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もしも、あなたが「最高責任者」ならばどうするか?Vol.1 (ビジネス・ブレークスルー大学総合研究所)

2016-01-31 23:34:32 | 本と雑誌

 レビュープラスというブックレビューサイトから献本していただいたので読んでみたものです。

 「あなたが●●の責任者ならばどうするか?」という質問形式で、実存組織の課題解決を考えるケーストレーニング本です。
 本書で取り上げられているのは、8つの組織です。
 「The Coca-Cola Company」「ローソン」「NTT」「UBER」「任天堂」「東京ガス」「沖縄県知事」「イオングループ」

 本書で示されている課題解決のアプローチ方法はとてもオーソドックスです。基本は「3C分析」で、その分析から各企業・組織の“採るべき戦略”を導き出しているのですが、もちろん、それに「正解」があるわけではありません。「把握した情報を、どう解釈・評価して、どういうプロセスで打ち手を導き出していくのか」という考える姿勢が重要との主張です。

 とはいえ、やはり、提示された戦略の具体的内容も気になります。
 その点で言えば、たとえば、「The Coca-Cola Company」の章で示された戦略案は、極めて「平凡」ですね。これは、あまりにも現状の課題が明確(マーケットニーズと製品ポートフォリオのアンマッチ)であることから当然の結論ではあります。
 また、「東京ガス」も、ちょっとがっかりの部類です。


(p130より引用) 東京ガスの戦略案
戦略案1 資源開発業者や大手電力・石油元売事業者などと提携し、総合的なエネルギープロバイダーへの転換を図る。
戦略案2 携帯電話やインターネット、通販など、身近な生活関連サービスとの連携を強化する。
戦略案3 スマートグリッド・スマートハウスといった新ビジネスと連携した省エネソリューションを展開する。


 この戦略なら、別に東京ガスでなくても電力やガスの自由化に対応する既存企業であれば同じく当てはまるものでしょう。その中でも「東京ガス」ならでは、たとえば首都圏にインフラを持つ強みをどう差異化要因として生かすのかといった視点から、都市部ならではの地勢的特徴や住民特性を踏まえた生活サービスとのアライアンス提案等、もう一歩・二歩踏み込んだ具体性が欲しいですね。

 他方、「NTT」の場合は、戦略の実効性の面で納得感がありません。


(p69より引用) プラットフォーム戦略としての決済サービス、共通ポイントプログラム、そして固定と携帯の一体化案・・・これでNTTは圧倒的に強くなります。


 まあ、プラットフォーム戦略・固定と携帯の一体化あたりは至極当然。課題は、グループフォーメーションであり制度的制約であり、内的・外的等々それが実現できない原因をどう解消していくかにあるわけです。
 また、大前氏はよく「決済」とか「請求」を戦略の手駒にあげますが、後発企業にとっては、私はそれほど強みになるとは思いません。決済サービスの展開については、その具体的解決案が(大前氏お得意のM&Aである)「銀行の買収」だとされていますが、買収できる程度の銀行で何ができるのか、まさに強みのない事業に他力依存で足を踏み入れて、一体どう「具体的戦術」を描くのか・・・、現実感に乏しい提言だと言わざるを得ないですね。

 本書で唯一「面白い」と思ったのは、強いて言えば「沖縄県」に対する提言でした。
 基本は「規制緩和」をベースにしたものですが、その活用を「医・食・住・教育」というジャンルに絞り本土や海外ニーズとマッチングさせるというのは、アイデアとしては戦略的であり、施策の具体性も感じられます。

 まあ、本書を読んで「なんだ、こんなものか・・・」と批判はいくらでもできます。「じゃあ、お前ならどう考える?」と問い返されて、キチンとした事実認識と分析から、オリジナリティのある打ち手を示すことができないとダメなんですね。かく言う私はまさにそうなので・・・。その意味で、改めて自らを省みる機会を与えてくれるという点では「良書」の部類なのだと思います。

 

