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資本主義の終焉と歴史の危機 (水野 和夫)

2015-07-26 12:33:48 | 本と雑誌

 ちょっと堅いタイトルですが、かなり話題になった著作です。私も遅まきながら読んでみました。

 本書で訴える著者のメインメッセージは「資本主義の終焉」です。著者は、今や資本主義の基本理念である「利潤の追求」「資本の拡大再生産」にしがみついてはならないと警鐘を鳴らします。


(p12より引用) もはや利潤をあげる空間がないところで無理やり利潤を追求すれば、そのしわ寄せは格差や貧困という形をとって弱者に集中します。・・・現代の弱者は、圧倒的多数の中間層が没落する形となって現れるのです。


 資本主義が限界に至っていくプロセスはこうです。


(p56より引用) 1974年以降、実物経済において先進国が高い利潤を得ることができるフロンティアはほとんど消滅してしまいました。「地理的・物的空間」の拡大は困難になり、資源を輸入して工業製品を輸出する先進国の交易条件が悪化し、「地理的・物的空間」に投資をしてもそれに見合うだけのリターンを得ることができなくなった。


 この最初の壁にぶつかった先進国は、資本主義を機能させる空間を別次元に求めたのです。


(p57より引用) 利潤率の低下に耐え切れなくなった先進国、とくにアメリカが目論んだのが、新たな利益を得られる「空間」を創造することでした。・・・アメリカは「電子・金融空間」を創設することによって、その後、30数年にわたって「延命」させてきたのです。


 この「電子・金融空間」は経済活動の地理的制約を取り払うものでした。新たな空間で生み出されたバブルの資金は、近代化を促す投資機会を求めるという形で新興国市場に流れ込みました。そしてBRICS諸国にみられるように、一時的にはそれらの国々に経済的急成長をもたらしました。
 しかしながら、新興諸国の成長モデルが「輸出主導」であるがゆえにその成長はすでに鈍化しつつあり、その停止が資本主義の最終着地点になると著者は説いています。

 このグローバリゼーションの環境下においては、貨幣を増加させても、すなわち「金融緩和政策」を採っても、デフレ脱却の効果は期待できません。


(p118より引用) 貨幣数量説から導かれる「インフレ(およびデフレ)は貨幣現象である」というテーゼは、国民国家という閉じた経済の枠内でしか成立しないのです。・・・
 ・・・貨幣が増加しても、それは金融・資本市場で吸収され、資産バブルの生成を加速させるだけです。そしてバブルが崩壊すれば、巨大な信用収縮が起こり、そのしわ寄せが雇用に集中するのはすでに見た通りです。


 もうひとつの方策である「積極財政政策」はといえば、すでに経済が需要の飽和点に至っている状況下においては、こちらも過剰設備を維持するための固定資本減耗の増加を招くという結果に止まってしまいます。

 著者は、「金融緩和政策」「積極財政政策」により資本主義流の成長を求める=資本主義を延命することは既に不可能な段階に至っているとの現状判断に立っているのです。


(p135より引用) 「脱成長」や「ゼロ成長」というと、多くの人は後ろ向きの姿勢と捉えてしまいますが、そうではありません。いまや成長主義こそが「倒錯」しているのであって、結果として後ろを向くことになるのであり、それを食い止める前向きの指針が「脱成長」なのです。


 本書において、著者は改めて「資本主義」の発生・発展の歴史を振り返り、その研究から「資本主義の本質」とそこから導かれる「資本主義の終焉」を指摘しています。


(p164より引用) 資本主義とは、ヨーロッパの本質的な理念である「蒐集」にもっとも適したシステムです。・・・
 資本主義の性格は時代によって、重商主義であったり、自由貿易主義であったり、帝国主義であったり植民地主義であったりと変化してきました。IT技術が飛躍的に進歩し、金融の自由化が行きわたった21世紀は、グローバリゼーションこそが資本主義の動脈と言えるでしょう。しかし、どの時代であっても、資本主義の本質は「中心/周辺」という分割にもとづいて、富やマネーを「周辺」から「蒐集」し、「中心」に集中させることに変わりありません。


 この国家の内側にある“社会の均質性”の消滅により発生した新たな“周辺”が「格差」であり「貧困」なのです。そして、この空間的な拡大が限界状態にあるグローバル資本主義の世界において更なる「収奪」を望もうとすると、今度は“時間軸”すなわち「未来からの収奪」に踏み込むことになります。公共事業への財政出動は「将来の需要の先取り」であり、金融緩和による過剰投資は「エネルギー消費の増大(化石燃料の加速的枯渇)」を招くことになるのです。


