加藤周一氏は、ご存知のとおり現代を代表する評論家であり知識人と言われています。
この本は、その加藤氏が2002年に大学の新入生を対象とした講演の内容を再構成したもので、全体でも50ページ程度の小冊子です。
この中で氏は、「学ぶために必要なもの」としてふたつのものを挙げています。
ひとつは「言葉」です。しっかりした言葉を扱えないと何を言っているのかわかりませんし、ものごとをはっきり考えることはできません。
もうひとつは「座標」です。
(p10より引用) 一般に問題を考えようとするきには、対象の位置づけを明確にするために、なんらかの座標を必要とするのです。
言うまでもありませんが、基本的な座標は「時間的座標」と「空間的座標」です。このふたつの座標軸で作られる二つの次元でものごとを捉え考えるのです。
加藤氏は、タイトルにもあるように「学びて思わざれば罔し」「思いて学ばざれば殆うし」(論語 為政)という孔子の言を引いて、「学ぶこと」と「思うこと」を対にして論じています。
氏は、孔子のいう「思うこと」とは「自分で考えること」「問題意識を持つこと」と理解しています。そして、上記の辞にある「学ぶ」と「思う」の関係を以下のように説明しています。
(p7より引用) 「これが問題だ」と感じること、これを日本語では「問題意識」といいます。ある問題意識が自分のなかにあり、そのことについてよく考えること、それが「思う」ことです。それは誰かに与えられたものではなくて、自分のなかから出てきた問題意識です。それがないと本当の意味でものごとを理解することにならない。だから教師が教えてくれることを学ぶだけでじゃダメなんですね。学ぶだけでは、自分自身の問題を解決できないでしょう。
問題解決をするために必要なのは、まず問題を意識することです。だから、意識化された問題が自分自身のなかにあることが学ぶことの動機になります。「思うこと」と「学ぶこと」は、このように関係しているわけです。
(私ごときが言うようなことではありませんが、)この本全体を通して、やはりものごとを自分なりにキチンと理解している先達が後進に理解させようとして語る文は違うと感じました。
語り口に明らかな余力があり、同じ言葉であっても、それを聞くもののレベルに応じて理解できる深さが異なるように思います。語る内容の包含する容積が大きいので、どんな広さの人(generalist)にも、どんな深さの人(specialist)にも応えられるのでしょう。
(もちろん、語る内容の正否・是非の評価・判断については、人それぞれの価値観によって異なりますが・・・)
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