もしも、あなたが「最高責任者」ならばどうするか?Vol.1(大前研一監修/シリーズ総集編) (ビジネス・ブレークスルー大学出版(NextPublishing))
大前 研一
good.book
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新しい道徳 「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか (北野 武)

2016-01-24 21:45:33 | 本と雑誌

 話題の本ですね。
 著者はあの北野武氏ですから、いろいろな意味で大いに期待しつつ手にとってみました。でも、かなり予想していたものとは違っていましたね。

 テーマは“道徳”。まずは、昨今の小学校での「道徳教育」が俎板に載せられます。


(p21より引用) 俺が子どもの頃は、年寄りに席を譲るのが当たり前だと教えられた。・・・前に年寄りが来たら、子どもは有無をいわずに立つ。そこに理由なんて必要ない。
 ところが、今の道徳では、年寄りに席を譲るのは、「気持ちいいから」なんだそうだ。
 席を譲るのは、気持ちがいいという対価を受け取るためなのか。
 ・・・
 年寄りに席を譲るのは、人としてのマナーの問題だ。美意識の問題といってもいい。
 マナーにわざわざ小理屈をつけて、気持ちいいから譲りなさいなんていうのは、大人の欺瞞以外の何ものでもない。


 道徳の授業が、こういった人としての行為を「理屈」や「損得勘定」で教えられるようになると、教える側に「伝えようという意思」が欠けてきます。理屈で推し量れないような価値観は、伝える側の「信念」や「熱意」により相手に伝わっていくものです。


(p44より引用) 人に何かを伝え理解させるために必要なのは、巧妙な話術でも、甘いお菓子でもなくて、伝える側の本気度だ。・・・
 道徳っていうのは、つまり誰が、どんな気持ちで話すかが重要なのだと俺は思う。


 人に何かを伝えようとする行為は、伝える側の全人格的行動でしょう。それと同時に、伝えようとすることに「普遍的な納得感」がなくては相手には届きません。人に「道徳」として伝えるのであれば、その内容はすべての人にとって受け入れられるもの(価値観)でなくてはならないでしょう。とはいえ、世の中には、さまざまな考え方の人がいます。その中で、全ての人に受け入れられるようなテーゼであろうとすると、畢竟、それは極々当たり前のものになってしまいます。


(p133より引用) 人間は一人ひとりみんな違う。・・・ただ、ひとつだけ誰にもあてはまることは、みんな幸せになりたいと思っているということだけだ。
「ほんとうの意味で、傷つきたいと思っている人は一人もいない。だから、自分が傷つきたくないなら、他の人を傷つけるのはやめよう
 教室の子どもたち全員に教えていい道徳は、これくらいしかないんじゃないか。


 今日の道徳教育は、「限られた一部の大人」が重要と考えている価値観を、あたかも絶対的な価値であるかのように粉飾して押し付けていると北野氏は考えています。
 そういった、言われたことを「無条件」に受け入れる姿勢は、結局のところ、結局は今の子どもたちのためにはならない、これからますます厳しくなる環境下において、自立した思考・行動が取れるような人に育てることが最大の課題だとの主張です。そして、そのためにはどうすべきなのかを北野氏なりの語り口で説いているのです。


(p180より引用) ほんとうのことを知れば、子どもの心は動く。どう動くかは、子ども次第だ。・・・
 そして子どもは考える。
 その「考える習慣」をつけてやること以上の道徳教育はない、と俺は思う。


 さて、本書を読んでの感想ですが、正直なところ、かなり予想していたものとはかけ離れていました。これが“たけしさん”が書いたものなのかと思うほど、切込みが甘く迫力が感じられないのです。
 書かれていることが「当たり前」というのともちょっと違います。もっと、ぐりぐりと抉るような“たけしさんならでは”の肉厚のメッセージを期待していたのですが・・・。かなりガッカリです。
 本書での「たけしさん的口調」を普通の言いぶりにしてみると、新たな切り口からの独創的な指摘がほとんどないことに気づくでしょう。
 たけしさんの本なら、だいぶ以前に読んだ「下世話の作法」の方がお薦めですね。

