 スライドの下半分は「簡潔なメッセージ」の補足部分です。
 そのメッセージを説明する「理由」「データ」等を示すのです。具体的には根拠を箇条書き的に列挙したり、裏づけデータを表やグラフの形で示したり、結論に至る検討内容をポンチ絵で表したりします。

 世間のコンサルティング会社では、このあたりのノウハウが非常にしっかりしています。好みはあろうかと思いますが、私にとっては、彼らのテンプレートは非常に勉強になります。

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段取りは「引き算」と「割り算」

2005-08-01 23:46:13 | ブログ

 期限のある作業を行なう場合の基本です。

 まずは、やるべき「全体量」を把握します。ここでは「引き算」が活躍します。
 「今までにやった部分」や「やらなくてもいい部分」を全体から除くのです。
 また、作業に当てられる「時間」や「稼働」も明確にします。使えない時間や当てにできない稼働等を、ここでも「引き算」で差っ引いていきます。

 この「引き算」の作業により「やるべき全体量」と「やるにあたってのリソース」が確定できます。

  あとは、「やるべき全体量」を「やるにあたってのリソース」で「割り算」を行なえばいいのです。
 これで、「1日あたりどれだけやればいいのか」や「一人あたりどれだけやればいいのか」が明確になり、具体的作業に移れるのです。単位あたりの量を見て始めて、人が足りないとか時間が足りないとかが分かりますし、どうやってこなそうかといった実際の作業のやり方の選択ができるわけです。

 あまりにも当たり前のことですが、実際の場では、往々にして、こういう当たり前のことがキチンとできていないものです。

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基本は「紙芝居」

2005-07-30 23:08:31 | ブログ

 最近のプレゼンテーションはPowerPoint等のツールを使ったスライドを見せながら行なうことがほとんどです。

 そうなるとスライドの1枚1枚が聞き手の目に映る基本単位になります。このスライド1枚を紙芝居の1枚だと考えて、1枚ごとの内容と全体の構成を考えます。

 全体の構成は説明の順序をたどることになるので、通常は「現状把握→課題抽出→対策検討」という流れが基本です。すなわち、根拠を示して結論を導くというストーリーです。

 ただ、場合によっては、まず「結論」を話す方が効果的なケースがあります。たとえば、検討した結論が聞き手の予想とは逆である場合です。
  「前提」や「理由」を説明した後、「結論」を述べるより、まず、「結論」をはっきり提示して、その後、(結論に至る)プロセスを説明する方が言いたいことがよく分かるものです。
 これは、最初に「到達点」を示すことにより、後の説明はその方向に向かったものだということを聞き手に意識させているからです。

 いずれにしても、紙芝居の1枚1枚の紙を作ることが基本で、それをストーリにあわせて順序を並びかえ、細かな体裁を整え直すのです。
 このような構成ページを独立させておいてそれを組み合わせるスタイルをベースにしておくと、結構、類似の案件のプレゼンテーションへの使い回しが効きます。
 身近なナレッジマネジメントです。

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