(p179より引用) 資本主義は、未来世代が受け取るべき利益もエネルギーもことごとく食いつぶし、巨大な債務とともに、エネルギー危機や環境危機という人類の存続を脅かす負債も残そうとしているのです。


 こういった「資本主義の終焉」に直面して、著者は為すべきこととして「脱成長」を基本テーゼとした「ゼロ成長社会」へのソフト・ランディングを提唱しています。
 その点では、まさに、「ゼロ金利」「ゼロ成長」「ゼロインフレ」に突入した今の日本の進む道が、「強欲な資本主義」に続く世界を拓いていく試金石になるとの考えです。

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)
水野 和夫
集英社

 

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職業は武装解除 (瀬谷 ルミ子)

2015-07-19 21:25:04 | 本と雑誌

 何かの書評欄を見ていて気になった本です。とても興味をひくタイトルですね。

 著者の瀬谷ルミ子さんは、国連をはじめ幾多の国際的組織で活躍している「武装解除」のプロとのこと。本書は、その瀬谷さん自らの手による半生記であり、活動ドキュメンタリーです。

 著者の専門は「DDR」と略されているジャンルです。この3つの頭文字は、“Disarmament”=兵士の武装解除、“Demobilization”=動員解除、“Reintegration”=社会復帰のことですが、より実際に則した活動内容を著者はこう説明しています。


(p39より引用) 和平合意が結ばれて紛争が終わっても、それだけで人々が安全に暮らせるわけではない。紛争が終わるということは、兵士にとっては、明日から仕事がなくなるということだ。


 このフェーズで兵士の意識や行動がうまくコントロールできないと、武器が野放しになった非統制状態が出現し、再び紛争状態に逆戻りしてしまう恐れがあります。


(p39より引用) それを避けるため、兵士や戦闘員から武器を回収し、除隊させたうえで、一般市民として生きて行けるように手に職をつける職業訓練や教育を与える取り組みが、DDRである。


 著者がこういった仕事に取り組もうと決意したきっかけは17歳のときに見たルワンダの母子の写真でした。そして、学生時代のルワンダでのホームステイを皮切りに、ボスニア・ヘルツェゴビナ・アフガニスタン、シエラレオネ、コートジボワール・・・、と次々に紛争地域に自らの意思で飛び込んでいったのですが、そういった現場で著者が経験したショッキングな気づきは、「和解」という言葉の本質でした。


(p45より引用) 私は、現地を訪れるまで、「和解」とは良いことだと信じて疑わなかった。でも、その言葉を口にした時の現地の人々の表情を見て、自分が間違ったことをしているとやっと気づいた。・・・私が家族を失った立場だとして、ある日フラッとやってきた外国人に、加害者と和解しない理由を問い詰めたら、どんな気分になるだろう。・・・たとえ私がどれほど有能な専門家でも、人々が自発的に望んでいないことを押し付けるのは、ただの自己満足なのではないか-
 この時の経験から、平和をつくるプロセスとは、当事者が望んでからはじめて行われるべきであるということ、部外者が興味本位でかき乱すことがあってはならないことを痛感した。そして、皆が手を取り合って仲良しでなくても、殺し合わずに共存できている状態であれば、それもひとつの「平和」の形であり得ることも。


 こういった数々の「現場」において著者が直面した認識のギャップや自らの活動への疑問は、まさに「本質的」なものであり、その解決に向けての道のりは一筋縄ではいかないものばかりでした。

 たとえば、元兵士に対する“Reintegration(社会復帰)”支援において、著者が感じたジレンマ。


(p82より引用) 加害者が優遇され、もてはやされる風潮が長引くと、「無罪になって恩恵がもらえるなら、加害者になったほうが得だ」という価値観が社会に根付いてしまう。手厚い支援を受ける元子ども兵が新品の制服と文房具を持って学校に通う一方で、一般の貧しい子どもたちは鉛筆ひとつ買えないような状況があった。それを見て育った子どもたちは、将来、争いの芽が再び生じたとき、果たして加害者側に回らず踏みとどまることができるのだろうか。


 DDRは「絶対的に正しい施策」ではなく「紛争終結のための政治的妥協案」に過ぎないというのが著者の認識であるだけに、この状況は、看過できない、とはいえその解決案が浮かばない忸怩たる思いがつのるものでした。