 

新しい道徳 「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか
北野 武
幻冬舎
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99.996%はスルー 進化と脳の情報学 (竹内 薫 / 丸山 篤史)

2016-01-17 21:11:07 | 本と雑誌

 久しぶりの「脳」をテーマにした本であり、また、久しぶりの竹内薫氏の著作です。それらしい興味を惹くタイトルでもあります。
 そのタイトルにある「スルー」ですが、著者はその定義を以下のように規定します。


(p98より引用) スルーの定義:入ってくる情報に対して、自分の反応を表明しないこと


 つまり「スルー」というのは「情報に対する態度」なので、その態度は情報の重要性や必要性によっていくつかの段階(レベル)が生じます。
 自分にとって極めて重要な情報に対してはスルーせず「即レス」しますが、中には“即時の判断は保留”して後で応答する「一時的スルー」というレベルのものもあります。さらに“一応気になるので憶えておこう”といった「消極的スルー」や“聞き流す・気にしない・無視する”といった「積極的スルー」もあります。この“今はいらない”という積極的スルーが最も「スルー」の概念に近いですね。そして“受け取ること自体、拒否”される「ブロック」。こうなると“もうこれから先もいらない”となります。

 こういった「スルー」ですが、実はそもそも「脳が意識して処理している情報」は、インプットされた様々な情報量に比してものすごく僅かでしかないのだそうです。


(p136より引用) 入力される感覚の情報量は、毎秒千数百万ビットであり、意識が処理している情報量は、なんと、毎秒たった数十ビットなのである。・・・意識は、99.9999%の感覚をスルーしているのだ。


 人間の場合、入力される感覚情報の多くは「視覚」によるものです。確かに、眼に入って網膜上で像として認識されてもほとんどのものは無意味な背景のように「知覚」していないですね。そう考えると、このパーセンテージも少しは現実感が出てきます。
 さらに、サブリミナル効果(意識と潜在意識の境界領域より下に刺激を与えることで表れるとされている効果)やアインシュテルング効果(何かの問題に取り組んでいるときに、脳がなじみ深い考え方に固執してしまいより優れた答えが見えなくなってしまう傾向)のように入力情報に対して「意識することなく」何がしかの反応や処理をしているという現実もあります。


(p137より引用) 無意識が「意識によって、意識しきれないほどの情報量」を全て担当していると考えれば、それも不思議でないような気もする。


 無意識状況においても「脳」は働いている、これはこれですごいことではありますね。

 さて、本書を読み通して特に興味深く感じたのが「情報量」の捉え方でした。
 普通「情報の量」といって頭に浮かぶのは、「情報」をネットワークの中を流すにあたってデジタル化(符号化)した際のボリュームです。つまり、テキスト<音声<画像<動画といった順に高いビットレートが必要となり「情報量」が大きくなるというイメージです。しかしながら、本書で提示されている「情報の大きさ」は「貴重なものほど(情報量が)大きい」「発現確率が低いものほど(情報量が)大きい」という考え方でした。


(p67より引用) 「情報が生まれること」と「何かが起きること」が同じだとしたら、「生まれた情報の大きさ」は「何かが起きる確率の大きさ」と表わせないだろうか?・・・確率の大きさではなく、貴重さ(滅多に起きないこと/確率が低いこと)を情報の大きさに対応させるのが、上手い方法ということになる。


 この考え方に拠っているのが「シャノンの情報量の定義」です。
 ・「何か」の起きる確率をP(0<P≦1)とするとき、情報量を
    -log P
  で表わす
というものですが、この「-log P」という式は「エントロピーの式」と一致しており、情報量とエントロピーは同じ概念(情報量はネゲントロピー(負のエントロピーである)として考えることができるのだと著者の解説は続きます。


