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月日の残像 (山田 太一)

2015-01-22 22:07:35 | 本と雑誌

 昨年末の新聞の書評欄で、複数の選者が推薦トップ3に挙げていたので手に取ってみました。

 著者の山田太一氏は、「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」など数多くのテレビドラマを手掛けた脚本家です。本書は、山田氏の家族をはじめ、巡り会った人々との思い出を綴ったエッセイです。

 その中で、特に興味使いエピソードが紹介されていたのが、劇作家寺山修二氏との思い出を語った章でした。
 寺山氏の作品には、「母」が登場する俳句・詩・シナリオが数多くあるとのこと。それらで描かれている「母」は、寺山氏の実母とは全く異なっていたようです。その事実は、山田氏を混乱させました。


(p206より引用) 大学1年のとき、同級の寺山の作る句や歌が実生活と直結していないと知って、いぶかしんだ。


 寺山氏は、第一詩集「空には本」のあとがきにこう記しているそうです。


(p206より引用) 作意をもたない人たちをはげしく侮蔑した。ただ冗漫に自己を語りたがることへのはげしいさげすみが、僕に意固地な位に告白性を戒めさせた


 山田氏は、この論にたちまち傾倒します。


(p206より引用) 事実と芸もなく付き合しているような歌や句こそ恥ずべきものなのだといわれて、とても新鮮に思えた。「私小説の誠実」・・・というような考えに染まっていた高校生だった私には、嘘でいいんだ、作品は実生活がどうかというようなことで裁かれるべきではない、作品としていかに自立して存在しているかだけが問われるべきなんだという議論には、たちまち説得された。


 もうひとつ、印象に残ったところですが、サザンオールスターズの桑田佳祐さんに触れた部分もあったので、書き留めておきましょう。
 「文字によらない文化媒体」としての「歌」の可能性、文化的事物の認識器官として「目」から「耳」への移行に言及しているくだりです。


(p242より引用) 歌をなめてはいけない。歌詞を読んで判断してはいけない。・・・まるごとの音楽を聞かなくてはいけない。
 それでも文字人間はつい歌詞に目が行ってしまう。そんな時に出会ったのが、サザンオールスターズだった。桑田さんが歌うのだが、なにをいっているのか聞きとれない。・・・それがよかった。そうなんだ、こうなんだ、こうして文字は後退して行くのだ。


 ご存知の方も多いと思いますが、山田太一氏の代表作「ふぞろいの林檎たち」のテーマ曲は「いとしのエリー」でしたね。

 

月日の残像
山田 太一
新潮社
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運と気まぐれに支配される人たち ― ラ・ロシュフコー箴言集 (ラ・ロシュフコー)

2015-01-13 22:09:36 | 本と雑誌

 著者のラ・ロシュフコーは17世紀のフランスの貴族です。

 解説によると、ラ・ロシュフコーが残した文芸作品は、この1冊だけだったと言います。その1冊が、国内外の多くの錚々たる作家・哲学者たちにとっての「枕頭の書」となったのです。

  まず、「箴言(マクシム)」についてですが、当時のフランスの社交界においては流行りだったようです。


(p267より引用) マクシムは、ポルトレ(肖像)と並んで、17世紀のサロンに流行した一種の知的遊戯である。ポルトレは、人物の外見を機知にあふれた筆致で描写し、人間の個性や特徴を浮き彫りにしようとする。一方、マクシムは人間の内面の心理を分析し、それによって人間性を追求し、把握しようとする。マクシムの主題は、個々の人間の個性ではなく、万人に共通する人間の普遍的真実なのである。


 ちなみに、本書の巻頭の一章はラ・ロシュフコーのポルトレです。そこには、著者の風体容貌の紹介とともに、様々な観点からの自己分析のことばが並んでいます。


(p8より引用) 私は自分をよく知るためにかなり自分を研究してきた。私に良いところがあれば、遠慮なく言う自信もあるし、私の持っている欠点は、はっきり白状してしまう素直さも持ち合わせている。まず手初めに、私の気質はと言えば、私は憂鬱な性分である。・・・私には才知がある。だが、憂鬱に損なわれた才知だ。・・・


 著者自身、大貴族の家に生まれながら激動の人生を歩み、強い人間不信にも陥りました。彼の「箴言」は厳しい人間認識にもとづくものでした。

 さて、その箴言の中から私が関心を持ったものを覚えとしていくつか列挙しておきます。


(p24より引用) 過ちを犯した人たちをたしなめるとき、われわれには、善意より自惚れのほうが強く働く。長々とお説教はするものの、相手の間違いを正そうというより、自分は別物、と言ってきかせるのだ。


 ラ・ロシュフコーの箴言の多くは、人間の「利己的な姿」を抉り出すものであり、「自分は人とは違うんだ」という根拠のない優越感を鋭く糾弾するものです。著者は、この優越感をしばしば「自己愛」と表現しています。そして、それは、自らに対する見方の甘さの表れでもあります。


(p36より引用) 誰しも、記憶力の悪さを嘆く。そのくせ、判断力の悪さは嘆かない。


 これは、とても首肯できる指摘です。私自身も大いに反省しなくてはなりません。記憶力の低下は例えば加齢といった何かのせいにすることはできます。が、判断力の低下は自己の能力の劣化であるがゆえになかなか認めたくないというのが本性ですね。これも自らに対する見方の甘さの表れでしょう。