 そして、もうひとつは、アフガニスタンで取り組んだ“Disarmament(武装解除)”活動の果たした役割への疑問。


(p105より引用) 当時のタリバーン復活の勢いは、アフガニスタン南部の農村部に浸透し始めていた。武装解除された地域に代わりの治安部隊がいない「治安の空白地帯」は、タリバーンや他の民兵の格好の標的になる。武装解除だけでは、地域の安全を守ることはできないのだ。このまま武装解除だけを進めることは、結局アフガニスタンの不安定化につながるのではないだろうか。


 著者たちの努力は、それだけですべての課題が解消されるものではなく、それに続く押さえの打ち手が必要不可欠なのです。ですが、これが難しい・・・、問題が国際政治のダイナミズムの中で扱われるレベルになるとなおさらです。

 この最終的な課題解決のフェーズにおいて最も重要な要素は、「現地の人々の意識と行動」です。これが変わらなければ、いくら著者たちが誠心誠意種々の取り組みに汗水垂らしたとしても、結局、日が経つにつれ“元の木阿弥”に落ち着いてしまうでしょう。 著者は、何より現地の人々の能動的な「自主性」を重んじました。


(p147より引用) 私たちは、基本的に住民たちをあまり被害者扱いしない。・・・私たちができるのは、彼らが自力で歩き出せるようサポートすることだ。・・・だから、その日に感謝されることよりも、数年後に振り返ったときに、「あのときは難しいことを言う人たちだと思ったけど、あれでよかった」と思ってもらうことを目標にしている。


 さて、本書を読み終えてですが、久しぶりに、「できるだけ多くの人に、この本を手にとってみて欲しい」という気持ちを抱きましたね。
 老若男女誰でもOKですが、今後の進む道を模索している(若い)皆さんには特にお勧めです。自分の将来を考えるうえで、素晴らしい刺激になるでしょう。
 経験の舞台は全く異なりますが、「ボクの音楽武者修行」という本で語られた小澤征爾さんの若いころの姿に重なる“チャレンジ精神”と“躍動感”を感じることができます。
 

職業は武装解除 (朝日文庫)
瀬谷ルミ子
朝日新聞出版
コメント (1)
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ビジネスエリートは、なぜ落語を聴くのか? (石田 章洋・横山 信治)

2015-07-12 20:39:06 | 本と雑誌

 レビュープラスというブックレビューサイトから献本していただいたので読んでみたものです。

 私も大好きというわけではないのですが、寝る前、よく「落語」を聴いています。新作よりは古典落語がいいですね。噺家さんとしては、上方落語なら三代目桂米朝師匠、東京落語なら三代目桂三木助師匠あたりが好みです。

 さて、本書ですが、「落語家」からビジネス社会に転職されたというユニークなキャリアの持ち主のお二人が、その経験を活かして落語の世界とビジネスとの学びの共通点を語ったものです。

 目次を眺めてみると、

  • 第1章 なぜ、落語好きにエリートが多いのか?
  • 第2章 ビジネスパーソンの悩みNO.1“人間関係”の悩みは落語に聞け!
  • 第3章 落語に学ぶ“伝え方”メソッド
  • 第4章 落語が教えてくれた“成長”“成功”のルール
  • 第5章 落語家の生き様に学ぶ“覚悟”の磨き方

といったラインナップで、特に、「第3章 落語に学ぶ“伝え方”メソッド」で紹介されているコミュニケーションのコツについては、さすがに首肯できるところが多くありました。

 とはいえ、落語をビジネスに敷衍するにあたっては、少々我田引水的な印象を受けたことも否めませんね。
 本書を読み通しての感想ですが、正直なところ、著者が説くほど、「落語」がビジネスの成功に役立つとは思えませんでした。


(p49より引用) 「『寝床』という噺を聴いて“私がよかれと思って部下にしてきたことが実は迷惑だったのかもしれない”と考えた」
 「『天狗裁き』という噺を聴いて“親しき仲にも礼儀あり”なんだなあと思った」


といったアンケート結果が紹介されていますが、「落語を聴く」ことと「ビジネスの成功」という効能との関係は、それほど強相関ではないように感じます。

 成功している人は、「外からの刺激」を自分の思考や行動を省みる機会と受け止める、その受信感度が優れていて、さらに、それにより自分の思考や行動を変化・改善させることができているのでしょう。成功した人物は、そういう「学びの姿勢」をそもそも持っていたのです。 

 だとすると、どうすれば、「学びの姿勢」をもつことができるかがメイン・イシューになります。
 自らの外界にあるサインに気づく敏感さとその受容力、そういった能力は一体どうやったら高まるのか、これは「落語を聴けば自然に高まる」というものではないでしょう。落語は“外部入力源(刺激)”の一つに過ぎません。こういう「原初的行動スタイル(姿勢)」を変えるためには、常日頃の「自覚」と繰り返しの「行動」によるしか方法はないように思います。(もちろん、何か強烈な経験が人を変えるということもあり得ますが・・・)