(p89より引用) 「どこにでもある、一様に存在する」というのは(位置に関して)情報量が少ない。逆に「どこかにある、偏って存在する」というのは情報量が多いのだ。ただし、この情報量には「どこに」「どのような」という意味内容は関係ない。関係あるのは「どのくらい確率的に偏っている状態なのか」だけ、ということになる。


 このあたりの考え方は、私自身、あまり実感として腹に落ちきれていないのですが、理解しづらいだけにかえって興味が湧いて面白いですね。

 

99.996%はスルー 進化と脳の情報学 (ブルーバックス)
竹内 薫,丸山 篤史
講談社
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丘の上の綺羅星 (嘉門 達夫)

2016-01-10 22:18:35 | 本と雑誌

 通勤の行き帰りで聞いているPodcastの番組で取り上げられていたので興味を持った本です。

 著者は、シンガーソングライターの嘉門達夫さん。ラジオ番組「ヤングタウン」が舞台だと聞くと読まないわけにはいきません。
 MBS毎日放送の「ヤングタウン」は、TBSの「パックインミュージック」、文化放送の「セイ!ヤング」と並んで、私の学生時代の愛聴番組でした。今から30年以上前になります。アリスで大ブレイクする前の谷村新司さんと佐藤良子さんの木曜日、笑福亭鶴光さん・角淳一さん・佐々木美絵さんの金曜日は、深夜放送番組の中でも特に絶品でしたね。

 嘉門さんは、この「ヤングタウン」に19歳でレギュラー出演し始めました。当時の芸名は「笑福亭笑光」、鶴光師匠の弟子、ヤンタンのプロデューサー渡邊一雄さんの目に止まったのが大抜擢のきっかけでした。
 しかし、その後、ほどなく師匠との間の軋轢で破門され、今で言う“自分探しの旅”に出たのでした。まずは、北へ。

(p140より引用) 列車とヒッチハイクで江差に着く。・・・
 熊石という町に辿り着き、線路伝いに歩いていると、食堂の看板が目に飛び込んできた。
 「なべさん食堂」
 バックからカメラを取り出しシャッターを切った。
 旅の途中で現像に出し、迷惑をかけたヤンタンのプロデューサー渡邊さんに手紙を書く。
 ・・・
 渡邊さんこそが、今後の人生のキーマンになる。打算的だが、そう確信していた。認めてもらえるような答えを持って帰らなければならない。

 嘉門さんと私は、ほぼ同年代。彼が北海道を放浪していたちょうどそのころ、私も学生の旅で北海度を巡ったことがあります。本書でも、礼文島や斜里のユースホステルが登場します。礼文はやはり「桃岩荘」でしょうか。私も一度泊ったのですが、あのユースは当時からそのパフォーマンスの濃さで超有名でした。懐かしいですね。

 さて、本書は、嘉門達夫さんの自伝的小文ですが、その主人公は渡邊一雄さんでした。
 嘉門さんの人生を常に応援してくれていた渡邊さんが末期がんで入院しているとき、嘉門さんは渡邊さんからの依頼で、入院先の病院でミニコンサートを開きました。

(p225より引用) 歌っている最中に、笑顔の渡邊さんが目に入った。笑わせる歌を歌っているにもかかわらず、泣きそうになったので、窓の外に広がる青空を見つめながら歌った。

 嘉門さんに限らず、桂文枝(当時は、三枝)さん、谷村新司さん、笑福亭鶴瓶さん・・・等々、渡邊さんに見出され、ヤングタウンという番組を舞台に大きく育っていったタレント・歌手の方々は数多くいます。

(p251より引用) 「本当の意味で『人を育てる』ことの出来る人は、決してそれを自慢したり恩に着せたりしない。」

 渡邊さんに才能を認められながらも、広く世に知られることなく歌手を続けている金森幸介さんが、渡邊さんに30数年ぶりに再会したときのことを自らのブログに記したこの言葉が強く印象に残ります。

 

丘の上の綺羅星
嘉門 達夫
幻冬舎
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