 自らの能力を過大に見積もることは他者の軽視でもあります。しかしながら、実際は自分が思っているほど他人は思慮不足ではないのです。


(p53より引用) 一見、ばかばかしいように見える行いでも、隠れた動機は、きわめてもっともで、しっかりしている、こういう行為が無数にあるものだ。


 これは、外から眺めている立場では窺い知ることができない人間の深遠さの認容であるとともに、表層的・直截的な見方で事象を捉える浅薄な態度への訓戒でもあります。


(p119より引用) 人間一般を知るのはた易いが、一人の人間を知るのは難しいのだ。


 人間を対象にした学問の代表的なものは「哲学」です。


(p20より引用) 哲学は、過去の不幸と未来の不幸に、たやすく打ち勝つ。だが、現在の不幸は、哲学に打ち勝つ。


 この言葉には、哲学に対する著者の懐疑的な見方が背景にあるように感じます。
 人間とは、人生とは、真実とは・・・、こういった様々な論考は世に溢れていますが、そういった普遍性を追求する姿勢から、人間一人ひとりの、その時その時の具体的心情を理解することはできないですね。一般論であるがゆえに各論には当てはまらないのです。「人間をリアリスティックに捉える考え方」と「哲学に対するシニカルな見方」の表明ですね。

 さて、本書を読み通しての感想ですが、著者の語る辛辣な言葉の多くは、過大評価しがちな自己を厳しく戒めるもので、自らを省みるよいきっかけを与えてくれたと思います。

 そういった中で、最後に、ちょっと違ったテイストの箴言を書きとめておきます。


(p123より引用) 窮地に陥った時、人の取るべき態度は、なんとか機会を作り出そうとするより、目の前にある機会を生かすよう一生懸命になることだ。


 これもまた、今の世の様々なシーンにも通用する普遍的かつ現実的なアドバイスですね。
 

運と気まぐれに支配される人たち―ラ・ロシュフコー箴言集 (角川文庫)
La Rochefoucauld,吉川 浩
角川書店
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高倉健インタヴューズ (野地 秩嘉)

2015-01-06 23:26:02 | 本と雑誌

 高倉健さんの著作は、以前「旅の途中で」というエッセイを読んだことがあります。

 本書は、高倉健さんとその所縁の方々へのインタビューをまとめたもの、高倉さんの様々な顔を覗い知ることができます。

 高倉さんの“人に接する姿勢”を伝えるエピソードは数々あります。
 本書のあとがきにも、ある上場企業の経営者の方が学生時代、アルバイトで高倉さんが出演するテレビのドキュメンタリー番組のADしていた時の想い出が紹介されています。

 その方が、ホテルに高倉さんを迎えに行ったときの1シーン。


(p187より引用) ドアが開いたら、あの大スターの高倉健がたったひとりでエレベーターに乗っていたんです。
 呆然としていたら、私のそばに来て、「高倉です。よろしくお願いします」。直角です。90度の角度ですよ。あわてて、私がごにょごにょ言いながら、なんとなく頭を下げたら、高倉さんは不動の姿勢で下を向いていました。びっくりしました。
「こういう人が本当の大人だ」と感じました。・・・
 衝撃でしたねぇ。世の中には立派な大人がいるんだと思った。だって、はたちかそこらの何もわからないガキに対して、最敬礼して、ちゃんと尊重してくれる。そんな人いないですよ。そりゃ、僕らバイトは死ぬ気で働きました。・・・いつの日か、立派な大人になるんだ、と。


 そして、俳優としての「高倉健」の凄さを語る言葉。
 高倉さんの映画を撮り続けたカメラマン木村大作さんは、『鉄道員ぽっぽや』の予告編を示してこう語っています。


(p52より引用) 今度の特報(予告編)を見た?
健さんの後ろ姿がスクリーンに大写しになるんだ。そこにスーパーが入る。「この人がまたあなたを熱くする」って。
 そして健さんが振り返る・・・。
 後ろ姿にそんなスーパーが打てる俳優が他にいるかい。いないよ。絶対。雪のなかのホームを歩いて笛を吹いただけでぐっとくるなんて・・・。


 もうひとつ、「単騎、千里を走る。」のチャン・イーモウ監督


(p112より引用) 私が思うに高倉さんがいちばん大切にしているのは、人の心の美しさを観客に届けることではないでしょうか。


 だからこそ、高倉さんは、自分自身の心の在り様を大切にしたのだと思います。

 高倉さんと10年以上の付き合いの広告プロデューサー風間克二氏の言葉はとても印象的です。


(p131より引用) 高倉さんって、きっと高倉健という役割を演じてないんですよ。実は自然体で普通の人なんです。だから、どんな人に対しても同じように接することができる。


 いえいえ、やはり、高倉さんは“普通の人”ではないですね。
 普通の人は、知らず知らずのうちに自分を基準に自分の立ち位置を定め、相手との距離を測ってしまうものです。そして、自分との関係性の中で相手への接し方を変えるのですから。
 

高倉健インタヴューズ
野地 秩嘉
プレジデント社
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