 とはいえ、多様な外部情報に触れる機会を増やすことは、感受能力を高める「助け」にはなるはずです。外部情報に触れないよりは少しでも触れた方が、変わるための「きっかけ」に遭遇する確率は明らかに高まりますから。新鮮な刺激を浴び続けていれば、いつか隠れた能力が目覚めるのではという期待です・・・。

 そして私は、今日も布団の中で落語を聴きながら寝入ると思います。最近は改めて6代目三遊亭圓生師匠の話を聞き直しています。
 

ビジネスエリートは、なぜ落語を聴くのか?
石田 章洋,横山 信治
日本能率協会マネジメントセンター
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大原孫三郎―善意と戦略の経営者 (兼田 麗子)

2015-07-05 20:13:19 | 本と雑誌

 私の場合、「大原孫三郎」氏と聞いて真っ先に思い浮かぶのは「大原美術館」です。遥か昔、学生のころ休みで帰省した際に時折訪れていました。

 大原孫三郎関係の本としては、以前、彼の有名な言葉をそのままタイトルにした城山三郎氏による小説「わしの眼は十年先が見える」を読んだことがあります。


(p.vより引用) 孫三郎は、「仕事を始めるときには、十人のうち二、三人が賛成するときに始めなければいけない。一人も賛成がないというのでは早すぎるが、十人のうち五人も賛成するようなときには、着手してもすでに手遅れだ、七人も八人も賛成するようならば、もうやらない方が良い」と言っていた。
 また、「わしの目には十年先が見える。十年たったら世人にわしがやったことがわかる」と孫三郎は冗談めかしてよく言っていたという。


 間違いなく、今にも生きる箴言ですね。

 まさにこの言葉のとおり、大原孫三郎は倉敷を中心に地方振興の観点から様々なジャンルの基幹事業を興しました。
 その中核企業は、父大原孝四郎から引き継いだ「倉敷紡績」ですが、孫三郎は繊維事業の多角化を目指し「倉敷絹織」を設立しました。この倉敷絹織の工場を建設するにあたって、孫三郎は「工場分散主義」を採用し、その目指すべきところをこう語ったそうです。


(p63より引用) 「一ヵ所で大きな工場を運営することは不利で、分散主義をとることにより、各工場の技術の特徴を発揮させ、そして批判してまた新工夫をさせる。・・・感情的な無意味な競争ではなくて、技術的な競争、技術の新発見、技術的進歩という意味から分散主義をとったのであります」


 単に疲弊を招くだけの競い合いを求めているわけではありません。“競争”による切磋琢磨、それも“技術力を高める”ため。「目的」が合理的かつ明確ですね。

 こういう新たな観点から、とるべき道を見出していくといった孫三郎一流の進取の気質は、その後の銀行業への参入にも見られます。そこでの目指すべきところも、近年のバブル崩壊期の銀行経営建て直しへの処方箋にも繋がるような内容で、まさに100年先を見たものでした。


(p79より引用) 「兎角小銀行は単純なる金貸業者となる傾向がなきにしもあらずである。何となれば、営業は利鞘のみを狙うようになり、其結果は金融緩慢の際はむやみに貸出し、少しく不景気になれば直ちに回収するに至る。斯くの如くにしてどうして産業の発展を期し得ようか。対物信用は素より不可なしと雖も、従来余りにこれに重きを置くきらいがあった。事業の性質、人物の如何によって大いに金融上の利便を与えるのが、産業を助長する所以であると思う」


 「事業の性質」や「人物」を計る明確な物差しは世の中にはありません。それを判断するのは孫三郎自身の選択眼であったわけです。
 孫三郎の目に留まった投資対象に対しては、それが社会貢献に寄与するものであれば、大いに金を使いました。


(p125より引用) 社会文化貢献には、稼いだ金銭を年月を経た後に、何らかの形で還元するというタイプのものもある。・・・しかし、孫三郎は、経済活動などの日常活動を行いながら、それら自体が同時に、地域や人々の利益につながる社会文化貢献を目指した。


 企業経営はもとより、電力・金融・医療・新聞といった社会インフラ整備、そして研究支援、さらには芸術振興・・・、孫三郎は「活きた金使いの達人」だったようです。

 

大原孫三郎―善意と戦略の経営者 (中公新書)
兼田 麗子
中央公論新社
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